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流転

ケン太から伝説のガクランを奪ったアキラ。だが伝説のガクランには秘密があった。

 くくくくく……!

 こみ上げる笑いに、アキラは肩を震わせていた。

 窓から覗くと、ケン太がうなだれ校門を後にしていく。その足取りは重く、辛そうであった。

 あはははは!

 アキラは天井を見上げ、笑った。

 ぽん、と手を叩くと陽気にそのあたりを跳ね回った。

「やったぞ、ついに伝説のガクランを手に入れた!」

 目をきらめかせ、脱ぎ捨てられた伝説のガクランを拾い、陽射しにかざした。

 背中の金の縫い取りがまぶしい。

「伝説のガクラン……最強の番長……」

 つぶやきながら自分の制服を脱ぎはじめる。

 ガクランに袖を通す。

 さすがのアキラもその時は興奮で手が震えた。

 そこに伝説のガクランを身につけたアキラの姿があった。姿見に自分の勇姿を映し、かれはほくほく顔になっていた。その顔を見たら、ケイスケもキヨシも仰天するに違いない。ついぞ見せたことのない表情を、アキラは浮かべていた。

「ケイスケにやつを調べさせておいて役立ったな……」

 満足げにつぶやいた。

 ケイスケはアキラに命じられたまま、徹底的にケン太のことを調べ上げていた。中学の同級生はおろか、小学校、幼稚園と調べ上げ、ケン太の性格をアキラはすみずみまで把握していた。正直、アキラはケイスケがこれほどまでやるとは思ってはいなかった。

 正義感というのがキイになる。

 アキラはそう確信した。

 そこを突けばケン太は攻略できると思ったからケン太がここに乗り込んできたという報せを受けたとき、そのままさしたる罠もかけず待ち構えていたのである。

 配下のものに手を出させないことも考えたが、それではケン太にこちらの意図を見抜かれる危険があったのであえてそのままにしておいた。それも見越してのことだ。

 くるりとふり返り、壁にかかった地図を見上げる。

 さてこれからタツヲとの決戦だが……。

 作戦を考え始めたアキラだが、ふいにその表情が曇った。

 なんだ、この気持ちは?

 急にこみ上げた感情に、アキラはとまどっていた。

 不快感がアキラを苦しめる。

 やがてそれが罪悪感であることに気づき、アキラは罵り声をあげた。

 おれに罪悪感?

 馬鹿な!

 だがそれには間違いようはなかった。急に自分の行いについて内省がはじまる。この高校を手に入れるためやったことのあれこれ、卑怯な手で校長を陥れた自分の過ちについて真っ暗な罪悪感が迫る。

