第一迷宮を休ませる
北環状迷宮の探索班は、まだ帰路にいた。
第一窓の開始まで、予定上の余裕はなかった。
だからといって、置いて始めることもできない。
市営第三を休ませれば、負荷は北環状の方角へ動く。仮設蓄圧区画で受ける計画でも、計画どおり受けなかった時に中に人がいれば、最初の失敗を人命で知ることになる。
獅堂さんは帰還班の位置を聞いた。
《第二分岐の外側です。運搬種が戻り道を横切っています。負傷者なし。入口方向の灯りは二つ見えます》
下層に取り残されたのではない。
入口へ向かう一本道の手前で、魔物の流れが切れるのを待っていた。
「追うな。左壁へ寄れ」
獅堂さんは、自分の北環状班を二つに分けた。
一つは入口を守る。もう一つは、帰還班の手前まで行き、運搬種を倒さず別の戻り道へ誘導する。
「別働班を出せば、第三窓の交代が減ります」
白瀬さんが言った。
「減らす。帰還が先だ」
獅堂さんは第三窓の作業範囲を一段浅くした。
未来の確認範囲を失って、今いる人の帰路を買った。
久世統括官は、開始を延期するかどうかを現場へ丸投げしなかった。
病院の予備時間、仮設蓄圧区画の使用可能時間、夜明けの避難所負荷を更新した。
延期できるのは短い幅だけだった。
「第一窓を捨てれば、次の三枚を今夜中に並べ直すことはできません」
白瀬さんが計算を出した。
「ただし第一窓は、市営第三を小さく落とし、仮設区画の受入れを確認するところまでです。北環状へ負荷が届く前に中止できる条件は残っています」
獅堂さんは帰還班に聞いた。
「今の位置から入口まで、走らず戻れるか」
《別働班が運搬種を外へ向けられれば。三つ目の灯りが白くなったら、元の待機所へ戻ります》
戻る場所を持っている。
止める側にも、第一窓を小さく始めて戻す手順がある。
「始めていい」
獅堂さんが設備の開始を許可したのではない。
人を帰せる線が今は残っていると、安全側の条件を出した。
北環状の現地設備員も、自分の中止線を確認した。
入口計器が仮設区画より先に上がった場合。
二つ目の避難灯が白くなった場合。
帰還班から灯りが一つしか見えなくなった場合。
どれかで、市営第三の復帰を要求する。
「第一窓、開始条件を満たします」
白瀬さんが言った。
市営第三の管理室で、小暮さんが入退場簿を閉じた。
地下街側に人はいない。旧管理側は封鎖継続。駅の最低機能は別供給へ移ったまま。階段中央に器材は置かれていない。
俺は黄色線の手前に立った。
受音板は床へ当てるが、線の内側へ手を伸ばさない。現地計器の担当者が床札、小暮さんが管理扉、俺は外からの振動だけを見る。
市営第三の現地責任者が、第一停止を始めた。
停止順の一番目に置かれた市営第三を、現場では《第一迷宮》と呼び始めていた。
施設名を変えたのではない。
三つの窓のどこにいるか、通信で取り違えないための短い呼び名だった。
北環状は三番目でも、危険度が三番目という意味ではない。そのことを、獅堂さんが各班へ先に確認させた。
管理扉の縁が白くなった。
一度、床が押し返した。
外から来ていた太い振動が、すぐには細くならない。
俺は止めた場所の音を追わず、真央さんの共通画面を見た。
仮設蓄圧区画の入口計器が、最初に上がった。
北環状はまだ動かない。
「仮設区画、受入れ開始」
施工担当の報告が入る。
「残りは最初の印まで。帰路側に異常なし」
負荷は計画した受け先へ入っている。
それでも、予定幅の大きい側なら、すぐ満ちる。
市営第三の停止を一段だけ進めた。
床の深い脈が一つ減った。
管理扉の白い縁が、入口側から奥へ細くなる。
正常なら、地上側を落とした後に深層から短い戻りが来る。今は戻りより先に、外から押していた振動が途切れた。
「市営第三、外振動は減少。正常判定はまだです」
俺は報告した。
止めたから直った、とは言わなかった。
北環状から、別働班の足音が通信へ入った。
運搬種の群れが分岐を曲がる。獅堂さんは前へ出て群れを散らさず、入口とは別の暗い戻り道を空けた。
《帰還班、移動開始》
人の列が動いた直後、北環状の一つ目の避難灯が白くなった。
現地設備員は、予定された反応かどうかを俺へ聞かなかった。
《一灯白化。中止線の一つ手前。仮設区画の残りを確認します》
仮設区画では、二枚目の蓄圧材に細い光が入っていた。
市営第三の停止を進めれば、帰還班が入口へ出る前に上限へ近づく。
