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『私、リリィ・アフェアの全財産は我が友アコニット・ラースに相続される』
公証人ノータリィが読み上げたリリィの遺言書。それは見方によってはアコニットが金目当てにリリィを殺した可能性を示唆するものであり、実際この場に集まった人間は彼女を疑っていることが、注がれる視線の鋭さから察せられた。
「えっと、どこから説明すればいいのかしら……」
肩をすくめるアコニットに、リクターが言う。
「では、この遺言書が書かれた経緯について説明してもらおう。もちろん、罪を認めて自白してくれてもこちらとしては構わないが」
「やってもいない罪を自白する気はないわ。ええ、遺言書が書かれた経緯ね。はっきり言って若気の至りよ。わたしとリリィがバロナーに奴隷として買われたのは同じ時期だったし、お互いに身寄りはなかったから、もし死んじゃったら解放奴隷になるためのお金の足しにしましょうって相談して、そうしたの」
いったん言葉を切って、公証人のノータリィに視線をやる。
「だから、探せばわたしのも出てくるはず。そこにはこう書かれているはずよ。『私、アコニット・ラースの全財産は我が友リリィ・アフェアに相続される』ってね。どうかしら、ノータリィさん? わたしの言葉が真実だと証明するため、わたしの遺言をこの場で公開することに同意してもいいのだけれど」
アコニットの言葉に、ノータリィがうなずく。
「ご本人の同意があるなら、構わないでしょう。実は、こんなこともあろうかとアコニットさんの作成なさった遺言書の写しを持参しております。そこには確かに、先ほど彼女がおっしゃった通りの文面が記載されております」
「……あんた、それをずっと黙ってたのか」
不愉快そうなリクターに対し、ノータリィが肩をすくめる。
「ええ、当然です。遺言書を残されたアコニットさんがまだ生きていらっしゃる以上、ご本人の同意なしに開示はできかねますので」
「そういうわけで、今ようやく思い出したような代物よ。そんなものを証拠に、わたしが金目当てで友達を殺しただなんて思われるのは心外だわ」
「いや、まだだ」リクターが言い募る。「そいつをあんたが忘れていたとは、誰にも証明できない。それに、友人だったなら被害者がどれだけお金を貯めこんでいるかも、おおよそ察しがついていたんじゃないか?」
「わたしが忘れていたかどうかなんて、誰にも証明できないと思うのだけど……それから、リリィの貯金がいくらあるか知っていたか? この問いに対する答えはノーよ。そういうことには、お互い干渉しないことにしていたの」
「いや、だがお前は知っていたはずだ、アコニット」
口を挟んできたのは、酒場宿の主人バロナーだ。
「お前はつい一か月前に解放奴隷になったばかりなんだからな」
「というと?」リクターが先を促す。
「ええ、隊長補佐殿。アコニットが言った通り、やつとリリィはほぼ同時期に奴隷として俺が買ったんです。ついでに言えば、金額もほぼ同じでした。もっとも、小生意気なアコニットより、死んだリリィの方がずっと素直で働き者だったんですがね。まったく、アコニットときたら事あるごとに反抗するばかりで……」
「バロナーさん、彼女に対する愚痴は後にしてもらいましょうか」
「おお、話が逸れました。すみませんな隊長補佐殿。それでですな、ええ、二人に与えていた給金は同額でしたから、貯金できる額も同じというわけでして。つまり、先だって解放奴隷になったこいつは、リリィもまた同じくらいの金額を貯金していることを推測できても全くおかしくない、というわけです」
「なるほど、道理ですな」
息の合った調子で勝手な推測を述べる二人に、アコニットが顔をしかめる。
「それを言うなら、バロナー、貴方も同じよ。むしろ怪しいのは貴方だわ。だってそうでしょう? 身寄りのない奴隷が死んだ場合、遺産は主人のものになる慣習があるのだもの。普通、若い奴隷は遺言書を残したりしないから、リリィもそうだろうと高をくくってたんじゃないかしら。それで当てが外れたものだから、せめて罪だけはわたしになすりつけようとしているって推理も成り立つわ」
アコニットの反論に、今度はバロナーが苦い顔をする。彼が賭け事で借金を抱えているのは銀鹿亭の常連の間では周知の事実で、動機もある。奴隷が自身を買い戻すための金額の一部は解放税として国家に納めなければならないため、それを嫌った彼がリリィの全財産を手中に収めようと犯行に及んだ可能性は十分に考えられた。
