遭遇
タツヲがケン太の前に姿をあらわす!ケン太そっくりの容姿を持つかれの正体とは?
翌朝、自宅の正門を出たところでケン太はアキラと顔をあわせた。
思わず身構えるケン太に、アキラは片手をあげた。
「待て! 早まるな。今日は話し合いに来た」
「なに?」
「お前に頼みがある。話を聞いてくれないか?」
「いったい、なにを頼みたいというんだ」
アキラは千石高校がタツヲの支配下におかれたことを語った。そして生徒会長にイッパチが納まったことを。それを語るアキラの表情には悔しさが溢れていた。
「頼む! おれはもう一度千石高校を取り戻したい。一緒に戦ってくれないか?」
ケン太は絶句した。
こともあろうに、アキラが共闘を申し入れてきた?
信じられなかった。
そんなケン太の表情を見て、アキラはいきなり膝をつき両手を地面において頭を深々とさげた。土下座している。あのアキラが……!
「頼む! お前の言うことならなんでもきく! おれはなんとしても千石高校を取り戻したいんだ!」
ともかくケン太はアキラと一緒に千石高校に赴くことに決めた。
なにがなんだか判らないが、事情を知るには行動してみることだと判断したからである。
じつはアキラはケン太に言っていないことがある。
千石高校が普通の高校に戻ったことを。クラブ活動や、生徒同士の交流など、普通の高校生活が蘇ったことを語っていないのだ。
もしそれを知れば、ケン太は決して協力すまい、というアキラの読みだった。
千石高校の正門には、あいかわらず万石高校の制服を着た生徒が数人、登校してくる生徒たちを鋭い視線で監視している。
「あれは?」
遠くからその様子を見てケン太はアキラに質問した。
「万石高校のやつらだ。やつら、おれが近づくのを見張ってやがるんだ。こっちへこい。裏道がある」
アキラはケン太の袖を引っ張り、校舎の裏手へと案内した。
裏手は住宅街になっていて、校舎の塀が長々と伸びている。その塀に切れ目があり大木が半分幹を覗かせていた。
おそらく塀を建てた当初、ここに大木があったのを切り倒さず残すため、塀をその部分だけ周りを囲むように工事したらしい。
「ここを登れば、校庭へ出られるんだ」
そう言うとアキラはするすると大木の幹によじ登り、いらいらしたようにケン太を見おろし叫んだ。
「早く登れ! 人が来る」
ケン太はアキラに続いて大木を登った。
すぐに目の前に校庭があった。といっても茂みで、ふたりの姿は生徒たちからは隠れている。
校内に侵入すると、アキラは茂みに身を潜め頭を低くさせながら素早く移動した。
校舎の裏口に近づくと、あたりを素早く見回しドアを開く。
校舎の中にはいると、アキラはほっとため息をついた。
「だれにも見られなかったな? よし、こっちだ」
そう言うと非常階段を登っていく。
さっと物影にかくれ、アキラは廊下を見渡した。
「あれが校長室だ。こい!」
ふたりは廊下を移動した。
校長室のドアの前に立つと、アキラはさっとそれを押し開いた。
校長のデスクのむこうにイッパチが座っていた。ふたりが入ってくると、イッパチはちょっと驚いたようだった。
「これはこれは……アキラさんじゃないですか。それにケン太さんも一緒とは、驚きかぎりのこんこんちき……」
「黙れ!」
アキラは一歩前へ出た。
「おっと! それまで!」
イッパチはさっと両手を挙げて見せた。
「アキラさん、あんたに会わせたい人がいるんだ」
「なに?」
どすどすどす、という足音が外の廊下から近づいてくる。
アキラとケン太はふり返り、足音の方向を見た。
ぬっ、とひとりの人物が校長室のドアに現れる。
さっ、とアキラの顔から血の気がひいた。
「そんな、まさか……」
「アキラちゃん!」
入ってきたのは中年の女性だった。全身色彩の爆発といった感じで、上から下まで派手な原色のスーツで固めている。ひどく太っていて、ケン太はキヨシを思い出した。彼女が入ってきた瞬間、強い香水のにおいがケン太の鼻を襲っていた。
彼女はじろりと室内で立ちすくんでいるアキラを睨んだ。
「アキラちゃん。一体、こんなところでなにをやっているの?」
