第7話 最初の授業は、失敗から始まる
7話です。
部屋は、広すぎた。
天井が高く、
壁は白く、
窓からは光が入る。
坑道とは、真逆の空間。
それだけで、
どこか間違っている気がした。
「――集まったな」
監督官の声が、室内に響く。
前に並ぶのは、
坑夫、監督補佐、技師見習い。
年齢も、立場も、ばらばらだ。
共通点は一つ。
事故現場には、いなかった。
「今日から、
この者が“教育官”だ」
ざわつき。
視線が、一斉に集まる。
期待。
疑念。
警戒。
その中に、
明確な不信が混じっているのが分かる。
(……当然だ)
自分でも、そう思う。
「……俺は」
口を開いた瞬間、
声が少し遅れた。
(……違う)
坑道では、
考える前に言葉が出た。
ここでは、
言葉が、引っかかる。
「……教えることは、少ない」
正直に言った。
ざわ、と空気が動く。
「俺は、
事故を減らす方法を、
知っているわけじゃない」
誰かが、鼻で笑った。
「……じゃあ、
何を教えるんだ」
若い坑夫が、腕を組んで言った。
「……順番だ」
短く答えた。
「順番?」
「動く順番。
話す順番。
決める順番」
間。
「……そんなの、
今さらだろ」
その通りだ。
「そうだ」
否定しない。
「だから、
今日は試すだけだ」
黒板代わりの板に、
石で線を引く。
縦に三本。
「仮定だ」
説明は、最小限にする。
「今、坑道で崩落が起きた。
中に、十人いる」
誰かが、欠伸を噛み殺す。
「空気は、
二時間分しかない」
「……で?」
「全員を、
同時に動かすとどうなる」
「……混乱する」
「叫ぶやつが出る」
「押し合いになる」
次々と声が出る。
「そうだ」
頷く。
「じゃあ、
誰が指示を出す」
沈黙。
「……監督だろ」
「……現場責任者だ」
「……一番、偉い人」
(……違う)
だが、否定はしない。
「仮に、
その人が怪我をしていたら」
沈黙が、少し伸びる。
「……次は?」
「……分からない」
「だから、
順番を決める」
そう言った瞬間。
「――それ、
坑道でやったやつだろ」
声が上がった。
「英雄の真似か?」
空気が、ぴりつく。
(……来たな)
「違う」
はっきり言った。
「俺は、
英雄じゃない」
「じゃあ、
何なんだ」
少し、間を置く。
「……失敗したやつだ」
ざわつき。
「坑道では、
運が良かっただけだ」
「同じことを、
もう一度やったら」
一瞬、言葉を選ぶ。
「……次は、
もっと死ぬ」
沈黙。
そのとき。
「……なら、
やってみようぜ」
声がした。
中年の坑夫。
腕に古傷。
「どうせ、
机上の話だ」
「ここで、
死人が出るわけじゃねぇ」
(……そうだ)
だから、
ここでは再現できない。
「いい」
頷いた。
「じゃあ、
今から“演習”だ」
十人を前に出す。
「一人、
“動けない役”を決めろ」
少し、笑いが起きる。
「一人、
“重傷役”」
「残りは、
普通に動ける」
配置が決まる。
「……始めろ」
最初は、順調だった。
指示が飛び、
人が動く。
だが――
「……あれ?」
誰かが、首を傾げた。
「……空気、
足りなくねぇな」
笑い。
「……余裕じゃん」
そうだ。
空気は減らない。
死体もない。
恐怖もない。
(……違う)
胸の奥が、冷える。
「……止めろ」
言った。
誰も、止まらない。
「……先生?」
誰かが、不思議そうに見る。
「……これじゃ、
意味がない」
声が、掠れた。
「……同じやり方でも、
同じ結果にはならない」
誰も、答えない。
「……坑道では」
言いかけて、
止めた。
(……言うな)
言えば、
“物語”になる。
英雄譚になる。
「……今日は、終わりだ」
短く言った。
ざわつき。
「え?
もう?」
「……何だったんだ」
監督官が、近づいてくる。
「……失敗か?」
「……そうです」
はっきり言った。
「再現できません」
監督官は、少し考える。
「……だが、
事故は起きる」
「本番では、
同じ状況になる」
(……違う)
だが、
それは言えなかった。
本番は、
もっと残酷だ。
もっと不確定だ。
「……次は」
自分は、言った。
「失敗する前提でやる」
「成功を、
教えない」
「失敗の順番を、
教える」
監督官は、黙っていた。
やがて、
小さく頷く。
「……分かった」
「続けろ」
部屋が、空になる。
一人、板の前に残る。
線は、まだ消えていない。
(三本)
順番。
管理。
判断。
(……坑道は、
もう二度と来ない)
だが――
ここから先は、
意図的に作られる地獄だ。
その中で、
自分は、
何を教えることになるのか。
答えは、
まだ、なかった。
誤字脱字はお許しください。




