十一分窓の証明
第三者検証席は、《十一分》と書かれた資料を最初に机から下ろした。
「結論名の付いた束は、盲検になりません」
検証責任者は、研究所が作った説明図も、俺の観測票も開かなかった。
机へ残したのは、原本番号を伏せた六つの記録束だった。
無負荷になった時刻。
位相が底へ着いた時刻。
隣接地点へ戻りが出た時刻。
境界温度が正常幅を外れた時刻。
それぞれを、別の担当が閉じている。
俺と白瀬さんは、観察席に座った。
質問には答えられる。ただし、どの束が天蓋で、どれが地域試験かを、検証席が判定を閉じる前に教えることはできない。
十一分という数字を知っている人間が、十一分に見える線だけを選ばないためだった。
最初の作業は、時計の零を決めることだった。
表示盤が停止を示した時刻ではない。
人が退出し、採取が止まり、荷の受入れが閉じ、人工流入の実反応が低下したことを、別々の原本で確認できた最後の時刻。
一束目では、表示が消えてから床振動が落ちるまで差があった。
検証員が、表示時刻を零に置いた。
十一分後には、何も揃わなかった。
床振動が落ちた時刻へ置き直すと、細い戻りが同じ間隔へ入った。
検証責任者は、後の方を採用した。
「数字が合う方を選んだのではありません。無負荷を現物で確認できる方です」
二束目は、停止から三分で中止された地域試験だった。
十一分まで行っていない。
それでも短すぎる停止の証拠にはしなかった。
台帳にない旧避難口で実流入が残り、零そのものが成立していない。三分で止めたから同期しなかったのか、最初から止まっていなかったから同期しなかったのかを分けられない。
《時間窓の判定から除外・未登録流入の失敗例として採用》
検証席は、都合のよい失敗まで証明から外した。
残った地域再試験の原本が、壁面全体へ出された。
山腹の二拍。
谷側の一拍。
旧採石場正面の二段。
旧避難口の遅い一目盛り。
形は揃っていない。
検証員が、共通時計を進めた。
七分目。
四地点は、すべて位相底へ入っていた。
一人が、透明な《再開》札を七分の線へ置いた。
その時刻で低い負荷を戻した場合の記録はない。
代わりに、各地点が実際に残していた位相差を、その札の先へ延ばした。
谷側は先に戻り、旧避難口はまだ底へ向かう途中だった。
同じ負荷を入れても、四地点は別の時刻源を受け取る。
停止前より差が小さく見えても、基準は一本にならない。
「七分では、低いだけです」
検証員は再開札を外した。
九分目。
正面と山腹は変化を終えた。
旧避難口だけ、戻りが一つ遅れている。
別の検証員が、九分へ再開札を置いた。
今度は三地点がほぼ重なった。
ほぼ、だった。
一本だけ残った遅れを平均で消せば、地域試験の完了にできる。
戸田さんの原本は平均を作っていなかった。旧式と携帯型も、四地点も、別々のまま残している。
検証席は九分の再開札も外した。
「短い側の失敗は、設備が壊れることだけではありません。ずれを残したまま、揃ったと判定してしまうことです」
十分目。
三地点の戻りが重なった。
旧避難口はまだ返らない。
誰も、時計を早く進めなかった。
十一分目。
旧避難口の二台が、底から同じ向きへ動いた。
人工流入の灯りは消えたまま。
防湿循環枠も止まったまま。
外から入れた負荷ではない。
遅れていた地点の戻りが、正面、谷側、山腹の基準へ重なった。
検証席は、そこで初めて《段階復旧へ移行可》の札を置いた。
《自動再開》ではない。
次に、天蓋第零迷宮の事故原本が開かれた。
十五年前ではなく、俺たちが最初に崩壊を止めた夜の記録だった。
完全無負荷の後、十一分の無音。
その直後、最深部から一度だけ戻った再応答。
当時は意味を確定できず、再開待機を延長している。
検証席は、その一件を地域試験の成功例と同じ強さにはしなかった。
一地点の事故記録で、全球の窓は決められない。
ただし、十一分より前に戻りがなく、十一分目に人工流入なしの応答が出た独立原本として残した。
温泉迷宮の壁面記録も開かれた。
冷点が十一分前後で位置を変えた記録。
壁面記号の三組。
現地班が宮前の耳を使わず、十一分の追加観測で旧箱外の遅れを正常幅へ戻した記録。
温泉側は、全負荷を止めた試験ではない。
したがって、停止時間の直接証拠にはしない。
負荷が局所を巡り、同じ位置へ固定されず、一定の間を持って隣へ渡る機能の補助証拠へ置いた。
証拠の強さを揃えなかったことで、逆に鎖が切れなかった。
事故の一地点。
温泉の壁面移動。
