かみさまのこども
今日もまた、国から配給される最高に気持ちの悪い「これ」を口に運ぶ。
とはいえ、周囲の人間は誰もがこれをありがたがって貪っていた。
インクの節約なのか、極限まで簡素化されたデザインの包みを破る。現れたのは、柔らかいレンガのような、正体不明の塊だ。トレーの上でそれを一口大にちぎり、口へと放り込む。
舌の裏側にべっとりと残る、あの不気味なしつこいうすら甘さ。それと必死に格闘しながら、おのれの喉へと無理やり流し込んだ。
ここに来て、明日でちょうど一ヶ月が経とうとしている。
奇妙なコンクリートの建物を建設するため、担当として実験施設まで建てられたこの限界集落に飛ばされた。とはいえ、僕に与えられた実際の役割は、本部への形ばかりの状況報告だけだ。本当に自分が任されるべき仕事なのかと、疑問ばかりが募っていく毎日。特段仕事ができるわけでもない僕が、なぜこんな社外秘のプロジェクトを任されたのか。
今の時代、仮想現実を使えば遠隔での会話などいくらでも簡単にできる。それを考えると、答えは自ずと分かった。
厄介払いだ。
テレビのニュースが食糧難と物価高騰の二色に染まってから、もう十年になる。
「これ」以外のまともな食べ物を口にした記憶は、片手で数えられるかどうかだ。少なくともそんな贅沢ができるのは、長者番付に名を連ねるような一握りの奴らしかいないのだろう。
僕はふてくされながら、最後の一かけを水と共に胃の底へ流し込んだ。
「これ」を嬉しそうに食う連中は、別の生き物かと思えるくらい理解できない。数の少なさゆえに取り合いになっているという話が、僕には全く共感できなかった。
だが不思議なことに、ここまで不味いのに、食べ終わるとどこかホッとするのだ。
安心感、というべきか。得体の知れない、奇妙な心の安らぎ。
……その強制的な感覚も含めて、僕は「これ」がどうしても嫌いだった。
気分転換に外へ出る。
日用品すら容易に手に入らないような寂れた田舎だが、夜空に広がる星だけは一際美しかった。
そのままぼーっと何も考えない時間を過ごし、日付が一つ進んだ、その時だった。
視界の端に、二つの人影が映った。
少し近づいてみると、背の高い怪しげな男と、その胸の下ほどまでしか身長のない少女が、遠目に見えた。ここに来てから初めて見る二人組だった。なぜか、彼らと自分が目に見えない糸で繋がれているような奇妙な感覚に囚われ、気がつくと距離を詰めていた。
ぼやけていた人影が、月光の下で確かな像を結ぶ。
そこに現れたのは、頭上の星々すら霞むほどに美しい少女だった。たまに見せる横顔からは、一切の流れを拒絶する深海のような、静謐な瞳が覗いている。
だが、それら以上に僕の目を引いたのは、彼女の身体に刻まれた無数の傷と、痛々しく巻かれた包帯だった。
隣にいる男に虐待でもされているのかもしれない。そう考えると、余計に後を追う足を止めることができなくなった。
二人を視界から外さないよう、影に潜んで後を追う。いつの間にか二人の歩みが止まっていた。気づけば、実験施設とされている立ち入り禁止の山のふもとまで来ていた。
二人は当然のことのように、目の前のフェンスを開けた。
てっきり鍵がしてあるものとばかり思っていたが、鍵を開けた様子は見当たらない。これ以上の追跡は危険だと、理性では理解していた。だが、それ以上に本能を言い訳にしたいほど、僕はあの二人に惹きつけられていた。
自分もあとに続き、山の外周を這うように回っていると、突然二人の姿が消えた。
辺りを見渡すと、生い茂る木々に隠れるようにして、不自然な扉が据え付けられている。こんな険しい山の中にあるというのに、やけに綺麗な扉だ。
一か八か、ドアノブに手をかける。閉め忘れたのか、またしても鍵はかかっていなかった。
怖いはずなのに、引き返す気は微塵も起きない。僕は躊躇わずに扉を開け、その奥へと足を踏み入れた。
◇
村が深い眠りについた時間だというのに、そこは目を刺すほどの光で満ちていた。
開けた視界に広がっていたのは、まさにイメージ通りの、無機質で冷徹な研究所のようなスペースだった。奥にあるもう一つの重厚な扉に異様な気配を感じたが、まずは少女の安否を確認することが先決だと考えた。
ふと辺りを見渡すと、作業着の職員と話し終えた、先ほどの男の姿が目に留まった。
話しかけようと身構えるより早く、男のほうがこちらを向いた。
「よお、見ない顔だね。ここに新人は必要なのか? あ、もしかして初めましてじゃないってか? 嫌だねえ、もう歳なんだなあ。アラフォーになると会った人も記憶から飛んじまうんだぜ?」
男はニタついた顔でケタケタと笑いながら、僕の肩を気安く叩いてきた。
部外者であることを必死に隠すため、眠気の混じってきた頭を全力で回転させる。
「えっと……仕事用のパソコンや、ネット環境の一新をするそうで。今日はその事前確認に参りました」
「おぉ、そうかそうか。まったく、アンタも大概ついてないな」
男の言葉に、なんとか話を合わせる。
「そんなことはありませんよ。空気も綺麗ですしね」
僕がそう返すと、男はピタリと笑いを止め、眉を寄せてなんとも不思議そうな顔をした。
「嘘だろ?? 詳しい説明は後で、ってやつか? 社畜ってのはホント嫌になるねえ、お互い」
一瞬、彼の反応に奇妙な違和感を覚えたが、男は気にせず会話を続けた。
「まあいいや。俺、管理者の忌部ね。珍しい名字でしょ? まあイミベさんとでも呼んでよ。ここの事は俺に聞いてくれりゃ大体わかるよ。なんせ歴が長いからな」
「僕は伊勢です。伊勢虎徹って言います」
「かっちょいい名前だねえ。父ちゃんセンスあるじゃねえか。それとも母ちゃんか?」
「それが……母親の顔は、一度も見たことがないんですよ。僕を生んですぐに亡くなったらくしくて。父親も五年ほど前に行方不明になって、それ以来です。名前の由来とかも、聞いたことはありませんでした」
そう話した途端、男の顔から完全に笑みが消えた。
「おお……そいつは悪かったよ。ごめんな」
「いえ、いいんです。今は仕事一筋ですから。それより……管理者、ですか? 彼女の?」
「ああ。管理者なんて高名がついちゃいるが、要するにマネージャーみたいなもんよ。結構長い付き合いだからね。ごく稀に、ただの我が儘を聞いたりもするよ。挨拶、してくかい?」
