第30話 フィオナ、ジョシュア、ドナ
お母さんの名前は、フィオナ・バートン、二十四歳。
男の子は、ジョシュア・バートン、七歳。
女の子は、ドナ・バートン、五歳。
気づいてみれば、お互いに自己紹介もしておらず、名前も知らなかった。
俺もお母さんも、立て続けに起こった大きな変化に流されて、今日を迎えてしまった。
名字を持っているので、元は貴族様かと思ったら、そうではないそうだ。
普通の人がファミリーネームを持っていないのは、一般的な慣習で、規則で禁止されているわけではない。
ただし、本当に普通の人が名字を名乗ると、もとの世界で『俺は白い超新星のカズヤだ』と、二つ名を人前で自称するのと同じように、ちょっと常識から外れたヒトだと思われてしまう。
農民や商人も身代が大きくなると、ある程度の勢力としてわかりやすくする為に、名字を名乗るようになるらしい。
今は貧乏農場だが、昔はこの辺一帯を管理する豪農であったので、その頃からファミリネームを受け継いできたそうだ。
つまり、バートン農場のフィオナお母さんというわけである。
農場の入口に突っ立って、お互いに恐縮しながら、今更なやり取りをしている。
もちろん俺は、元の世界でも、こちらの世界でも、使用人など雇ったことが無いし、身近にいたことも無いので、どのように接したら良いのか分からず、初めてのお見合いのように、名乗り合った後、下を向いて固まってしまった。
フィオナさんも、自分の雇い主が黙ってしまったので、所在なさそうに俯いて立ったままだった。
「とりあえず、家に入ってみたら?フィオナも付いてきて」
「「ハイ」」
俺よりよほど女主人らしいソフィの態度に、思わず俺も素直に返事してしまい、飛び跳ねるように動き出した。
屋敷の中はきちんと掃除されていて、窓から差し込む午前の陽の光が、白い漆喰の壁を眩しく照らし、使い込まれた焦げ茶色の木の床材は丁寧に磨かれている。
外には葉を茂らせた広葉樹が適度に間を空けて立ち、二階の窓からは農地というより、雑草に支配された荒地を一望に臨むことができる。
その荒地も所々に野草が綺麗な花を咲かせており、日当たりも眺めも良い。
廃墟のようだった以前とは百八十度印象が変わり、これで良かったと改めて思った。
玄関を入ってすぐ右にある暖炉付きの大部屋を皆の居間と定めて、買い込んだソファとテーブルの応接セットをアイテム倉庫から取り出し床に並べる。
続いて台所に向かい、食器と食器棚、調理器具、食材を次々に引き出し適当に配置していく。
フィオナにお茶の用意を頼み、その間に二階へ移動する。
あっちだ、こっちへ、言われながら、ソフィとアリスの部屋に家具を置く。
俺も二階に自分の部屋を取ろうとしたら、一階の二間続きの部屋を割り当てられてしまった。
俺も二人と一緒の二階が良いと主張したら、一家の主人は、一階に寝室と居室を分けて住むものだと言われて、仕方なくその通りにした。
「旦那様、奥方様、お茶の用意が出来ましたが、どうなされますか?」
一通り家具の設置を終えると、フィオナさんから声が掛かったので、子供達も呼んでもらい、一階の居間に集合して、改めて自己紹介する。
ここへ来る途中、子供たちの為に、マラガの店で飴やクッキーなどお菓子を買ってきておいた。
子供達はまだ俺の事を警戒して、母親のスカートの後ろから出てこない。
子供受けの良いアリスから、お菓子を渡そうとしても、まだおどおどして手を出してこない。
フム・・・。
「シリウス!」
庭先で昼寝していたシリウスを、部屋の中へ呼び入れて、驚いて固まっている子供達をベロベロと舐めさせた。
最初は、おしっこを漏らしそうな勢いで泣き叫んでいたが、やがて落ち着き、笑いながらシリウスとじゃれるようになり、アリスの手から素直にお菓子を受け取るようになった。
やっぱり子供は、動物とお菓子で懐柔するに限る。
子供達が珍しそうに、ソフィの長い耳を口を開けたまま、ぽかんと見ている。
「触ってみる?」
ソフィがそう言って、屈んで耳を差し出す。
最初はおずおずと手を出していたが、だんだん大胆に触ってきて、ソフィがくすぐったそうに身をよじると、二人とも笑い声を上げていた。
俺も触ってみようとして、手を伸ばしたら。
「もう、おしまい」
首を引っ込めて立ち上がり、乱れた髪を手櫛で整えはじめてしまった。
俺もソフィのお耳を、こちょこちょしてイチャイチャしたかった。
ソフィとアリスには打ち解けてきたのに・・・。
