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「…………寝過ごした」
リリィが死んだ翌日。深夜までコッキンと話しこんでいたアコニットが目覚めたのは、すでに太陽が中天を回ろうかという頃合いだった。夕方には買い出しを終えて仕込みの手伝いをしなければならないので、自由になる時間はほとんどない。
身支度もそこそこに部屋を飛び出し、教会に寄ってから市場へ向かう。夕刻の市場に新鮮な材料など求めるべくもないが、銀鹿亭に極上の料理を求めてくる客はいないし、コッキンがなんとかしてくれるはずだ。
「重そうだな。荷物を持とうか?」
買い出しを終えて、市場を後にしようと歩き出したところで声をかけられる。振り返ると、ひらひらと手を振るリクターの姿が目に入った。
「わたしの手伝いより、リリィを殺した犯人を追ったらどうなのかしら」
「それなんだがな。ひとまず犯人の目星はつけた。ついては関係者を集めていくつか確認をした上で犯人を逮捕しようと思ったんだが……これから仕事か」
「ええ。リリィが死んでも仕事がなくなるわけじゃないし」
「そうか。なら、コッキンとバロナーにはお前から伝えてくれ。閉店したらそのまま残っててくれってな。あと、もし逃げたら犯人とみなす、と」
「伝言役を任せるってことは、わたしは犯人じゃないと見られているのかしら」
「さてな。反応を見ているのかも知れんぞ」
「それで駆け引きのつもり? 捕まる犯人も捕まらなさそうね」
「ふん……とにかく、頼んだぞ。ナルキンには俺から伝えておく」
言うだけ言うと、さっさと歩み去ってしまうリクター。気付けば、太陽は連なる屋根に遮られて見えなくなりつつあった。
「……もうこんな時間。コッキンを手伝わないと開店に間に合わないわね」
犯人の目星はつけた、というリクターの言葉。誰を犯人にするか決めた、の間違いではないかとの皮肉は、口にせずおいた。市壁の内側における衛兵隊の権力は、無実の人間を犯人に仕立て上げるくらいはあるからだ。
「さて、皆さんに集まってもらったのは他でもない」
閉店後の銀鹿亭で、リクターが切り出す。
「リリィ・アフェア殺害の犯人が特定できた」
リクターの言葉で、空気が一気に張り詰める。表口と裏口はそれぞれ二人の衛兵が固めているため、逃げ道はない。この中に犯人がいるなら動揺しそうなものだが、不審な動きを見せる者はいない。それぞれ疑心と不安の表情でお互いの顔を見やっている。涼しげな顔をしているのは、壁際に控えるノータリィだけだった。
「犯人がこの中に? それなら早く捕まえてください、衛兵隊長補佐殿」
沈黙に耐えられず声を上げたのはバロナーだ。ナルキンがそれに追随する。
「こんな夜中に呼び出されちゃたまったもんじゃない。早いとこ済ませてくれよ」
「犯人に、チャンスを与えようと思ってな」
抗議の言葉に動じず、リクターが言葉を継ぐ。
「自白すれば、いくらか罪も軽くなる。犯人が誰かについては確信を得ているが、これが最後のチャンスだ。リリィ殺しを自白する気はないか?」
犯人は、リクターの言葉が真実なのか、あるいはカマかけに過ぎないのかを疑っているだろう。おかしな動きを見せる者がいないか、アコニットは周囲に目を配り続ける。小心さを全身で表すように落ち着きのないバロナー、表面上は泰然とした様子を取り繕おうと震える指で煙草をくわえるナルキン、怯えるように眉をひそめて立ち尽くすコッキン。誰もが犯人であるように思えてくる。
「隠し通せると思うなら、それもいいだろう。では、犯人を特定するに至った道筋について説明しよう。決め手となったのは、コッキンさんの証言だ。もっと早く証言してくれればより早く解決に至れただろうが、心情的にやむを得ない部分もあっただろうから今回は不問とする」
リクターのひとにらみで、委縮したように目を伏せるコッキン。
「ということは、やはりアコニット、お前がリリィを殺したんだな!」
アコニットに指を突きつけ、バロナーが叫ぶ。
「わたしじゃないわ。というか、そろそろ観念した方がいいと思うのだけれど」
リクターの言い回しから、コッキンが昨夜アコニットに話した内容をリクターにも伝えたのだと分かった。となれば、犯人は自ずと決まってくる。
「コッキンさんはリリィさんが殺された晩、銀鹿亭の三階から降りて裏口へとなにかを引きずっていく音を耳にしている。加えて、その翌日には銀鹿亭の廊下で血の匂いが漂っているのを嗅ぎとったそうだ。さらには、その日の日中から夜にかけて、バロナーさん。貴方がずっと廊下を掃除していたということも証言してくれた」
「そんな……コッキン、貴様……」
バロナーが血走った眼でコッキンをにらみつける。しかし、いつの間にかリクターがコッキンを背にかばう位置に移動していた。戸口を固めていた衛兵のうち二人も、素早くバロナーの左右を固めている。
「改めて廊下と階段を調べたところ、血痕となにかを引きずったような痕跡が認められた。当初は墜落死ということで屋内の調査には力を入れていなかったから、コッキンさんの証言がなければ見落とすところだったかも知れんな」
「隊長補佐殿! 私は……!」
「そこまでだ、バロナー!」
なにかを言いかけたバロナーを、リクターが遮る。
「その先は、俺がツーパレス市の衛兵隊長補佐であることを頭に入れて発言することだ。不用意な発言は、後々後悔することになりかねんぞ?」
「私は……私はただ……」
怒りと困惑をあらわにしていたバロナーの表情が絶望に染まる。
「続きは衛兵隊の詰め所で聞こう。連れていけ、俺も後で向かう」
リクターはそう言うと、懐から煙草を取り出す。手袋をつけたままではやりにくいと見えて、火をつけるのに少々手間取った後に深々とふかす。
「さて、これでアコニットさんの容疑は晴れましたね」
壁際で影のように控えていたノータリィが進み出る。
「リリィ・アフェア氏の遺言書に基づき、彼女の遺産はアコニット・ラース氏のものとなります。こちらの金額をご確認ください」
アコニットが受け取った書類には、リリィが自分を買い戻せるだけの金額、あるいは復活のお布施に足りるだけの金額が記されていた。つまり、仮に復活してもリリィは奴隷のままということになる。彼女が再び奴隷解放されるに足るだけの金額を稼ぐには、十数年の月日を要することになる。
「それで、どうするんだ?」
リクターが問う。それが『リリィを復活させるのか』という意味であることは、聞き返さずともわかった。暑くもないのに、手から汗がにじみ出す。
「わたしは……」
それが最善の結果をもたらすと信じて、その先を口にした。