↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/178

開けない勇気

海浜迷宮を全部止めれば、封鎖扉の裏だけでなく、表層保管区の仕事も止まる。


空調の副故障は復旧していた。

入口の風は正規方向へ戻っている。

利用者十四人と設備員三人は退出済み。


その三つだけを見れば、表層の扉を一度開け、保管品を出す案に根拠はあった。


事故ミラーに、海浜迷宮の営業管理側から再開要求が入った。


『一般入場の再開ではありません。表層保管区まで、現地設備員による三箱の回収だけを申請します』


安全を嫌う要求ではなかった。


朝便の三箱は、海浜迷宮の低温と湿度が止まれば品質判定の範囲から外れる。地上保冷で待たせている午後便も二便ある。別港の遅延分で、仮保管庫の空きは少ない。


三箱を廃棄すれば終わるのでもない。


材料を待つ加工所が二か所。日中の便が消えれば交代勤務を組み直す会社が三社。港の借り庫は夕方から別の荷に使う。


『全館停止の開始を、回収後へ移せませんか』


彼らは、開けなければ消える金額と仕事を、事故票へ全部入れていた。


「止めることに損失はない」と言う相手ではない。


白瀬さんは却下する前に、その表を閉じなかった。


『回収しない場合の損失時刻を、箱ごとに分けてください』


三箱の中身は同じではなかった。


一箱は、地上へ出しても当日中の品質確認を続けられる。

一箱は、表層保管区の湿度を失った時点で加工用途から外れる。

最後の一箱は別の受入先があるが、現地から出せなければ移せない。


《三箱損失》と一行にまとめれば、止めた後の品質判定まで廃棄の理由になる。


白瀬さんは、回収を許可するためではなく、開けなかった後に何を守れるかを分けた。


『午後便の船は、今どこですか』


一便は入港前。一便は出航元の冷却区画にまだいた。


二便ともここへ運ぶ必要はない。海浜迷宮の停止を知らせず入港させれば、港で新しい損失と滞留を作る。


回収可否の返答を待たず、白瀬さんは午後便の新規受入を止めた。


続けたのは、すでに退避した人と荷の処理だけだった。


『三箱を出すまでに必要な作業を、人の位置で分けてください』


営業管理側は、作業工程ではなく位置を出した。


地上設備室。入口前室。表層保管区。回収後の白線外。


箱は封鎖扉より陸側にある。しかし、そこへ行くには、内側から圧の戻っている潮見回廊と同じ退路を通る。


地上設備室の扉と、保管区の扉は、別の扉だった。


地上側だけを開けても、箱は出てこない。


カメラも同じだった。保管区内の箱は映っているが、床と砂下流路の間は見えない。


「見えている箱」と「人が取りに行ける箱」は同じではなかった。


封鎖扉は開けなくても、確認帯は張ったままだ。


朝倉班の三点では、入口側の砂が正常と逆に動いている。


『人数は』


『設備員二名、安全班二名、外側記録一名です』


『五人を入れた場合、潮戻り受けを開けるための全館停止は、いつ始められますか』


すぐに返事は来なかった。


箱を運び出し、五人の位置を再度閉じ、入場票を終了させ、全館停止の人数確認へ移る。


地上からの短い回収に見えても、次の作業の開始を遅らせる。


その間も、砂の下の固着には内側と外側の反応が来る。


『回収中に、入口側の沈降が広がった場合は』


『箱は置いて即時退避します』


『潮見回廊の確認帯がさらに張った場合は』


『同じです』


『どちらも、箱を取れない可能性を残して人を入れる案ですね』


『はい』


営業管理側は、成功するとは言わなかった。


損失を回避できる可能性のために、即時退避の五人を入れる案だった。


白瀬さんは朝倉さんへ、再開可否を聞かなかった。


その代わり、獅堂さんに、回収案を行った後の作業帯を聞いた。


『入場を一度開け直す。五人の退出を閉じた後、全館停止を確認し、潜水班と設備班の作業帯を別に作る。同じ入場票には載せない』


『回収をしない場合は』


『全員が外にいる。停止後の作業帯を一回だけ開ければいい』


営業損失を小さくする五人の入場が、施工の五人を安全にするわけではない。


白瀬さんは、診断班と安全班の両方から、判断に必要な代償を受け取った。


朝倉班の診断は、既に《全館停止後のみ開放作業》と結論を出している。ここから先は、診断班が営業損失を見て決める範囲ではない。


白瀬さんは、自分の決裁画面を開いた。


画面には三つの案が残っていた。


三箱を回収してから全館停止。

宮前さんの帰着まで部分閉鎖を維持。

今、全館停止。


