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葉月の奇跡 season 1  作者: 岩河尚輝
Ⅵ vs宮平高校篇
33/53

30.”最強戦線”

 市立中央がマッチポイントになった時、宮平高校の監督が最後のタイムアウトを取った。その時には、篤の視界はもうほとんど霞んでしまっていた。とりあえず口に水分を含もうとスクイズに手を伸ばしたその時だった。


「なぁ、篤」


 羽月の声は震えていた。焦りか、怒りか、はたまた興奮か、篤にはその震えの正体が分からなかった。


「お前さ、俺のこと勘違いしてるぞ」


「え......?」


「お前、俺があいつの方に行くとか、そんなこと考えてんだろ」


「......んなこと......」


 羽月の言っていることは篤にとって図星であった。でも、それを認めたら、羽月が本当に自分のもとから消えてしまう気がした。羽月がいなかったら、またあの頃の自分に戻ってしまう。自分が何者なのか分からなくなってしまう。


「確かに、俺はあいつに出会って、変わった。だけど……」


 すると、羽月は一度深呼吸して、それから息を大きく吸い込んで叫んだ。


「......俺は!」


 歓声の熱気にも負けないほどの突然の叫びに、宮平の部員たちの注目は羽月に集まった。


「俺は、他の何者でもない」


 耳を劈く声が部員たちの、篤の心をしっかりと掴んで離さなかった。


「......宮平のエースだ!」


 その瞬間、霞んでいた視界から溢れた涙が、篤の頬を伝った。たった一言なのに、そして当たり前のことなのに、何故自分は泣いているのだろうか。篤には分からない、いや、分かろうとしてはいけないのかもしれない。それでも確かに、理屈ではない何かが宮平のチーム全体を包んだ。それから、羽月は篤の方へ向き直り、篤の肩をがっしり掴んだ。


「お前は、何者だ?」


 はっとした。羽月の声は何にも包まれずにいつも真っ直ぐに届いてくる。だからこそ、羽月にしか見えない景色がある。その景色を羽月の言葉が教えてくれる。でも、その景色を最後、見るのは自分の目だ。そう、何者なのかという問いに、羽月は要らない。必要なのは確固たる自分なんだ。


「俺は……俺は……」


 涙を堪えて、荒くなった呼吸を落ち着かせた。


「......俺は、宮平の……セッターだ!」


 篤は部員たちの顔を見た。この言葉を何故ずっと言えなかったのだろう。その後悔を感じながらも、背負ったのは自信とみんなの思いだった。


「......よし、俺は最後の最後まで打つ。だからみんなで繋ぐぞ」


 羽月がちらりと篤の方を見てにやりとした。羽月はどこにもいかない。ずっとそこにいた。あの日と同じ嘘偽りない笑みがそれを確信させてくれた。そして、試合再開の笛が鳴る。


「”最強戦線”、発動だ」


 レシーブして、トスをして、スパイクを打つ。繋いで、繋いで、一年を、一日を、一時間を、そして一本をひとつの線にしてきた。線を繋ぐ度に笑って、泣いて、ここまで来た。


「”最強戦線”......いい響きだ」


 馬鹿っぽくて、でもその馬鹿っぽさが自分たちだった。


 相手はもちろん容赦なく打ってくるが、衛士郎のブロックが攻撃を弱めた。相手の嫌なとこをつく性格の悪さ、能天気な人柄、それも全部チームのためだった。チームの一点のため、チームの雰囲気のため、自分の嫌なところも全部さらけ出して、武器にしてくれた。


 そのチャンスボールを楓雅がレシーブする。安定している彼のレシーブにいつも助けられてきた。年齢などに関係なく、ひたむきに努力していた。たとえ三年生が弱っても、楓雅は怖気づくことなく、果敢に戦った。まさにエースの器。次の宮平を担うのは楓雅しかいない。


 ボールはセッターの手へと渡る。篤のトスは温かい。初めは無機質で寂しくて冷たかったけど、何本とボールを繋ぐ度にどんどんと温かみを帯びた。冷静なフリをしているけれど、羽月は知っていた。篤の弱さも、迷いも、優しさも。


 完璧な人間なんていないし、完璧なチームなんてない。だから面白いんだ。羽月は残りの力を全て湧き上がらせて、一心に大空へと飛び上がった。


 目の前に立ちはだかるは市立中央。あの日、彼らを見た時に何故心が躍ったのか。羽月はやっと答えを見つけた気がした。もっと早く見つけて、それをうちのチームでも実践したかった。その悔しさもバネに替えて、羽月は全身に溜めたエネルギーを全て放って打ち込んだ。そのスパイクをブロックが確実に捉えて叩き落す。この刹那が永遠であれば、どれだけ心地いいか。コートに降り注ぐ特別な光を、願わくばいつまでも浴びていたかった。


「繋ぐ......か……」


 間もなくして、戦いの幕を閉じる笛が歓声とともに鳴り響いた。






 試合途中で倒れた優斗は、その後の診断で大事ではないことが分かった。今日と明日を安静にしていれば、最終日には間に合うと聞いて、航生は一段と次の試合に燃えていた。


「航生のやつ、調子良い感じじゃん」


「そうだね。優斗と比べても遜色ない感じ」


「頼もしい限りだな」


 すると、後ろから寛斗たちを呼ぶ声がしたので振り返ると、羽月が手を振っていた。羽月はジャージに身を包み、エナメルバッグを肩にかけて、こちらにやってきた。


「リベロ、大丈夫だったのか?」


「あぁ、今日の試合は厳しいけど、最終日には間に合うって」


 寛斗の最終日を見据えた言葉を聞いて、羽月は相変わらずの太陽のような笑顔を見せた。


「そうだな、それならまたユニフォーム着れるな」


 羽月はエナメルバッグから一枚の紙を取り出して、寛斗に渡した。


「これは篤からだ。本当は俺たちが使うように篤が分析してくれたんだけどな、お前たちに託すよ」


 紙には「海原北溟」と記され、細かく相手の弱点や特徴が分析されていた。おそらく勝ち上がってくるであろう、4強のひとつの海原北溟高校は、市立中央も対策は考えていたが、それを上回る情報量に寛斗は感謝と感銘を受けた。


 寛斗がその紙から目線を上げると、羽月は先ほどまでの朗らかな雰囲気から一転して、真面目なトーンになった。


「......俺たちの最後がお前たちで良かった」


 寛斗はその一言を聞いて、心がぎゅっとなった。自分たちの手で、目の前の彼らの未来を終わらせた。羽月の顔をよく見てみれば、目が少し充血している。先へ進む道をもらい、標も貰った。そして三カ月前には、逆境を乗り越えるきっかけもくれた。それならば、俺たちがすることはただ一つ。我武者羅に突き進むだけ。


「俺たちは宮平じゃないから、お前たちの分まで勝ってくるなんて言葉は容易く言えないけど」


 責任がある。ここまで繋いできた沢山の者たちの思いを背負う責任が。


「......絶対に忘れないから、今の試合」


 予想外の言葉に羽月は一瞬目を丸くしたが、それから大きく笑って寛斗の肩を叩いた。

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