獅堂が守る三十メートル
俺の受け持ちは、三十メートルだった。
予備の連絡扉から、宮前が旧管体の反応を拾える最前位置まで。その三十メートルを、水と魔物と崩落から守る。敵を何体倒したかではない。何人が、何を見て、どの道で帰れるかで、俺の仕事は決まる。
歩廊の下で、管体の覆いが長く鳴った。
「全員、一度荷を降ろせ。床の傾きを見る」
携帯の計器も、救助具も、床へ無理に置かない。荷物は退路側の独立した架へ戻した。人が減れば軽くなる。荷が減れば帰りやすくなる。両方は同じではない。
現地の施工班が、歩廊の外から管体と床板の動きを記録する。宮前は触れずに反応を取り、俺の隊が前と後ろを守る。
三十メートルの中に、三つの目印を置いた。
一つ目は予備の連絡扉。ここを越えれば、反対側の共用路へ戻れる。二つ目は、管体の覆いが床下へ潜る場所。ここより前へは、計測する人と守る人しか入れない。三つ目が、水の来ていない乾いた縁だ。そこまで水が来たら、管も魔物も見ないで引く。
前を守る隊員は、魔物と宮前を同時に見る。後ろの隊員は、連絡扉と搬送担当から目を離さない。施工班は管体の状態を見るが、魔物の近さで続行を決めない。俺は三つの報告が食い違った時、最も早く帰る理由を採る。
人数を増やせば、見られる箇所は増える。同じ幅に立つ人が増えれば、撤退は遅くなる。地上から増員の申し出が来たが、俺は断った。
「取得点は二つだ。今の人数で足りる。帰りの人数を増やすな」
宮前の診断に、俺の経験で口を出すつもりはない。
その代わり、宮前の希望には口を出す。
作業を続けたい人間は、まだやれる理由を見つける。俺は、もうやらせない理由を先に見る。
「何を見れば次へ進める」
俺は聞いた。
「管体の前と後ろが、同時に鳴っているかを分けます。それと、奥の壁が先に反応していないか」
「必要な範囲は」
「最前の一点と、連絡扉側の一点です。間は通るだけでいい」
「前の点は一回だけだ」
宮前は「分かりました」と答えた。
歩廊のさらに奥で、白い殻を運ぶ小型種が列を作っていた。人間から逃げるように高い壁際を進み、奥の隙間へ消えていく。
あれは通す。
その後ろから、脚の長い攻撃個体が二体、身を低くして出てきた。水面を避け、人間が使う乾いた幅へ入ろうとしている。
倒すだけなら難しくない。
この場で大きな衝撃を出せば、ひびの入った管体と床も受ける。一体を倒した代わりに三十メートルを失うなら、何の戦果にもならない。
俺は前の隊員を一人下げ、歩廊の幅を半分空けた。攻撃個体の視線を自分へ固定し、一歩ずつ水の少ない側へ引く。
一体が飛んだ。
受け止めず、引きつけたまま身をずらす。長い脚は床ではなく、歩廊の外側へ滑った。後ろの隊員が幅を閉じ、人の作業帯へ戻さない。
もう一体は追ってこなかった。小型種が入った隙間の前で止まり、身体の向きを変えている。
「追うな。作業帯の外だ」
残した個体が、俺たちの帰路を切らないか。小型種の動線を逆走させないか。見るのはそれだけだ。
倒した個体はない。
それで作業帯は残った。
歩廊の外側に滑った一体は、低い水際から俺を見上げている。奥の一体は運搬種の入った隙間から動かない。二体を線の外へ留めるため、前の隊員は向きを変えずに残った。
後方から、連絡扉の下へ水が染み始めたと報告が入った。まだ開閉を妨げる量ではない。開くから正常とはしない。
「扉は開けたままにするな。動きが残っているか確かめろ。閉める時間が伸びたら、その報告で撤退する」
予備の退路は、そこにあるだけでは足りない。帰る瞬間まで、退路として動かせる必要がある。
俺は前の一体と後ろの扉を交互に見た。一方だけを守れば、仕事は分かりやすい。この現場では、分かりやすい戦い方ほど人を帰しにくくする。
宮前たちが前の計測点へ入った。
施工班は歩廊の外から、床の傾き、管体の音、奥の壁の光を別々に取る。宮前は記録の時刻を読み上げ、地上の真央がそれを原本へ固定する。
「前の点、取得開始」
宮前の声に合わせて、現地員が管体と壁の両方を画角に入れた。一つの音に聞こえれば、同時ということになる。二つの原本時刻に分ければ、どちらが先に動いたかを後から比べられる。
前の隊員が、攻撃個体の呼吸が早くなったと報告した。後方からは、連絡扉の水際は変わらないと返る。施工班は、管体の白い筋に新しい伸びはないと言った。
