条件付き全国標準
低負荷復旧の翌朝、久世統括官は成功報告の一枚目に署名しなかった。
《地域四入口、十一分停止成功》
その表題の下に、三地点再開、一入口閉鎖継続とある。
数字だけなら、四つ止めて三つしか戻せなかったことになる。
久世統括官は観測室で説明を求めず、旧B避難口の黄色線まで来た。
岩壁の緑灯は消えている。
防災倉庫の防湿循環枠には赤札が残り、代わりの地上設備が低い音で動いていた。
倉庫管理者が、備蓄棚の湿度記録を渡した。
「迷宮側を戻していませんが、備蓄の維持には支障ありません。地上代替の費用と、夜間確認は増えています」
成功を主張するなら、都合の悪い入口を見せない方が簡単だった。
現地班は最初に、戻せなかった物と、増えた仕事を並べた。
久世統括官は赤札を外さず、期限欄を読んだ。
「期限までに内部戻り路を確認できなければ」
「閉鎖を更新します」
花房室長が答えた。
「地域三迷宮を止めて、無理に同時調査はしません。地上代替が先に持たなくなる場合は、備蓄を別倉庫へ移してから、新しい停止枠を申請します」
「試験成功を取り消しますか」
「取り消しません。十一分の成立と、旧B避難口を日常運用へ戻せるかは別の判定です」
久世統括官は、赤札の裏にある二台の記録を見た。
復旧時、旧式だけが一目盛り高くなった原本だった。
「一台の誤差として開ける案は」
「採りませんでした」
朝倉さんが答えた。
「停止時は型の違う二台が同じ向きへ下がりました。復旧時に差が出たなら、どちらが正しいかではなく、差の出る条件が未確認です」
久世統括官は朝倉さんへ、俺の判断を聞かなかったのかとは尋ねなかった。
代わりに、現地の完了票を開いた。
中止、再設定、十一分維持、段階復旧のどの欄にも、俺の承認はない。
観測票は事後照合として添えられているだけだった。
「宮前氏を、全国の初回試験へ同行させる案があります」
久世統括官は、持ってきた審査案の一行を指した。
現地から出た案ではない。
地域試験の成功率を上げたい審査側が、条件付き承認の条件として加えたものだった。
俺が答える前に、久世統括官がその一行へ線を引いた。
「今回の試験が証明したことと矛盾します」
紙の上から俺の名前が消えた。
「宮前氏の事前仮説は使える。しかし、現地が中止する時も、戻さない時も、本人との一致を条件にしない。全国標準が一人の勤務表になるなら、標準化ではありません」
俺の出番を減らされたとは思わなかった。
山腹、谷側、旧採石場正面、旧B避難口の四班は、俺が口を出せない条件で一度失敗し、そのまま条件を作り直した。
一か月かかった。
二回分の費用もかかった。
それでも、俺が全国へ移動するより、次の地域に残る手順と人員が増えた。
久世統括官は、防災倉庫の作業台を借りた。
完成した標準書を読み上げるためではない。
審査案のうち、現物に合わない三か所を書き換えた。
一つ目は、《全国共通の正常値》だった。
山腹の二拍、谷側の一拍、旧採石場正面の二段、旧B避難口の遅い一目盛りは、同じ形にならなかった。
共通にするのは数字ではない。
平常記録の取得条件、未取得の表示、複数兆候、原本時刻、変更履歴、別の班が読み返せることへ変えた。
地域の正常を提出すれば自由に幅を広げていい、とはしない。現地が候補を作り、別当直か外部確認者が、事故後に都合よく変わっていないかを見る。
二つ目は、《十一分停止》だった。
設備の停止表示が出た時から数えない。
人、荷、採取、人工流入が止まり、現地反応が無負荷へ入ったT0から、連続十一分を数える。途中で一つでも戻れば、時計は成立しない。
十一分より前、四地点は位相底にいても線が揃っていなかった。
十一分目に戻り応答を確認した後も、設備は自動で開かなかった。
標準の文面も、《十一分経過後に再開》ではなく、《十一分目の戻り応答を独立確認後、低負荷から再開可》になった。
三つ目は、《全入口復旧》だった。
久世統括官は、その言葉を削った。
《必要な地域機能を代替込みで復旧し、異常入口は赤札隔離を継続できること》
全国標準が全開を成功条件にすれば、次の現地班は一入口の異常を隠す。
戻さない判断へ、責任者、期限、監視、中止条件、代替、必要な人員と停止枠が付いているなら、それは失敗の言い換えではなかった。
「条件付きとする理由は二つです」
久世統括官は言った。
「十一分は、この地域では再現しました。国内の異なる迷宮へ同じ数字を無条件適用できるとは、まだ証明していません」
