内観
人を信じることは、己の魂の鍛錬
というニュアンスの偉人の言葉を目にした
なるほど、確かにそうだと感銘を受けた
ここでいう信じるとは、結果の話ではない
大前提として、人を信じることと、その結果を信じることは別である
現実世界の成り行きは、神のみぞ知る
人間が全精力込めて頑張っても、何も思い通りになることなどない
風に吹かれる木の葉一枚とて、願ったように動かすこともできない、それが人間
努力して全てが叶うのなら苦労はしない
人を信じる時
状況や内容にもよるが
自分の利益を求めたり損得勘定があれば、欲への執着が生まれる
相手に対する勝手な期待があれば、裏切られたと感じる
その人ではなく、その付加価値を信じることも、本当の信じるとは違う
成績がいいから、運動神経がいいから
過去の実績があるから、優秀な家系だから…
外側の人や物事を信じる時
そこに、自分の内側が現れる
偏見や思い込みの観念
与えられた知識、経験
人を信じられない時、顕著に現れる
自分の中にある不安、弱点
エゴが蓄えた過去の記憶の数々
全て自分自身の心が映し出している
現実世界は自分の心の映し鏡
自分の心がそのまま現実化する
まっさらな心で人を信じられたなら
その思いは奇跡のように通じる
自分の心が愛と光だけなら
相手の心の中の光にフォーカスするから信じられる
だからこそ人を信じることは、己の心の曇りを省みることになる
例えば、自分の子どもや仲間を信じる場面において
この子は繊細で緊張しいだから、と心配する
あるいは、どうせいつも失敗ばかりするから、と疑う
それらの思いはあなた自身の中にある
自分自身が、人の目を気にしたり理想を押し付けたりしている
あなたが、信じることができていない
相手を見ているつもりで、自分自身の心のフィルターを見ている
人を信じられない人間は、自分を信じられない
盗っ人は人を見たら泥棒と思う、自分がそうだから
人は、自分自身の心は見えにくい
自分以外の人のことはよく気づく
人の中に己を見て、己の弱さを知る
まさに、人の振り見て我が振り直せ
気になる誰かと向き合う時
自分自身の学ぶべきことが隠れている
信じるという強い思いは現実を創造する
如実に人の心を現実化する
今の自分を、現段階の成長を思い知らされる
結局は、人を信じる自分を信じること
結果が伴わなくとも
何度裏切られようとも
偉人は言う
“信じる自分で在り続ける”生き方が魂を高める、と