「僕もまだここの事に詳しくないので、少しお話をしておきたいです」
「付き添ってやりたいのは山々だが、今日の仕事を上にお上に連絡しなきゃならないからね。あそこの奥の扉を開ければいるから。普通にノックして入っていいよ」
薄々わかってはいたが、やはり彼女はあの不気味な扉の向こうにいるようだ。
男にお礼を言い、僕は扉の前へと向かった。近づくにつれ、得体の知れない寒気が背筋を這い上がってくる。彼女はここで、一体何をされているのだろう。
いよいよ踏み入れてはいけない領域に足が触れた気がして、呼吸のリズムが乱れる。額の汗を拭い、ベニヤとトタンで乱雑に補修された扉をノックして、ドアノブを捻った。
◇
拍子抜けした。
ベッドに厳重に縛り付けられてでもいるのかと身構えていたが、そこは実験スペースというよりは、ごく普通の少女の私室だった。簡素ではあるが、特段おかしなところは見当たらない。
ベッドに腰掛けた少女が、開いていた本から目を逸らさないまま、声をかけてきた。
「どちら様? ここの職員には見えないけれど」
見た目の幼さにそぐわない、冷徹で落ち着いた話し方。思わず背筋が勝手に伸びてしまうような、気品のある声だった。
「システム交換の確認に来ました。この部屋には、インターネット環境などはありますか?」
疑われないよう、淀みのない声ではっきりと嘘を紡ぐ。
「嘘はよしてよ。別に、あなたを職員に差し出そうなんて気はないし」
彼女が初めてこちらに向けた視線に、身体が硬直するような錯覚を覚えた。
「えぇと……はい。実は、この近辺での仕事のために左遷されて……」
何を言われるのかと身を縮め、逃げ出したくなったが、少女は小さく頷くだけだった。そして、僕の想像もしなかった言葉を口にする。
「あなた、綺麗な目をしているのね。それに、雰囲気が面白いわ」
ここに来てから、よく分からないことばかり言われる。雰囲気が面白い、とはどういう意味だろう。
「亡くなった母親が、日本人じゃなかったそうで。いわゆるハーフってやつだからですかね」
「そう。面白いわね」
僕は気になっていたことを切り出すため、一つ呼吸を置いた。
「あの、その身体の傷は……」
「少なくともここに入れる時点で、知っているのでしょう? 同情とか、くだらないのはやめて」
……勝手に忍び込んだとは、とても言えなかった。
「すみません。ところで、お名前はなんと?」
「うーん。忌部にはシペって呼ばれてるけど。好きに呼んで。あと、そんなにかしこまらなくていいわよ」
忌部に対して呼び捨てだ。彼女のほうが立場が上なのだろうか。
「敬語を使わなくていい、ってことですか?」
「敬語を使うほどの大したものではないわ。まだ幼いし」
とても子供のものとは思えない話し方だが、彼女はそう自称した。
「じゃあ、シペは何をしに外へ出ていたの?」
「ただの散歩よ。この辺りは夜になると、店の一つもやっていないから」
「うん。僕、前からこの実験施設については気になってたんだよね」
「ああ、そう言われてみれば、ここって『実験施設』ってことになっていたわね」
忌部さんのときもそうだったが、なんだか会話の前提がズレている。お互いの認識が噛み合わない。
「シペはずっと一人で本を読んでいるの? 家族は?」
ここまで問い詰めてしまっていいものかとも思ったが、疑問が解決するたびに、新しい疑問が泉のように湧き上がってくるのだ。
「そうねえ……家族……。他の地方にも同じようなのがいるって、忌部から聞いたことはあるけれど。家族とは言えないかもしれないわね」
「なんで、片目はそっと閉じたままなの? 本、読みづらくない?」
僕がそう尋ねた瞬間だった。
「片目? ああ、瞑ってる右目のことね」
シペは淡々と言った。
「今、ないわよ? 見る?」
その一言で、雑談によって緩んでいた緊張の糸が、一気に張り詰めた。
「なんで、なんでそんな、平気な顔をしてるの……?」
震える喉から、辛うじて言葉を押し出す。無意識に浅くなっていた呼吸を、なんとか元に戻そうと必死だった。
「もう慣れているに決まっているでしょう。薬みたいなものに使うらしいけれど。詳しくは知らないわ」
――薬。
彼女は職員たちにとって、モルモットの類なのだろうか。そもそも薬の実験なんて、人間以外の動物で先に試すものではないのか。僕が混乱を整理できずにいると、彼女はさらに続けた。
「あと、今だと……耳、かしら? なくても聞こえるし、別に困らないわ」
そう言って、彼女はさらりと髪をのけた。そこには、どう見てもその凄惨な傷には見合わない、小さな絆創膏のようなものが貼られているだけだった。
「なんで……どういうことだよ……!?」
もう、まともな言葉が出てこなかった。
「まさかあなた……本当に何も知らないわけ!?」
初めて、彼女の無表情が崩れ、驚愕の色が浮かんだ。
「実は、外の扉が開けっぱなしになっていて……」
僕が事実を白状すると、シペはパタンと本を閉じた。
「今すぐここから出て。理由は聞かないこと。絶対に、ここにはもう来ないで。……少しだけど、話せて楽しかったわ」
そう言うと、シペは自らドアを開けた。聞き返すなと言われた以上、僕は「ありがとう」とだけ告げて、早歩きで外へと向かった。
施設を出ると、ちょうど朝日が昇り、辺りは明るくなり始めていた。
しかし、胸の奥にべっとりと残った違和感のせいで、僕の気分が晴れ渡ることは決してなかった。
◇
シペと別れてから、二日が経った。
仕事は完全に上の空で、何一つ手につかない。日を増すごとに、あの無機質な施設のことが頭から離れなくなる。窓一つない部屋に一人で囚われているシペの姿が、痛々しくて仕方がなかった。戻ってきてはいけないと言われた手前、心配はより一層募っていく。
いつの間にか、夜になっていた。
眼鏡をかけているはずなのに、パソコンの画面がひどくぼやけて見える。スマートフォンの通知が鳴り、僕は上司からのメールを開いた。
『おい、伊勢。リンクが間違ってるぞ。しっかりしてくれ。国から任されてる極秘の仕事なんだからな』
上司の返信メールの一文に、不意に強烈な違和感が引っかかった。
そうだ。この仕事の依頼主は「国」だ。あまりの疲労のせいで、これまで深く考えずに流してしまっていた。
なぜ、国の仕事なのにこれほど徹底して極秘扱いなんだ?
