50.立川琉大
人は過ちを犯すことがある。でも、その者の未来は保証されない。手放すはずのなかったものを手放して、生きていく毎日。あの世界に自分の名は、もうない。でも、それでよかった。色褪せた世界にも、もう慣れてきた。
期末試験も終わり、学校には穏やかな雰囲気が戻ってきた。夏休みも近づいて、暑さに負けぬように趣味、部活、プライベートと活気づいていた。
リュックを背負い直して、自転車を押して校門に続く坂を下りていく。校門を出て自転車に乗ろうとした時、視界の右側に嫌な気配がした。
「おっ、おい!」
「マジでいるじゃん。へぇ、市立中央に行ったのかー」
呼び止められて、足を止めたのが間違いだった。まるで背後に人殺しのクマがいるかのように、背筋が凍り、冷や汗をかいた。
「なぁ、琉大」
立っていた四人のうちの一人に、背負っていたリュックを叩かれ、手を肩に回された。逃げられない。
「お、おう......」
狼狽えるばかりで、立川琉大は何も言葉が出てこなかった。
「久しぶりじゃん」
「卒業の時、俺たちに何も連絡くれないで、水臭いなぁ」
琉大は小声で「ごめん」と謝り、俯いた。
「あれ、部活は? 今日は休み?」
「......いや、入ってない」
その答えを聞いて、彼らは目を合わせ、笑みを浮かべた。
「まぁ、あんなことがあったしねー。忘れられないよなー」
琉大は何とかこの場から脱出しようと考えたが、もうその時には、周りを囲まれていた。帰宅する人のピークは過ぎていたので、良くも悪くも騒ぎにはならなかった。
「......てか、忘れさせねえよ」
唸るような声色を聞いて、思わず顔を上げると、目の前の奴の顔が目に入る。眉毛のところの傷が、頭の奥に仕舞っていた記憶を呼び起こす。琉大は脚は震えていた。その時、
「何してるんだ」
声のした方へ全員が顔を向けると、そこに立っていたのは朱俐だった。
「うちに何か用ですか?」
囲んでいた四人は、邪魔が入ったといった顔で朱俐を見て、テキトーに返した。
「あぁ、こいつの中学の時の知り合いです」
「知り合い? じゃあなんでそんなに険しい顔してるんだ」
分が悪くなったのか、四人は顔を見合わせて、その場を去ろうとした。
「じゃ、俺たちそろそろ行くんで。また来るよ」
琉大は彼らの去り際の目を見て、足をすくませた。その瞳は、あの時と変わらなかった。
「大丈夫か?」
ネクタイの色を見て、同学年と分かった朱俐は、変な人に絡まれているように見えて、とりあえず助けなければと思って声をかけたが、クラスも名前も知らない人だった。
「......ありがとう」
俯き加減で答える琉大を見て、朱俐はさっきの人たちと何か因縁があることを察した。しかし、きっと簡単なことではないから、あまり詮索するのはよそうと思って、それ以上は何も追及しなかった。
「同じ一年生だよね。名前、なんて言うの?」
琉大はゆっくり顔を上げて、初めて落ち着いて助けてくれた人のことを見た。そして朱俐の着ている部活の練習着を見るや否や、驚いた顔をして、自転車に乗り、すぐさま漕ぎ去ってしまった。彼に知られてはいけない。その世界から退場した自分にとって、彼のポロシャツの胸のところに刻まれたボールは、危険信号だった。
「ちょっ......えぇ......」
せっかく助けたのに、名前も知らず、お礼の一言で去ってしまった彼の後ろ姿を、朱俐は呆然として眺めた。
「......琉大って呼ばれてたよな......」
何となく見たことのある顔な気がしたけれど、少し記憶を探っても見当がつかなかったので、気のせいにした。
朱俐は外周を再開しようと走り始めてすぐに、何かが落ちているのに気がついた、拾うと、さっきの彼の生徒手帳のようだ。
「急いでたから落としちゃったのか。明日渡してあげ......」
ページをめくった時、朱俐の言葉はそこで止まった。その瞬間、記憶の靄が晴れて、さっきは見当がつかなかった見覚えのある顔と、名前が結びついた。
「一年一組、立川琉大......」
朱俐は名前の書かれたページに挟まっていた選手登録証を見た。
「......なんでここに......」
小さな雲から顔を出した太陽が、威勢よく大地を照らす。混乱する朱俐の脳内に、蝉の大合唱が鳴り響いていた。
(season 2 へつづく)