「二人とも落ち着いてくれ」
にらみあうアコニットとバロナーの間に、リクターが割って入る。
「衛兵隊としては、できる限り公平に捜査を進めたい。まだ事故か殺人かも決まっていない段階で、罪を擦りつけあうような言動は控えてもらいたい」
「公平に、ね」
「隊長補佐殿がそうおっしゃるなら……」
引き下がる二人を見て、それまで黙っていた者が声を上げる。
「なあ、まだ事故か殺人かも決まってないなら、俺はもう帰っていいか? 昨夜はちょっと呑み過ぎて、二日酔いが酷いんだよ」
常連客のナルキン。リリィがやんわりと断っているのに気付かず、しつこく言い寄り続けていた厄介な客だ。昨夜もリリィに話しかける姿をアコニットは見ている。リリィが誰かに殺されたなら、その容疑者としてもっとも怪しい男だ。
「ナルキンさん。あんたは昨夜、リリィと言い争っている姿を目撃されている。参考までに、何を言い争っていたのかを聞かせてもらえないか?」
リクターの質問に、ナルキンがわざとらしく肩をすくめる。
「言い争っていた? 俺とリリィちゃんが? そんなことを言いふらすやつはどこのどいつか、参考までに教えちゃくれませんかね、衛兵さん」
「わたしも見たわ」
アコニットの発言に、ナルキンが殺気立った視線を向ける。
「そんな目で見られてもね。リリィが貴方を嫌ってるって気付いてなかったのは、ナルキン、貴方ぐらいだと思うのだけれど」
「昨夜、銀鹿亭にいた客の多くも似たような証言をしている。ナルキンさん、貴方は昨夜、リリィに手酷い振られ方をしたそうだな。振られたことでずいぶん落ちこんで、酔い潰れるまで呑んでいたとの証言もあった。その後はふらふらと店を後にしたそうだが、その後はどこで何をしていた?」
「さあ……記憶にねえよ」
「では、リリィと会ったかどうかも記憶がないと?」
「はあ……? あ、いや、会っちゃいねえよ。まっすぐ家に帰ったさ、うん」
リクターの追及にわかりやすく動揺するナルキン。
「まあ、事実がどうであったかはいずれ明らかになるでしょう」
ナルキンの反応をじっと見つめていたリクターだが、納得したようにうなずくと今度は料理人のコッキンに向き直る。
「そしてコッキンさん。これまで集まった証言の中で、昨夜、リリィを目撃した最後の人間が貴方です。その際、気付いたことはありませんでしたか?」
「ええと……彼女には余りもののワインとグラスをふたつ、と頼まれました。店を閉め、片付けをしていた最中です。お客さんかと聞いたら、違うけどお願い、と。そのときはアコニットと一緒に飲むのだろうと思ったのですが……」
コッキンがアコニットに水を向けるような視線を送る。
「わたしじゃないわ。つまり、リリィは誰かと会っていた、ということね」
「いや、ワインとグラスは手付かずで部屋に残されていた。その誰かと会う前だったのか、会ったが飲まなかったのかはわからないが、ふむ……ここにいる皆が偽りなく話しているのだと仮定すれば、容疑者がもう一人いるということだ」
リクターは一度言葉を切り、鋭く視線を巡らせる。
「あらかじめ言っておくが、ここにいる誰かがリリィと会った最後の人物だと判明した場合、衛兵隊としてはその人物を疑わざるを得ない。もう一度だけ尋ねよう。彼女と一緒にワインを飲む予定だった人物は、この中にはいないんだな?」
リクターが一同に視線を巡らせる。申し出る者は誰もいなかった。
「いいだろう。では、昨夜のリリィの行動を整理しておく。彼女は銀鹿亭の女給として普段通りに働き、多くの人間と接触している。その中でも多くの言葉を交わしたのが銀鹿亭の主人であるバロナー、料理人のコッキン、同僚のアコニット、常連客のナルキン、つまりはここに集まってもらった面々だ。彼女が残した遺言書の内容も考慮し、四人には当面の間、市壁からの出入りを制限させてもらう。期限は本事件の解決まで。これはツーパレス市衛兵隊長補佐としての決定であり、抗議は衛兵隊駐屯本部にて受け付けるものとする。では、ひとまず解散」
リクターの言葉を受けて一同が解散する中、二人だけ呼び止められる。
「アコニットさん、ノータリィさん。二人は残ってくれ」
「……リリィのこと?」
アコニットの問いに、リクターがうなずく。
「そうだ。彼女の遺体は近所の教会に安置してある。その後の処置については、彼女の遺産を相続するあんたの判断と同意が必要になる」
「現時点では『相続する可能性のある』ですがね」
きちきちと訂正するノータリィの言葉に、寝不足の頭が痛みを発した。