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魔物が避ける通路

西側三店舗を閉じたまま迎えた翌日の閉店後、第三迷宮へ入る前に獅堂さんが最短の通路を外した。


地下街の開店保留は続いている。次の夜間計測で図面外の流れを迷宮側から確かめなければ、停止範囲を決められない。だが予定していた進入線だけを、小型魔物の群れが一匹も通っていなかった。


昼の間、西側三店舗は地上受渡し窓口だけで営業した。商品を運ぶたび店員が地上と地下を往復し、扱えない品は近隣店へ回している。小暮さんから届いた日報には、売上だけでなく増えた勤務時間と、受け渡せなかった品目が並んでいた。


閉鎖は事故を防いでいる。同時に、原因が分からない一日ごとに店の負担を増やす。だからといって、魔物が避ける最短路へ人を入れて時間を取り戻すことはできない。


「この角から先へ入れるな」


獅堂さんは、俺たちを管理扉の手前で止めた。


第三迷宮の入口は、地下街の奥にある管理区画から下りる。踊り場の先で通路が二つに分かれ、左は深層側、右は図面外の送風路に近い保守壁面へ回る。


右の方が測定点まで近い。床も乾き、照明も点いている。目に見える危険はない。ただし、灰色の小型種が残した足跡は、分岐の手前で左へ折れていた。


「臭いを避けているんでしょうか」


俺は右通路の空気を、管理扉の外から確かめた。湿った石と迷宮苔の匂いに、地下街の食料品売場から流れた油の匂いが薄く混じる。


魔物が人間側の臭いを嫌っているなら、異音とは別の問題かもしれない。


「それなら個体差が出る」


獅堂さんは、真央さんの定点映像を戻した。


「こいつらは苔を運ぶ小型種だ。食い物の臭いへ寄るやつも、避けるやつもいる。だが右へ入った個体が一匹もいない」


映像には、分岐を横切る群れが映っていた。


先頭が右へ顔を向ける。次の瞬間、耳に当たるひれを伏せ、左へ走る。後ろの個体も同じ場所で向きを変えた。


その時、映像の端で床の光がわずかに揺れた。


獅堂さんは一場面だけで決めなかった。


前の時間帯へ戻すと、同じ群れが右通路から出てくる映像があった。地下街の店はまだ営業中で、食べ物の臭いは今より強い。それでも小型種は右を使っている。


別の夜には、清掃後で臭いが弱いのに、群れが分岐で一斉に左へ曲がっていた。


「臭いの濃さと、避ける向きが揃ってない」


獅堂さんは床へ簡単な動線図を置いた。


種類ごとに印が違う。苔を運ぶ小型種、壁面の残渣を食べる丸い個体、単独で動く細身の個体。食べる物も、臭いへの反応も同じではない。それなのに右通路を避ける位置だけが重なっている。


「餌を置いて試しますか」と市の探索者が提案した。


「置かない」


獅堂さんは即答した。


「人が群れの道を変えたら、今ある兆候を読めなくなる。それに、右へ誘って何か起きれば、確認のために魔物を危険へ入れたことになる」


討伐しないだけではない。観察のために生態を余計に動かさないことも、安全判断に入っていた。


代わりに、今ある映像と足跡を使う。どの種が、いつ、どこで曲がったか。人の臭い、店の営業、風の向き、低い波。その中で共通するものを残す。


「十一分の床振動と重なっています」


真央さんが原本時刻を示した。


「臭いの流れが変わる前です。映っている範囲では、群れが曲がった後に壁の紙片が動いています」


臭いが届いてから逃げた順ではない。


俺は第一仮説を下げた。


「臭いだけでは説明できません。床から先に届くものを避けている可能性があります」


獅堂さんは右通路へ入って確かめようとはしなかった。探索者なら耐えられる、と自分を計器にする方が早いはずだが、それでは群れの判断を壊す。


「宮前、低い音は拾えるか」


「管理扉の外からなら。強さより、群れが曲がる時刻と比べます」


「真央、過去三晩の群れと床振動を重ねろ。討伐記録も出す。数が減って道を変えただけかもしれん」


獅堂さんは俺の指示を待たず、今夜の進入を右から左へ変更した。


左の深層側へ向かう主通路を、人の進入線にしたわけではない。群れが通り終えるまで入口を閉じ、人と魔物の時間を分ける。その後、左から既存の点検区画まで入り、右の異音区画は遠隔計測だけにする。