女の子のドナは、お母さんのスカートの後ろに隠れながらではあるが、挨拶してきてくれたのだが、男の子のジョシュアは、ずっと俺を親の仇のように睨みつけてくるのだ。
俺は、どっちかって言うと、君のお母さんを助けてあげたのだが・・・。
後でお母さんに、ちゃんと説明しておいてもらおう。
それにしても・・・。
このお母さん、『旦那様』『奥方様』とは、分かっていらっしゃる。
アリスは嬉しそうにニコニコしているし、ソフィもあえて否定はしてこない。
このように周囲に勝手に俺の嫁だと認識してもらい、既成事実でこのまま外堀を埋めて、押しまくっていきたいものである。
簡単なお昼をフィオナに作ってもらい、皆で食事にしょうとしたら、子供達を家に帰してしまった。
自分は部屋の隅に引っ込み、そのまま立っていようとしたので、これからは子供も含めた皆で食事すると宣言した。
「でも、その・・・」
ソフィとアリスの顔色を窺って、気にしている。
「カズヤがそう言うんだから、そうしましょ。私もそのほうが良いと思うわ」
「アリスもそれで良いよ。みんなで食べようね」
これから共同生活が始まるのだ。
俺達が食事しているのに、そばに立たせたまま、おあずけさせる。
例えそれが、この世界で、雇用主と使用人との正しい関係だとしても、俺がイジメているようにしか思えない。
そういうものだと理解している。
理解は出来るが・・・。
正直に言うと、俺のチキンハートが耐えられない。
郷に入っては郷に従え、とも言うが、あまりにも『ご主人様』と『召し使い』すぎても、気づまりで、なにより俺がやり辛い。
フィオナも特別、給仕の必要が無いのなら、一緒に食事するように言った。
慣れ合いの末になめられるのも問題だが、そこは女主人役のソフィがいるので心配することはないだろう。
皆で食事したほうが、お互いの事を良く理解できると思うし、子供がいると家の中が賑やかになって楽しい。
俺はちょっと孤児院の雰囲気をまだ引き摺っているのだ。
異世界に放り込まれて、孤児院暮らしかよ。
なんて思っていたけれど、いざ、離れてみると子供の声が聞こえないのが妙に寂しくなった。
それに、この食堂は三人で食事するには広すぎる。
フィオナはまだ遠慮していたが、子供達を呼び戻させて、強引に座らせて食事させた。
時間はかかるだろうが、続けていれば、これが当たり前だと思うようになるだろう。
昼食を終えると、ソフィとアリスには、殺風景すぎる屋敷をなんとかする為に、花瓶や壁掛けなどを、街に買いに行ってもらう。
夕飯はお酒も出して、ちょっと豪華にしてくださいとお願いした。
足りない食材や調味料があったら、ソフィとアリスについでに買ってきてもらうように言うと、台所の中を見ながら、二人と相談していた。
俺は二人が出かけている間、もうひとつの別館と倉庫、そして敷地をみて回ることにする。
景色を楽しみながらのんびり屋敷の周りを歩く。
経年劣化で崩れかけた壁など、修理の必要な場所を確認しておく。
ふと立ち止まってみたり、急に走り出したりしてみる。
気づかないフリをしているが、さっきから、俺の後をジョシュアが、木の棒を持ちながらこっそりとつけてくるのだ。
うーん。
どうすっかなあ。
・・・。
家の角を曲がった途端、身体強化をかけて飛び上がる。
二階のベランダの手すりに手を掛けてぶら下がりながら下を見た。
俺を見失ったジョシュアが、あたりをキョロキョロと不思議そうに見回している。
手すりから手を離し、音をたてずにジョシュアの背後へ降り立ち、両腕の脇の下から手を突っ込んで抱え上げる。
「どうした?俺に用か?」
「あっ!離せ!離せよ!」
腕と足をバタバタさせて、激しくもがく。
「いんや、離さない」
抱えたまま、右に左にぶらぶら振る。
「下ろせよ!」
「わかった。ホイ」
脇から手を抜き、どすんと地面に落とす。
「やあっ!」
転がりながら、木の棒を振り回して、俺を攻撃してきた。
どうして?何が気に入らないの?
まだ誤解してるの?
「ちょっと、待った、待ったあ!誤解してるようだが、俺はお母さんを助けてやったんだぞ!」
「そんなの、わかってら!」
え~~、そうなの?
「なら、何で?」
「ふんっ!ふんっ!たあっ!」
答えずに、いつまでも、ひたすら木の棒で打ちかかってくる。
ひょいひょい避けていたが、めんどくさくなって足を引っ掛けて転ばした。
「なあ、俺のことが嫌いなの?」
地面に転がったまま、俺の事を睨んでくるジョシュアに、屈みこみ、ヤンキー座りで尋ねると・・・。
「うわ~~んっ!」
突然、大声で泣き出してしまった。
え!俺のせい!?
