第30話 冠は授けられ、命は動かされる
30話です。
鐘の音は、
祝福のために鳴っていた。
王宮の中庭。
白い石畳。
整列する近衛。
空は晴れている。
(……良い日だな)
誰かが、
そう言った。
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列に並ぶ。
自分の前後には、
名のある貴族。
家名。
血統。
勲功。
その中で、
自分だけが
昨日まで、無名だった。
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「――進み出よ」
名を呼ばれる。
正式な名は、
まだ短い。
準男爵位。
仮の家名。
だが――
呼ばれ方は、
はっきりしている。
「閣下」
その一語で、
空気が変わる。
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王族が、
玉座の前に立つ。
冠は、
小さい。
だが、
軽くはない。
「功により、
ここに
爵位を授ける」
儀礼の言葉。
何度も
聞いたはずの文句。
だが――
今は、
自分に向けられている。
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冠が、
頭に触れる。
冷たい。
(……数字と
同じ感触だ)
感情はない。
だが、
重みはある。
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拍手。
祝福。
視線。
その中に、
値踏みが混じる。
誰が味方で、
誰が敵か。
もう、
分からない。
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式が終わる。
一歩下がる。
その瞬間、
近衛が
耳元で囁く。
「……閣下、
すぐに
お時間を」
(……来たな)
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控室。
装飾は、
ない。
地図が、
広げられている。
さっきまで、
祝福していた
王族が、
立っている。
「……おめでとう」
形式的な言葉。
「……だが」
一拍。
「軍令だ」
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指が、
地図を叩く。
北部。
鉱山都市に近い。
「……反発が
出始めている」
「……原因は」
「沈黙だ」
即答だった。
(……皮肉だな)
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「兵を、
動かす」
「だが、
血を流す前に
止めたい」
視線が、
こちらに来る。
「……あなたの
やり方で」
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叙爵の余韻は、
完全に消えた。
「……権限は」
「全権」
短い答え。
「……失敗すれば」
続きは、
言わない。
言う必要がない。
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「……了解しました」
そう答える。
それ以外の
言葉はない。
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外に出る。
中庭では、
まだ音楽が鳴っている。
酒が注がれ、
笑い声が上がる。
(……同じ日だ)
ここで
祝われ、
あそこで
命が動く。
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馬車に乗る。
冠は、
箱に戻された。
代わりに、
軍の印章が
渡される。
「……閣下」
御者が、
声をかける。
「……どちらへ」
「……北へ」
即答だった。
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移動中。
報告が、
次々に来る。
「……兵站、
準備完了」
「……現地、
緊張状態」
「……民兵、
組織化の兆候」
数字に、
変換されていく。
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ふと、
気づく。
自分の肩書きが、
変わっている。
「教育官」
ではない。
「産業監査官」
でもない。
「準男爵」だ。
それだけで、
命令の通りが
違う。
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夜。
野営地。
兵が、
静かに並ぶ。
無駄な声は、
ない。
(……完成形だ)
鉱山で
始まったものが、
ここにある。
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幕僚が、
近づく。
「……閣下、
明朝、
行動開始です」
「……犠牲は」
「……最小限に
抑えます」
最小限。
それは、
ゼロではない。
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天幕に入る。
机の上に、
二つの文書。
一つは、
叙爵証書。
もう一つは、
軍令書。
紙の質は、
違う。
だが――
重さは、
同じだ。
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ペンを取る。
軍令書に、
署名する。
その瞬間、
遠くで
角笛が鳴る。
兵が、
動き出す。
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冠を、
一度だけ
手に取る。
冷たい。
だが、
確かだ。
(……これが、
代価か)
祝福と、
命令。
栄誉と、
犠牲。
その両方を
同じ日に
受け取った。
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外に出る。
夜空に、
星がある。
静かだ。
だが、
この静けさの下で、
人が動き、
血が流れる。
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「……進軍開始」
短く、
告げる。
その声で、
世界が動く。
叙爵された者の
最初の命令は、
平和を守るための
軍令だった。
それが、
どれだけ
残酷かを知りながら。
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誤字脱字はお許しください。




