第33話 春風
当時、私はまだ十四歳の女子中学生でした。
きっかけは、なんとなくクリックしたバナーの広告です。
クラスの男子が教室の隅にかたまって騒いでいたゲームの名前だったのを憶えていました。
私はテレビゲームも携帯ゲームにも興味がありませんでした。
お風呂上りに冷えたジュースを飲みながら、片ひじに頬を乗せ、マウスをカチカチと鳴らしながらネットの記事の波間を漂っていた時に『ああ、これの事かあ』と何気なくクリックしてみただけです。
私が抱いていたゲームのイメージは、画面の端から現れた何かをピコピコと撃ち落としたり、手元のボタンを叩きまくってパンチやキックを当てるものしかありませんでした。
中学生になったクセに、中身は小学生のような頭の軽い男子の同級生が、いかにも好みそうなものです。
ろーるぷれいんぐげーむ?
飛んだり跳ねたり、きのこを食べて敵を踏みつければいいのかしら?
『自分のキャラクターを作りましょう』
画面の中に体格の良いお兄さんが現れました。
かわいくない・・・、女性の選択肢があったので、そちらを選ぶと、綺麗なお姉さんに変わりました。
顔、髪型、体型・・・、ここはボン、キュッ、ボンで・・・。
『名前を付けてください』
どうしようかな・・・、エリザベスとかクレオパトラだとか、綺麗で強そうなのがいいのかな?
悩みながら窓の外を見ると、庭の木に可愛らしい薄紅色の蕾がふくらんでいました。
梅・・・、梅子にしよう。
何だか、おばあちゃんの名前のようだけど、思いの外気に入りました。
『職業を選んでください』
ひとつ終わると、ひとつ出てくる画面の指示に従い、流れ作業でクリックしていきます。
剣士と魔法使い。
初めはこのどちらかしか選べないようです。
キャラクターが成長すれば、もっと沢山の職業が選べるようになるそうです。
うーん、剣士かな?勇者っていえば剣だよね?
剣を構えた強そうなお姉さんが、ぐるぐる回っています。
『アリオス大陸へようこそ』
コントローラーをぐりぐりと動かして周りを見れば、大きな門の近くに立っています。
「お前は新人の冒険者だな。最近、この近くで野犬が騒いでいる。五匹倒してこい。そうすれば、一人前と認めて冒険者組合に紹介してやろう」
門の脇に控えていた髭面の衛兵さんが上から目線で命令してきました。
チュートリアルだそうです。
ふむふむ、犬か。
草を掻き分けながら歩いて行くと、同じ場所を行ったり来たりしている犬を見つけました。
よし!ごー!
・・・、あれ?どうやったら攻撃してくれるの?
どのボタンを押せば魔法を打つのかしら?
あれよあれよという間に倒されて、元いた門の前に戻されてしまいました。
「アイテムは装備しないと効果がないぞ」
そういう事は先に言ってよ!このヒゲだるま!
今思えば、それも懐かしい思い出です。
その後、天の声に導かれるままに野良犬を倒し、門を通り抜け街の中へ移動します。
街の中は人込みで溢れかえっていました。
通りをまとまって歩いている集団、その間を忙しそうに駆けて行く人、そうかと思うと街のそこかしこに車座になって座り込んでいる人達。
ログを流れていくチャットの渦。
キャラクターの上に浮かんでは消える会話の吹き出し。
ゲームって、こういうのがあったんだ。
お祭りのような街の賑やかさに、ちょっと感動しました。
このキャラクターひとりひとりの向こう側には、私と同じようにパソコンの前に座ってキーボードを打っている人がいるんだなあ。
どうすれば良いんだろう?
話しかけていいのかな?いけないのかな?