「どうしたの!」
騒ぎを聞きつけたフィオナが家の中から飛び出してきて、泣き続けるジョシュアを俺から庇うように抱きしめて遠ざける。
今度はフィオナが、俺を睨みつけてくるようになってしまった。
完全に誤解されてしまった。
あちゃ~、泣きたいのは俺のほうだよ・・・。
ひとまず、家の中へジョシュアを連れ帰り、明らかに誤解しているお母さんをなだめながら事情を説明する。
実は息子が初日から雇い主に襲いかかったと知り、青くなって必死になって謝るお母さんを制して、ジョシュアが話し出すのをゆっくり待った。
鼻水を垂らし、泣きながら支離滅裂で話すジョシュアの話を要約すると、こういう事だった。
曰く、夕暮れの街道で、チンピラを捻り上げて追い返したカズヤお兄さんは、とっても強くカッコ良かった。
ボクもあんなふうに、強くカッコよくなって、お母さんを守りたい。
その為には、強くカッコ良いお兄さんから剣を習う必要がある。
でも、教えてもらえそうにない。
それじゃあ、強くカッコ良いお兄さんに襲いかかって、実地で稽古をつけてもらおう。
そう思ったそうである。
人物描写には、多少、俺の希望でバイアスの上方修正がかかっている。
男の子だねえ。
その意気やよし!
と言いたいところだが、俺の剣は、妙なクセだらけの異世界なんちゃって流、謎魔法剣なのだ。
だいたい、他人に剣を教えられると思う程、俺はまだ自惚れてはいない。
カッコイイ俺に憧れるのも無理はないが、ジョシュアにはまだ早い。
今日の所は、悪いようにはしないから、考えさせてくれ、と言って、まだお母さんの腕の中でバタバタもがいているジョシュアを納得させた。
どうしよう?
ソフィとアリスが帰ってきて、花瓶に花が活けられ、小物が棚に置かれ、壁掛けが飾られると、屋敷の中が明るくなった。
俺の希望通り、ちょっと豪勢な夕食が用意され、舌鼓を打って平らげる。
うん、フィオナの料理の腕はなかなかのものであった。
人に対して、こういう言い方は良くないが、良い買い物した。
食事中もジョシュアは俺をチラチラ、ソワソワと見ながら、落ち着きなく食べていた。
食事を済ませ、子供達をフィオナが寝かしつけた後、野菜の漬物を齧り、ちびちびとお酒を飲みながら、お母さんを交えて、ソフィ、アリスと今日の出来事を話して相談した。
翌日、朝食を食べ終え、バートン一家を引き連れて教会へと向かう。
この異世界には義務教育など無く、学校というのは、貴族や裕福な商人の子供が、高いお金を払って通うものである。
親を手伝いながら、家の仕事を覚える事こそが勉強であり、読み書きは生活に困らない程度に出来ればそれで良い、というのが、一般的な家庭の教育に対する考え方である。
しかし、孤児達には継ぐべき家も仕事もないので、孤児院を出て行く時の為に、教会では簡単な読み書き、魔法、剣の扱い方を教えている。
孤児院の子供だけでは無く、近隣の子供も受け入れているので、ジョシュアとドナも昼間、教会に連れて行くことにする。
心配するフィオナお母さんを司教に紹介し、授業風景を見せると安心して屋敷へ帰って行った
元気すぎるジョシュアが、俺を奇襲し、闇討ちをかけるより、よほどマシだ。
さて、俺も始めるとするか・・・。
教会の部屋の引き戸をガラリと開ける。
「さあみんな!算数の時間だよ!今日からカズヤ先生と呼ぶように!」
基本的に教会の授業は、シスターが教えている。
しかし、治療院や教会の雑務に追われるシスターはとても忙しい。
そこで、不定期でも、ソフィやボリス、孤児院の卒業生がボランティアとして子供の面倒を見れば、その分だけシスターの手が空くので助かるのだ。
午前中は教室での座学であるが、なにを何処から何処まで、どのように教えるかは、その時来たボランティアに任されている。
それぞれが、教えたい事、覚えておくと役に立つと思う事を教えている。
要は、忙しいシスターの代わりに、子供の面倒を見れば、それで良いのだ。
そこで、俺も恩返し的に、何か出来ればと思い、簡単な足し算、引き算を教えてみる事にした。
「ちょっと、だいじょうぶなの?子供の相手をするのは大変よ?」
心配するソフィに。
「俺はこう見えても、もといた世界で、大学を卒業した学士様だ」
「ダイガク?ガクシ?ナニソレ?」
「つまり、そこそこ勉学を修めたって事だ」
「ほんとに?」
「任せておきたまへ」
依然として、疑いの目で見てくるソフィに胸を叩いてみせた。
授業開始から十分・・・。
学級崩壊が起こっていた。
ゴメンナサイ、ダレカ、タスケテ。




