地図にない影ノード
海外ノードが閉じた後、東京の都市設備が三か所、故障ではない記録を残した。
雨水貯留区の壁面温度が、一度だけ平らになった。
地下搬送路の空荷表示が、予定より遅れて閉じた。
災害備蓄庫の換気記録へ、管理対象のない低い脈動が入った。
どれも警報域ではない。
どれも迷宮施設として全球台帳に載っていない。
三つを同じ故障と呼ぶ根拠もなかった。
ただ、記録された順番が毎回同じだった。
都市設備の担当者は、最初に時計を疑った。
雨水貯留区の記録器は昨年更新され、地下搬送路は旧型、備蓄庫は別の管理部門が持つ。表示時刻が揃って見えても、内部の補正履歴が違う。
三台の現在時刻を合わせ直して、過去記録を上書きする案は採らなかった。
真央さんは、各台が当時どの基準を受け、何秒ずれていたかを原本から戻した。一台は補正記録が欠けていたため、正確な秒比較から外した。
それでも、雨水、搬送、備蓄の順番は入れ替わらない。
細かな間隔は未確定へ落ちたが、先後だけは残った。
真央さんは三本の時刻線を、都市設備共同保管所の床へ並べた。
最初の海外閉塞時。
国外班が現地原本を閉じた時刻。
国内の既知ノードが小さく揺れた時刻。
三つの都市設備が反応した時刻。
世界中の時計を、一つの絶対時刻へ直した線ではない。海外側は現地の無負荷基準からの差、国内側は国内の共通時刻、都市設備は同じ管理網の時計を使っている。
比較できる範囲だけを、別の色で置いていた。
「海外から東京まで何分、とは読めません」
真央さんは、二つの線をつなごうとした記録員を止めた。
「分かるのは、国内の既知ノードが変わった後、この三設備が同じ順で反応したことです。距離も方向も、まだ出せません」
俺は三地点の現物台帳を開いた。
迷宮の図面ではない。
都市の雨、荷物、備蓄を管理する設備台帳だった。
雨水貯留区は、十五年前の都市改修で古い地下空洞を取り込んでいる。
地下搬送路は、二つの物流施設を結ぶ保守通路を転用した。
災害備蓄庫は、閉鎖された民間倉庫の地下区画を自治体へ移管していた。
三つとも、地上の用途は分かっている。
所有者もいる。
点検担当もいる。
それでも、その壁の向こうに迷宮性の流入があるかという欄はなかった。
雨水の原本には、改修時に《自然空洞側を封鎖済み》とある。
搬送路の原本には、《旧共同路は管理外》とある。
備蓄庫には、《地下旧荷受け室は使用停止》とある。
三つとも、自分の設備台帳としては不自然ではない。
封鎖した先を毎日点検しない。
管理外へ停止権限を書かない。
使用していない部屋を、現役設備の平面図から外す。
一冊ずつなら、仕事を終えた記録だった。
三冊を並べると、誰も現在を持たない同じ灰色線が残った。
「意図的に消されたのでは」
応援の調査員が言った。
久世統括官が、前事件で戻した空箱を思い出した。
意図を示す記録はない。
「今あるのは、台帳の用途が違うという差です」
俺は答えた。
「雨水の担当は迷宮の停止権限を書きません。迷宮側も、都市設備として引き取られた壁の番号までは持っていない。まずは欠けた接続を探します」
悪意を仮定しなくても、十五年分の移管と改修で参照線は切れる。
正当に場所を公開できない備蓄庫もある。
閉鎖したつもりで、休眠観測だけが残った設備もある。
影ノードという札は、誰かが隠したという判定ではない。
光を当てる索引が、現物まで届いていないという作業状態だった。
調査員は《意図的》と書きかけた欄を消し、《移管時参照切れ》へ直した。
都市設備担当者も、三施設の正常判定を撤回しなかった。
「こちらの仕事が未完了だった、という扱いですか」
「都市設備としての完了は、そのままです」
俺は答えた。
「迷宮側の索引が接続されていない。追加するのは責任のすり替えではなく、今の担当へ届く道です」
完了済みの仕事を全部失敗へ戻せば、担当者は記録を守るために新しい兆候を隠す。閉じた範囲と、閉じていなかった範囲を分ける必要があった。
都市設備の担当者が、三冊の保守原本を持ってきた。
「設備そのものは正常です。貯留、搬送、換気の機能に未完了はありません」
その言葉も、迷宮側の異常を意味しない。
都市設備として正常に仕事をしているなら、壊す理由はない。
俺たちは現在値ではなく、時刻差を見た。
三設備には、日常運用で負荷が変わる時間がある。
雨が降った時。
定期便が通った時。
備蓄庫が受入れ確認をした時。
三つの原本から、都市設備自身が動いた時間を除いた。
残った脈動は、海外閉塞後の一回だけではなかった。
過去の地域停止試験でも、同じ順番で薄く現れていた。
当時はどれも現地正常の内側にあり、地上設備の混入として灰色札へ回されている。
