第32話 小梅ちゃん
「・・・・・・の、『梅子』っていうキャラクターでした」
懐かしいクラン名と名前が聞こえた。
「えっ?サナエさんって、小梅ちゃんだったの?」
予想外の名前が出て来て虚を突かれてしまい、思わず素で答えてしまった。
サナエさんの眼が大きく開いて俺を凝視している。
「その言い方!カズヤさんが盟主だったんですね!」
受付のカウンターから、小梅ちゃん、もとい、サナエさんが身を乗り出して抱き着いてきた。
マズイ!
この状況は、前にも経験したことがある。
サナエさんの柔らかい体と良い匂いがたまらない!
シャツごしの巨乳感がハンパない!
そして、背中に突き刺さる視線がイタイ!
だから!こういう事は二人っきりのときにシテ!
ほら!後ろで鞘から剣を抜く音がしてるし!
他の事務員さんも何事かと、席を立ってこっちを見てるし!
俺の評判が意図しない方向へ流れて行くから!
これ以上、イヤ、これ以下に俺の世間体を堕とさないで!
感極まって、涙すら流していたサナエさんをなだめ、後ろから降り注ぐ好奇の視線に汗をかきながら組合を逃げ出し、手を引いて近くの定食屋へ駆け込む。
ううっ・・・、もう組合に行けないかも知れん。
注文取りの娘さんに、異世界風スパゲティランチを注文する。
先に出てきた付け合せのサラダにフォークを刺しながら、話を続ける。
そう言えば、こっちの世界で普通に外食するのは、これが初めてだな。
「それにしても、サナエさんが小梅ちゃんだったとはなあ・・・」
ゲーム時代に俺のクラメンだった小梅ちゃん、もといサナエさんとはゲーム内のチャットでしか会話したことがない。
その頃はチャットの雰囲気から中学生か高校生くらいだと推測していたけれど、こんなお姉さんだったとは。
否、クランを解散してからかなり経つし、こっちの世界に来てからも、俺とは四年の時間差がある。
あの頃子供でも今は大人で当然なのか。
目の前に座るワガママボディのサナエさんを改めて見ると、感慨深いものがある。
長い間会っていなかった小学校の同級生に再会したら、驚くほどの美人に変わっていたようなものだろうか。
「私だって、まさかカズヤさんが盟主だったなんて思いませんでした。諦めずにマラガで探し続けて本当に良かったです。こっちで出会った時からツバ付けといてヨカッタ」
今、感動的な出会いの最中に、全てを台無しにする言葉があったような気がするが・・・。
テーブルの反対から顔をずずいと寄せてくるサナエさん、もとい小梅ちゃんを押し返す。
「う、うん、俺も小梅ちゃんに会えて良かったよ。それで、他のクラメンはどうなの?」
店内を忙しく動き回る娘さんが『ハイ、お待ちどうさまー』と言いながら、ドカンと皿をテーブルに置いていく。
「クヌギさんとハヤタさんは見つけました。というより、クヌギさん達もクラメンや知り合いを探してアリオス大陸を飛び回っているんです。数か月に一度くらいで手紙が届くんですけど、まだ誰も見つかっていないようです。ゲーム時代のクラン名でまとまって活動している人もいるんですけど、やっぱり盟主の言う通り、敵対や報復を警戒して過去の名前を伏せている人が多いですね」
小梅ちゃんが、皿の上の麺を食べるでもなく、フォークでつつきながら目を伏せる。
「そもそも、こっちに飛ばされたかどうかも分からないし、クランを解散した後もゲームを続けていたかどうかも分からないからなあ・・・」
「でも、盟主だけでも見つかって嬉しいです。あの・・・、せっかくですから昔の名前でクランを立ち上げて活動しませんか?」
「しない」
「え~、どうしてですか?あの頃を知っているヒトなら、絶対、盟主と一緒にやりたい、って思うはずです。私達と仲の良かった『ピンクサファイア』の皆さんもこっちに来てますよ?」
「絶対やらない。そもそも、あの頃はゲームの中の事だろ。今は現実にこんなデカイ刃物ぶら下げて歩いているんだぞ?山の奥に連れ込まれて、グッサリやられたらそれで終わりじゃんか。それに、俺は他の転生者みたいに脳内スキルが使えないんだから、過剰な期待はしないでくれよ。でも『ピンクサファイア』の盟主には会っておいても良いかもなあ」
腰にぶら下げた剣を少し抜き、小梅ちゃんに見せて、また戻す。
