隣に立つ女
その女はわしが電車に乗りこんだ時からすぐ横に立っちょった。
それほど混んでいないのに、何故、わしの直ぐそばに立つんじゃ。ひょっとしたら、わしに気があるんかいのう。まんざらでもない気分じゃ。
そんな馬鹿なことはないか。それほどわしはうぬぼれておらんし、ボケてもいない。
この女はせいぜい三十路じゃ。いくら、わしが若い頃もてたと言うても、もう年じゃ。はたから見ればよぼよぼのジジイ、おかげですぐこの席も譲ってもらえたんじゃしな。
そうか!わしがボケていると思って、わしの財布でも狙っているんか。
そりゃ、わしはお洒落のセンスには昔から自信があったし、周りの皆も気を付けてくれてるから、金を持っちょるように見えるかもしれんのお。はは、残念ながら、今は自分では財布は持たんようにしちょる。出掛ける時は、誰かが付いてくれるので、全部任せちょるんじゃ。今日は次男の嫁がついてくれちょるが、どこに座っちょるかのう。
しかし、オナゴのことくらいで嫁を煩わすのも情けない、男の名折れじゃ。怒鳴り上げてやろか。わしのでかい声で一括したら、たいがいの女は飛びあがるじゃろ。
しかし、女を泣かすのも苦手じゃ。どうせ、わしは次の駅で降りるんじゃしな。
そうじゃ、睨みつけちゃろう。
そうら、わしが睨んだら目をそらしたぞ。 やっぱりな。あの女、何処かに消えてしもうた。わしの眼力を恐れて、諦めたか。
どうやら駅についたようじゃ。
「おっ、弘子さん。どこいっちょった? おかしな女がおったが、わしが睨んだら消えてしもうたぞ。わしもまだまだボケちょらんのう」
「何処にそんな人いました? 私、お義父さんのすぐ横に立っていましたけど、ちっとも気付きませんでしたわ」