最初の条件は、導入地域ごとの事前記録と限定試験だった。
過去正常がなければ、ないまま申告する。他地域の値を借りない。代替、退避、二重承認、現地中止、独立再開確認を現物へつなげられない地域は、実施を延期できる。
延期を不合格にはしない。
承認は、明日から全国の迷宮を十一分止める命令ではなかった。
各地域が試験を申請する前に、日常原本、台帳外照会、代替の受領先、退避可能な人員、赤札を提出する。その資料を作る勤務と現地確認へ、先に予算を付ける。
初回試験には、運転した班とは別の記録確認者を置く。
ただし、その確認者が現地中止を取り消すことはできない。記録を監査する仕事と、その場で人を退かせる責任を重ねなかった。
成功件数を地域評価へ使う案も外された。
試験を実施し、危険な不一致で中止した地域が、最初から申請しなかった地域より低く評価されれば、中止条件は使われなくなる。
評価するのは成功率ではなく、不一致を残し、代替を切らさず、次の試験条件を作れたかになった。
「もう一つは、台帳です」
岩壁の赤札を見た。
「登録迷宮だけを止めても、旧B避難口のような流入点が残れば試験になりません。ただし、未知が一つもないと国が宣言することもできない。避難記録、土地・建物設備、現物、停止反応を照合し、残差があれば現地が中止できることを導入条件にします」
標準は、すべてを知っているふりをする台帳にはならなかった。
知らない負荷が残れば、時計が始まらず、責任者が中止できる仕組みになった。
花房室長は、地域例外の欄を確認した。
現地材、季節、少人数交代、道路条件を記載できる。
ただし、退避人数、無負荷確認、原本、中止権、赤札の最低線は削れない。
同じ方法を強制せず、同じ安全を下げない線だった。
朝倉さんは、新人班用の適用中止欄を確認した。
手順の前提が外れたら、熟練者の勘で空欄を埋めない。既知範囲を隔離し、未確認を次の権限者へ返す。
最初の試験を止めた判断も、全国様式の中に残った。
久世統括官は、そこで初めて一枚目へ戻った。
表題を、《全国迷宮保守標準・条件付き承認》へ変えた。
決裁欄には、地域が負担した一回目の地上予備、延期便、四班の勤務、夜間警備、防湿代替を、国の地域試験費として精算する項目がある。
旧B避難口の調査費と、地上代替を期限まで維持する予算も別に付いた。
物理入口と内部戻り路の所有区分を照会する費用、所有確認まで内部施工を許可しない条件も、同じ赤札調査へ入った。
安全のために止めた費用を現地へ残せば、文書上の中止権しか広がらない。
久世統括官は、金額欄と承認欄へ同じ日付で署名した。
「全国標準を、条件付きで承認します」
大きな声ではなかった。
署名後に変わったのは、倉庫の岩壁ではない。
各地の導入班へ、宮前一致ではなく現地版の作成費が付く。代替と延期を試験費へ申請できる。危険入口を赤札のまま残した完了票も、成功側の審査へ出せる。
花房室長の端末には、最初の精算受理が届いた。
地上予備の使用、延期便の夜間管理、四班の追加勤務、岩壁側警備、防湿代替が、それぞれ地域の日常費から国の試験費へ移る。
一括の《協力金》ではない。
何に費用がかかったかを残すことで、次の地域は代替と人員を安く見積もらずに済む。
朝倉さんの班には、成功報奨ではなく、現地版改訂の勤務枠が付いた。
ほかの地域へ正解を教えに行くためではない。中止票、無負荷原本、復旧表を、別の班が反論できる形へ整える仕事だった。
地域十一分試験は、これで閉じた。
旧B避難口には通常保守の担当、期限、予算がある。山腹、谷側、旧採石場正面は必要な地域機能を限定負荷で再開し、通常負荷への増加は当直ごとの二重確認へ移った。残る監視も各当直へ渡った。
国内で次に行うのは、承認済み標準の地域版作成と通常の赤札点検だった。
未解決事故を、次の事件へ運ぶ必要はない。
作業台を片づけた時、真央さんが封筒ではなく、原本番号の束を一つ持ってきた。
十一分目に小さな応答を記録した国外機関から、共同点検の招請が届いている。
どれも、日本の標準をそのまま採用したという通知ではなかった。
自分たちの計器と手順で、同じ時刻に何が起きたのかを一緒に確かめたいという招請だった。
久世統括官は、全国承認の書類へ混ぜなかった。
別の受付番号を付け、未回答のまま俺たちへ渡した。
国内の試験票は閉じている。
机に残った次の仕事は、海の向こうから来た招請だけだった。