「いけない……こんなことはやめにしなくては……赤星学園から撤退して……」

 つぶやき驚愕の表情になる。

「馬鹿な! せっかくここまで来たというのに……くそっ! こ、このガクランのせいだ! こいつがおれに馬鹿なことを言わせている!」

 ぶるぶると全身を震わせ、アキラは伝説のガクランを脱ぎはじめた。

 ようやくもとの自分の制服に着替え終わり、嫌悪の表情で脱ぎ捨てたガクランを見つめる。

「確かにこれは伝説のガクランだ……こいつを着ると、正義感に支配される。やつは──ケン太は──もともと正義感に溢れた奴だった。だから平気だったんだ……!」

 くそお! と、罵り声をあげたアキラは、床にひろげたガクランを蹴り飛ばした。ガクランはふわりと宙を舞い、開け放したままのドアへ飛んでいった。

 そこへキヨシが顔を出した。

「ぷあっ!」

 いきなり頭からガクランが降ってきて、キヨシが叫び声をあげた。

 滅茶苦茶に手を振り回し、頭にかぶさったガクランを掴む。

 それを手にとり、不思議そうな顔になった。

「兄ちゃん、これなんなのや?」

「知らん!」

 そっぽを向くアキラに、キヨシは妙な顔になった。

 やがて理解をしたのか、にっこりと笑った。

「もしかして、伝説のガクランなのかや? すげえな、兄ちゃん。あのケン太を倒したんだ!」

「ああ」

 アキラは不機嫌にこたえた。

 キヨシは身をかがめ、ズボンも拾った。

「なあ、兄ちゃん。せっかく奪ったんだから着て見せておくれよ! おら、兄ちゃんがこれを着たところを見たい!」

「冗談じゃない」

 え、とキヨシは眉をあげた。

 あいかわらずアキラは不機嫌そうにそっぽを向いている。

「おれはそれを着るつもりはない。とにかく目障りだ、どこかへ持っていけ!」

 キヨシはさっぱりアキラの意図が判らず、ぼんやりと立ちすくんでいた。が、その顔に狡猾そうな笑みが浮かぶ。

「そうかや? んじゃ、おらがどこかへやってしまうだよ」

 そう言いながら小躍りするようにガクランをかかえ、出て行った。

 アキラはふり返り、キヨシになにか言いかけたがやめにした。

 キヨシがそのガクランを身につけるか、心配だったのである。が、キヨシの体格では袖を通すことも出来まいと思い直した。

 

 アキラの心配は当たっていた。

 キヨシは自分がガクランを着るつもりだったのである。

 しかしケン太とキヨシでは体格の差がありすぎる。

 キヨシは体重百キロ以上、身長は百八十はある。対してケン太のほうは、身長はようやく百七十あるかないかだし、体重も五十の前半くらいしかない。しかしそんなことはキヨシの頭には片鱗も浮かぶことはなかった。ただ、伝説のガクランを着た、自分の姿を想像してうっとりとなっていた。

 鼻歌を歌いながらキヨシは自分の住まいに近づいていった。

 木造モルタル築数十年という、いまにも崩壊しそうな古アパートである。

 その階段をぎしぎし軋ませ、キヨシは二階へと登っていった。

 がらり、とドアを開け室内に入る。

 ぷーん、という甘ったるい腐敗臭があたりに漂う。部屋のあちこちにゴミが散乱し、台所には食べかけの食器が山となっていた。

 典型的な男所帯である。

「さてと……」

 楽しそうな顔になって、キヨシは自分の制服を脱ぎはじめた。

 でれんとした、しまりのない肥満体があらわになる。

 ガクランを日にかざす。

 金の縫い取りがきらめいた。

 うふうふうふ……と気持ちの悪い笑い声をあげ、キヨシはガクランの袖に腕を通した。

 なんと!

 伝説のガクランはキヨシの腕を通したのである。

 しかしそれでも相当苦しそうだ。

 鼻息をあらげ、キヨシは伝説のガクランを着始めた。

 ぐいっ、ぐいっと力任せに袖を通す。ガクランの生地は、キヨシの肉ではちきれんばかりだ。

 それでもなんとかキヨシはガクランの上着を身につけた。さすがにボタンを前で合わせることは諦める。

 次はズボンだ。

 これも力をこめて足を突っ込む。

 とても入りそうになかったが、それでもズボンはキヨシの肉体を受け入れた。

 すると見よ!

 伝説のガクランの服地がどんどん伸びて、キヨシの体格に合わせて変化するではないか!

 数分後、すっかりガクランはキヨシの体格に合わせていた。

 ふんふんと鼻歌を歌いながら、キヨシは自分のものになったガクランを見やった。

 と、その表情が一変した。

 背筋がまっすぐになり、その目はすっきりと澄み渡る。

 ぐるりと自分の部屋を見まわした。

 かれは唇を噛みしめた。

 

 校長室でなにか考え込んでいたアキラだったが、やがてぽんと自分の膝を叩くと立ち上がった。

「ケイスケ! そこにいるのか?」

 へいっ、と返事があってケイスケが入ってきた。どうやら校長室の近くで控えていたらしい。

「ケイスケ。キヨシが心配だ。おまえ、見に行け」

「キヨシさんが?」

「そうだ。馬鹿なことをする前に、早く行くんだ」

 へいっ、とケイスケは飛び出した。

 