確認したかった外振動の減少は、もう取れている。
「ここで保持します」
俺は市営第三の現地責任者へ言った。
「正常まで追いません。今の負荷で戻りを待ちます」
短い停止をさらに広げなかった。
市営第三は第一段階の低い状態へ入った。仮設区画は負荷を受け、北環状は中止線の手前にいる。
三地点の状態が、初めて計画内の幅へ収まった。
獅堂さんの別働班が、帰還班と合流した。
先頭を急がせず、最後尾を追わせない。運搬種が横切った場所を一人ずつ通し、入口の防護班へ列を渡す。
途中で一人の探索者が、落とした記録袋へ振り返った。
別働班は拾わせなかった。
《袋は残す。人員五、帰還継続》
護送表に書いたとおり、記録より人を戻した。
入口側の二つ目の避難灯が、白くなりかけて止まった。
現地設備員は灯りではなく、足元の床札を見た。
《床札、上昇なし。帰還班は黄色線まであと一区画》
真央さんの画面では、仮設区画の山が北環状の山より先に立っている。
共通波形が、受け先の順番をその場で確かめていた。
久世統括官は、予定時間が残っていても停止を深くするよう求めなかった。
「第一窓の目的は達成しています。帰還確認後に復帰へ移してください」
時間を使い切ることを、行政側の成功にしなかった。
帰還班の五人が入口の線を越えた。
入退場簿の印と人数を、別の担当者が照合する。落とした記録袋一つは《現地残置》になった。
獅堂さんの別働班も戻った。
北環状の入退場簿が閉じるまで、市営第三の保持を解除しなかった。
通信上の人数だけでなく、現地責任者が五人の顔と装備札を照合する。残置した記録袋は、持ち主が戻っても入場中の物品として別欄に残った。
《全員地上》の報告が、真央さんの共通時刻へ入った。
その時点で、第一窓の人命側の条件が初めて完了した。
白瀬さんは病院と避難所へ、停止が予定より短く終わる見込みを伝えた。余った時間を一般負荷へ返さず、予備回復へ回す。
人が早く帰れた分も、次の無理へ使わなかった。
第三窓の交代要員は減ったが、欠けた人はいなかった。
市営第三を最低負荷へ戻す前に、俺は管理扉を見た。
白い縁の奥、閉じた壁面に、細い光が浮かんでいた。
古い図面にない光だった。
円弧が一つ、間を置いて二つ、最後だけ外へずれる。
温泉迷宮で真央さんが地図にした、十一分ごとに位置を変える冷点と同じ並びに見えた。
同じ原因とは決められない。
北環状の現地設備員も、通信越しにその映像を見た。
《こちらの二つ目の避難灯にも、白くなる前に同じ間があります。ただ、円弧は見えません》
似ていない情報も一緒に残った。
温泉の壁画、市営第三の光、北環状の灯り。三つを同じ信号と呼ぶには、まだ現象が違いすぎる。
それでも、十一分前後の間と、最後だけ外れる順番は、次の窓で見る位置を変えた。
湾岸では壁を探さず、受入れ板の縁がどの間で戻るかを記録することになった。
形の一致を探すのではなく、負荷を落とした時の返事を比較する。
温泉では熱と風、市営第三では光と床振動だ。現象も距離も違う。
それでも、負荷を落とした時だけ壁が返した順番は残せる。
「真央さん、壁面だけ原本で取ってください。温泉の記録とは、まだ重ねないでください」
「別資料で保全します」
真央さんは、似ているという俺の発言と、現物映像を分けた。
市営第三は最低負荷へ戻った。
戻す時、管理扉の円弧は逆向きには走らなかった。
一つずつ薄くなり、最後に深層から短い返事が来て消えた。
第一窓で取り切れなかった正常確認の一部が、復帰の反応として残った。
小暮さんは《正常》へはせず、《第二窓で再確認》の札を付けた。
一度見えたきれいな反応だけで、市営第三の黒灯を外さなかった。
仮設蓄圧区画の表示がゆっくり下がり、北環状の一灯目も通常の暗さへ戻る。
第一窓は、三迷宮を直していない。
作業票の一枚目には、完了した二項目と、繰り越した一項目が残った。
仮設区画の受入れ順、確認済み。
外振動の減少、確認済み。
市営第三の正常判定、未完了。
未完了を空欄にせず二枚目へ移したことで、第一窓を成功と言っても次の確認は消えなかった。
だが、負荷を受ける場所を計画内へ収め、人を全員帰し、失敗時に戻れる線を現物で確かめた。
壁には、次の窓で比べる信号が残った。
休ませた第一の市営第三迷宮から、温泉迷宮と同じ並びの壁面信号が現れていた。