チャットや外部掲示板における、『お前のカーチャン、でーべそ』的な、小学生レベルの言い合いでは済まないのだ。
「でもでも・・・、国ひとつを潰しちゃうようなfoolを相手に出来るようなクランなんて、盟主にしか・・・」
「fool!それだよ、それ!あいつ等に見つかったら、絶対メンドウな事になる。頭のネジが飛んだ連中は放っておこうよ。俺はこの世界で波風立てずに平和に暮らしたいんだよ。せっかく農場も手に入ったんだから畑耕して、時々、この辺の雑魚狩って、ソフィとアリスとイチャイチャしながら生きて行くのが、俺の将来設計だ。お互いに昔のクランの事は他言無用だかんな」
思わず大きくなってしまった声を咳払いでごまかし、顔を寄せて声を低くして言う。
「雑魚狩って、イチャイチャって・・・、どんだけスケベでヘタレなんですか盟主、欲望がストレートに溢れ過ぎてますよ。まあいいです。ちょっと納得いかないですけどクランの事は黙っておきます」
小梅ちゃんが、口を尖らせて、不満そうに言う。
ちょっとは表情を隠せよ。
あと、スケベなのは男の子の証でみんな同じだ。
俺だけじゃない。
今、ソフィとアリスの好感度イベントが良い感じで起こっているのだ。
この流れから外れたくない。
「まあ、小梅ちゃんが無事で良かったよ。俺も気にならないワケじゃないから、昔の仲間探しはこっそりやろう。foolだけじゃなくて、昔のイザコザで逆恨みしてるヤツもいるかも知れないしさ」
「はい、了解です」
「ほら、食べようよ、冷めちゃう」
「はい・・・、ホント、相変わらずヘタレなんだから・・・。でも、臆病だから他人を見捨てる事も出来なくて、大きな渦に巻き込まれちゃうんですよね。foolと敵対した時もそうだったし・・・」
「あのな、それだって、やりたくてやった訳じゃないんだ。ヘタレ言うな。せめて優しい心の持ち主にしとけ」
「私は『俺が俺が』の自己主張の激しいヒトより、ヘタレな盟主が好きです」
不意の真顔にドキっとする。
ゲーム時代は、俺や他の仲間の後を、ちょこちょこ付いてくる近所の年下の女の子、または、子犬のように懐いてくる下級生のような小梅ちゃんだったのに、異世界で再会したら、妙な色香を身にまとった大人の女性になっていたので、調子が狂う。
勘違いしちゃうから、そういうのヤメてくれ。
「だから、ヘタレ言うなよ。さっさと食え、俺のオゴリだ」
「お昼ご飯くらいで、えらそーに言わないでください」
ゲーム時代の話題に花を咲かせ、懐かしく語りながら食事を終え、サナエさんと別れて教会へと戻る。
ロバート司教は正面ホールでシスターと打ち合わせをしていたので、話し終えるのを待ってから声を掛けた。
「そういう訳で、農業の経験者を紹介して欲しいんです。心当たりはありませんか?」
俺の授業を無視した子供達に復讐する為ではなく、農地のことでロバート司教に相談しに行ったのだ。
この教会の教区は、マラガの城壁内の住民とその周囲一帯の農村も含んでいる。
商工会へ行って、農夫募集の張り紙を出す事も考えたが、顔の広いロバート司教から紹介してもらった方が、信用できるひとを雇えるだろう。
「そうか、カズヤがあの農場を引き受けるのか」
「あの・・・、何かいわくつきの農場ですか?」
窓の外から子供達の声が聞こえてくる。
そろそろ、午後の教練が始まったかな。
「いや、そういう事ではない。ただ、昔はこの辺り一帯の農家のまとめ役だったからな。それを無一文で孤児院に転がり込んできたカズヤが買い取ることになったのだから、世の中ワカランものだと思ってな」
「俺が一番びっくりしてますよ」
「ハッハッハッ、そうだな、すまんすまん。事情は分かった。探してみるから少し待ってくれ」
「お願いします。あ、それと、俺が農場の家族を奴隷のようにコキ使うっていう、特盛すぎる噂があるようですケド。信じないでくださいよね」
「ソフィやアリスを独り占めしてるからだな。男のやっかみには気を付けたほうがいいぞ」
「司教様までそんな事言うし・・・」
「まあ、しばらくは忙しくなりそうだな」
もう一度、からからと楽しそうに笑った。
「はあ」
気持ちよく晴れ渡った空の下、子供達の掛け声が響く裏庭へと周り、剣の稽古を覗く。
どれどれ、ジョシュはちゃんとやってるかな?
