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葉月の奇跡 season 1  作者: 岩河尚輝
Ⅸ 閉幕篇
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49.八月に“奇跡”を

 閉会式を終え、市立中央の一行は会場の外で集合した。部員たちは弥生を中心に半円を描いて並ぶ。三年生にとっては、最後の集合だ。

 挨拶をして、ゆっくりと弥生は話し始めた。

「毎年、この時は来る。でも、いつも、監督として何を言ってあげれば正解なのか分からない。きっとみんなも、何を聞いても今は何も感じないと思う。でも一つ、私から伝えてあげられるのは……」

 弥生は少し間をおいて、三年生の顔を見回した。入部したときのあの頃と比べて、幾分と顔つきが変わった。皆、良い顔をしている。三年間、成長を見届けた初めての代。その間には数々の困難があっただろう。それでも、自分たちの力で未来を拓いてここまで来た。そんな彼らに、自信を持って言える言葉がある。

「......強くなったな」

 部員たちは、監督がそう言って笑顔を見せたことに驚いた。いつもは冷静沈着な監督が笑うのを見るのは、三年生も初めてだった。

「青葉。お前が入部した時に最初に言った言葉、覚えてるか?」

 寛斗は記憶を遡り、すぐにその言葉を見つけた。

「一点を噛み締められるチームを作りたい」

 弥生は頷き、それから寛斗にひとつ尋ねた。

「どうだ? その目標は果たせたか?」

 寛斗は目を閉じて、脳裏に浮かぶ三年間をもう一度辿った。初めて顔を合わせたあの日から、たくさんの時を重ねてきた。

 いつも隣で支えてくれた、頼れる副部長の祐飛。朔斗に引っ張られて体育館にやって来て、初めてバレーボールに触れてから、目覚ましい成長を遂げて、今では祐飛のトスでないとしっくりこない。

 朔斗には沢山の場面で助けられた。コンプレックスを内側に抱えながらも、それを感じさせないほどのダイナミックなスパイク。その大きな背中にエースの文字が似合っていた。

 英成と啓司は、その唯一無二の絆を試合にも生かしてくれた。二人にしかできないバレーがそこにあって、市立中央の味を深めてくれた。試合後のロビーで、いつもは感情をあまり見せない啓司が、英成の腕の中で泣いていたのを見て、自分も悔しさが込み上げてきた。

 優斗はいつも後ろから全部受け止めてくれた。それはボールだけじゃなく、部員たちの心もレシーブしてくれた。自身のスランプに悩んでも、市立中央のバレーボールのことだけを考えて、後輩にも目を行き届かせていた。航生、君はきっと来年、頼れる存在になるはずだ。なぜなら、安心して後ろを任せられる優斗が育てたから。

 裕太郎をバレー部に誘ったのは、経験者だったからだけではない。いつも楽観的に振舞っている彼の、奥にある傷を寛斗は感じていた。その傷が、チームのバネになる。きっと裕太郎はチームに必要な存在になると寛斗の直観が言っていた。最後まで試合に出られなかったのは無念だったが、海原北溟戦の途中で彼が力尽きた時、彼の表情に悔いは残っていなかった。それを見て、寛斗はあの時、裕太郎を誘って良かったと心の底から思えた。

 そして、ずっと心残りだった凛。あの日、運命の歯車が狂いだしてから、寛斗は必死だった。チームが崩れてしまう気がして、未来が全く見えなかった。何も言えずに、凛の去っていく姿を見て、悔しさに潰れそうになったあの時、寛斗は決意した。自分たちが崩れてはいけない。自分たちが凛の帰る場所を守り続けなければいけない。そのために、自分たちは勝たなければいけない、と。そして、信じ続けた。必ず帰ってくる、と。二セット目、追い込まれる状況で、白い市立中央の陣羽織に身を包みコートに出てきた凛を見た時、寛斗は涙が込み上げて来そうになった。慌てて試合に集中して、気を逸らしたが、サーブを見た時に堪えきれなくなった思いが一筋流れた。

 そして後輩たち。ここまで見せてきた背中は、決してかっこいいものだけではなかった。それでも信じてついてきてくれた仲間たち。同じユニフォームを着て、同じ舞台で、同じ興奮を分かち合った。今なら、胸を張って言える。もう一度この場所に戻ってこい。自分たちの力で、その白いユニフォームに、めいっぱいの悔しさと勇気を込めて、そして超えてくれ。