地域停止試験の時、雨水貯留区では雨が降っていた。
そのため最初の脈動は降雨負荷として不採用になった。
地下搬送路では夜間便が遅れ、空荷表示のずれは勤務要因とされた。
備蓄庫は非公開施設で、中央索引へ詳細を出していない。
それぞれの説明には根拠があった。
今回、雨はない。
夜間便も通っていない。
備蓄庫の限定窓口は、同じ時刻窓に脈動があったことだけを返した。
以前の判断が嘘だったのではない。別々だった記録をつなぐ索引が、当時はなかった。
真央さんが、地域停止試験の未編集時刻を重ねた。
一番先に反応するのは、雨水貯留区。
次が地下搬送路。
最後が災害備蓄庫。
反応の間隔は、試験ごとにほぼ変わらない。
強さは変わる。
時刻の並びだけが残る。
「一本の経路でつながっている候補はあります」
俺は候補までで止めた。
設備の種類が違いすぎる。
共通するのは、十五年前の都市改修で同じ旧保守通路へ接続した履歴だけだった。
名取さんが、都市設備台帳の古い版を開いた。
現在図では、三施設の地下区画は別々の色に塗られている。
改修前の図では、色の下に細い灰色線が残っていた。
雨水貯留区から、使われなくなった共同保守路へ入る。
共同保守路は地下搬送路の外側を通り、備蓄庫の旧荷受け室近くで途切れる。
途切れた先は、白紙ではなかった。
別の台帳へ移管済みという短い番号がある。
移管先の台帳には、その番号がなかった。
台帳差が一つ見つかった。
「現地へ行きますか」
獅堂さんが聞いた。
戦闘の準備を急かしているのではない。
所有者も、入口も、退路も分からない場所へ誰を入れるのかを確認していた。
「まだ行きません。三施設の担当は分かっています。旧保守路だけが未確認です。入口を推測で開けるより、外から区間を絞ります」
都市設備担当者も同意した。
共同保守路は閉鎖区画を含み、現行図だけで進入許可は出せない。換気や構造の安全確認も要る。迷宮性候補だからといって、都市設備の閉所手順を飛ばす理由にはならなかった。
朝倉班は、三施設へ入る班ではなく、外周の定点記録を分担した。
雨水貯留区で脈動が出た時刻を起点にする。
地下搬送路と備蓄庫で何分後に出るかを見る。
間にある都市設備のうち、同じ時刻順を持つ物だけを残す。
最初の候補は十四区画あった。
日常運用の時刻を引くと九つになった。
現行の所有者と原本がつながる区画を、確認済み都市設備として外すと五つになった。
閉鎖記録の後にも脈動が残る区画は、三つだった。
朝倉班は、外周観測の途中で一候補を戻した。
古い図では共同保守路へ接して見えたが、改修時の構造原本に独立した隔壁の受領記録があった。時刻差も、搬送路の勤務変更だけで説明できた。
候補を増やす報告ではなく、消せる候補を証拠つきで消す報告だった。
残った三つについても、影ノードだと確定はしない。
調べる順番を持てるところまで狭めただけだった。
数を減らしたのは、俺の感覚ではない。
台帳の版差と、同じ管理時計に残った順番だった。
三候補には、それぞれ別の扱いを付けた。
一つは、現役の避難設備に接している。場所を公開せず、限定窓口から管理者へ照会する。
一つは、旧共同保守路の構造記録が欠けている。都市設備の安全班が外周調査を行う。
最後の一つは、民間から自治体への移管が二度あり、途中の台帳番号が切れていた。登記と設備移管原本を照合する。
三つを一斉に掘り返さない。
閉塞負荷の逃げ先かどうかも、まだ確定していない。
ただ、世界地図のどこかという影は、都市の三つの区間まで狭まった。
都市設備担当者は、三候補の外周へ同じ警告札を付けなかった。
避難設備には公開禁止を維持した限定照合札。
構造記録欠損区間には進入禁止と外周調査札。
移管切れ区間には、所有者確認まで現状変更をしない保留札。
原因も権限も違うため、後始末も別になった。
獅堂さんの護衛班は、進入班として待機しなかった。構造と入口が確定した後で必要人数を決める。先に人員を集めれば、行ける場所から入ろうとする圧力になるからだ。
真央さんが、最後の移管番号を非公開照合窓口へ入れた。
返ってきたのは迷宮名ではなかった。
廃止済み施設の地番と、閉鎖時の所有者だった。
現在の都市図では、更地扱いになっている。
十五年前の設備図では、地下の旧荷受け室だけが共同保守路へ接していた。
名取さんが、原本の施設名を読み上げた。
「東央総合メンテナンス、旧資材倉庫」
元勤務先の事件を開き直す名前ではない。
会社の処分も、責任確定も、現場社員の救済も終わっている。
今必要なのは、閉鎖済みと記録された倉庫跡の地下に、なぜ都市設備の時刻差だけが残るかを確かめることだった。
三本の時刻線のうち一本が、閉鎖済みの東央倉庫跡へつながった。




