6.開幕の一笛
夜明けとともに鳥がさえずり、朝を告げた。まだ薄ら明るいくらいの住宅街を自転車で駆け抜ける。朝の新鮮な空気を吸って、郁瀬は自転車のギアを上げた。
体育館の最寄り駅の前には見覚えのある人影がいた。
「朱俐、俊太郎、健介! おはよう!」
「おい、まだ朝早いんだから、あんまり大きい声出すなって」
「あっ......ごめん」
四人は昨日届いた部のジャージに初めて袖を通し、初々しくも高校バレーの選手になったことを実感した。
「健介、今日は出ないのにずっと緊張しててさ」
「......昔から、大会とか慣れてなくて」
健介は申し訳なさそうに苦笑いした。すると、到着したバスからぞろぞろと選手らしき人が降りてきた。
「うわ、なんかいよいよって感じがしてきたな」
先ほどまでは余裕そうにしていた俊太郎も彼らを見て、いたたまれなくなっていた。
すると、バスを降りてきた集団の中から手を振っている人が見えた。
「あ、先輩たちだ。おはようございます!」
「ひとまず全員揃ってきそうだな」
「なんか一年生もジャージ着てると新鮮だよな」
「いいじゃん、様になってるよ」
二年生の三人は緊張を見せずに落ち着いた様子でいた。
それに続いて、後ろから三年生の集団もやって来た。
「おはよう、みんな揃ってるか?」
「はい。揃ってます」
「じゃあ俺は代表者会議に行ってくるから、しばらくここで待機よろしく」
寛斗は簡単に指示をして、アリーナのエントランスの方へ去って行った。
「航生先輩、今日の……春季大会ってインターハイのことですか?」
俊太郎は試合の注意要項が記された紙に目を通しながら、航生に尋ねた。
「今日の大会は、一年の中で大きく四つある大会のうちのひとつだな」
春季大会は、各地区予選から始まり、県大会、そして上位六チームが関東大会へと進む、春の大会だ。また、この大会で一定の成績を残すと、六月の学総、いわゆるインターハイ予選において地区予選のシードを獲得し、トーナメントのシードあるいは地区予選免除で県大会からスタートとなる大事な大会でもある。
今日はそのファーストステージである、南部地区予選。県推薦校の星野済矢高校を除く南部地区のバレー部が県大会への五つの切符をかけて争う。
しばらくして、寛斗は弥生とともに帰ってきた。
「会場準備が終わったらしいから、荷物持って入るよ」
寛斗に従って、他の部員たちも会場に入る。県大会、関東大会、全国へと勝ち進むどんな学校であっても、その前にはまずこの地区予選を勝ち上がらなければいけない。市立中央の選手たちは揃って武者震いした。
扉をくぐって目の前に広がるのは、無数の光に照らされ、少しも乱れずに起立するバレーコート四つ。
「広いなぁ、俺初めてだからちょっとテンション上がって来た」
「俺も......バレーのネットが立ってるのは初めてだから......なんか変な感じ」
俊太郎と健介はその光景に圧倒されていた。
対して郁瀬と朱俐は静かに見つめ、思いを馳せる。一年前の夏ぶりに見る光景、あの時はこの景色がどう映っていたのだっただろうか。
二人は目を閉じた。それぞれの熱気がぶつかり合うあの空気感、奇跡を紡ぐ時間と、そしてこぼした涙。どんな記憶も全てはここを舞台に始まっていた。
そして目を開けて、二人は声を揃えて「ただいま」とコートに言った。
時刻は十時ちょうど。第一試合の全八校がコートのエンドラインに揃って並んだ。
それから、歩調を合わせて主審と副審が歩き出す。会場は静まり返り、その静けさにそれぞれの音の無い闘志だけが静かに燃えていた。
「始まるぞ」
四コートの主審が息を揃えて笛を高らかに鳴らす。すると、一斉に選手が一礼をしてから威勢のいい挨拶を響かせる。
「お願いしまぁすっ!」
その瞬間、高まった緊張が一気に弾けるのと同時に各々の応援がぶつかり合い、会場は一瞬で熱気に包まれた。
「この感覚......大会って感じだな......」
「ああ」
郁瀬は何度大会を経験しても、この瞬間だけは固唾を飲んで見守ってしまった。積み上げてきたものを輝かせる舞台の幕が上がる瞬間は、いつまでも慣れるものではなかった。
「よし、じゃあ一セット目の間にサブアリーナで軽くアップしよう。報告係は……」
市立中央にはマネージャーがいなかった。バレーの試合は主に追い込み式で行われるため、試合状況を伝える報告係が必要で、寛斗が迷っていると俊太郎が手を挙げた。
「あ、俺にやらせてください! 今は経験値のためにも色んな試合を見ておきたいですし」