どう考えてもおかしい。仮に映画に出てくるような秘密組織の基地にするにしても、こんな人里離れた限界集落に、わざわざ使いづらい建物を建設するはずがない。
それに、この場所でなければならない理由が、確実にあるはずだ。
シペの姿を見た後なら、そうとしか考えられない。すべては確実に、繋がっている――。
僕はさっさと手元の仕事を片付け、家には帰らず、あの山へと直行した。
鍵の付いていないフェンスを強引に開け、扉の前で職員が出てくるのを待つことにした。三十分ほど待っただろうか。一向に人の出入りする気配はない。
前のような閉め忘れが、もしかしたらまたあるかもしれない。
そう考えて、恐る恐る、ゆっくりとドアノブを捻る。
――またしても、鍵はかかっていなかった。
怪しまれないよう、あえて堂々と中に足を踏み入れると、広いスペースの端に、ぽつんと忌部さんだけが立っていた。
「おっ! 青年! ええっと……虎徹くん! 二日も来なかったから寂しかったぜー? シペと話したんだろ? あいつ、喜んでたぜ。珍しいこともあるもんだなあ」
能天気という言葉は、きっとこの男のためにあるのだろう。
「今日は、使用しているPCの型番を確認するために来ました」
「とは言ってもなあ。正直、交換が必要なほど困ってないんだよな。めんどくさいなあ。俺はこれに慣れてんだけどなあ」
僕はパソコンの側面を確認する素振りを見せた。胸ポケットから取り出したメモ帳に、適当な型名を記録していく。
「ありがとうございます。他の機械も見ていいですか?」
続けて、室内に並べられている用途不明の機械群を、ひたすらメモするふりをした。
「今日の仕事は、これで終わりです」
タバコに火をつけた忌部さんに声をかける。
「ああ、あんがと。吸う?」
「いえ、僕は大丈夫です」
「そうか。……一昨日だっけ? あいつと何話してたんだ?」
「大した話じゃないですよ。自分の事を少し話して、普段何をしてるのか聞いたくらいです」
「それだけかい。えらい気に入られたんだなあ。あいつ、職員とはあんまり話すタイプじゃないのに。俺くらいじゃないか? まともに会話するの」
「管理者……でしたっけ。それを始めて、どれくらいになるんですか?」
「そうだなあ。俺の前任だった奴が下手こいて失踪させたとき、俺が十三くらいの時だから……二十五、六年ってところか」
「え? 忌部さん、今おいくつですか?」
「俺、三十八だよ? なんで急に?」
「十三歳からずっと、ここの管理者をやってるんですか……?」
「うん。そうだけど?」
「シペって、忌部さんが任命されてから、何人目の子なんですか?」
僕のその問いに、忌部さんはピタリと動きを止めた。
「何人目? あー、そういうことね。……うんうん、今ので確信したわ」
忌部さんの口角が、吊り上がったまま固定される。同時に、その奥にある瞳が、刃物のような鋭い視線を僕に突き刺してきた。跳ね上がった心臓が、まるで自分のものではないように激しくドクドクと暴れ出す。
「お前なあ。施設のことよく知らねえってのは、まあいい。連中なら、一番重要なところを省いて現場に放り込むかもしれねえからな。だがな……ここに来る人間が、シペについて『何人目』なんて疑問を持つわけがねえだろ。一昨日から違和感があったが、今ので完全に確信した。お前、部外者だな」
先ほどまでの軽薄さが綺麗に消え失せていた。
「どうやって入り込んだ? 入るときのカードキーは? 盗んだか? まさか政府の人間、どいつか埋めてきたか?」
本能的な恐怖に突き動かされ、僕は反射的に振り返り、出口の扉へと駆け出した。しかし、先ほどまで開いていたはずの扉は、びくとも動かない。
「あー、よせよせ。言っただろ? そんなボロいナリしちゃいるが、一応ここらは全部電子ロックなんだよ。とりあえず……経緯を聞こうか、青年」
◇
僕は観念し、包み隠さずにこれまでの経緯をすべて話した。最悪の場合、この場で消されることも覚悟した。
だが、返ってきたのは予想に反する、男の大爆笑だった。
「はははっ! なんじゃそりゃ! なんつう根性と度胸だ! おもしれえな、あんた!」
彼にも、シペと同じように「面白い」と言われた。どうやらこの場所において、僕はどうも面白い存在らしい。
「あー、俺、あんたのこと気に入ったわ。シペが言ってたこと、ようやく分かった。……ただ困ったなあ。存在そのものについては、普通は教えちゃならんわけだが。……よし! 今から俺は『独り言』を言う。会話はその後にしよう。一度しか言わないから、よく聞けよ、虎徹くん」
なぜこの状況で独り言を、と引き気味になったが、僕は黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「シペは神様だ。壁画に残るような、一番古いと言っても過言じゃないレベルのな」
耳を疑ったが、忌部さんはお構いなしに続ける。
「神話なんてのは、大昔の連中が事実をそのまま書き残した歴史書でもある。ただ、箱に金を投げ入れて、鈴を鳴らして、手を合わせれば願いを叶えてくれる――なんて、そんな都合のいい存在じゃねえがな。
『生贄』なんて言葉があるが、あれは実際に神たちの食事だ。神が進んでその身を捧げる覚悟がある人間を食べれば、それこそ天地を覆すほどの厄災があったとしても、世界規模で『無かったこと』にできる。そうやって今まで人類は繁栄してきた。」
頭の処理が追いつかない。だが、彼は視線すら合わせず、淡々とタバコの灰を落とした。