一案目は、保管品を救える可能性と引き換えに、人を原因未解消の退路へ戻す。


二案目は、新しい測定も現地入力も増えないまま、固着へ反応が来る時間だけを増やす。


三案目は、三箱と午後便の損失を確定させる代わりに、全員が外にいる今の配置を維持する。


白瀬さんは、宮前待ちの案から先に消した。


不在だから不安なのではない。


待つ間に増えるのが安全の根拠ではなく、砂の下へ来る反応の回数だからだった。


『三箱の回収申請は不承認とします』


声を強くはしなかった。


『理由は宮前さんが不在だからではありません。入口側の安全を示す三点が揃っていない。回収を開始すれば、固着解消の停止窓も後ろへずれます』


『三箱の損失は』


『事故停止の直接損失として私の決裁へ付けます。品質判定は箱ごとに行い、使える物まで廃棄しない。使えない物は所有者へ補償連絡を出します』


営業管理側は、すぐに納得したわけではなかった。


『停止が長引いた場合の追加損失も、同じ事故票で扱われますか』


『当日中の直接分はこの票で扱います。翌日以降は復旧計画の損失と分け、再開を急がせる借りに使わない条件を付けます』


開けない判断を受けた側にも、止めた後の仕事が残った。


営業管理側は不承認を受領し、午後便の届先変更へ回った。


午後便二便は港へ留めず、出航元と連絡して荷下ろし前に分ける。地上保冷で待てる物は別倉庫へ。待てない物は、輸送損失と廃棄費用まで事故票へ入れる。


加工所へは、再開時刻を約束せず、本日分の欠品を先に通知する。日中勤務の人間を、復旧後の夜間一斉作業へそのまま移さない。


事故を止めるために必要な損失を、営業側の無謀に付け替えなかった。


開けない代わりに、止めた後の金額と人の仕事を空欄にしなかった。


決裁画面に、《全館環境停止》が出た。


範囲は表層空調、保管区、観測流入、迷宮側の人工負荷。地上の避難灯、通信、人数確認は別系統で残す。


市の管理室から、全館停止の決裁範囲に照会が来た。


予定作業では、表層と迷宮側を同時に止める決裁は上位の運用会議にかける。


今は事故票だった。


既に人員退出、未診断区画の閉鎖、営業損失の引受けを持つ事故指揮者に、修復のための全館停止枠がある。


ただし、止めてから起きた損失と、停止を中止する条件の説明責任も同じ決裁者が持つ。


白瀬さんは権限番号だけを返さなかった。


『事故指揮者の緊急停止枠で決裁します。同時に、三箱、午後便、見学区、追加輸送の直接損失を私の事故票へ固定します。再開はこの決裁に含めません』


止める権限があるから、直った後の再開まで一人で決められるわけではない。


市の管理室は、照会を《確認済》に変えた。


停止作業の中止条件は、外部潮位の予測幅外、封鎖扉への圧の増加、白線外の人数不一致。一つでも出れば、砂下作業は開始しない。


開始前の状態は、現地設備員、潜水班、朝倉班、獅堂さんの安全系統へ分けて送られた。


現地設備員は、停止後に残す地上系統を照合した。

潜水班は、外側の作業点と回収路を出した。

朝倉班は、三点が無負荷へ入ったかを見る。

獅堂さんは、人数と退路を閉じる。


白瀬さんは、その四者の《開始可》を、誰か一人が上書きできる一枚の許可にまとめなかった。


一者でも中止を出せば、白瀬さんの停止決裁が済んでいても砂下作業は始まらない。


決裁は作業を強制する鍵ではなく、止めるために責任を引き受ける署名だった。


誰か一人が開始ボタンを持つ票ではない。


ただし、止める決裁の署名欄は一つだった。


白瀬玲奈。


『宮前さんの帰着まで待ちません』


誰かへ説明する言葉ではなかった。


彼女は自分の決裁欄の脇へ、《不在者承認欄なし》を入れた。


国の聴取の終了記録が閉じたのは、十三時十九分だった。


俺に現地の波形へ足せる物はない。


朝倉さんが固着を診断した。

潜水班と設備員が作業条件を出した。

獅堂さんが入れる線を引いた。

白瀬さんが、停止と損失に署名した。


俺が同じ結論だと返しても、今から三箱は救えないし、砂の下の未確認は減らない。


送信欄を開いた。


原因名も、停止の順も書かなかった。


《こちらの聴取は終了確認中です。現場の判断は任せます》


送った後、俺は再び閲覧だけの画面へ戻った。


白瀬さんからの返信はない。


必要がなかった。


《白瀬玲奈・全館環境停止 決裁済》


十三時二十七分。停止開始の五分前、俺の文面は事故票の判断根拠ではなく、参考連絡へ綴じられた。


停止を決めたのは、白瀬さんだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。