街の隅っこで座っている人に、ドキドキしながら声を掛けてみました。
「すいません、お話してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
これが私の『アリオスクロニクル』の始まり、そして盟主との出会いでした。
それからの私は最後の授業が終わると家に走り帰り、玄関で靴を脱ぐのももどかしく、部屋に駆け込み、勉強ノルマを片付けます。
夜、十時頃になると盟主がログインしてくるからです。
私が入れてもらったのは、おだやかな陽だまりのようなクランでした。
私以外のメンバーは皆さん社会人のようで、チャットの会話も落ち着いており、学校で交わす雀がさえずるような騒がしいおしゃべりとは違いました。
中には、私と同じ位の年齢の子供を持つ、おばさん・・・、失礼、お姉さんもいました。
いろんなヒトがいるんだなあ。
何も特別な事を話すわけではありません。
天気の話、芸能人の話、仕事の話、好きな本の話、時には私の学校でのちょっとした不満、ちょうど良い距離で受け止め、返してくる会話。
話が途切れると自然に次の話題を振ってくれるひと、あまりしゃべりませんが『うん、うん、そうだね』と静かに相槌を打つひと、そして、みんなのいじられキャラだけれども、必ず最後は盟主の決断に従います。
学校の友達より、一足先に大人の仲間入りをした気分になってました。
大人?うーん、ちょっと違うかな?
ネットの向こう側にいる、顔を見た事も無く、本当の名前も知らない人達。
現実では無く、そうかと言って、全部ウソでもない。
お互い、素性を知らない仮面舞踏会で、相手の裏側を探りながらくるくる回る。
常に別れの寂しさが付きまとう、刹那的な世界。
この世界だけの仮の姿かたちだからこその、気安さと遠慮が同居していたのだと思います。
学校の先輩よりもっと特別な人達、私にとっては英雄とも言える人達の後を、いっしょうけんめいに追いかけていました。
山を、谷を、川を、草原を越え、獲物を追いかけてひたすら走る。
高い塔の中の螺旋階段を、どこまでも駆け上って行く。
いくつにも枝分かれする洞窟を、迷いながら最奥を目指す。
朽ち果てた幽霊船の中を、おっかなびっくりソロソロと宝箱を探して歩く。
ここは異世界、この世界だけの仲間達。
運営会社のサービスが終われば、七色のシャボン玉のようにはじけて消えてしまう世界。
でも私にとって、大切な人達のいる世界。
そんな美しい世界にも不穏な空気が流れるようになりました。
この世界、最古、最大手のクラン『Line of the fool 愚者の行列』が元から独占していた狩場とレイドボスを、さらに増やしていったのです。
連日、ゲーム内の掲示板は、『fool』に対する不平不満で溢れかえっていました。
それに対する『fool』の答えは、終始一貫していました。
『ここは、剣と魔法の世界だ。欲しいものが有るなら、力で奪い取れ。捨てキャラの遠吠えなど聞こえはしない』
運営は何もしてくれません。
それどころか、ゲームのイベント仕様は、プレイヤーの対立をさらに煽るものでした。
クランの皆さんは『MMOって、そういうモノなんだよ』と、達観した答えを返してきます。
プレイヤー自身が作る歴史と物語なのだそうです。
そんな世界でも我関せず、いつも飄々としている盟主でしたが、日を追うごとに、街の通路の片隅にぽつねんと座る盟主のもとを訪れる他のクランの盟主の数が増えてきました。
私達は、クランハウスという専用の建物を所有していましたが、盟主はこの場所がお気に入りのようです。
私も盟主の隣に座り、とりとめのない会話をして、なんとなく過ぎて行く時間が好きでした。
どうしたんだろう?
何か相談に来ているようです。
一般チャットでは無く、パーティチャットで話しているので、内容は分かりませんが、随分長い時間話し込むようになっていきました。
何故、うちのぼんやり盟主に?
「うちの盟主、元は『fool』の創設者の一人だったんだよ」
ここに来て、驚愕の事実判明です。
あの、すぐに、座りたがる、ものぐさ盟主が?
