第9話 数字は、いつから嘘をつくのか
9話です
報告書は、整いすぎていた。
第三坑道・崩落事故。
作業員六名。
生存四名。
死亡二名。
生存率、六六・六%。
紙の上では、
改善と書いて差し支えない数字だった。
「……悪くないな」
監督官が、書類をめくりながら言った。
「教育前なら、
全滅していた可能性もある」
その言葉に、
誰も反論しなかった。
反論できる材料が、
数字の中には存在しない。
(……そうだ)
事実として、
四人は生きている。
「……事故件数も、
先月比で減少している」
別の役人が、続けた。
「軽傷は増えたが、
重傷と死亡は減少傾向」
(……当然だ)
軽傷が増えるのは、
無理をさせている証拠だ。
だが、
それは数字に反映されない。
「……教育官」
名前では呼ばれない。
役職として、
呼ばれるようになった。
「君の方法は、
“効果がある”と判断された」
その言葉で、
胸の奥が、静かに冷えた。
「……方法、
ではありません」
言葉を選ぶ。
「条件が、
たまたま噛み合っただけです」
「だとしても」
監督官は、淡々と返す。
「噛み合う条件を、
作れるのは、
方法と呼ぶ」
(……始まった)
ここから先は、
事故ではなく、
運用だ。
⸻
次の日から、
数字が増え始めた。
教育実施回数。
指示遵守率。
事故後の生存時間。
それらが、
板に書かれ、
比較される。
「第三坑道班、
遵守率九割二分」
「第五坑道、
八割一分」
「……遅れているな」
「再教育を」
数字が、
人を並べ替えていく。
「……遵守率が低い班は、
危険度が高い」
誰かが言った。
「……なら、
熟練者を回せば……」
「いや」
別の声が、遮る。
「成果の出る班に、
回した方が効率がいい」
(……待て)
言葉が、
喉まで出かかった。
だが、
止める根拠がない。
数字上は、
正しい。
「……教育官?」
視線が集まる。
「……どう思う」
(……どう思う、だ)
意見を求められている。
だが、
意見はもう、
数字に負けている。
「……遵守率が高い班は、
判断が早い」
そう言った。
「……事故時の対応も、
速い」
それは、事実だ。
「なら」
監督官が、即座に言う。
「重要坑道は、
その班に任せよう」
(……来た)
「……それは」
言いかけて、
止まる。
「……死亡率が、
下がります」
代わりに、
別の役人が言った。
(……嘘だ)
正確には――
平均が下がるだけだ。
「……決定だ」
その一言で、
会議は終わった。
⸻
数日後。
第五坑道で、
事故が起きた。
教育遵守率、
低。
配置転換も、
後回し。
結果。
死亡三名。
生存一名。
生存率、二五%。
「……見ろ」
誰かが、
板を指差す。
「やはり、
遵守率が低いと、
こうなる」
(……違う)
違うはずだ。
そこには、
教育が回ってこなかった理由がある。
人手不足。
疲労。
経験の偏り。
だが、
それらは数字にならない。
「……再教育を」
「……配置転換を、
急がないと……」
言葉が、
飛び交う。
だが方向は、
一つしかない。
数字が悪い場所は、
切られる。
「……教育官」
監督官が、
こちらを見る。
「君の判断で、
優先順位を付けろ」
胸の奥が、
ひどく重くなる。
「……全体を、
見てください」
そう言った。
「……数字だけで、
切ると」
「切らないと、
もっと死ぬ」
即答だった。
「我々は、
全体の死亡率を下げる責任がある」
(……全体)
その言葉が、
重く響く。
全体のために、
一部を切る。
理屈としては、
理解できる。
だが――
「……教育は」
声が、少し震えた。
「人を、
守るためのものです」
「そうだ」
監督官は、
頷いた。
「だから、
守れる人から守る」
(……嘘だ)
それは、
言い換えだ。
守れない人を、
先に切っているだけだ。
⸻
夜。
一人、
板の前に立つ。
数字が、
並んでいる。
遵守率。
死亡率。
配置。
(……どこからだ)
どこから、
間違えた。
坑道か。
救出か。
教育か。
いや――
数字を、
信じ始めた瞬間だ。
「……先生」
後ろから、
声がした。
振り返ると、
若い坑夫。
第五坑道の、
生存者だ。
「……俺……
助かりました」
言葉が、
続かない。
「……でも……」
視線が、
落ちる。
「……一緒だった奴ら……
順番、
後にされました……」
胸の奥が、
締め付けられる。
「……数字が……」
言いかけて、
止まった。
数字は、
何も答えない。
「……俺……
正しかったんですか……?」
答えは、
出なかった。
板の上の数字が、
静かに並んでいる。
正しい。
効率的。
合理的。
そして――
嘘をついている。
その嘘を、
一番よく理解しているのが、
教育官である自分だという事実が、
何よりも重かった。
誤字脱字はお許しください。