「だが十年ほど前から、いよいよ人類は落ちきった。植物も、肉も、育てるための支援ができるほどの余裕が、この国にはほぼなくなった。人はどんどん減っていく。そうなれば、信仰を失った神たちもいずれ死ぬことになる。だが、それを覆すほどの生贄なんて差し出すことができるわけもない。
そこで神は考えた。せめて人類を餓死で一気に滅亡させないようにしなくては、とね。そうして、逆に神たちは『体の一部』を人間に差し出すようになった。人間が神の血を一滴でも飲もうものなら、一年は何も食べなくても平気なほどのエネルギーと、脳が焼けつくような極上の幸福感を人に与えることができる」
最悪の予想が脳裏をよぎり、僕は全身の血が引いていくのを感じた。
「特に、国から配られている『あれ』は……神の体を原料に作られている。何万分の一、何百万分の一に薄めてはいるがな」
お腹が空いているはずなのに、胃袋がひっくり返るような猛烈な吐き気が押し寄せてきた。
「治癒力を与えることもできる。たとえ失明していても、神の目を取り込めば、常人より遥かによく目が見えるようになるらしい。まあ、それも薬として限界まで薄められてるらしいがな。……ふう。はい、独り言終わり。そんで? 何が聞きたいんだったっけ?」
忌部さんは何事もなかったかのように、軽い口調に戻った。僕はなんとか正気を保ちながら、声を絞り出す。
「神様が……死ぬことはあるんですか?」
「怪我なんかはとんでもない速度で治る。一応、寿命に近いものはあるらしいが、数年後には全く同じ存在がまたどこかで生まれる。いわゆる転生みたいなもんだな。だから数が減ったりはしない」
「シペが自分のことを『幼い』と言っていたのは、生まれ変わって間もないという意味ですか?」
「ああ。前のシペは、ある時急に行方不明になった。そこから数年後、幼い今の状態でここに自ら訪ねてきたんだ。あいつらは自分の使命を理解しているからな、基本的にはここからいなくなるなんて事はない。拘束もされてねえのはそういう理由だ。連絡がつかなくなるなんてのは異常事態だった。死期でも悟ってたのかねえ。まあ、そのせいでこっちは大騒ぎだったがな」
さっきまでの険悪な空気など嘘のように、彼は笑いながら話す。
「カードキーを持ってねえって事は、あいつに開けてもらって入ったんだろ?」
「いえ……前回も、今回も。扉はただ開いていました」
「マジかよ。ロックがボロくなったか? てっきりシペが気を利かせて開けたもんだと思ったぜ。こりゃメンテナンスが必要だな」
「シペは今、外出中なんですか?」
「ああ、そうか。シペに会いにきたんだよな。今は居ねえよ。何してんだろうな。どうせいつもの散歩か、本でも買いに行ってんだろ。上の連中は、やり返されるのを怖がって見張りもつけやしねえ。シペはまだ若い上に、一度も人間を『摂った』事がないからな。尚更見張らなくても平気って思ってんだろ。直接関わらない癖に、理不尽だと思わないか? ……まあ、それはさておき。シペに会うならまた明日のほうがいい。扉の前でウロウロしとけ。俺が開けてやるからよ」
「ありがとうございます、イミベさん」
「また明日な。じゃあな」
真相を知ることはできた。しかしその代償として、あの政府の配給食が、二度と喉を通らないほどに恐ろしくなってしまった。
あれを食べて、幸福感など一度も感じたことがない。自分の配給はシペのものではないと信じたい――心の底からそう願った。
明日は、シペにコーヒーでも持って行ってあげよう。そう決意した。
◇
また、日付が変わった。
仕事のことも、自分の生活のことも、さらにどうでも良くなっていた。昨日の話のせいで、丸一日配給は口にしていない。流石に空腹が限界だった。
夜も更けた頃、約束通り扉の前で忌部さんと合流し、施設の中へと入れてもらう。
「ほんじゃまあ。俺はちょっとだけ用事あっから。少ししたらまた戻ってくる。待っといて」
「ありがとうございます。またお世話になってしまいました」
「礼なんかいらんさ。じゃあまたな〜」
忌部さんが去り、僕はシペの部屋のドアを静かにノックした。中へと足を踏み入れると、予想通りの鋭い拒絶が飛んできた。
「!! なんでまた来たの!来るなと言ったでしょう!」
「シペが心配だったんだよ。それに……なんとなく、君と話したくなってね」
「なにそれ。……何か聞きたいことでも? そういえば、あなた名前は?」
「伊勢虎徹。実は、シペのことは昨日、忌部さんから聞いたんだ」
「あのバカ。口の軽さなら右に出る者無しね」
シペは呆れたように息を吐いた。
「まあいいわ。ちょうど私も気になってることがあったの。座って」
シペが机の椅子に座ったまま、ベッドを指差した。そこに腰掛けると、彼女は椅子ごとこちらに身体を向けた。
「シペ、コーヒーは好き? これ、あげるよ」
僕は持ってきた紙コップを差し出した。
「あら、ありがとう。手を離していいわよ」
「え?」
「だから、そのコップを持っている手を離しなさいって」
言われるがままに、コーヒーから手を離した。
するとコップは重力を無視し、空間をふわふわと滑るように浮遊して、シペの手元へと吸い込まれていった。
「なにそれ……!? 神様の力、みたいなやつか!?」
「ええ、まあ、そうだけど。この程度、歩くのと同じくらい簡単なことよ」
シペは事もなげにコーヒーを啜る。
「すごい! 他には何ができるの!?」
「こんなの、誰にも褒められたことないわよ……。他は、疲れるからやりたくない。機会があれば、いつかね。……それで? 聞きたいことって?」
「シペって、何歳なの?」
「今って西暦いくつだっけ?……多分二十四歳くらいね」
「僕の一個下なんだ」
