28.一秒でいい
航生の視界に映ったのは、裕太郎の腕に倒れる優斗だった。
さっきまで普通に話していたのになぜ......。航生が最後に言われた「あとは任せた」という言葉が妙に重く感じられたのは、このことだったのか。控えの選手や観客席にいた健介たちだけじゃなくて、コートに戻ろうとしていた寛斗たちもベンチに向かっているが、航生はコートから足を動かせなかった。一刻も早く先輩のもとに駆け寄りたいのに、足が動かなかった。それから数刻して、スタッフの人が優斗を連れて行くまで、航生はその場を動けなかった。
事態が収まって試合が再開されることになった。選手たちも心配が残るものの、まずは目の前の試合へと各々切り替えていたが、航生はどうしたらいいのか全く分からなかった。
「航生! いったん切り替えろ」
「ダメだ......あいつ、頭の中真っ白だぞ」
寛斗たちはもちろん、ベンチの空や康介も声をかけるものの、航生の耳にはいまいち届いていない様子だった。色々な言葉が入ってきても、頭の中で靄がかかっていて、何も見えなかった。動きたいのに、動けなかった。
その時だった。会場の熱気にひとつの声が轟いた。
「航生! 目を覚ませ! お前は今、チームのリベロだろ! 選ばれし六人のうちの一人だろ!」
航生はハッとした。懐かしい声、懐かしい言葉、振り返らなくともその声の正体が分かった。その声は頭の靄を瞬く間に取り払って、再びコートを見せてくれた。
「ありがとう......先生」
それから航生は思い出した。初めて優斗に出会った日。兄の大会について行った時に、偶然市立中央の試合を目にした。その時、一人のリベロが、航生の目を奪った。それから半年して、今度は偶然ではなく自らその扉を開いた。開くとそこにいたのは、半年前に航生の目を奪ったあのレシーブだった。丁寧かつ大胆で、そして何よりチームを一番後ろから支える安定感がそこにあった。今までは目指す場所などなく、ただ自分が努力すればいいと思っていたけれど、先輩に会ってから目標ができた。先輩みたいなリベロになりたい。そんな存在に貰った「任せた」という言葉。その重みはただの重さではなく、どこか心地の良いもので、炎を宿すものだった。
「先輩と……一秒でいい......」
相手のサーブを朔斗がなんとか拾ってダイレクトで返した。いつもの呼吸、いつものリズム、いつもの動き、それと少しの「心」を。
「......少しでも長く......同じチームの選手でいたい......!」
相手の攻撃が予測できないなら、自分たちもその領域へ行けばいい。感覚を研ぎ澄ませて、見える景色を信じて。衛士郎の奇想天外なクイック攻撃が再び叩き込まれ、ブロックが追いつかずに誰もが失点を確信したその時、ボールの進み先に航生が伸ばした腕があった。
ボールはセッターの場所へ確かに飛んで行く。祐飛はすぐにセットアップに入った。それから少し遅れて会場が湧き上がった。
「あいつ......やりやがった……!」
観客席にいた一人の男性は航生のレシーブを見て、手を強く握った。点が決まったわけでも、勝敗がついたわけでもないのに、込み上げてくるものが視界を滲ませた。あの時、己の無力さに泣いていた小さな背中は、チームを支える大きな背中に変わっている。もう道に迷うことなく、リベロでいることを誇っているように強く感じられた。
祐飛は航生のディグを確実にレフトへ送った。レシーブでもサーブでもスパイクでも応援でもいい。何か一つが確かにチームにあること、それがまだ繋がっていなくても、それが流れを変える道標になる。今、流れを変えるのは、この航生のディグだ。決して落としてはならない、必ずや点に還元せねばならない。その気持ちは市立中央のメンバー全員が抱いていた。朔斗がもう一度エンジンをかけ直し、強く踏み込んで飛び上がった。彼が渾身のスパイクを叩き込んだ時、市立中央の反撃の合図がした。




