5.5.楽しそうじゃない
その日の電車は比較的空いていた。入学から一ヶ月が経とうとして、投稿までの道のりは吸い込まれるように、何も考えることなく行けるようになった。
「じゃあ野球部も四人入ったんだね」
「おう、なんとかな。でもまだ部活決めかねてたやつに声かけてみただけだから、経験者じゃないし」
「そりゃあ経験者の方が心強いかもだけど、高校から始めたって遅くないんでしょ?」
「どうだろうなぁ、そいつに才能があればな」
少し難しそうな顔をしている湊を見て、郁瀬は新鮮味を感じた。いつもなら興味無さそうにして適当に茶化したりしてあしらうのに、珍しく考え込んでいるように見えた。
「......なんか湊、いつになくやる気あるじゃん」
「......そ、そうか? そんなことねぇよ」
湊は郁瀬に言われて少し焦った。それと同時に、自分があの日の先輩を見てから酔っていることに気づいた。やはり自分の性分に似合わないのだろうか。足取りは重くなって、湊の歩調は遅くなった。
すると、遠くを見つめていた湊に郁瀬は微笑んだ。
「やっと野球好きになってくれた。待ってたよ、そういう湊」
思わず湊は足を止めた。優しいその言葉は湊の心に深く染み込んでいく。頬が緩みそうになるが、こんな顔自分には似合わないだろうと、湊は必死に強がってみせた。
「お、俺はお前に負けないように野球続けただけ。何にもしてないとお前に負けちゃうからな」
茶化した口調で言っているが、湊にとっては本心だった。もし、郁瀬のいる世界に自分の存在を認めてくれるのならば、もう偽るのはやめにしたい。それが湊の本当の気持ちだった。
湊の調子のいいセリフに見兼ねたのか、郁瀬は呆れ口調で口を開いた。
「湊ってさ、自分で壁作るよね。自分の出る幕はここまでだって線引いてさ。中学校入ってからそうなっちゃって、まぁ湊も大人になったんだなって初めは割り切ってたけど……でもそれならさ、湊」
少し先を歩いていた郁瀬が振り返って問うた。
「なんでいつも楽しそうじゃないの?」
風が吹き抜けたと同時にはっとした。郁瀬は……気づいてたのだ。
「......それは……その......」
ずっと偽ってきた本心を見透かされ、湊は返答に困った。動揺で返す言葉が上手く紡げない。
その時、正門のところに立っている教師が叫んだ。
「おーい! あと三分で始業時間だぞー! 遅刻するぞー!」
湊は少しほっとした。あのまま答えを探していたら、自分が自分でなくなりそうで、怖かった。まだ、自分と向き合うのは早かったのだと、湊は震える心で悟った。
「やべ、ゆっくり歩きすぎた!」
どさくさに紛れて、その答えは見つからぬまま、二人は校舎に駆け込んだ。
朱俐が体育館に入ると、既にネットは立てられていて、二年生の三人が自主練をしていた。
「こんにちは」
「ういっす」
「自主練ですか?」
朱俐は転がってきたボールを拾って、ボールを追いかけてきた康介に渡した。三人はレセプションの練習をしているところだった。
「うん。航生が、動いてないと緊張して死にそうだって」
しかし、当の本人はいつも通り丁寧なレシーブで空のサーブをあげていて、緊張しているようには見えなかった。
「あいつ、明日の大会が高校入って初の公式戦だからさ、まあ無理もねえな」
「そうなんですか?」
「まあひとつ上の代が選手層しっかりしてるからさ、俺たちもサーブ交代くらいで大した経験はしてないんだけど、なんせ優斗先輩は絶対的なリベロで、今まで一度もスタメン譲らなかったから、正直今回、航生が選ばれると思ってなかったし、あいつ自身も思ってなかったんだと思う」
「なるほど......」
朱俐は航生の事情を聴いて、ユニフォームを渡された時の一件について納得した。
「俺もワンポイントで出た時はありえないくらい緊張したわー、やっぱり高校バレーは違うなって感じ」
高校バレーの舞台は、やはり今までとは違う新世界。朱俐は改めてそれを実感すると、少し緊張感が湧いてきた。
少しして、郁瀬と俊太郎と健介がやって来た。三人は身支度を終え、朱俐たちに合流した。
「そういえば、明日の対戦相手の魚海北って強いところなの?」
俊太郎や健介は専ら高校バレーの勢力図など知らないので無理もない。
「ん-、俺も詳しいことは知らないけど、地区予選だしそんなに要注意ってわけでもないんじゃない?」
郁瀬が答えると、朱俐はすぐさま否定した。
「そんなことない。油断してると足元すくわれる。それが地区予選の怖いところ」
「そうだな。朱俐の言う通り、どんな相手でも勝率百パーセントってのはないからな」
後ろからの声に反応して三人が振り返ると、ちょうど体育館に三年生が入って来た。
「だからこそ、今日の練習も気合いに入れてくぞ」
寛斗をはじめ、三年生たちは、明日に控えた戦いに向けて英気を蓄え、整った表情をしていた。