 夕暮れの中、なにが心配なんだろうとケイスケはキヨシのアパートを目指していた。

 通いなれた路地をたどるケイスケに、声をかけたやつがいる。

「ケイスケの旦那……」

 ケイスケはぎくりと立ち止まった。

 声をかけたのはイッパチだった。

「な、なんだイッパチじゃないか……」

 目を合わせようとしないケイスケの顔を覗き込むようにして、イッパチは笑顔を見せた。

「お約束のもの、受け取りにまいりました」

「約束?」

 ケイスケは空とぼける。

「いけませんや、ケイスケさん! お金を戴ける約束じゃないですか?」

「そうだったかな?」

 側を通り抜けようとするのを、イッパチは先回りした。

「とぼけちゃいけません。あたしがケイスケさんのために、ケン太のことを調べ上げたんじゃござんせんか。さ、お約束の褒美、戴きましょうか?」

「いまは持ち合わせないんだ」

「ちっちっちっ!」

 イッパチは指を一本たて、目の前でふってみせた。

「アキラさんにご褒美、戴いたんでしょう? ちゃあんと、知っておりますよ」

 ケイスケはこんどはイッパチを無視して歩き出そうとした。あくまで支払いを拒否するつもりだ。

 そのケイスケにイッパチが声を張り上げた。

「よろしいんですね! それじゃアキラさんに直接お金を戴きにあがっても?」

「おい、よせよ!」

「ケイスケさんが自分で調べず、あたしにケン太の調査をお命じになったと知ったらアキラさんは……」

「わかった、わかったよ!」

 しかたなくケイスケは懐から金を出し、イッパチに渡した。

 イッパチはぽん、と額をたたき笑顔になった。

「毎度有難うございます! これからもご贔屓に!」

 くるり、と背を向けひょいひょいと軽い足取りで去っていく。

 ケイスケはほっとため息をついた。

 かれの言ったとおり、ケイスケはケン太のことをイッパチに調査させていたのである。かれだけでは、そんな調査は出来なかったからである。

 気を取り直し、歩き出す。

 やがて見慣れた景色になり、いつものアパートの階段をとんとんと登っていく。

 ドアの前に立つと、なかからふーっ、ふーっというキヨシのうめき声が聞こえてくる。

 ケイスケはびっくりした。

「キヨシさん! どうしたんですか?」

 声をかけるが返事はなかった。

 思い切ってドアを開けた。

 入ったすぐがトイレになっている。

 そのトイレのドアが開き、キヨシの巨大な尻が突き出していた。キヨシの尻は伝説のガクランのズボンに包まれている。

「キヨシさん、伝説のガクランを着たんですか?」

 ふーっ、ふーっというキヨシの声。

 おそるおそる、ケイスケは首を伸ばしてトイレを覗き込んだ。

 !

 なんとキヨシはトイレの掃除をしていたのである。

 巨体を苦しそうにかがめ、便器にしゃがみこんでせっせと雑巾で磨いている。便器はすでにぴかぴかになっていた。

 その作業のため、ふーっ、ふーっといううめき声をあげていたらしい。

「キヨシさん?」

 ようやくキヨシは立ち上がった。

 真っ赤なガクランを着ている。あの伝説のガクランだ。いまは完全にキヨシの体格にぴったりとなり、不自然なところはどこにもなかった。

「ああ、ケイスケか……何のようだ?」

「何の用だって、あのアキラさんがキヨシさんの様子を見に行けって……」

 そう言いながらケイスケは口ごもった。

 あらためてキヨシのアパートの室内に目をやる。

「キヨシさん、部屋を掃除したんですか?」

 うん、とキヨシはうなずいた。

 かれのアパートの部屋は変貌していた。

 足の踏み場もなくゴミや、食い散らかしの食器で散乱していた部屋はいまは綺麗に片付き、いまは床が見えていた。ガラス窓は一枚残らず磨き上げられ、本や雑誌の類はきちんと分類され、本棚に収容されている。薄汚れていたソファはいまはブラシがかけられ、きれいなカバーがかけられていた。

「どうだ、いままではここは人の住むところじゃなかったからな。思い切って掃除したんだ。ああ、掃除をするって気持ち良いなあ!」

「キヨシさん……」

 ケイスケはぼう然となっていた。

 キヨシのどこかが変わっている。

「あ、あの、キヨシさん……、歯医者行ったんすか?」

「ん?」

 キヨシはケイスケを見てにいっ、と笑った。

 なんと欠けていた前歯がいまはきれいに生えそろっている。

 キヨシは舌先で前歯をさぐった。

「あ、そういえば妙な具合だと思っていたんだけど、歯があるぞ!」

「あんた、本当にキヨシさんですか?」

 ケイスケは気味悪そうにキヨシの巨体を見上げた。

 言葉遣いも変わっていた。

 いつもの、もうろうとした言葉遣いは影をひそめ、はきはきとした明朗な物言いになっている。

 ケイスケはキヨシの外見も変化していることに気づいた。

 頬の線がややシャープになり、腹がへっこんでいる。体のあちこちにあった吹き出物のたぐいも、いまは綺麗に治っていた。

 そのことをケイスケが言うと、キヨシはちょっと考え込んだ。

「そうかな? 自分では変わっていることに気づかないが……」

「そのガクランのせいだ!」

 ケイスケは大声をあげた。

「ガクラン?」

 キヨシは自分の着ている伝説のガクランを見つめた。

 ケイスケはゆるゆると首をふった。

「あのケン太も、ガクランを着る前はとても喧嘩なんか出来そうもない坊っちゃんだったけど、着たとたん別人になった。そしてアキラさんの前でそれを脱いだら……そうだ、それが伝説のガクランのちからなんだ」