真っ赤な口紅をひいた唇が大きく開き、あたりにきんきんするような大声をあげる。あまりの音量に、校長室のガラス戸がびりびりと震えていた。
「そんな……なんでここに……?」
アキラは首をゆるゆるとふり、呆然となっていた。
「まったくちょっと目を離したら高校で軍隊ごっこなんて、あたしはそんなこと許したおぼえはありません!」
「ママ……」
アキラは泣きそうな顔になっていた。
「ママだって……?」
ケン太はつぶやいていた。
ではこの女性がアキラの母親なのか。
そうか、キヨシは母親似なんだな、とぼんやり思っていた。
応接セットのソファに彼女は横座りになり、バッグから細長いシガレットを取り出し、口に咥えた。
さっとイッパチが立ち上がり、彼女のもとへ近づくとライターを灯してシガレットの先端にかざす。
有難うとも言わず、彼女は当然のように煙草を吸いつけ、ふうーっと煙を吐き出した。
アキラといえば、ものも言わず、窓の方向に顔をむけたまま固まっている。
「アキラちゃん!」
母親が叫ぶ。
びくっ、とアキラの肩が動いた。
「なにしてるの? いい加減、家へ帰りなさい!」
アキラは答えない。
ふん、と母親は鼻を鳴らし立ち上がった。
ずかずかとアキラの側に近づくと、その耳をぐいっと掴む。
「わっ!」
そのままぐいぐいと耳を掴んだまま歩いていく。
「なにすんだ、やめろよおママ!」
「許しませんよ! まったく下らない遊びばかり覚えて……」
やめてくれよお……。アキラの声は泣き声になっていた。そのまま耳を母親に掴まれたまま引きずられていく。
ふたりの言い争う声が遠ざかる。
ふっ、とイッパチは肩をすくめた。
「アキラさんの唯一の弱点がお母さんだってことで、あっしがお呼びしておいたんでげすよ」
「イッパチさん……」
「おっと、イッパチと呼び捨てにお願いしたはずですよ!」
へへっ、とイッパチは笑った。
「まあこれでアキラさんは二度とこの千石高校に顔を出すことは叶いますまい。この高校にも平和が来たってことですねえ」
「平和? それじゃ千石高校は赤星に?」
「あはっ! そんなことでござんすか? ご心配なく。あっしはアキラさんのような、縄張り争いなんてまっぴら御免こうむります。当たり前の高校生活、これがあっしの望みでやんすよ」
「そうか……」
ケン太は気が抜けたような表情になっていた。
こんな形で決着がつくとは思ってもいなかった。
これで赤星高校はもとにもどるだろう。ケン太の役目は終わったのである。
すくなくともケン太はそう思っていた。
が、それが間違いであることをやがてかれは思い知ることになる。
イッパチが上目がちになり、話しかけた。
「ところで……ケン太さんに会わせたい人がいるんですがね」
「ぼくに?」
「へい、ケン太さんまで一緒に来るとは思っていなかったのでそのお人にはなにも言っていませんが、なあに勘の鋭い人だ。いまごろ、この屋上でケン太さんをお待ちになっていなさることでしょう」
「屋上?」
ケン太は天井を見上げた。
「さようでござんす。ケン太さんさえよろしければ、会いに行ったらいかがです?」
イッパチの顔を見て、ケン太は決意した。
「いいよ、会ってみよう」
うなずくと校長室を出て行った。
屋上への階段を登って外へ出る。
空はからりと晴れ上がり、まぶしい陽射しが屋上を照らしていた。
屋上のぐるりを取り巻いているフェンスの側に、こちらに背を向けひとりの生徒が立っていた。
「ようこそ、高倉ケン太くん。イッパチがここに案内したんだね」
ケン太は立ち止まった。
眉をひそめる。
背中を見せた生徒はくくっ、と肩で笑って見せた。
「おっと自己紹介がまだだったね。ぼくはタツヲといって、万石高校の生徒だ」
「タツヲ?」
ケン太は思い出していた。そういえばそんな名前の生徒が万石高校を支配しているとか聞いた。
「きみは万石高校の……えーとなんていうのかな……番長なのか?」
「人からはそう言われているよ。ぼく自身とは言うと、そんなこと気にしてはいないけどね」
ケン太はその背中に話しかけた。
