第19話 勝ったのは、数字だった
19話です。
発表は、朝だった。
坑道入口の掲示板に、
新しい紙が貼られる。
誰も騒がない。
誰も声を上げない。
だが、
全員が見ている。
⸻
「第三坑道・深層事故
対応評価:適切」
「教育官判断:規程遵守」
「全体死亡率:改善傾向維持」
その三行で、
すべてが終わっていた。
「……評価、
良いですね」
誰かが、
遠慮がちに言う。
否定は、
出ない。
否定できる要素が、
どこにもないからだ。
⸻
会議室。
記録官が、
淡々と続ける。
「今回の事故対応は、
教育制度の有効性を
明確に示しました」
板に、
線が引かれる。
過去。
現在。
推移。
死亡率は、
確実に下がっている。
「……感覚的判断を
排したことが、
奏功しています」
その言葉で、
胸の奥が、わずかに揺れた。
(……排した、か)
確かに、
排した。
意図的に。
「……よって」
記録官が、
結論を述べる。
「今後は、
規程外判断の余地を
さらに縮小します」
誰も、
反対しない。
反対は、
数字に逆らうことになる。
⸻
「……教育官」
監督官が、
こちらを見る。
「君の役割は、
ますます重要になる」
それは、
評価だった。
「……現場の
“揺れ”を抑える存在だ」
揺れ。
それは、
疑問であり、
違和感であり、
人間の感覚だ。
「……分かりました」
そう答えた。
それ以上、
言う必要はない。
⸻
現場。
坑道の奥で、
作業が再開される。
動きは、
完璧だ。
速すぎず、
遅すぎず。
誰も、
勝手な判断をしない。
「……静かですね」
若い坑夫が、
小声で言う。
「……安全だ」
別の者が、
そう返す。
それ以上、
会話はない。
(……安全、か)
安全とは、
事故が減ること。
安全とは、
死なない確率が
上がること。
そう定義されている。
⸻
医療所。
軽傷者の処置が、
終わったあと。
一人の坑夫が、
こちらを見る。
「……先生」
声は、
低い。
「……あのとき」
言葉を、
探している。
「……規程通り、
待ってました」
「……ああ」
「……正しかったですよね」
問いではない。
確認だ。
「……正しい」
そう答えた。
嘘ではない。
「……じゃあ」
彼は、
安心したように息を吐く。
「……俺たち、
もう考えなくて
いいんですね」
その言葉が、
胸の奥に
重く落ちる。
(……そうだ)
考えないことが、
最適解だ。
少なくとも、
この制度の中では。
「……そうだ」
もう一度、
そう言った。
⸻
夜。
部屋に戻る。
机の上に、
新しい文書。
「教育制度改訂案」
目を通す。
・現場判断の裁量縮小
・教育官命令の最優先化
・違和感報告の事後整理化
(……完全だ)
制度として、
隙がない。
人間の感覚を、
完全に排除できる。
「……これで、
安定する」
そう書き添えた。
書いた瞬間、
手が止まる。
(……安定、とは)
誰にとっての
安定か。
⸻
ふと、
最初の坑道を思い出す。
暗闇。
血。
震える声。
あのとき、
数字はなかった。
制度もなかった。
だから、
選ばなければならなかった。
今は、
選ばなくていい。
数字が、
選んでくれる。
それは、
楽だ。
残酷なほどに。
⸻
翌日。
掲示板の前で、
誰かが言った。
「……教育官の
判断は、
いつも正しい」
誰も、
否定しない。
その言葉が、
空気に溶ける。
(……違う)
正しいのは、
判断ではない。
数字だ。
そして――
自分は、
その数字を
通す役目を
引き受けているだけだ。
⸻
坑道の入口で、
立ち止まる。
人が、
自分を見る。
期待。
依存。
諦め。
そのすべてが、
混ざっている。
(……勝ったな)
数字が。
制度が。
そして――
それを使った
自分が。
だが、
勝利の感触は
どこにもない。
あるのは、
確信だけだ。
この先、
もっと大きな犠牲が出る。
数字が、
それを許容する。
制度が、
それを正当化する。
そして、
自分が――
それを告げる。
その役割を、
完全に引き受けた瞬間だった。
誤字脱字はお許しください。




