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獅堂は戦わず道を作る

海中班の撤退を、俺は決めないことにした。


地上の作業帯を預かる俺――獅堂蓮司には、海の中で回収線がどう緩み、どの流れが先に身体へ当たるか分からない。


S級探索者の危険感知も、港湾潜水の資格にはならなかった。


「撤退は潜水班長。理由の説明は上がってからでいい」


俺は入場票の中止権を読み上げず、潜水班長の端末へ移した。


「地上から戻れとは言う。地上から続けろとは言わない。そっちが戻ると言ったら、こっちは道を空ける」


『受領。海中の撤退は私が出します』


岸本技師が、潮の条件を確認する。


宮前は、環状部材の外周と両面の層、運搬種が避ける中心だけを観測項目にした。


誰も、結晶殻を外す道具を入場票へ載せていない。


今日は直しに行く日ではない。


直すために、どこまで入れて、何を止める必要があるかを持ち帰る日だった。


入る前に、潜水班長が撤退を一度だけ試した。


海中にはまだ誰もいない。


それでも端末から《撤退》を送る。


第一回収帯の表示が赤へ変わり、荷役の横断許可が閉じ、予備班が所定位置へ動く。


一人の港湾担当が、理由欄の入力を待って横断許可を開けたままにしようとした。


俺は画面を戻した。


「理由は後。撤退が先だ」


担当者は空欄のまま閉鎖を通した。


試験で止まった三十秒が、本番で人を待たせない手順になった。


地上の仕事は多かった。


潜水班が上がる第一回収帯。


予備班が装備を受ける第二回収帯。


負傷者が出た時だけ使う搬送路。


映像原本と人数札を閉じる記録席。


荷役棟の通常貨物が、その間を横切ろうとしていた。


冷蔵枠を運ぶ台車が、第一回収帯の端へ置かれている。


中身は空だった。


置き場所が近いという理由だけで、海から戻る道を人一人分狭くしていた。


「これはどかす。荷役は南の通路へ」


港湾の現場責任者が、通常貨物の遅れを示した。


「南へ回せば、生鮮の地上積替えが遅れます」


「海中班の回収と同じ道には置けない」


俺は玲奈へ決裁を投げた。


彼女は、地上積替えのうち医薬便だけを北側へ残し、生鮮の二便を待機へ戻した。


魚の箱へ残り時間が書かれる。


作業帯を作る費用は、抽象的な安全ではなく、その二便の品質と補償になった。


荷主は納得していない。


それでも、空の冷蔵枠は動いた。


回収帯が、人二人と装備一組を並べられる幅へ戻る。


俺は戦闘班を海へ入れなかった。


水面近くへ寄る魔物を倒せる者はいる。だが討伐の衝撃で海中の群れが散れば、岸本技師が作った生態の比較が消える。逃げた先が潜水班の帰路になる可能性もあった。


代わりに、港湾の生態班が普段の清掃域を開いた。


運搬種が作業域から戻れる、迷宮外周の既存経路だった。


戦闘班はその外へ立ち、人へ向かう個体だけを遮る。追わない。群れが既存経路へ入ったら、道を閉じずに通す。


強い敵を倒す配置ではない。


海中班と魔物が、同じ狭い場所を取り合わない配置だった。


戦闘班には、撃破数の記録欄を閉じさせた。


代わりに、作業域へ入れなかった個体、既存経路へ戻った群れ、回収帯へ近づいた時刻を記録させる。


戦えば数字は増える。


今日は、増えない方が成功だった。


潜水班二人が入る。


地上では姿が見えない。


俺に見えるのは、人数札が二枚裏返り、回収線の表示が海側へ移り、真央の画面に暗い水中映像が入ることだけだった。


『第一観測点、通過』


潜水班長の声は一定だった。


岸本技師が潮の変化を返す。


宮前は乾側の板を見る。


俺は、回収帯へ余計な人が入らないようにした。


S級が画面を見ていると、見学したがる者が増える。


港の警備担当へ、作業理由ではなく立入線を渡した。説明を求める荷主と報道対応は、別の待機場所へ移す。真央の公開画面は閉じたままだ。


海中映像に、白い弧が出た。


薄い殻を背負った運搬種が、その外側を二列で進む。


人へ向かっていない。


だが、一群が潜水班の前を横切れば、調査点へ着く時間はなくなる。


戦闘班の一人が聞いた。


「外から誘導しますか」


「まだだ。岸本技師」


「群れは正常経路へ戻っています。触らないでください」


俺は戦闘班を下げた。


一体だけ、薄い殻を震わせて水面側へ向きを変えた。


戦闘班の盾役が前へ出る。


攻撃はしない。回収位置と既存経路の間に立ち、個体が選べる方向を一つ減らした。


生態班が外周の標識を開くと、個体は群れの後を追った。


剣を抜くより時間はかかった。


その間、潜水班は外側で待った。