「……ならあなた、だいぶ幼く見えるのね。背は高いけれど、もっとずっと若いと思っていたわ」
「シペに言われたくないけどね」
「前回とは打って変わって、冗談まで言うようになったのね。身体の年齢を引き上げる事だってできるでしょうけれど……そんなことに体力を使うくらいなら、今のままでいいわ。見た目が変わるだけだし」
「いつからここにいるの?」
「さあね。生まれて一年くらいでここに来たんじゃないかしら。前の私もここにいたって聞いて。記憶は引き継がれないから、ここを探すのが面倒でね」
「生まれてからずっと、人間のために働いてるようなものでしょ? 疲れないの?」
「人間が減ってしまう方が何倍も困るわ。それに、ここにいれば食べるのには困らないし」
「え……シペって、食事が必要なの……?」
「なくても死にはしないけれど、一応、食欲らしきものはあるわよ」
「何を、食べてるの……?」
昨日の忌部さんの話を思い出し、声が震える。
「変な想像しなくても平気よ。何千年も前の私は生贄として人間を食べていたらしいけれど、今の人類にそんな余裕はないわ。あなたたちが食べているみたいな合成食を食べているのよ。人間の組成に限りなく近いもの。まあ、そっちの配給と違って、こっちはそこまで美味しいモノではないけれどね。おいしさだけなら人の作った料理のほうが何倍もいい。」
「あれを、美味しいと思ったことなんて一度もないけどね……」
僕がそう呟いた瞬間、何かに気づいたようにシペの動きが完全に止まった。
それと同時に、背後のドアが勢いよく開いた。忌部さんが帰ってきたのだろう。
「ちょっと忌部! 閉めてよドア! すぐ忘れるんだから!」
「よおー。施設の入り口の扉、全然壊れてなかったじゃねえか。昨日、虎徹くんが来た時、お前が鍵を開けたんだろ、シペ?」
「え? 開けてないわよ。昨日来ていたことも、今初めて知ったわ」
シペは忌部さんの言葉を遮るように、真剣な眼差しを僕に向けた。
「そんなことより、聞いて、忌部。彼、あの配給食を『美味しくない』って言ったのよ」
「嘘だろ……? あれを嫌う人間なんて、俺は見たことねえぞ……?」
「おかしいでしょう。それに、その目。ただの『ハーフ』で片付けられるものじゃないわ。そして……私の見立てではね」
言いかけると同時、シペは机の上にあった果物ナイフを掴み、僕めがけて思い切り投げつけてきた。
風を切る音と共に額に刃先が近づく。
間一髪のところでその刀身をガッチリと掴んで止めた。手のひらに鋭い痛みが走る。
「痛った……! 何するの、シペ!! 僕を殺す気!?」
見ると、忌部さんが目を見開いたまま、石のように固まっていた。
「お前……なんでその速さのナイフを止められるんだよ……? 俺の目には全く見えなかったぞ……」
「普通に見えましたけど……」
シペが椅子から立ち上がり、静かに僕へと近づいてくる。
「手を見せて」
恐る恐る、右手のひらを開いた。それを見た忌部さんが、今度は口を大きく開けて硬直した。
「なんでもう……血が止まってやがるんだ……!?」
「いや、こんなの、少し切っただけならすぐに――」
「そんな訳ないだろう!」
忌部さんが叫び声を上げる。
「手のひらだぞ!? あの速さのナイフなんて止めたら。普通ならざっくり切れて、縫わなきゃいけないレベルの傷だ!」
シペは薄く笑みを浮かべていたが、その額には大量の冷や汗がにじんでいた。
「忌部、この血、舐めてみて」
「はあ!? 何言ってるんだよシペ、流石にそれは――」
言いかけた忌部さんだったが、シペの尋常ならざる気迫に押され、僕の手のひらから滴り落ちる血を指で掬い、恐る恐る舌に乗せた。
「……気持ち悪くないんですか?」
僕の問いに、二人は答えない。
忌部さんは突然、酷く酩酊したかのように足取りをふらつかせた。
「これ……シペの血だ。間違いない。随分前に、一度だけ一滴飲ませてもらったあいつの血と、全く同じだ……。思いっきりバットで頭を殴られた直後に、直接脳みそを優しく撫で回されているような……」
「これで、はっきりしたわね」
シペの言葉に、忌部さんも蒼白な顔で頷く。
「ああ。ドアが壊れてたから入れたわけじゃない。虎徹くんは、シペの――」
「忌部! 伏せて!!」
シペが叫び声を上げるのと、耳を突き刺すような乾いた破裂音が響いたのは、完全に同時だった。
忌部さんの胸元に、鮮烈な赤がじわりと滲む。
彼は声をあげることもできず、その場に崩れ落ちた。
◇
「忌部!!」
シペの悲鳴が響く。僕はあまりの恐怖に、声すら出せなかった。
「そこまでだよ、忌部君。あとは私たちが説明してあげるから、少し大人しくしててね」
静寂を引き裂いて部屋に入ってきたのは、漆黒のスーツを纏った三人の男たちだった。
「やあ。君が虎徹くんだね。私たちは政府の者だ。大人しくご同行いただこうか」
「誰なんですかお前たちは……! なぜ、僕の名前を!」
「答える義理があるとでも? とりあえず、君にも少し大人しくなってもらおう」
一人の男が銃口を僕に向ける。
直後、僕の左腕に鋭く鈍い衝撃が走った。弾丸など、止められるはずもなかった。心臓が脈打つたびに、全身の神経が異常な激痛を訴える。
男の銃口が、次は僕の腹部へと向けられた。
だが、その弾丸が放たれることはなかった。
シペが小さく咳き込んだ、次の瞬間、目の前にいたスーツの男たちの姿が、忽然と姿を消した。
「施設の外へ飛ばした。少しの時間稼ぎにはなるわ。……忌部の処置を急ぐわよ」
シペが素早く忌部さんの元へ駆け寄り、彼の右胸に小さな手を当てた。傷口は塞がっていない。しかし、溢れ出ていた鮮血が、ピタリと止まった。
