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 リリィを欠いた銀鹿亭の夜はとてつもなく忙しかった。二人しかいない女給の一人を欠き、残ったアコニットも寝不足気味な上、看板娘だったリリィが死んだとうわさが立ったため客入りは普段以上だったからだ。

「あのバカ、リリィがいないのに店を開けるなら、せめて手伝うか、人手を確保するかしなさいよね……! というか、普段やりもしない掃除をするからって二階に引きこもるとか、なに考えてるのよ……コッキン、貴方もそう思うでしょう?」

「あはは……バロナーさんも、ああ見えてリリィちゃんのことで心の整理がつかないんじゃないかな。今日は昼間から黙々と廊下を掃除してたよ。僕もアコニットを手伝ってあげられたらよかったんだけど」

「心の整理なんてタマかしら」

 ようやく最後の客が帰り、片付けもひと段落ついた銀鹿亭でアコニットが悪態をつく。バロナーは早々に自室へと引っこみ、一階の酒場にはあいまいな笑顔でアコニットの言葉を受け流す料理人のコッキンがいるだけだった。

「ねえコッキン。貴方はリリィの件について、どう思ってる?」

 フロアの掃除を一通り終えてスツールに腰かけたアコニットが、グラスを磨くコッキンにカウンター越しに話しかける。

「どうって……そりゃ悲しいよ」

「うん、わたしも悲しい。でも、いま聞いてるのはそうじゃなくて、誰が犯人だと思うかってこと。リクターが言ってた通りなら、リリィと最後に話したのは貴方なんでしょう? 時間が空いたことで、思い出したことはないかしら?」

「犯人って……衛兵隊の人は事故か殺人かわからないって言ってたけど」

「リクターは、わたしたちの誰かが犯人じゃないかって疑ってるのよ。事故かも知れない、って言えば犯人は油断してボロを出すかも知れないでしょう? コッキン、貴方も下手なことを言うと犯人に仕立て上げられちゃうわよ」

「えっ……そんな……僕はなにも……」

「ああ、脅してごめんなさい。大丈夫、わたしは貴方がそんなことをする人間じゃないって知ってるから。でも、貴方の人柄を知らない衛兵隊はそうは思わないかも知れないから気をつけて、って話よ」

 動揺してグラスを取り落としかけるコッキンを、アコニットがなだめる。しかし、リクターはリリィの遺体が腐敗を始めたら犯人をでっちあげてでも事件の幕引きを図る可能性があった。その矛先は誰に向かってもおかしくない。

「せっかくだから、昨晩のことを整理しておきましょう。話しているうちに、なにか手掛かりになることを思い出すかも知れないし」

「それは構わないけど……なにか飲むかい?」

「そうね……冷えてきたし、ホットワインをもらえるかしら」

「わかった。少し待ってて」

「手伝う?」

「疲れてるだろうし、座ってていいよ」

 手際よく準備されたカップに温められた赤ワインが注がれ、香りづけのシナモンとアクセントとしてオレンジピールが入れられる。バロナーが見ていたら無駄遣いするなと怒るだろうが、ものぐさな彼は翌朝まで絶対に階段を降りてこない。

「ありがと。うん、おいしい」

 コッキンは酒に弱い。アルコールの飛び気味なホットワインをちびちびと傾けるだけで、たちまち顔が赤く染まっていくのが見て取れる。ほどよく口の回りもよくなっただろう頃合いを見計らって切り出す。

「昨日はわたしが早く上がらせてもらって、貴方とリリィが残って片付けをしてくれたのよね。リクターにはもう話したと思うけど、どんなことを話したのか、もう一回教えてもらえるかしら?」