三つの報告のうち、一つだけが悪くなった。まだ引かない。それは続行の許可ではなく、前の隊員を交代させる判断に変えた。
交代者が後ろから前の位置へ入る間、計測を一度止める。宮前も取得中とは言わず、待った。隊員の背後が入れ替わり、前と後ろの視線が再びつながってから、真央が時刻を切り直した。
作業時間を守るのは、作業を一度も止めないことではない。
俺は右下の水面を見た。
それまで壁から逃げるように動いていた黒い膜が、一度だけ歩廊の下へ寄った。奥の壁の光が細くなる。遅れて管体が鳴り、足元の床板が沈んだ。
順番を覚える。
壁。管。床。
小型種の列が止まった。
先頭の一体が、殻を落とす。後ろの個体がその場で身を反し、俺たちの入口側へ向きを変えた。
中止条件だ。
「全員、戻れ」
宮前が顔を上げた。
「奥の壁の返りが、あと一度取れれば」
「一回だけの約束は終わった。戻れ」
俺は理由を増やさなかった。
宮前は、手元の記録を閉じた。
「引き継ぎます。壁、管、床の順です」
作業をしたい人間が希望を残しているうちに、帰らせる。
そのための中止権だ。
後方の隊員が連絡扉を開け、搬送担当を先に通す。施工班が計器を持って続き、宮前と現地員が中央、俺が最後に残る。
歩廊の奥で攻撃個体が動いた。
俺は倒しに行かない。退路の幅へ入れない位置だけを保って、人の背中を先に通す。
外側の一体が歩廊へ脚を掛けた。斥ければ管体の直上へ衝撃が入る。俺は武器の向きを横にし、個体の後ろへ立つ隊員に合図した。
歩廊の前で押し返さない。左右に分かれて視線を取り、個体がどちらへ飛ぶかを決めきれないままにする。渡り切れないと判断した個体は、一度水際へ戻った。
その間に、宮前と施工班が二つ目の目印を越えた。
「中央通過」
後方から返る。
「連絡扉、動作あり。搬送担当通過」
退路の報告が先だ。敵の位置は、人の通過が終わってから返す。
その後、奥の覆いが一枚落ちた。落ちた先には誰もいない。拾いに行けば、証拠も損傷状態も増やせる。俺は証拠回収より退路を選んだ。
「覆いは位置だけ残せ。回収は次の安全帯だ」
小型種が反した直後、水位が一段上がった。乾いた目印の下まで来る。管体の白い筋が伸び、前の計測点で床板の端が落ちた。
あと一回残っていたら、計測の前に歩廊が人を退かす動きになっていた。
全員が連絡扉を越えた後で、俺は最後に線を捨てた。
扉の向こうでも、床の軋みは長く残った。
守っていた三十メートルを、永久に取り返そうとはしない。人が帰れば、作業帯は一度失ってもよい。
連絡扉の外で、俺は入った人数と戻った人数を合わせた。施工班の計器も、前の計測点で撤去できなかった目印以外は戻っている。目印は残置品として位置を記録し、取りに戻らない。
三人の救出はまだだった。それでも、今の歩廊へ別の隊を入れる許可は出さない。乾いた目印へ水が近づき、運搬種が逆走し、床板が落ちた。三つあった中止根拠の二つが、撤退後も続いている。
「再進入は、水位と床の受けを別に減らしてからだ」
白瀬が、俺の中止判断を救助計画に反映した。宮前は反論せず、前の点で取れた一回分と、連絡扉側の記録を並べ始めた。
俺が切った作業時間は、診断を消しなかった。返った人と、戻せた原本が残った。
次に入れる条件も、その場で白瀬へ返した。乾いた目印から水が退くこと。運搬種の動線が高い方へ戻ること。落ちた床板の先を施工班が外から確認すること。三十メートルを取り戻すのは、その三つが揃った後だ。
三人の声が届いていても、その条件は下げない。声を聞けることと、迎えに行った人を帰せることは、別の判断だ。
急ぐほど、中止条件の線は曖昧にしない。
地上の記録席から、停止班の問い合わせが転送された。
『管体の破断を避けるため、管体側を隔離候補としてよいか』
さっきまで管体を見ていた宮前は、回答する前に真央へ二本の映像を要求した。今の壁面の光と、過去の赤札映像。
映像が並ぶまで、宮前は答えなかった。
奥の壁の模様は、管体が鳴る前に細くなっている。過去映像でも、赤札の下に見える膜の流れは、管の向きではなく壁へ引かれていた。
「切るのは、この管ではありません」
宮前は三十メートルのさらに奥、旧図に通路さえない壁を指した。
「先に反応しているのは、あの壁の向こうです」