「虎徹くん……。君が……ここに来られた理由が、ようやく分かったよ……」
忌部さんが、血の混じった息を吐きながら微笑んだ。
「喋らないでください! 肺に穴が空いてるんですよ!?」
「聞け……今じゃなきゃ、ダメなんだ」
軽く咳き込み、忌部さんは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「お前の母親は……きっと、前のシペだ……」
「っ……!?」
脳内で、散らばっていた点と点の違和感が、凄まじい勢いで一本の線へと繋がっていく。
あの配給食を食べたときに感じた、気味の悪い、妙な安心感。シペの姿を見た瞬間に引き寄せられた、あの本能的な感情。そのすべてに、説明がついた。
驚きと恐怖で頭が狂いそうだったが、僕はか細くなっていく忌部さんの声を必死に拾い集めた。
「扉のロックは……閉め忘れなんかじゃない。お前を『神』だとシステムが判断して、自動で開いたんだ。その目も……人間のものじゃない。シペの瞳と、ほぼ同じだ……。人間と神のハーフなんて、歴史上聞いたこともねえがな……。お前が異様に若く見えるのも……きっと、その混血のせいだ。……お前ら、ほぼ同い年なんじゃないか? ……きっと、ここを抜け出した前のシペは、家族であるお前たちが国に巻き込まれるのを恐れて……自ら命を絶ったんだ。生まれ変われば、追っ手を撒けるからな……」
「ダメです、もう喋らないでください!!」
真相など、これ以上聞きたくなかったのかもしれない。忌部さんはゆっくりとシペの方を向いた。
「シペ……『食べ物』を、出してやれ……」
シペは忌部さんの胸に手を当てたまま、何も言わず、空いた片手でストローのついたレトルトパウチのような容器を僕に差し出してきた。
極限の空腹と疲労の中にいた僕は、迷わずにそのストローを口に含み、中身を強く絞り出した。
流れ込んできた液体を、一気に飲み込む。
その瞬間、あまりの感動に目から一粒の涙がこぼれ落ちた。これほどの美味が、この世に存在するのだろうか。脳が歓喜で震え、全身を圧倒的な幸福感が支配していく。
しかし、それ以上に驚くべき変化が起きた。
「腕が……!」
弾丸に貫かれたはずの左腕が、完治とまではいかずとも、動かすのに全く支障がないレベルまで急速に再生していた。
「やっぱりな……。虎徹くん、お前は……まだ名もなき、新しい神だ。今ので、追手を振り切るくらいの力は手に入ったはずだ。……逃げろ、虎徹くん」
「できるわけないでしょう! 二人を置いていくなんて、そんなこと――」
「前任の管理者だった……俺の親父はな」
忌部さんは僕の言葉を遮り、自嘲気味に笑った。
「前のシペを逃がした時、その二ヶ月後に行方が分からなくなったんだ。……虎徹くんの父親と同じだな。あはは……ほんっと、ふざけた国だぜ……」
「……っ!! じゃあ、僕の父親は、あいつらに……!?」
体中の熱が急激に奪われていく感覚。忘れていたはずの恐怖が、再び蘇った。
「はは……どうだかな。でも、君まで行方不明になる必要ないだろ……? 遠くに逃げれば、時間稼ぎくらいはできるはずだ……」
「そんな話を聞いて、一人で逃げられるわけがないでしょう! シペはともかく、忌部さんはどうなるんですか!」
「もともと、国にずっと監視されてきたつまんねえ人生だ……。今更、命の一つくらい失うのなんて怖かねえよ……」
忌部さんは笑っていたが、その表情は苦痛に引き攣っているようにも見えた。
「傷はだいぶマシになったが……そろそろ、体力の限界みたいだ。……虎徹くん、お前はそう簡単に死にゃあしないだろうからな。……あばよ。来世で、また会おうぜ」
忌部さんは静かに目を閉じ、意識を失った。あれだけの重傷でこれだけ喋ったのだ、当然だった。シペが彼の胸からそっと手を離す。
コツコツと、不快な革靴の音が近づいてきた。息を切らしたスーツの男たちが、再び部屋へと戻ってきたのだ。
「このガキ……! 何をしやがる!」
「説明が足りなすぎるわ」
シペが冷徹な声で言い放つ。
「あなたたちが突然銃撃してきたのだから、当然の防衛でしょう」
「そいつを回収しにきただけだ。人間と神の混血なんてのは、政府にとっても初めてのケースだからな。お前が生まれてから今まで、ずっと監視させてもらっていたんだよ。……ベラベラと余計な事を喋ったお喋りな管理者さまには、ついでに消えてもらっただけだ」
男の言葉に、僕の胸の中で恐怖を怒りが追い越した。
「僕の父親を殺したのは、お前たちなのか……!? いつから僕をつけていたんだ!!」
「最初からだよ」
リーダー格の男が冷酷に言い放つ。
「父親には、君を実験に耐えうる年齢まで健康に育ててもらう必要があったからな。君が立派に成長した今、もう父親は用済みだということだ」
激昂のあまり、視界が極端に狭まる。身体中の全細胞が湧き上がっている気さえした。
「連れ帰って……僕をどうするつもりだ……!!」
「実験だよ。こちらとしては君の身体が、どれほど実用に足るのかを調べなくてはならないんでね」
「それでも……! 忌部さんは殺されるようなことなんて、何もしていない!」
「勘違いしないでくれたまえ」
男は一歩前に出た。
「我々は快楽殺人をしたいわけではない。この国が再び栄えるためには、国民が『何も知らないままでいること』が不可欠なのだよ。神の存在。ましてや、自分たちが毎日食べているものが『神の血肉』だと知れ渡れば――国中で反乱や戦争、大混乱が起き、それこそ数え切れない人間が死ぬことになる」