 自分たちが見れなかった景色を、後輩が見るために。我々の役割を果たす時が来た。

 寛斗は目を開いて、弥生は真っ直ぐに見た。横には頼れる仲間が、後ろには心強い後輩がいる。今、立っているところが、目指してきたゴールだ。でも、ここで市立中央は終わらない。ならば、答えは……。

「いいえ。果たすのは俺たちじゃない。まだまだ市立中央高校男子バレー部は見れる景色があります。だから、この大会を通して、俺たちは繋ぎました。ボールだけじゃなくて、もっと価値のあるものを。なので、自信を持って言います......」

 寛斗は息を大きく吸って、一心に言った。

「いつか必ず、果たす時が来る」

 きっぱり言い切った寛斗の言葉に後輩たちは鳥肌を立たせた。その時が来るのをただ待っているわけにはいかない。その時を掴みにいかなければならない、と。先輩たちのたくさんの経験が、その白いユニフォームを通して伝わってくる。目に見えない何かが拳に宿り、郁瀬たちはそれを確かに握りしめた。

「いつか、か……」

 その時が来たら、見つかるかもしれない、あの日の答えが。弥生も、寛斗の言葉を受けて、体の内の炎宿していた。

 応援に来てくれていた父兄たちにお礼の挨拶をして、部員たちは解散し、それぞれの帰路についた。ほとんど日が落ちて、東の方はもうすっかり夜の色になっている。

「今度は受験かぁ、勉強やだなぁ」

「祐飛はもう大学決めた?」

「いやまだだけど……一気に現実って感じ......」

 たくさんの感情が溢れ出して、それが落ち着いたのか、三年生たちはいつも通りのたわいもない会話を弾ませ、穏やかな時が流れる。

「じゃあ俺たちはこのバスで。またな」

「じゃあね」

「俺たちはあっちのバスだな」

「また学校で!」

 別れ言葉は案外淡々としているものだ。でもそれを交わすたびに、寛斗の心にもやっと現実が染み渡ってきた。三年間、当たり前のようにあった光景が、終わりを告げようとしている。英成や啓司たち、朔斗や祐飛たちが乗るバスをそれぞれ見送り、残ったのは寛斗と郁瀬の二人だった。

「......バス、まだ来ないっすね」

「そうだね......さっき行ったばっかりみたいだな」

 夏の夜風に吹かれながら、二人は暗くなった空を見上げていた。

「先輩、俺......」

 センチメンタルな雰囲気の中、郁瀬がゆっくり話し始めた。

「明日から先輩たちがいないのが、なんか今はまだ実感湧かないっていうか……きっと明日の練習でやっと実感するんだろうなって思うんですけど……」

 寛斗と郁瀬は言うまでもなく地元が同じなので、一緒に帰ることも多かった。でも、こうして乾いた汗を肌に感じ、話しながら帰るのも今日が最後。郁瀬はこの時間が残り少ない有限のものであると分かっていながらも、出てくる言葉は本当に話したいことでも、気の利いたものではなかった。伝えたい気持ちに合った言葉を探して照らし合わせようと言葉を詰まらせていると、今度は寛斗が話し始めた。

「去年の秋に、たまたま会って、うちに誘って、本当に来てくれた。あの時さ、なんで郁瀬を誘ったと思う?」

 寛斗の問いを郁瀬は一度も考えたことがなかった。偶然会って、後輩を誘ったわけじゃなくて、別の意味があったというのだろうか。郁瀬はその答えが知りたくなった。

「......詳しいことは分からなかったけど、あの時、郁瀬は何かに傷ついてただろう? だから、誘ったんだ」

 傷? なんでそんな理由で誘ったのか、郁瀬には皆目見当もつかず、困惑した顔になった。

「俺は、一点を噛み締められるチームにしたいって言ってただろ? じゃあ、それを噛み締められる人って、どんな人なんだろうって俺は考えた」

 郁瀬は改めて市立中央のメンバーを思い返した。実直で誠実な先輩たち、まだまだ未熟だけど闘志に燃える同級生。皆、力強く前に進んでいるように見えるけど、思い返してみれば、それぞれ傷があった。家族、自分の弱さ、過去のトラウマ、人間関係......それぞれが強さの裏側に弱さを抱いている。