他の子供達と一緒になって、額に汗をかきながら生真面目な顔で、木剣を振っていた。
「おお、カズヤ!聞いたぞ!サイクロプスをやったんだってな!」
獅子のボリス教官殿が、木剣を地面に突き立てて寄り掛かりながら子供達を見ている。
しかし、名前の前に『獅子』が付いただけで、無敵にさえ見える。
「これでカズヤも一人前の・・・」
「一人前の冒険者?」
「一人前の初心者だな!」
そんな事、言われなくても分かってますヨ。
ちょっと肩を落としながら、教官殿の横に並び子供達の練習風景を見る。
「どれ、軽く揉んでやろうか。旅の間にいくらかマシになったか?」
「さあ、どうですかねえ?それより『咆哮する獅子』でバリバリやっていたんですって?」
「お?ソフィにでも聞いたか?まあ、昔のハナシさ、今は子供達相手にのんびりやってるからな」
むぅ、自慢するでも否定するでもなく、軽く話を流すところがカッコイイ。
ボリスは、往年の名内野手篠塚というか、もう少し年を取ったイチローに似ている。
全体的に痩せていて、目立った筋肉は無いが、動きが柔らかく柳のようにしなやかだ。
いぶし銀の言葉が似合うオヤジである。
防具を着け、木剣を構え、向き合う。
「痛くしないように、適度に力を抜いてお願いします」
「・・・・・・、相変わらずだなあ、まあ、かかってこい」
そうは言うが、まるでスキが無い。
自然に剣を握ってゆらりと立っているだけなのに、どこに打ち込んでも返されそうだ。
「どうした、カズヤ。来ないならこっちから行くぞ?」
「あ、教官殿、靴の紐がほどけてますよ」
「いや、大丈夫だ。ご心配かけて申し訳ないネ。それより、シスターマリサが向こうで片乳出してるぞ?」
「えっ!マジで!?」
気が付いたら、地面に倒されて空を見上げていた。
「カズヤ・・・、敵の気を逸らすのが悪いとは言わんが、もうっちっと上手くやれや。それと・・・、バカすぎる。こんなのに引っかかるなよな」
くそう!なんて卑怯なワザを使ってくるんだ!許せん!
ダメ元と思ってやってみただけなのに!
俺の心を巧みに誘導してくるとは、ボリス教官、恐るべし!
しょうがない、正攻法でやるか。
それにしても、シスターマリサの片乳なんて想定外すぎて、まともに反応してしまった。
「ちくしょう!シスターマリサのおっぱいだなんて!俺を騙したな!俺が勝ったら、絶対おっぱい見せてもらうからな!」
「カズヤ・・・、おっぱい、おっぱい連呼するな、後ろを見てみろ」
「もうシスターマリサのおっぱいなんかで騙されないぞ!」
「誰のおっぱいですか?」
あれれ?
なんだか女性の押し殺した声が聞こえてくる気がするよ。
背中から、ただならぬ殺気が押し寄せてくる。
気づかないフリをして、全てを流そう。
「ささ、ボリス教官殿、稽古の続きをいたしましょう」
なんだろう?まだいくらも体を動かしていないのに汗びっしょりだ。
「ボリスさん、私はカズヤさんとお話がありますので、ちょっとお借りしますね」
「違うんです!誤解です!シスターマリサ!助けて!ボリス教官殿!」
こめかみに青筋を浮かべたシスターマリサに耳を引っ張られながら連行される。
ソラリス神の彫像を前にして、静かで、こんこんと諭すようなお説教を、忘我の思いで潜り抜け、ようやく解放されると、すでに陽がオレンジ色に変わり傾き始めていた。
仕事帰りの人々で賑わうマラガの大通りを、ソフィ、アリス、ジョシュ、ドナと手を繋いでぶらぶらと家へ帰る。
「「ただいまー」」
おや?