「......それなら俺も......」
俊太郎につられて健介も手を挙げた。確かに、二人にとっては初めての大会。今は実際に試合を見て、生で体感する経験値が貴重で、重要なものかもしれないと寛斗も感じた。
「わかった。地区予選は三セットマッチだから、一セット目終了時と二セット目の十五点になったら、報告お願い」
「了解です!」
そして、二人を残して一行はサブアリーナへと向かった。
残った俊太郎と健介は目の前の試合に見入った。コートを舞台にそれぞれのチームがそれぞれの戦い方で一点を取りに行く。ゴール型の競技と違ってネット型のバレーボールは、一つのパフォーマンスの時間が短く小刻みである分、一つ一つの刹那が大事に積み重ねられていた。それでも、コート上の戦士たちの姿は、どの競技でも一緒で、輝いていた。その輝きは、スポーツ初心者の俊太郎はもちろん、健介の目にも映り、健介にとってはどこか懐かしくもあった。
「みんな一生懸命だね」
「それは……当たり前だろ」
「......当たり前か」
「俺たちだって......あっという間にあのコートに立つ時が来るんだ......」
「......うん、そうだね。少しも暇なんてない」
それから二人は黙って試合を見続けた。見て学ぶ。ゼロの強さを見つけるために、今日の経験を無駄にしないように。
二セット目が十五点になったところで再び寛斗たちに報告に行くと、一行は体のエンジンをかけた状態で応援席に戻って来た。
「うわ、魚海ちょー強いじゃん」
目の前の試合が終わったら、市立中央の試合の番になる。その試合は、第一シードの魚海高校が安定の強さを見せ、相手を圧倒する展開が続いていた。
「先輩、このシードって何ですか?」
俊太郎は支度を終えていた朔斗に尋ねた。
「強豪校は初めからぶつからないように、トーナメントで一番遠い所に配置されるんだ。中でも前回大会のベスト4がいわゆるトーナメントの“四隅”に入ることになる。その四校を中心にブロック分けされて四コートに分かれる。まあつまり、地区大会免除の星野済矢と、このシードの四校は南部地区で五本の指ってことだな」
今回のシードは、第一シードの河北高校。第二シード、戸江井高校。第三シード、魚海高校。第四シード神葉西高校となっている。前回大会で惜しくもベスト8だった市立中央はシードを逃しているという状況だ。
「それで自分たちのブロックはこの魚海高校ってことか……え、二番目に強いじゃないですか!」
その時、目の前のコートでエースのスパイクが綺麗に決まった。俊太郎はトーナメント表と目の前の試合を交互に見ては、顔色を青くした。
「はっはっは。そりゃあ勝つのは簡単じゃないけど、第一シードと当たるよりはマシだな」
俊太郎はそれを聞いて、少し安堵した。対して、朔斗は安心した表情は見せなかった。
「けど油断は禁物。この後の魚海北だって県大会の経験はあるチームだし、それに......」
「......それに?」
朔斗は俊太郎が持っていたトーナメント表の右下を指した。
「俺たちだって山場はある。県大会決めの試合、順当に行けば俺たちは、一月の県大会でベスト8だったチームと戦う」
「それってこの......」
朔斗は右の席の方を見て少し眉をひそめた。その先には紺色のユニフォームを着た人たちがいる。
「宮平高校。その県大会で総武学院っていう強豪校とフルセットまでいったダークホース」
朔斗は終始、険しい顔をしたままでいた。俊太郎もその表情を見て、この先の戦いが決して楽なものではないことを悟った。
「あそこはたぶん俺らと相性悪いからな......」
バレーボールは実力以上に相性が勝敗を左右する。例えばプロの代表戦でも、ランキングの上位の国に勝ったり、逆に格下のチームにあっけなく散ることもザラにある。
朔斗は気を取り直すと、ウィダーを飲み始めた。
魚海高校の試合は終盤に差し掛かり、点差は大きくつけたままマッチポイントを迎えていた。
いよいよ試合の番となり、寛斗たちは移動して、アリーナの扉前で待機した。
「......決まるぞ」
魚海のリベロが乱れることなくレシーブして、それをセッターが采配する。最後に届けられたのはエースではなくライトのサウスポー。きちんとサウスポーはそのボールをたたき込み、試合を締めた。
「よし、みんな行くよ」
エンドラインに整列し、主審の笛で幕は閉じられて、新たな戦士たちがその舞台に威勢よく飛び込んでくる。
寛斗の息に合わせて、市立中央の選手たちは雄叫びを上げた。
「せーの」
「よぉぉぉぉしっ!」