地域四地点の無負荷試験。
国外の別方式で得た戻り記録。
全球台帳を一巡した位相順。
形も、計器も、現地の呼び名も違う。
一致したのは、実流入がなくなった零から、隣接ノードを経て戻りが成立するまでの機能だった。
検証責任者は、全球位相の束を最後まで伏せたまま、一地点を外した。
秒の原本がなく、《十から十二分》としか読めない記録だった。
十一に近いから入れることはしない。
精度不足として補助表へ下げた。
残る独立原本では、零の取り方を現地へ戻しても、戻り成立は同じ窓から外れなかった。
短い側は閉じた。
七分では低いだけ。
九分では一部が近いだけ。
十分では最後の地点が返っていない。
十一分目に、各地の方言を残したまま基準応答が重なる。
次は、長い側だった。
意図して世界を長く止めた試験はない。
そのような試験を新しく行うことも、検証席は認めなかった。
使ったのは、避難確認や権限待ちで低負荷復旧を始められなかった過去の閉鎖原本だった。
原因も地域も違う五件。
最初は六件あった。
一件だけ、十一分より前に境界温度が上がっていた。
長く止めた危険が、もっと早く出たように見える記録だった。
検証席はその一件を捨てず、零の原本へ戻した。
入口表示は停止している。
人と荷もない。
ただ、地上側の保温設備が通常運転のまま迷宮壁へ熱を返していた。人工流入ゼロの確認がなく、停止表示だけを零にしている。
時間窓の反例にも、長時間停止の証拠にもできない。
《部分停止中の境界上昇・全球無負荷判定には不使用》
報告から消さず、別の失敗欄へ移した。
十一分説に合わない線を除いたのではない。十一分を数え始める条件を満たさない線を、同じ母集団へ入れなかった。
どれも、人、荷、採取、人工流入が止まった後、戻り応答を確認しても停止を続けている。
十一分を越えた直後に、全地点が同じ温度へ跳ねたわけではない。
ある地点は地上側の境界温度が先に上がった。
別の地点は壁面の冷えが止まり、その後に外周側だけが上側へ寄った。
現地の中止幅へ届く時刻も違った。
しかし、戻り応答が成立する前に危険側へ転じた原本はなく、成立後も無負荷を続けた原本では、すべて境界温度の逃げ場が地上側へ移っていた。
検証員が、十一分の線より右へ透明な帯を置いた。
安全余裕ではなかった。
低負荷から段階復旧を始める区間だった。
故障ノードは閉じたままでいい。
全ノードを一斉に開ける必要もない。
だが、全球のすべてを無負荷のまま長く保てば、異相側から来る圧を受ける場所がなくなり、地上境界へ蓄積する。
十一分は、短ければやり直し、長ければ安全が増す停止時間ではなかった。
全球の基準波が一巡して戻る最短点であり、その確認後に低負荷から受け直さなければならない切替点だった。
検証責任者は、最終判定を読み上げた。
「無負荷の実確認を零とする。連続十一分を維持する。十一分目の戻り応答を独立確認後、低負荷ノードから段階復旧へ移る。時計だけ、表示灯だけ、単一地点だけでは成立しない」
別室の検証班も、地点名を伏せたまま同じ判定を返した。
証拠の並べ方は違っていた。
一方は地域試験から最短点を絞り、もう一方は長時間閉鎖の境界温度から上限側を削った。
それでも、二つの班は《十一分目の応答確認から段階復旧へ移る》という同じ窓へ着いた。
検証責任者は、正確な危険到達時刻が全地点で同じだとは認定しなかった。認定したのは、十一分より前に再同期完了を置けず、成立後の全停止継続を安全余裕とも呼べない範囲だった。
続いて、不成立条件が付いた。
一つでも稼働流入が残る。
途中で人、荷、採取、人工流入が戻る。
戻り応答を確認せず時刻だけで開く。
境界温度または退避条件が現地中止幅へ入る。
どれか一つで、その十一分は成立しない。
報告書の署名欄に、俺の名前はなかった。
白瀬さんの名前もなかった。
検証した組織と、原本を閉じた各地の責任者が署名した。
十一分は、俺にしか聞こえない数字ではなくなった。
ただし、成立条件は地域試験より厳しくなった。
全球位相の記録では、一つの稼働ノードが残れば、そこが負荷源であると同時に新しい時刻源になる。
公認迷宮だけを止めても足りない。
現在の影ノード台帳には、位置を絞れても所有者と停止担当が決まっていない入口が残っている。
検証責任者は、報告書の最後へ条件を加えた。
《影ノードを含む全稼働迷宮の同時無負荷化が必要》
十一分の窓は証明された。
同時に、止める相手を一つでも数え違えれば開かない窓だと確定した。