いつもはフィオが『旦那様、お帰りなさいませ』と出迎えてくれるのに、やけに静かだな。
食堂へと続く扉に手を掛ける・・・が、妙に嫌な予感がして、手を止める。
不吉なオーラが煙の如く、扉の隙間から漂い出している。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
動きを止めた俺を、ジョシュとドナが不思議そうに見上げている。
この扉は開けたらダメな気がする。
俺のゴーストが囁いている。
「カズヤ、後ろがつかえているんだから、早く入ってよ」
「いや、ソフィ、開けちゃいけないような気がするんだ」
「何言ってるの?」
「俺、ちょっと用を思い出したから、もう一度外へ・・・」
扉の外で押し問答してたら、不意に扉が開いておでこをぶつけそうになり仰け反る。
「あ、旦那様、お帰りなさいませ。あの・・・、お客様がいらっしゃってます。その・・・強引に入ってきてしまって・・・」
フィオが扉の取っ手を掴んだまま、半開きの扉の向こうであたふたしている。
「お帰りなさい。ソフィアさん、アリスさん、今日からカズヤさんのパーティに入れて頂くことになりました。よろしくお願いします」
「は?」
「ちょっと、カズヤ」
ソフィがアゴを『クイッ』と斜め上に動かして、後ろから俺を呼んでいる。
あ、そーいう『アゴクイ』もあるんですね。
ボクもっと、ロマンチックなものだと思ってました。
こんなアゴクイ嫌だ。
「どういう事なの?なんでサナエがいるの?」
「どいうもこういうも、俺も知らないってば、ホントに!」
うっ・・・、ソフィとアリスがジト目で睨んでくる。
サナエさん、いや、小梅ちゃん、いったい何しに来たんだ。
俺の幸せな日常を破壊しに来たのか?
食堂の中では当然とばかりに椅子に座って、不敵な笑みを浮かべお茶を飲むサナエさん。
俺の後ろでは、俺を責めたてるソフィとアリス。
こういの、何て言うのかな?
前門の虎と後門の狼?
行くことも退くこともできずに汗を流しながら棒立ちで弁解する俺。
「私から説明いたします。カズヤさんはしばらく外に出ていてください。ここは女性同士に任せてください。さ、さ、さ、外へ」
扉から出てきたサナエさんに、有無を言わさぬ勢いで外に押し出されてしまった。
玄関へ上がる階段に、巻き添えを食って俺と一緒に追い出されてしまったジョシュと腰かける。
食堂の窓の下から、そっと中を伺おうと顔を上げたら、目ざといソフィに見つかって、慌てて首を引っ込めた。
とりあえず、何かが割れたり、倒れたりする音は聞こえてこないので、流血沙汰にはなっていないようだ。
庭の広葉樹を揺らして吹き抜けてくる夜風が身に染みる。
「ジョシュ、この家の中で男は俺とお前の二人だけだ。この意味解るな?」
「わかんない」
「つまりだな、俺とお前は仲良くしなければイケナイという事だ」
「ねー、にーちゃーん、なにしたの?」
「ナニもやましい事などしていない。だが、男には頭を下げてひたすら耐え忍ばねばならない時があるものなのだ」
「そうなんだ」
「ジョシュにも、いつか解る時がきっと来る」
「えー、そうなのかなー」
玄関先でジョシュと身を寄せ合い、うつらうつらと居眠りを始めた頃、お許しの声が聞こえ、やっと家の中に入れてもらった。
「それでは改めまして、パーティとして皆さんと住むことになったサナエと申します。何卒よろしくお願いします」
いったい、どんな話をしたのだろう?
ソフィとアリスは、表面上、それなりに納得した顔をしているが、本音がどうなのかは、俺には読み取れない。
俺の知らないところで、いったい何があったのか?
準備を整えてまた来る。
そう言って、意気揚々と帰るサナエさんを見送り、なんとなく落ち着かないまま部屋へ引っ込む。
サナエさんは、ソフィとアリスに何を話し、どうやって説得したのか思い悩み、ベッドの上で悶々と転げまわっていると、ノックの音がした。
「カズヤ、ちょっといい?」
「いいよ、どうぞ、入って入って」
サナエさんの件で何かお叱りでも受けるのかと思い、びくびくしながら戸を開ける。
「何だか寂しい部屋ね。壁掛けとか花でも飾ったら?」
ソフィが戸口に立ったまま、テーブルと椅子だけの部屋を見回す。
「そうかな」
「そうよ、今度買い物に付き合ってあげるから、もう少し部屋の雰囲気を明るくしたほうが良いわよ」
俺がすすめた椅子にも座らずに、何か言い出そうとしてモジモジしている。
ソフィのこんな様子は珍しいな。
「カズヤがいた世界で、サナエと一緒のパーティだったの?」
ソフィが遠慮がちに言葉を選びながら聞いてくる。
「うん、そうなんだ。こっちに来てから何度も会っていたのに、向こう側と姿が変わっていて、今まで解らなかったんだよ」
「そっか・・・、その・・・、向こうで・・・、ゴメン、何でもないわ。おやすみ」
そう言葉を濁し、ふわりと俺にキスして、本当は何を言いたかったのかを考えあぐね、余計に混乱の度を増した俺を残して、部屋から出て行ってしまった。
ちょっと長めのキスだった。




