44.ここからは…
春が来て、朔斗と伯斗は違う制服に腕を通した。それぞれの時間が流れ出したことをきっかけに、次第に話す機会も減って、ほとんど顔を合わせない日も多くなった。伯斗は予定通りバレー部に入部し、努力を続けた。あの日、朔斗が言った通り、伯斗は高校に入ってからも成長を続けた。県大会四連覇を果たしたり、全国大会へ出場したり、中学の時には叶わなかったことが実現し、たくさんの景色を見た。それなのに、不思議とその景色を見ても嬉しくなかった。
「伯斗って、人生二周目なんじゃね?」
「なんでよ」
「だって勝っても負けても、全然嬉しそうでも悔しそうでもないし。ま、上手いからいいけどさ」
実力主義のチームは技術さえあれば認めてくれる。だから、スキルは磨かれるし、それなりの実績も残せる。けど、それ以上でもそれ以下でもない、そこまでだった。
そして気づけば、総武学院で過ごすのも最後の年になっていた。夏の大会を前にして、調整の段階に入った頃、思いもよらぬ報せが飛び込んできた。
「今度の週末に、うちが招待したチームと練習試合することになった」
「へぇ、どことやるんだろうな」
「強えとこがいいなぁ」
チームメイトがざわつく中、監督は相手校の名前を読み上げた。そして最後の一校の名に、伯斗は目を大きくした。
「元々は星野済矢を呼んでたんだが、都合が悪くなってしまって、代わりに太田監督の推薦で、市立中央高校を呼んだ」
市立中央。朔斗の、兄の通っている高校だ。しかも、兄は高校でもバレーを続けている。これまで偶然にも、市立中央と総武学院はトーナメントで近くになることはなく、会場で見かけたことは無いが、この前の県大会ではベスト8まで勝ち上がったと聞いた。
「市立中央......あぁ、ベスト8くらいのとこじゃね」
「なぁんだ、太田先生の推薦って言うから期待したけど、強いとこじゃないのか」
「......」
「まじか、市立中央か……」
他のチームメイトがテキトーにあしらった学校に、いつも無情な伯斗が反応したため、チームメイトは驚いた。
「市立中央って、伯斗、なんか思い入れでもあんの?」
普段どこかで線引きをしているような伯斗の表情に、少しずつ温度が宿っていくように、笑顔が見え始めた。
「市立中央は……俺の兄ちゃんがいる」
また、兄ちゃんのバレーが見れる。もう二度と見れないと思っていたけど……バレーボールを続けてよかった。そして兄も、続けてくれてありがとう。兄は今、どんな顔をして、バレーボールをしているのだろう。新しい仲間とのびのびやっているだろうか。憧れの兄でいるだろうか……。
そして、練習試合当日。家では、直接試合のことに関する話はしなかったけど、伯斗はずっとこの日を楽しみに思い続けていた。
試合の順番が回り、総武学院と市立中央が対戦する番になった。
「この試合、俺のサーブスタートでいいか?」
「え? あぁ、まぁいいんじゃない?」
「とすると、琉生が表エースだな」
「オッケー」
いつもは自分が表エースだけど、この試合はまず、サーブで兄のバレーを見たい。ボールを持って、伯斗はネットの先の兄の前に立った。懐かしい、この感じ。昔はよく自主練で、サーブカットの練習をこうしてやっていた。
「兄ちゃん、いくよ」
兄ちゃんはレシーブが上手い。その兄をどう攻略しようかと悩んで悩んだあの時間こそが、今の自分のサーブの源。
「伯斗、バレーボールは、なにも、強さだけの勝負じゃない」
「ん?」
「読むんだ。相手を、空気を、流れを、そして......自分を」
兄に言われた言葉、今でも鮮明に覚えている。自分を読めば、今の答えをひとつだけ。真っ直ぐ、正々堂々と自分のジャンプフローターサーブをぶつけること。それでも、兄は……。兄は……。
兄は……拾えなかった。いつも期待の上を行く兄なのに、目の前の兄の目は狼狽えていた。何本打っても、やはり、憧れの兄は横どころか、もうどこにもいなかった。
兄のレシーブミスが続き、とうとう兄は交代させられてしまった。
「あいつ......俺が今やっと兄ちゃんとバレーできたのに、それを邪魔しやがって……」
伯斗は苛立ちだ隠せずにいた。何もかもが変わってしまった。
「俺のことが邪魔だったんじゃないのかよ......」
自分と同じ空間でバレーをすることすら、兄にとっては苦痛なのだろうか。それとも、兄の実力は、あんなものだったのだろうか。結局、その日の試合は、久しぶりに朔斗とバレーできたのに、いつもと変わらず、景色は色褪せていた。
中学生のあの日、置いていかないでくれと腕を掴んだが、それは間違っていたのかもしれない。置いて行ったのは自分の方だ。その事実に気づいた時から、伯斗はあらゆるものがどうでもよくなった。夏の大会、トーナメントで市立中央が勝ち進めば準決勝で我々と当たることを知った時も、同じだった。
初戦が終わった時、市立中央が初戦を戦っているのが見えた。伯斗の目は自然と兄の姿を追っていた。兄の背中が目に入った時、伯斗は失っていた感情が蘇ってくるのを感じた。顔は見えない、目も見えない。それでも、兄の後ろ姿はカッコよかった。愚かだと分かっていても、あの姿を見たら、期待は胸を染め上げてしまう。
その後、市立中央が二回戦を勝ち上がり、昨年自分たちが負かされた宮平を破ったと聞いた時は、無性に嬉しさを感じた。あとひとつ、お互いに勝てば......。
「あっちのコート、試合終わったって」
「えぇ、すげぇ番狂わせじゃん」
噂を聞き、伯斗は、ざわつく人だかりをかき分けて、ロビーに貼られた結果を記したトーナメント表を見た。市立中央はの赤いラインは千間台、水名、宮平、そして4強の海原北溟を破って準決勝まで伸びている。伯斗はそれを知って自分のことのように喜んだ。そして、反対側で線を伸ばしていたのはもちろん、総武学院だ。
(もう一度、戦うのか......)