「まさか……! 僕を仕事でこの集落に赴任させたのって……!」
「頭が切れるな、流石は神の子だ。君が作らされていたあの施設は、君自身の実験のために設計されたものだよ。そちらから大人しく来てくれれば手間が省けるからな。さあ。おしゃべりもほどほどにして、来てもらおうか。抵抗するならば力ずくだ。そっちの神様には、もう力などほとんど残っていないだろうからな」
男は再び、僕の眉間に銃口を突きつけた。
その瞬間、シペが男たちに向けて右手を力強く伸ばした。
一瞬、部屋全体が眩い光に包まれたかと思うと、スーツの男たちの身体が猛烈な勢いで吹き飛んだ。彼らは壁に叩きつけられ、目に見えない巨大な質量で押さえつけられたように、指一本動かせなくなっていた。
「がはっ……! この、化け物が……!!」
男たちにかかる圧力は、秒ごとに重さを増しているようだった。
「シペ……!」
僕が振り返ると、シペは瞳を真っ赤にして、口元からは大量の鮮血が溢れ出ていた。
「虎徹くん……逃げて。本当に、これでお別れね。……ありがとう。短い間だったけれど、あなたに会えて、本当によかったわ」
「ダメだシペ! 置いていけるわけがない! このままじゃ君も、忌部さんも――」
「押さえていられる時間も……もう長くないわ。これ以上時間を無駄にしたら、逃げる道がなくなる……」
すべてを投げ出す覚悟で、僕は脳を限界まで回転させた。頭が焼けつくように熱い。
「なんでぼーっとしてるのよ!! 虎徹くん! もう時間が――」
僕は自分の右腕を、シペの顔の前に差し出した。
「何のつもり……!? 何がしたいのよ!!」
僕の心は、奇妙なほどに凪いでいた。
「シペのためなら。簡単に治ってしまうこの身体なんて、いくらでもくれてやる」
シペは息を呑み、目を見開いた。それ以上、彼女は何も言わなかった。
「全く……ここまで歯向かうとはな。覚悟はできているんだろうな、お前たち!!」
執念で呪縛を撥ね退けた男たちが銃を拾い、一斉に引き金を引いた。
しかし――放たれた無数の銃弾は、僕たちの目の前の空間で、ピタリと静止した。
「な……なんだ、こりゃあ……!?」
男たちの顔が恐怖に歪む。
ベッドに座り込んでいたシペが、ゆっくりと立ち上がった。
「覚悟はできているんだろうな? ……それはこっちのセリフだ、人間。少し調子に乗りすぎだ。どうやら、自分たちの身の程というものを忘れてしまったようだな。……今ここで、思い出させてやろう」
シペの裂けていた皮膚が、音もなく急速に繋がっていく。
「なんだ……何が起きている……!?」
室内の空気が、物理的な質量を持って男たちを圧迫し始めた。
「なあに、少しばかりの『生贄』を摂っただけさ。お前たちが知る必要もないだろう。それより、私が大切にしている者たちに傷をつけた罪……ここで精算しようか」
シペの姿は、神々しいまでに美しかった。全人類がひれ伏すであろう本物の神の姿。教会に飾られているどんな絵画も、この美しさを何一つ表現できていなかった。
「私の名はシペ・トテック。死と再生を司る神。――神にでもなったつもりでいるお前たちには、少々、痛い目を見てもらう」
パチン、とシペが指を鳴らした。
その刹那、男たちは糸の切れた人形のように、その場へ一斉に崩れ落ちた。
「ち……力が……入らな……。お前、何を、した……」
「ははははっ! お前たち、自分が毎日何を食って、誰の一部を取り込んで生きながらえていると思っているんだ?」
シペの冷酷な嘲笑に、男たちは顔を真っ青に染めていく。
「き……貴様……何を、する気だ……」
「まだ抵抗する気か?たいしたもんだな。もう手のひらの上だぞ?粋がるのはよせ。それどころか、今ならここ一帯の人間全員殺すことだってできる。だが安心してくれ。私は優しいんでな。お前らのように必要もなく殺したりしないさ。だが……少々死ぬよりつらいかもな。」
シペが人差し指を男たちに向け、そのまま地面へと振り下ろした。
男たちは一斉に、バッテリーが切れたかのようにガクリと目を閉じた。
「ふう……。まずは忌部を治さなきゃね」
シペが倒れている忌部さんに向けて手をかざすと、彼の胸の銃創が、目に見える速さで完全に消失した。
「あれ? ちょっとやりすぎちゃったかしら。元より健康体になってる気がするわ。まあ、頑張ってくれたしおまけね。忌部の家のベッドに転送しておきましょう。……虎徹くん、腕は大丈夫? これ、食べなさい」
彼女は先ほどのパウチを再び僕に手渡した。
「僕は平気だけど……。この人たちは? 殺しちゃったの?」
「まさか。ちょっと、リアルな夢を見てもらっているだけよ」
「どんな夢?」
「生きたまま、自分の皮膚を全身剥ぎ取られる夢よ。試しにあなたも見てみる?」
「ひゃー……。遠慮しておくよ……」
「冗談よ。さて、どうする? こいつらはあと三十分は目覚めないわ。どこか……世界の果ての辺境にでも飛ばしちゃう? でも、流石に慣れないことをしすぎたわ。ひどく眠たい。……一週間くらいは、目が覚めないかもしれない」
僕は倒れている男たちを見下ろし、静かに微笑んだ。
忌部さんの顔が浮かんだ。父親の失踪が浮かんだ。シペが一人でここにいた何年もの時間が浮かんだ。
答えは、最初から決まっていた気がする。
「じゃあ最後に、僕とこいつらを施設の外に飛ばしてほしい。ずっと考えていたことがあるんだ。シペは安心して、ゆっくり眠って。一週間後、またここに会いに来るから」
「ふうん……。もう敵意を抱けないでしょうし、好きにしなさい。……それじゃあね」
視界がぐにゃりと歪み、気づけば僕は、夜風の吹き抜ける山の外周へと移動していた。