「群れを倒して空ける方が早くありませんか」


同行する市の探索者が聞いた。


「倒せる」


獅堂さんは答えた。


「だが、こいつらが避けている理由まで消える。今は通路を空けるより、群れと人を同じ場所へ置かない方が先だ」


勝てるかどうかと、入ってよいかどうかは別だった。


白瀬さんは地上側で、獅堂さんの変更に合わせて立入条件を上げた。これまでは異音区画の作業者だけが退避対象だったが、低い振動が一定範囲を越えた場合、地下街西側と迷宮管理区画を同時に無人にする。


中央通路の出口には誘導員を置く。地上階段を退路として確保し、迷宮側の管理扉は、群れを地下街へ押し出す形では使わない。


獅堂さんは、集合場所も変えた。


これまで計測班は、異常が出たら地下街中央の広場まで下がる予定だった。だが魔物が低い振動を避けるなら、その広場は群れにとっても地上へ向かう途中になる。


「地下で止まるな。撤退は地上階段を越えるところまでだ」


資材置場も広場から外す。計器を守るための箱が、逃げる人や群れの進路を狭めては意味がない。堀江さんは必要な計器だけを持ち込み、予備は地上へ残した。


作業できる範囲は狭くなった。その代わり、低い波が来た時、人と魔物が同じ安全地帯へ集まる設計を捨てられた。


危険度が上がったのは、魔物が襲ってきたからではない。


人間には微かな異音でも、迷宮の生き物が通路を捨てるほどの刺激かもしれないと分かったからだ。


堀江さんの日常記録では、小型種は夜明け前に奥へ戻り、右通路も使っていた。真央さんの一覧では、地下街の暗部差が出た頃から右側の記録だけが途切れている。討伐数と群れの規模は変わらず、強い個体に追われた痕跡もなかった。


臭いと敵の候補は下がった。残るのは、床から先に届く低い波だ。


群れが奥へ戻る時刻を待つ間、一匹だけ右通路へ近づいた。


群れから遅れた小型種が、床を嗅ぎながら分岐を越える。店の油臭は右へ流れている。それでも個体は止まらず、右へ半身を入れた。


低い波が来る前なら、通れる。数息後、床の光が震えた。


人の耳に鳴き音が届くより先に、その個体は腹を床から離し、後ろへ跳んだ。臭いの上流も、俺たちの位置も見ず、左へ走る。


獅堂さんは追わなかった。曲がった地点と時刻だけを市の探索者へ記録させた。


「これで右が常時危険だとは言えん。波が来る時だけ、あいつらには耐えにくい何かが出る」


獅堂さんは、曲がった地点を動線図へ写した。


「臭いじゃない。こいつらは床から来る低い振動を避けてる」


俺は受音板の記録を重ねた。人間の耳へ鳴き音が届く前、床側に低い波が走っている。大きい回だけ、小型種は右通路から離れた。


「設備の異音が魔物を散らしている、で確定ですか」と白瀬さんが通信で聞いた。


「低い振動を避けているところまでです。原因は未確認です」


「なら、群れが右を避ける間は右通路へ人を入れない。地上側へ二度曲がったら、地下街中央通路も閉鎖します」


「人も同じ影響を受けますか」


「分からん。分からんから、魔物が避ける時間に人を入れない」


耐えられるか試す必要はなかった。生態が先に示した退避を、人間側の進入条件へ使えばよい。


群れが奥へ抜けたことを確認し、進入を始めた。


位置は単純にした。


後ろが管理扉と地下街。左の主通路を短く進むと、既存の点検区画。右の異音区画へは入らない。獅堂さんが先頭、市の探索者が最後尾。俺と堀江さんは中央、真央さんの定点カメラは入口側に残る。


「次の低い波が来る前に戻る。群れが反転したら計器を捨てても下がれ」


獅堂さんの条件に、全員が返事をした。


点検区画から、図面外流路に近い床の反応を取る。


右通路へ近づくほど強い、とはならなかった。床下の低い波は、右から左へ広がるのではなく、深層側から上がって右の空間で膨らんでいる。


壁の穴が音を作っているのではない。


別の流れを受けて、鳴りやすい形になっている可能性が出た。


「ここまでで戻ります」


俺は追加計測を切った。


原因候補は増えたが、右へ入らなくても次に測る場所は絞れた。獅堂さんが確保した線を広げてまで、答えを取りに行く必要はない。


管理扉まで戻った時、奥から小型種の群れが現れた。


通常なら、俺たちを避けて深層側へ戻る時間だった。


獅堂さんが片腕を上げる。


「全員、扉の外へ。誘導員は地上階段を空けろ。攻撃するな」


低い波が、足裏を長く押した。


右通路の奥で、図面外の空間が鳴いた。


群れの先頭が身を縮める。深層側を見て、右の異音区画を見て、どちらからも離れる向きへ走り出した。


本来は奥へ向かう群れが、地上出口へ向きを変えた。


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