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銀鹿亭から最寄りの教会、その安置室。ひんやりとした石の寝床に横たわるリリィを見て、彼女は本当に死んだのだとようやく実感が湧いてきた。服装は昨夜のままで、頭部の傷から流れた血が服を赤く染めている。新しく仕立てた服を着て、普段より浮かれた様子で仕事に励んでいた昨晩の彼女を思い出す。
横たわる彼女のそばに近づくと、血と香水の匂い、そしてわずかな死臭が鼻をつく。臭いが混じってわかりにくいが、彼女が普段つけている華やかなバラの香水とは違う、柑橘系のそれであるように感じられた。
「さて、彼女の処遇についてだが……いくつか問題がある」
歯切れ悪く切り出すリクター。
「リリィは独身で、連絡の取れる血縁もいない。その場合、どうなるの?」
アコニットの問いにノータリィが答える。
「血縁者がいない場合、遺言書で相続者として指定された人物に決定権が委ねられます。今回はアコニットさんが該当するわけですが、貴方にはリリィ・アフェア氏の殺人の容疑がかけられています。仮に貴方が犯人だった場合、法に則って相続の権利は剥奪されますので、現在は相続の執行を保留している状態です」
「というわけだ。衛兵隊としてはリリィに復活してもらえば彼女から直接事情を聞けて手っ取り早いんだが、業突く張りの復活教会がタダで復活させてくれるわけもなし。遺言書で復活を希望してるわけでもないから、相続者がうんと言わなきゃ彼女の遺産を復活費用に充てられないんだが、肝心の相続者であるあんたは容疑が晴れない限り相続できないときた。なんとも面倒な事件だぜ、こいつは」
「衛兵隊は罪なき人々から巻き上げた賄賂をたっぷり貯めこんでるでしょう? たまには慈善事業に費やしても天罰は降らないんじゃないかしら」
「馬鹿言うな。殺人事件が起きる度に復活教会にお布施なんぞしてたら、たちまち破産しちまうよ」
復活の奇跡に必要な金額は、リリィやアコニットの年収に換算して三倍ほど。仮にリリィが解放奴隷になるために貯金していたとしても、そのほとんどを吐き出さなければ賄えない金額だ。
「ノータリィさん、リリィがいくら貯金していたか教えてもらえるかしら?」
「それは……お答えできかねます」
「復活のお布施に足りるかどうかだけでもいいのだけれど」
「お答えできかねます」
「……お仕事に忠実で結構なことね」
「お褒めに預かり光栄です」
ノータリィから聞き出すのは難しいらしい。この手合いは賄賂も逆効果だろう。アコニットが思案していると、リクターが意地悪く問いかけてくる。
「遺産の金額がそんなに気になるのか?」
「当たり前でしょう? リリィを復活させるにしても、お金が足りなかったら不足分はわたしが埋め合わせることになるのよ」
「あるだけ出して、神の御慈悲にすがっちゃどうだ?」
「冗談でしょう。お布施を積まなきゃ祈りは届かない。子供でも知ってる常識よ」
復活の奇跡は、ときに失敗することもある。復活教会の司祭は神のご意思だの信心の不足だのと戯言を口にするが、大金をお布施した者が例外なく復活の奇跡に預かっているのは周知の事実だ。相場も自ずと決まってくる。
「友人なら、足りない分の金くらい出してやったらどうなんだ?」
「足りない分くらいって言うなら、ただの友人であるわたしより、リリィの婚約者である貴方が払うべきじゃないの、リクター?」
アコニットの言葉を聞いて、リクターの表情が消える。
「……リリィから聞いていたのか」
「あら、当たり? 衛兵隊のリクター。あの子から聞いてたのはそれだけよ。だから、同名の別人かもと思って黙ってたんだけど……他人をさんづけで呼ぶ貴方が、リリィだけは呼び捨てにしてるから、もしかしたらって思ったの」
「カマかけかよ。ちっ……食えない女だぜ」
「奴隷のくせに?」
「しつこいやつだな。忘れろよ」
「あいにく、記憶力はいいの」
「……そうかよ」
ため息をついて、切り替えたようにリクターが言う。
「ともあれ、今まで黙っててくれたことには感謝する。リリィが俺の婚約者だってことが隊長にバレたら、この事件から外されちまうからな」
「じゃあ、やっぱり殺人だと踏んでるのね」
「当たり前だろう? リリィは俺との結婚を控えていたし、前後不覚になるまで酒を過ごすようなやつじゃない。事故や自殺のわけがないんだ。犯人は俺の手で絶対に捕まえる。すまないがノータリィさんも、この件は黙っていてもらえるか?」
「私はなにも聞いておりません。そういうことでいかがでしょうか」
「すまない」
しれっと言ってのけるノータリィに、リクターが頭を下げる。
「ということは、リリィは昨夜、貴方と会うつもりだったのね?」
間を置かずに問いを重ねると、あっさりとうなずくリクター。婚約者であることを看破され、ある程度は説明しておくべきだと判断したのだろう。
「お手上げだな、あんたが推測した通りだ」
「倹約家のあの子が新しい服なんて仕立てて、コッキンにワインとグラスをふたつ用意させた。なにかおめでたいこと……例えば、あの子が解放奴隷になって、晴れて貴方と結婚できるようになったから、祝杯を挙げるつもりだったんじゃない?」
「おそらく、そうだろうな。あの晩、俺は仕事が終わったら部屋まできてくれとリリィに言われていた。だが、着いてみれば部屋は閉まっているし、中に人がいる気配もない。小一時間ほど待って、すっぽかされたと思いこんで腹を立てた俺は、そのまま家に帰って寝ちまった。裏路地では頭に怪我をしたリリィが苦しんでいたかも知れないって言うのに……くそっ」
「……そう、昨日はあの子と会っていないのね」
「ああ、最近は仕事が忙しくてな。一週間前に会ったっきりだ」
「それで、リリィの復活費用を払ってあげる気はあるの?」
「払えるならとっくに払ってるさ。だが、残念ながら手持ちの金がない。衛兵隊が薄給なのは知ってるだろ? 隊長補佐なんて肩書きはついても事情は同じだ」
「こういうときに備えて普段から収賄に励まなかったツケね」
「さっきと言ってることが違うだろうが!」
リクターの聞えよがしな舌打ちを聞き流し、アコニットが話を続ける。
「問題は、タイムリミットがあることね」
お金を積めば復活できるとは言っても、いくつか条件がある。復活教会では欠損した部位の修復はしてくれないし、腐敗してアンデッド化した死体を元には戻せないからだ。リリィの場合は欠損した部位はないので、腐敗だけが問題となる。
「リリィの遺体が腐敗するまで、この季節なら三日ってところか」
「それまでに復活させないと、アンデッド化しちゃうでしょうね。彼女の遺産を復活教会のお布施に充てるなら、それまでにわたしの容疑を晴らさないと……」
「あるいは、あんたが犯人であることを確定させるか、だな」
「リリィのために、貴方が濡れ衣をかぶってくれてもいいのよ」
軽口を叩きあい、リリィが死んだという事実を胸のうちに呑みこむ。アコニットもリクターも、それぞれリリィを復活させたいと考えているのは同じだ。そのためには三日以内に犯人を特定するか、少なくともアコニットが犯人ではないという証拠を示さなければならないという現状は共有できた。
「さて、それじゃ俺は捜査に戻るが……お前さんはどうする?」
「そんなの、決まってるでしょう?」
馬鹿にするように、盛大にため息をつくアコニット。
「今日もお仕事をするのよ」