伯斗の心は複雑に回っていた。また試合ができる嬉しさもあったけど、この期待がいつも自分を苦しめている。自分はいったい、この試合とどう向き合えばいいのだろう。この問いは試合開始直前まで消えることは無かった。
「ただいまぁ」
大会最終日の前日の練習を終えて、家に帰ると父親と朔斗がリビングで話していた。
「父さんは、お前のやりたいことができるとこに行けばいいと思ってる」
「......それなら、俺はこっちにする。バレーボールはこの大会で辞めるよ」
その言葉を聞いて、伯斗はさっさと自分の部屋に行けばよかったと後悔した。三年生は冬の春高まで残ることもできる。伯斗は大学から推薦の話が何個か来ていたので、残るつもりだった。でも、兄はきっとこの夏の大会でやりきるつもりだ。ふと、部屋に飾られた小さい頃の写真が目に入った。二人でボールを持って、同じユニフォームを着て、笑っている。兄が始めなければ始めなかった道を、自分は今歩いている。伯斗のバレー人生においては、朔斗はただの兄ではなく、恩師だった。その恩師の道を最後、終わらせるかもしれないのは、自分なんだ。
でも、その気持ちの揺らぎは、今日、全部消えた。試合前、エンドラインに並んで久しぶりに正面から顔を合わせた。その目は炎が宿っている。あの日とは違う。それを見て、伯斗は内側から何かが湧き上がる気持ちになった。
「......兄ちゃん、いるじゃん」
どこにもいないと思ってた。でも信じることをやめられなかった。何度も何度も現実を突きつけられては期待して、絶望した。探し続けたあの日の兄は、ネットを越えた約20m先にいる。
「こんなでっかいとこで兄ちゃんとバレーするなんて、中学ぶりだなぁ」
「伯斗、いつにまして元気じゃん」
「だって、違うんだもん。兄ちゃんの目が」
嬉しかった。一本目、レシーブミスをした時の切り替え、その後のスパイクやチームを盛り上げ、引っ張っていく姿。憧れの存在が目の前にいることに、伯斗は嬉しさを隠せずにいた。
でも、もう敵だもんね。二セット目を落とした時に悟った。次の一セットで運命が決まる。もちろん譲る気はない。寂しいけど、夢から醒めてしまったけど、ここからは胸を張って違う道を行くんだ。
「バイバイ」
伯斗は初めて、サーブで朔斗以外を狙った。そのサーブは突然狙われたりリベロの体勢を崩した。乱れたカットに応じて、セッターがオープンをあげる。
「少しズレてるぞ、チャンス!」
しかし、少しして、それはズレではなく、作戦だったことが明らかになる。徐々にトスの正体が明かされ、総武学院が気づいた時には、朔斗がバックアタックのインパクトに至っていた。ボールは勢い良くコートに返ってきて、伯斗と小野の間に落ちた。間もなくして、会場がどっと沸きあがる。
「そろそろ立て直さないと、ほんとに持ってかれるぞ」
「あぁ、わかってる。もう容赦はしない」
兄がその気なら、自分だって本気を見せる。兄が言っていた、自分なら見える景色、見に行くぞ。伯斗はジャンプフローターサーブをAカットでセッターにあげた。そのままセッターとアイコンタクトを取り、助走に入る。セットアップに合わせて大空へ飛び上がり、ネットの先を見る。上空約3m、隔てられた先には兄の率いるチームがいる。そして今、この空にはボールと自分の二人きり。伯斗はその光景にほんの少し見惚れてしまった。
「綺麗だ......」
伯斗は隙を見て、コートの奥の隅を狙って打ち抜く。力の伝わったボールはそこを目掛けて飛んで行った。