狩りに行っても、すぐに『休憩、きゅうけーい』と言って、安全地帯に逃げ込んで座り込みます。
「ゲームの正式サービス開始から、狩場を切り開いて、レイドの攻略法を確立させてきたうちの一人なんだ」
クランの副盟主をしているクヌギさんが、教えてくれました。
このゲームの片隅で細々と活動している零細クランの盟主が、そんな有名人だったなんて想像もしませんでした。
「俺も良くは知らないんだけれども、何か意見の食い違いがあって、追い出されちゃったみたいだね」
うん、追い出されたって所は、納得できるかも。
なんとなく、怒った奥さんに家から追い出されたダメ亭主の絵が浮かんで、笑っちゃった。
あのガチガチな戦争クランに盟主は場違いのような気がする。
とまどう私の心配をよそに、盟主を訪ねる人の数は膨れ上がり、いつの間にか、私も連絡係りとして、クランの間を走り回るようになりました。
いつまでも続く文化祭の前日のような、気忙しい日々。
気づけば、うちの盟主が『fool』に対抗する連合軍の代表になっていました。
「まいったなあ、どうして、こうなっちゃったんだろう」
そう呟く、盟主のキャラは表情を変えず、いつものように街の片隅に座っているだけでしたが、その裏側では、数えきれない程のメールを送りだし、さらに多くの問い合わせに指示を出しているのでした。
『fooj』にすり寄るクラン、離れるクラン、昨日は仲間、今日は敵、誰が味方で誰が敵なのか、混迷の度合いは日増しに加速していきます。
この暗澹たる状況を打開すべく、我こそが、と気炎を上げる第三勢力も次々と現れるようになりました。
「もう!ワケわかんない!」
「それでいいんだ」
チャット欄に?マークを連打する私に教えてくれました。
「ネットの匿名戦争にはっきりした終わりなんか無いんだよ。もう嫌だなあ、って思うでしょ?相手もそう思えばいいよね?早く終わらせる為に、ワザとかき混ぜて消耗戦を加速させているんだ」
私が在籍したクランの名前は、クランのみんなに『なげーよ!』『俳句か!』『早口言葉か!』と常々茶化されるような長い名前でした。
もちろん、誰一人として正式名称を言う人などいませんでした。
大抵、『春風』の略称で内にも外にも通っていました。
公式掲示板に『fool』を含めた複数の盟主による連名で、狩場の解放宣言が発表された日、私達のクランは解散し、役目を終え、盛りの過ぎた桜の花びらのように、その名前の通り、私達は風に吹かれて散っていきました。
『春風』は私の居場所でした。
私はゲームが好きだったのでは無く、あの人達が好きだったのだと気付いていました。
とりわけ盟主は、私の憧れでした。
本当の名前も知らず、何処に住んでいるのかも知らず、画面の向こう側の顔も見た事がないのに、兄のように、先輩のように慕っていました。
昔風に言えば、見も知らぬ文通相手に思いを馳せるようなものでしょう。
もうこれっきりだと思うと涙がこぼれてきました。
その頃には、高校生になり、大学受験が現実味を帯びてきた私はオンラインゲームから離れていくことになります。
『春風』の無い世界は、季節を失くした色の無い世界のようであり、それ以上留まる理由の無い世界でした。
あの日、転移事件の起こったその日まで。
特に何か理由があったわけではありません。
そう、初めて『アリオスクロニクル』に出会った日のように、なんとなくネットを漂っていたら、たまたま目についただけでした。
ちょっと懐かしくなっただけです。
例えるなら、昔住んでいた町に、ふらっと立ち寄ったみたいなものでしょうか?
家が無くなってしまったのは、分かっています。
その土地には、もう別の住人が暮らしています。
それでも、電車を降りて、駅前に立ち、あの頃から変わったモノ、変わらないモノを見たかっただけなのだと思います。
後悔はありません。
私が恋い焦がれたあの人に、この世界で再会することができました。
このマラガの冒険者組合で、探し続けた甲斐がありました。
想像とはちょっと違いましたが、見てくれはまあまあだし、おどおどした感じも私の嗜虐心を適度に刺激してくれます。
あ・・・、涎が・・・。
この世界は、一人の男性を複数の女性で所有する世界です。
誤解されている方が多いようですが、男性優位では無いのです。
むしろ、女性に発言権があるからこその仕組みなのです。
この社会には、正妻と愛人、正室と側室の区別など無く、妻たちは等しく夫を共有します。
怪訝な顔をして私の前に立つソフィアさんとアリスさんが、まるで冬の女王のようにさえ見えます。
女性の私でさえ見惚れるような透き通った肌、整った目鼻が、全てを拒む断崖絶壁として私の目の前に立ち塞がります。
正直に私の思いの丈を告白し、認めてもらうしかありません。
私は盟主の過去を知る女です。
自分で言って、ちょっと恥ずかしくなりましたが・・・。
盟主は自分の過去をペラペラと自慢げに語るタイプではありませんから、きっと彼女達も知りたいはずです。
ここが正念場です。
ここで引き下がる事は出来ません。
もう二度と離れるつもりはありません。
盟主と出会った頃の小娘では無いのです。
覚悟してくださいね、盟主。
私たちがキッチリ尻を叩いて差し上げます。
もう、逃がしませんよ?