 キヨシの表情が変化した。

 なにかを決意したような表情になる。

「ケイスケ!」

「は、はいっ!」

「お前、ケン太の家を知っているな?」

「え、ええ、そりゃ……」

「案内しろ」

「えっ?」

「おれをそこへ連れて行け!」

 ケイスケは目をぱちぱちと瞬かせた。

 

 夜。ケン太の自宅。

 ケン太は暗闇の中、天井を見上げていた。

 かれの勉強部屋である。

 男の子の部屋にしては綺麗に片付いている。

 ベッドに仰向けになり、明かりもつけずケン太はじっと天井を見上げ身動きひとつせずいた。

 想いはつい、伝説のガクランにもどる。

 伝説のガクラン……。

 あれを着たときの昂揚感、そしておしよせる自信。身につけていた間は、自分が自分でなくなるような、そんな感覚にあった。

 ケン太は唇を噛んだ。

 あれを渡すんじゃなかった!

 後悔が真っ暗な感情になって押しよせる。

 こん……。

「?」

 こつん……。

 なんだろう?

 ケン太はベッドの上に起き上がった。

 かつっ!

 こんどは勢いよく、小石のようなものがガラス戸に当たる。

 がらっ!

 ケン太はガラス戸を開いた。

 ひゅっ!

 もうひとつ、小石が部屋の中に飛び込んでくる。

 ころころころ、と小石は部屋の床に落ち、ころがった。たまらずケン太は声をかけた。

「だれ?」

「起きたみたいですぜ」

 下の方向から声がする。

 窓から身を乗り出し、見下ろすとケイスケとキヨシが高倉家の庭に立っていた。

「あんたたち……」

 ケン太は目を見開いた。

 ケイスケの隣に立つキヨシは、なんとあの伝説のガクランを着ている。キヨシはケン太を認め、手をふった。おいで、おいでをしていた。

「おおい……出て来いよう……」

 あたりを憚っているのか、キヨシは手をメガホンにして小声で叫んだ。

 ケン太はうなずいた。

 何のようか判らないが、とりあえずふたりには敵意は見られなかったからである。

 そろりと足音を忍ばせ、二階から一階へ階段を降り、玄関へ。

 サンダルを履いて外へ出た。

 寒い。

 季節は春だが、まだ気温は冬の名残を引きずっていた。吐く息が白い。

「やあ!」

 キヨシがにやっと笑って前に立った。

 ケン太はキヨシの姿を見て口を開いた。

「伝説のガクラン、着ているね」

 キヨシはうなずいた。

「そのことで来たんだ」

 ケン太は眉をひそめた。

 一度会っただけだが、それでもキヨシの変貌には気づいたのである。背後にいるケイスケは、以前キヨシが着ていたぼろぼろのガクランを手に持っていた。

 キヨシはいきなり伝説のガクランを脱ぎだした。

「これはお前に返すべきだ。そう思って来たんだ。おれも着たけど、資格がないのがわかった。このガクランの能力を最大限引き出すのは、やっぱりケン太お前だよ」

 ケイスケから自分のガクランを受け取り、手早くもとのガクランに着替えると、伝説のガクランをたたみ、ケン太に差し出した。

「さあ、受け取ってくれ」

 ケン太は呆然となってガクランを受け取った。じっとキヨシの顔を見つめる。

「いいのか?」

 うん、とキヨシはうなずいた。

「じゃあな!」

 にこにことあいかわらず人の良い笑みを浮かべつつ、キヨシは手をふりながら去っていった。ケイスケがあわててその後を追う。

 ケン太はいつまでもそれを見送っていた。

 かれの胸に、ある疑問が湧き上がっていた。

 いったい伝説のガクランとはなんだ?

 

 高倉家の正門前、電柱の陰に隠れつつ、イッパチはたたずむケン太を見守っていた。

 そしてつぶやく。

「伝説のガクランは持ち主に戻った、か」

 にやりと笑う。

「面白くなってきやがったぜ!」

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