「ぼくを待っていた、と言ったな。なぜイッパチがぼくをここに寄越すか判ったんだ?」
「簡単なことさ。きみとアキラのふたりが校舎の裏手から侵入してくるのが見えた。アキラが来ることは予想していたが、きみまでついてくることは予想外だった。その後の展開は予想がつく。アキラは母親に連れられて自宅へ帰っていくだろう。きみはと言うともともと今回の件については部外者だ。そこでイッパチがきみとぼくを出会わせるよう画策することは考え付く。だからここで待つことにしたのさ」
「顔を見せろよ」
ケン太はあいかわらず背中を見せたままのタツヲに苛々していた。
第一、これでは話しづらいではないか。
タツヲはゆっくりとふり返った。
その顔を目にし、ケン太は目を見開いた。
そのケン太の表情を見て、タツヲはにやりと笑った。
「ようこそ、高倉ケン太くん」
タツヲの顔はケン太に瓜二つだった。
ゆっくりとタツヲが歩き、ケン太の目の前に来ると立ち止まった。
ふたりがこうして並ぶと、まるで鏡に映したようにそっくりであった。
「きみは……誰だ!」
絞り出すような声をたて、ケン太はタツヲの顔を見つめて質問した。
「ぼくかい? ぼくはただの万石高校の生徒さ。それ以外、なにがあるというんだ」
タツヲの反問に、ケン太はぐっと詰まった。
あらためてそう返されると、なにも言うことが思いつかなかった。
ただタツヲの顔がケン太そっくりなことを別にして。
かれは髪の毛を真っ赤に染め、ケン太と同じようにリーゼントにしている。学生服はカラーが高く、裾が長く、ちょっとケン太の着ている伝説のガクランに似ていた。色合いは黒に近いブルーで、刺繍などの飾りはない。
たしかにタツヲの顔はケン太そっくりだが、目鼻立ちの道具立てが似ているだけで、その表情はかなり違っている。
タツヲの顔はどちらかと言うと狡猾そうな印象をあたえている。いつも油断なく目が動き、口もとには薄ら笑いがつねに浮かんでいた。
タツヲはすこし前かがみになった姿勢で、それは常に獲物を狙うなにかの獣のような印象を与えていた。
ゆっくりとケン太の顔を眺めたタツヲはうなずいた。
「なるほど、確かに似ている。イッパチが驚いたのも無理はない」
「きみはここで何をしているんだ」
ケン太は鋭く尋ねた。
「ぼくかい? なに、イッパチに頼まれてね、千石高校の平和にすこしだけかかわりを持ったと言う次第だ」
「きみが?」
そうだ、とタツヲはうなずいた。
「万石の生徒たち、数人がここに来ている。アキラのような勘違いをするやつがいないとも限らないんでね。まあ、用心棒のような役割かな」
ケン太の胸にじょじょに闘志がわいてきた。
嘘だ!
タツヲの言うことは、一から十まで嘘だ。
かれが千石高校の平和にこれっぽっちも急身があるわけがない。
おーい、そちらへ行ったぞー!
校庭のほうから玉をおって野球部の生徒たちが声を掛け合っている。ぽーん、ぽーんというテニスのラリーが続き、楽しそうな笑い声が響いていた。
典型的な当たり前の高校の日常がここにはあった。
その裏側に、なにかケン太の想像もつかないような企みが隠されている。そんな直感がケン太の胸にあふれていた。
さてと、とタツヲは肩をすくめ歩き出した。
「今日のところ、もうぼくの用はない。一度、ケン太くんの顔も見たかったし顔合わせはすんだ。それではこれで、ぼくは失礼しよう」
そのままケン太の横をすりぬけ、屋上からの階段口に歩いていく。
階段を降りる直前、かれはケン太にふり向くと声をかけた。
「一言いっておく。多分、きみは自分の父親にぼくのことを尋ねようと思っているだろうが、無駄なことだ。かれはなにも知らないよ。そんなことを聞いて、家庭に無用な混乱をひきおこすことは、あまりお勧めできかねる。いいね、ぼくのことは単純に、他人の空似としておくんだ。そういうこともありえないことではないだろう?」
じゃ、と言ってタツヲはケン太の視界から消えた。
はっ、となったケン太は慌てて階段に急いだ。
が、すでにタツヲは階段を降りていって見えなくなっていた。
階段の降り口で、ケン太は金縛りにあったように立ちすくんでいた。