「俺は、今日ここまで勝ち上がってこれたのは、強さだけじゃなくて、弱さもあったからだと思うんだ」

 完璧な人間なんていない。もしいたとしたら、その人はきっと輝かない。輝いて、強く見えるのは、傷を持って生きているからだ。

 郁瀬は寛斗の考えに納得した。だとするならば、優勝した総武学院も、そして、以前喧嘩を売ってきた11番の彼も......。

「郁瀬を誘ってよかった。そして、きっとこれからも郁瀬は強くなっていくと思う。でも、一つ忘れないで欲しい」

 遠くにバスのヘッドライトが見えた。遅くまで鳴いていた蝉もいつの間にか鳴き止んでいた。

「一球一球が『奇跡』なんだってこと」

 少し強まった風が郁瀬の髪を靡かせる。バスのエンジン音が少しずつ聞こえてきた。

「弱くたっていい、全部強くなくたっていい、無様になっても、それでも繋いできたボールは、ただのボールじゃない。この先何があっても、それだけは見失わないで。そうすれば、道を外れても、また帰ってくる場所があるから」

 寛斗が言い切ったところで、バスは二人の目の前に停車した。郁瀬はバスに乗りながら、一年前の自分に、今の言葉を重ねた。何もかも信じられなくなったのは、自分の弱さかもしれない。自分に絶対的な強さがあれば、あんなことにはならなかったんじゃないかとも思った。そして、嫌になって、ボールを投げた。でもそのボールは、弱さも含めて、自分が籠っているボールだ。それを手放してしまえば、もう何も見えなくなる。あの時、寛斗がボールを返してくれた理由が、今の言葉で分かった気がした。

 バスに揺られる間、寛斗と郁瀬は今日の試合のこと、それから今後のチームのことなど、色々話し合った。それから15分ほどして、二人は最寄りの停留所で降りた。停留所からそれぞれの家は反対方向にあるので、二人はここで別れる。次会う時はいつかわからない。少なくとも、今までのように体育館で毎晩顔を合わせることは無い。郁瀬は、伝えるのなら今しかないと思って、改まって寛斗と向き合った。

「あの時誘ってくれて、ありがとうございました。先輩たちが見せてくれた背中、忘れないです」

 夜で、車通りが少ないため、郁瀬の声は確かに寛斗の耳へと届いていた。

「先輩がさっき言ってた、いつか果たすって言葉......」

 郁瀬は屈託のない笑顔を向ける。寛斗の目に映った彼は、あの秋の公園で再会した彼とまるで別人のようだった。君なら、本当に見せてくれるかもしれない。

「俺たちの八月で、果たしてみせます」

 寛斗は自信に満ち溢れた言葉を受け止めて、込み上げた感情が流れた。中学の頃、入部したての郁瀬を見て才能を感じた。でも、再び会った時には、その才能は鎖で縛られていた。そして、この三ヶ月でその鎖は少しずつ解けていった。自分たちができるのはここまで。その才能を再び光らせるのは、郁瀬自身、それと仲間たち。二年生、朱俐、健介、俊太郎――いい仲間たちがいるじゃないか。その傷を誇りに代えて、堂々と進んで行って欲しい。

「......頼もしいな」

 涙を目に浮かべながら、寛斗は笑った。一言挨拶をして、郁瀬が歩き出し、道を曲がるまで見送って、寛斗は家の方へと体を翻した。ふと空を見上げる。今宵は満月のようだ。寛斗は届くはずのない月に向かって、手を伸ばした。

「ありがとう......」

 寛斗の高校バレー生活最後の言葉はそれだった。悔しさが込み上げ、まだみんなと、このユニフォームを着て飛んでいたかった。本音が溢れ出し、涙は止まらない。けれど、その本音の向こう側には、感謝があった。沢山の思いを受けて、この背番号1番を受け取り、それから見てきた景色の記憶を、このユニフォームに込めて、受け継ぐ。夜空に散りばめられた星を、先人が何故繋ぎ、星座を作ったのか。何故そこに物語を込めたのか。きっと同じなんだろう。繋ぐことで生まれる物語がある。奇跡がある、と。

「見つけた。六年間バレーに捧げた人生も行先を」

 寛斗は涙を拭って、家の戸を開けた。

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