「うーん、それならリクターさんに聞けばいいんじゃないかな。大したことは話してないし、ほら、やっぱりそういうのは専門の人に任せた方がいいだろうし」

「あの人、わたしを解放奴隷だからってバカにしてるでしょう? それに、友人として、同僚として、リリィを殺した犯人は見つけ出したいじゃない」

「でも、復活教会に頼めば……」

「そのお金は誰が出すのよ。リリィの遺産から出したら、あの子はこれからもずっと奴隷のままなのよ? 犯人を見つけて、そいつに払わせるべきじゃない?」

「うん、そうなんだけどさ……」

 普段にも増して歯切れの悪いコッキンの口調に、なにか隠していると直感する。

「リクターに話してないことがあるでしょう?」

「えっ……!」

「誰にも言わないから、お願い。リリィのためにも聞かせて」

 カマかけに加え、リリィを引き合いに出して罪悪感を募らせる。

「……あの晩さ、変な音を聞いたんだよ」

 内心で快哉を叫びながら、神妙にうなずいて続きを促す。

「リリィにワインとグラスを渡した後、店の戸締りを確認して二階の自室に戻ったんだけど、どうも寝つけなくてさ。しばらくベッドでごろごろしてたら、三階からなにかを引きずるような音が聞こえてきたんだ。なんだろうと思って耳を澄ましてたら、そのまま一階に降りて裏口から出ていったみたいでさ。そのときは、まさかあんなことになるとは思ってなかったから、そのまま眠っちゃって。翌朝、裏口のかんぬきがちゃんと閉まってるのは確認したんだけど……」

「ふうん……」

 この話からわかるのは、リリィの死因が墜死ではないかも知れないということ、コッキンが内心ではバロナーが犯人ではないかと疑っているということだ。小心な彼は、バロナーが犯人として捕まったら職を失うのではないかと心配しているのだろうが、それは指摘せずにおく。

「この話、リクターには話してないんだよね」

「うん、あらぬ疑いを招いちゃまずいし……」

 知っているのに黙っていた方があらぬ疑いを招くのではないかとアコニットは思うが、コッキンの考え方はまた違うのだろう。

「昨日は泊り客はいなかったよね」

「うん、そうだね」

 銀鹿亭は一階に酒場、二階に客室とコッキンの部屋、三階にやや上等な客室とバロナーの居室、リリィとアコニットの個室という配置になっている。泊り客はいなかったので、三階から降りてきた人間はアコニットを除けばバロナーかリリィだ。

「そういえばさ、リリィとアコニットは銀鹿亭に来たのが同じ時期なんだね」

「ええ、そうよ」

 コッキンは当時の料理人が辞めた後に雇われた自由階級の人間だ。自然と、互いの階級について触れないという不文律ができていたので話したことはなかった。

「こんなこと言うのもなんだけど、チップはリリィの方が多くもらってたのに、解放奴隷になったのはアコニットが先だったんだなって」

「それは、奴隷であることの捉え方の違いでしょうね。わたしは、たとえ名目上のものに過ぎなくても、自由でありたかった。あの子は、ほら、他人に愛されやすい子だったから。そんなに不自由を感じてなかったんじゃないかな」

 この国における奴隷の扱いや社会的な位置づけは、決して悪いものではない。自らの奴隷を解放することは美徳とされるし、解放奴隷が元の主人と良好な関係を維持し続けている例は枚挙にいとまがない。アコニット自身、バロナーに不満を抱きつつも、慣れ親しんだ銀鹿亭での仕事を続けているのがひとつの証左だ。

「へえ……そういうものなのかな」

 納得している様子のコッキンには、リリィの貯金が貯まらなかったのは男に貢いでいたからだ、とは言わないでおく。リリィに下心を抱いていた客は数多いが、弾んだチップがどこに流れていたかを知りたい人間は一人もいないだろう。

「チップと言えば、ナルキンさん。あの人もリリィちゃんに入れこんでたよね」

 酒のせいか、少しずつ口が軽くなってくるコッキン。

「僕たちと一緒に呼ばれたってことは、やっぱり衛兵隊も疑ってるのかな。リリィちゃんに振られた腹いせに思い余って、とか」

「それ、リクターも言ってたけど、わたしは途切れ途切れにしか聞いてないのよね。二人の間でどんなやり取りがあったのか、コッキンは聞いてた?」

「厨房のすぐ近くのテーブルだったから、けっこう響いてたよ。『結婚するから、もうつきまとわないで』とか『あんなに貢いだのにふざけるな』とか」

「うわぁ……でも、そっか。結婚するって言ってたんだ」

「うん、びっくりだよね。アコニットは知ってた?」

「なんとなく、ね」

 話を続けるうちに、グラスも空になっていた。

「もう一杯いる?」

「ううん。もう遅いし、終わりにしましょう」

 コッキンとの会話で得られた情報は興味深いものだった。リリィ復活の期限まであと二日。犯人を特定するためにも、今は睡眠を取るべきだった。

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