第10話 責任は、誰のものか
10話です
事故報告書には、
名前がなかった。
第三坑道。
第五坑道。
数字と結果だけが、整然と並んでいる。
死亡三名。
生存一名。
遵守率、低。
それで、終わりだ。
「……署名は、これでいいな」
監督官が、紙を差し出す。
「……俺が?」
思わず、聞き返した。
「教育官だ」
当然のように言われる。
「教育方針に基づいた運用結果だ。
責任者は、君になる」
(……違う)
だが、
その違和感を言葉にする前に、
別の声が割り込んだ。
「順当だ」
会議室の奥。
記録官が、淡々と頷く。
「現場判断は、
教育に依存している」
「なら、
教育官が責任を持つのは、
合理的だ」
合理的。
また、その言葉だ。
「……待ってください」
口を開いた。
「判断したのは、
現場です」
「配置を決めたのは、
上です」
「俺は、
やり方を示しただけだ」
監督官は、
一瞬だけ目を伏せた。
「……だからだ」
視線が、戻る。
「やり方を示した者が、
一番、影響力を持つ」
(……影響力)
その言葉が、
胸に刺さる。
「……署名しないと?」
「記録が止まる」
即答だった。
「記録が止まれば、
改善も止まる」
「改善が止まれば、
事故は増える」
理屈は、完璧だ。
だが、
その完璧さが、
一番恐ろしい。
ペンを取る。
紙の上に、
自分の名前を書く。
その瞬間、
責任が、形を持った。
⸻
その日の夕方。
第五坑道の前で、
人が集まっていた。
低い声。
怒り。
諦め。
「……教育が、
命を救うって言ったよな」
誰かが、吐き捨てる。
「……救っただろ」
別の声。
「……四人、助かった」
「……三人、死んだ」
数字が、
殴り合っている。
自分の姿を見つけて、
声が止まる。
「……先生」
一人が、前に出た。
年配の坑夫。
長く、この鉱山で働いている。
「……あんたが、
教えたんだよな」
否定できない。
「……順番を、
決めろって」
「……叫ぶなって」
「……選べって」
一つ一つが、
正確だ。
「……その結果が、
これか?」
答えは、
用意していなかった。
「……俺は」
言いかけて、
止めた。
(……言い訳になる)
「……そうだ」
短く答えた。
「俺が、教えた」
空気が、張り詰める。
「……じゃあ」
坑夫は、
ゆっくりと言った。
「……あんたが、
殺したのか?」
胸の奥が、
強く締め付けられる。
(……違う)
だが――
「……結果としては、
そう見える」
そう答えた。
誰かが、
舌打ちをした。
誰かが、
目を逸らした。
「……責任は」
坑夫は、続ける。
「……あんたが、
取るのか?」
その問いは、
鋭すぎた。
「……取っている」
そう言った。
「報告書に、
名前を書いた」
沈黙。
「……じゃあ」
坑夫は、
一歩下がる。
「……もう、
文句は言えねぇな」
それは、
許しではない。
諦めだ。
⸻
夜。
部屋に戻る。
机の上に、
新しい書類が置かれている。
「教育運用規程(案)」
ページをめくる。
順番。
指示系統。
遵守率。
自分が言った言葉が、
文章になっている。
(……固まったな)
思想が。
方法が。
一度、固まったものは、
簡単には崩れない。
「……教育官」
扉の外から、
声がした。
「明日から、
権限を拡大する」
「現場への
直接命令権を付与する」
(……来た)
拒否すれば、
どうなるかは分かっている。
教育は、
止まらない。
誰か別の手に渡るだけだ。
「……分かりました」
返事は、
自分でも驚くほど静かだった。
扉が閉まる。
一人になる。
机の上の規程書を、
じっと見る。
(……責任は、
誰のものか)
問いは、
もう意味を失っていた。
責任は、
役職に付く。
そして今、
その役職は、
自分の名前と結びついている。
教育官。
それは、
人を救う者の名ではない。
誰を切るかを、
決める者の名だ。
誤字脱字はお許しください。




