キヨシ
がらりと戸が開く音にキヨシは顔をあげた。
それまで読んでいたマンガをそばに置く。
入ってきたのはケイスケである。
顔色が真っ青になっていた。
「キヨシさん!」
ころがるような態勢でケイスケはキヨシの前に座り込んだ。
「どうしたんだな? おめえ、怪我してるみたいなんだな」
キヨシはのんびりとした声をあげた。
身長二メートル近く、体重は百キロをこえる巨体である。着ているのは学生服だが、ぼろぼろに着古し、あちこち接ぎがあててある。学生服のボタンはすべて外し、その下から薄汚れたランニングシャツが覗いている。ぼりぼりと首筋をかいて、手近においてある煎餅をかじった。ひとつつまみ、ケイスケに差し出した。
「おめえ、ひとつ食うか? ん?」
そう言うとにっと笑った。前歯がほとんど抜け落ちたその顔は、凶悪と言うよりどこか知能の低さを思わせる。
その部屋はひどい有様だった。
壁は煙草のヤニで黒く変色し、床にはカップ麺やらコンビニ弁当の容器が散乱し、食べ残しの食材にはカビが繁殖している。その他、マンガ、スポーツ紙、ヌードばかりのアダルト雑誌が山になり、脱ぎ捨てられた下着が汗臭い匂いを発散させている。
キヨシはその中にソファを持ち込み、一日の大半をテレビをつけっぱなしにしてすごしている。
普通の神経の持ち主だったら、一秒だっていたくないはずだ。
それが証拠に、ケイスケはこの部屋の中にはいるとき決して靴を脱がない。キヨシもそれを見てもなにも言わない。うっかり靴を脱いで上がり込んだら、床に散らばっているカビの生えた食材に足を突っ込みそうになるからだ。
差し出された煎餅を辞退して、ケイスケは口を開いた。
「た、大変なんですよ、キヨシさん」
「だからなにが大変なんだな?」
「おれ、見たんです。伝説のガクラン」
「なにを見たっていうのや?」
「伝説のガクランですよ!」
「なんだ、そりゃ?」
ケイスケはがっくりとなった。
「キヨシさん、伝説のガクランをご存じないんですか?」
ふるふるとキヨシは首をふった。頬の肉が首を動かすたびたぷたぷとおよぐ。
「伝説のガクランってのはね、それを着たものは最強のバンチョウであると証明されるっていうガクランなんですよ!」
「はあ、そうけえ」
キヨシはまるで関心をしめさず、今度は餡子のたっぷりはいった大福もちに興味をしめした。ひとつつかみ、あんぐりと口を開けほおばる。もぐもぐと咀嚼し、口の端についた餡子を舐めた。
ケイスケはいらいらして叫んだ。
「ねえ、キヨシさん。あんたこの千石高校の最強のバンチョウでしょう? もしそいつがほかのバンチョウに渡ったら、どうします」
「どうなるのかや?」
「そいつが最強のバンチョウって言われますよ」
「ほかのやつが最強のバンチョウ?」
じょじょに理解をしてきたらしく、キヨシの首筋が赤く染まった。
「そうですよ! それで平気なんですか?」
むう……とキヨシの顔が赤く染まった。
ようやく怒りが脳にたっしたようだ。
ごくりと大福もちを呑みこみ、ケイスケを見る。
「ケイスケ!」
「はいっ!」
「どうすべえ?」
ふたたびケイスケはがくっとずっこけた。
「しょうがないなあ……とりあえず、お兄さんに相談するってのはどうです?」
「アキラ兄ちゃんに? おお、そりゃええ考えだわ」
そうだ、そうだと賛意を示しどっこらしょとかけ声をかけてキヨシは立ち上がった。
にちゃり……キヨシの足が床に落ちていた菓子パンのつつみを踏んづけた。
それに気づき、巨体を折り曲げて拾う。
つつみは破れていないようだ。
「もってえねえ……」
そうつぶやくと、包みを破りパンを頬張った。くちゃくちゃと噛みながら歩き出す。
「それじゃおら、アキラ兄ちゃんに会いに行くからよ……お前は……」
「はい?」
「なんか食い物買って来いや」
ケイスケはずっこけた。