だが群れの流れは壊れず、中心を避ける行動が観測として残った。


倒せることを見せても、作業時間は増えない。


群れが通り終えるまで待つ。


待っている間に、乾側の戻り板が一度そろった。


玲奈の画面では、次の逆流までの幅が縮む。


宮前が観測項目を一つ捨てた。


「外周全体の映像は要りません。中心の表面が部材と離れているかだけで戻ってください」


全部を見る時間がない時、見る範囲を狭くした。


潜水班長が続行を返す。


『帰路側保持。中心外縁まで行きます』


俺は何も付け足さなかった。


海中班の判断へ、地上の焦りを混ぜない。


やがて映像が白く曇った。


運搬種の群れが急に向きを変え、弧の外へ広がった。


回収線の表示が一段緩む。


『撤退』


潜水班長が言った。


原因説明はなかった。


「回収帯、開けろ。予備班は第二へ」


地上の全員が動いた。


海へ続く線の周りから計器台を外す。


第一回収帯にいた記録員は画面を持って第二へ下がる。


医薬便の車だけを北側で止め、生鮮の台車は南の待機線から動かさない。


戦闘班は、水面へ上がった攻撃個体を追わず、回収位置との間へ壁を作った。


潜水班二人の札が、海中から回収中へ変わる。


一人目が上がる。


自分で歩ける。


二人目は映像器を抱えていたが、予備班が先に受け取った。人より機材を先に数えない。二人が黄色線を越えてから、人数札を表へ戻した。


作業可能時間の表示には、まだ余りがあった。


予備の潜水員も、装備を着けたまま待っている。


港湾局の担当者が、残り時間で映像だけ取り直せないかと聞いた。


俺は答えず、潜水班長へ中止票を返した。


「今日の海中は、まだ入れるか」


「入りません。下の逆転が始まっています。予備班が新しくても、海は最初の条件へ戻っていません」


「了解。入場を閉じる」


俺が決めたのは、再進入しない理由ではない。


現地の撤退判断を受け、地上の入場票を閉じることだった。


予備班は不満を言わず、潜水員の装備解除と体調確認へ役割を変えた。


第一回収帯をすぐ荷役へ返さなかった。


人数札が閉じても、濡れた装備、隔離した手袋、原本器、体調確認を第二帯へ移すまでは作業中だ。


現場責任者が完了札を出してから、生鮮の台車へ南通路を返した。


撤退後の後始末まで道に含めた。


潜水班長は装備を外す前に言った。


「下の流れが先に反転しました。映像の曇りは殻の粉です。帰路は残っていましたが、次の一波で線が中心側へ引かれると判断しました」


撤退は早すぎなかった。


一人目の手袋に、白い粉が付いていた。


採取した物ではない。撤退時に水中へ舞った殻が、外側へ付着したものだった。


現地設備員は原因試料として開けず、《経路付着・採取条件外》の容器へ手袋ごと隔離した。


偶然持ち帰った物を、正式な材質判定へ使わない。


映像で確認した層と同じかどうかは、次の施工許可と採取条件が揃ってから別の担当が確かめる。


証拠は一つ残っている。


真央が、潜水班長の映像器から原本を複製した。公開版ではない。撤退直前の数秒を、乾側の戻り板と並べる。


白く曇る前、運搬種が左右へ分かれていた。


群れが避けた中心だけ、動かない影がある。


宮前は、影の輪郭を原因名にしなかった。


「岸本さん。人間の部材なら、外装はありますか」


「あの厚さの外装は使いません。元の環状部材は、前の映像で見えた青黒い面です」


画像の明暗を変えず、別時刻の照明角度を並べる。


青黒い面の上へ、白い層が何重にも育っている。


流れてきた塊が手前へ挟まった形ではない。


環状部材の表と裏から、違う向きの層が重なり、中心だけ厚くなっていた。


潜水班長が、画面の端を示した。


「ここに生きた縁があります。外れた殻ではありません。部材と一緒に固くなっている」


岸本技師は、次回の施工欄を空白に戻した。


単純な詰まりを回収する道具では外せない。


三港の負荷を残したまま触れば、逆転する流れを作業者が受ける。


今日の調査は、直せずに終わった。


だが、全員が帰り、次に止める対象は狭まった。


俺が作ったのは海中の道ではない。


撤退と言われた時、誰にも塞がせない地上の道だった。


その道を通って戻った映像には、群れが避けた中心が映っている。


詰まりではない。


環状部材へ育ちついた、厚い結晶殻だった。


次に必要なのは、殻へ届く火力ではない。


三つの港を止め、海中班が自分で帰れる流れを作ることだった。


それが次の作業だった。


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