隣には、冷たい地面に横たわる三人の男たち。
「う……ううん……」
リーダー格の男が、うわ言を漏らしながら目を覚ました。その瞳には、未だに悪夢の恐怖がべっとりと張り付いている。
「ひいっ……!? す、すみません!! 上には、うまく報告します! 殺さないでください、どうか……!!」
怯えきった声で、呂律も回っていない。
「いやいや、殺す気なんてないよ。ただ――」
僕は深く、冷たい夜気を吸い込んだ。覚悟は、とうに決まっていた。
「取引だ」
◇
「ん……。流石に寝すぎたわね。こうして眠っている間に、人間の文明の一つや二つ、滅びかねないわけだし。まあ、普段からこれくらい休めるのが理想なんだけれど」
一週間後。シペは大きく欠伸をしながら、ベッドの上で身を起こした。
「あ! シペ、起きたんだね。もっと時間がかかると思ってたよ」
「あら、いたのね。てっきり自分の家に帰っているものとばかり――って何よ、その身体の傷は!?」
シペが僕の腕を見て、悲鳴のような声を上げた。
「ああ、これ? これはね、あいつらと『取引』をしたんだよ」
「あの後、また抵抗されたわけ!? いよいよ本当に、奴らは全員殺さなきゃダメか!?」
「違う違う!落ち着いてシペ。自分から望んで差し出したんだ」
「意味がわからないわよ! 一体、何を取引したの!」
「言ったでしょう。こんな身体なら、シペのためにいくらでも使うって」
シペは呆然と僕を見つめている。
「シペと、シペに関係している人への追跡や監視を今後一切禁止する代わりに……『二人目の神』として、僕の身体を国に使わせるっていう話をしたんだ」
「え!? あなた頭は大丈夫なの!? 正気だとは思えないわ!!」
シペがベッドから飛び起き、僕の胸ぐらを掴みかねない勢いで詰め寄ってきた。
「人間の感覚で今まで生きてきたあなたが、この先何百年と続くかもしれない神としての生活を送れるわけがないでしょう!!」
「承知の上だよ。もうこれ以上、忌部さんみたいな人を増やしたくなくてね。それに、一人で背負うには大きすぎる話だ。僕がいれば、シペの負担も半分にできる」
「当たり前でしょう、私は神なのよ!?」
「僕もだよ」
「そういうことを言っているんじゃないわ! あなたは人間の社会で、できる限り人として生きるべきよ!」
「人として、か……。でも、最初からあいつらにレールを敷かれて、操作されてきた人生だったわけだしね。元から無かったようなものだよ」
「それでも、国と関わるなんて、もう懲り懲りでしょう……?」
「そんなことないよ。ご飯がもらえるなら案外悪くない。あれを食べていたら、僕にも何か面白い能力が出ると思うんだよね。楽しみだなあ。シペと同じ能力かな?」
「もう……単純すぎるわ、あなた」
「そういえばさ、せっかくなら引っ越ししない? あいつらが言ってたように、僕がここに赴任した理由は、僕専用の実験施設を作るためだったんだ。そこが丸々空いてるから、使わない手はないよ。ここもだいぶ古そうだし、引っ越しすると気分も新しくなる。普通の家を要求してもいいしね。もうあいつらは僕たちを恐れて、何でも言うことを聞くよ。
そうだ、今度遠出してみない? どうせシペは知識として知っているだけで、実際の外の世界にはあまり出たことがないでしょう? 海外旅行なんて行ってもいいね。疲れて片方が寝ちゃっても、もう片方が働けば問題ないし!」
「……興味はあるけれど。それでも、背負わせるには半分でも重いわよ」
「僕はまだ大した力もないけれど、君の話し相手には十分でしょ?」
ガチャ、と小気味よい音を立てて、部屋のドアが開いた。
「よおー! お二方に飯を持ってきてやったぞー。重いし持ちづらいし、これが本当に面倒なんだよなあ。……お! シペ! 目ぇ覚めたんだな! ありがとよ。いやー、流石にあの時は死んだと思ったわ。まさか目覚めたら超元気になって、自分のベッドで寝てるなんて、想像できるはずもねえしな!」
「忌部! あなたもあなたよ! なんでまだここで働いているの!? せっかく国から追われない身になったんだから、こんな危ない仕事は辞めなさいよ!」
シペの真っ当な怒りに、忌部さんはケラケラと笑いながら応じた。
「いやあ、そこの青年と同意見なのさ。そりゃあもう、昔みたいな社畜レベルの働きは御免だが、俺みてえに絶対的なレールのあった奴は、急に自由になっても何をしていいか分からねえしな。奴らも芯からビビって手を出してこねえから、今が一番安心して働けるぜ? なんせ、神様二人がかりで歯向かわれちゃ、それこそ国が一日で潰れちまうからな!」
「もう……バカばっかりだわ、本当に」
シペは呆れ果てたように両手で顔を覆った。
「はは! 今更なんか言ってやがるぞ、虎徹くん! 俺たちはシペの、忠実な使徒だからな! なあ!?」
「そうだね」
僕はシペを見て、悪戯っぽく微笑んだ。
「――お母さん」
「やめてよそれ!!!!」
シペの怒声が室内に響き渡る。
「私だけど私じゃないし!! なんかもの凄く嫌!! 次にお母さんなんて呼んだら、絶対に許さないからね!!」
シペは顔を真っ赤にして怒っていたが、その緩んだ口元を、どうしても隠しきれていなかった。
――「かみさまのこども」 完
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。レタルゴという者です。今回初めて書いてみました。まだ分かりやすさが足りませんね。地の文が下手なんですね。もっと読みやすい文章を書けるようになりたいです。




