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葉月の奇跡 season 1  作者: 岩河尚輝
Ⅳ 総武学院練習試合篇
16/53

14.しがらみ

「風上、西村と交代」


 主審の合図で交代が執り行われる。サイドラインを挟んで郁瀬と朔斗が手を合わせた。


「......すまん、情けなくて」


 少し低い郁瀬の視線が、朔斗を見上げる。


「先輩が立て直すための時間、稼いできます」


 郁瀬にそんなこと言われると思ってもなかった朔斗は、やっと、根詰めた表情を和らげた。


「......あれ、一年生か」


「エースと交代させるってことは、こいつもなかなか才能あるんじゃね?」


「まぁあいつらは、伯斗のサーブをまず取らねえとな」


「......どうせ、大したことない」


 一年生の投入は総武学院も予想しておらず、少なからず動揺はしていた。しかし、そう簡単には揺らぎそうになかった。交代してすぐに、寛斗は郁瀬に声をかけた。


「郁瀬、今はお前だけがまだ何にも染まってない。自分の色を弾けさせろ」


 寛斗の言葉を胸に、郁瀬は朔斗のポジションについた。きっと点を取って朔斗が前衛に出たら交代する予定だったのだろうけど、それを早めて後衛から入ることになった。郁瀬は後衛として試合に出るのは高校生になって初めてだった。


「厳しかったらすぐに頼れよ。ここのサーブはすげぇ厄介なやつだからな」


「は、はい......」


 緊張している場合じゃない。寛斗が言ったように、ここで流れを変えられるのは自分だ。何かしらで着火させれば、自分たちの才能は爆発する。そうすればきっと、総武学院とも戦えるはず......。


 伯斗は朔斗の交代に不服らしく、さっきの表情とは打って変わって、イライラしているように見えた。


「あいつ......俺が今やっと兄ちゃんとバレーできたのに、それを邪魔しやがって……」


 その伯斗のサーブは今までより力が込められて飛んできた。スピードもボールの重みも増している。しかし、その分変化は少なかった。


「オーライ!」


 ストレートな攻撃を得意とする優斗は、変化の少ないサーブが来たため、そのチャンスを見逃さなかった。優斗の腕に吸収されたボールは勢いを殺し、やっと祐飛の元へ完璧に届けられた。


「......ブロック高いな」


 今、チーム一の戦力である朔斗はいない。前衛のレフトの寛斗は完全にマークされている。啓司は後衛なのでライト攻撃は使えない。裕太郎のクイックも、リードブロックの総武学院には効き目が薄い。となると……。


 祐飛は一つの答えを導き出し、その者とアイコンタクトを取る。エースに代わったお前は、今のエースだ、と。


 郁瀬はいつの間にか雑念を捨てて、ほぼ無意識で助走に入っていた。......まずい、いつもこのゾーンに入ると、あいつがやってきて目の前を真っ暗にする。


 しかし、目の先にあったのは暗闇ではなく、信じ続けたボールだった。祐飛から送られてきた完璧なバックアタックのトス。嫌な予感を感じている暇すらない。自分が今すべきこと、それはチームの着火剤になること。


 郁瀬が腕を振り下ろした先に、ボールは丁度あった。ミートするところ、インパクトの位置、高校に来てから一番いい感触だった。郁瀬のスパイクはドライブ回転で加速し、相手コートに叩きつけられた。


「はぁ、はぁ......」


 手がジンジンする。その感覚はどこか懐かしかった。血流がめぐり、熱となって体の芯へ伝わり、鼓動となって、湧きあがる。久しく会っていなかった感情が内から込み上げてきそうにあった。そして笛が鳴り、その瞬間に我に返る。......打てた、やっとしっくりくるように打てた。二か月前は怖かったスパイクが、朱俐の影響を受けて、今、やっとスタートラインに立てた。


 寛斗をはじめ、チーム全員が郁瀬に駆け寄る。総武学院から初めて点を取ったのは、郁瀬だった。


「郁瀬! やっと打てたな!」


「はい......まだまだスタートラインに立てたってところですけど……」


「でも、今のスパイクは全然怖がってなかったろ」


「今の一点はデカいぞ、これでこっちに流れが来る」


 先ほどの熱と感情が全身を包み込み、郁瀬はまだまだ飛べそうな気がした。


「あいつ、一年だろ。あんなバックアタック打てるのがいたとはねぇ」


「まぁ、これでやっと勝負できそうだな」


 しかし、総武学院のコートには一人だけ全くこの空気に飲まれずにいる者がいた。


「......甘い......」


 ローテーションで郁瀬は前衛に上がり、ネット越しにその存在を発見した。ミドルブロッカーなのでセッターと一緒にネット前で待機しているのだが、明らかに一人だけ異質な空気をまとっていた。すると突然、そいつが声をかけてきた。


「お前、今ので調子乗んなよ。お前にバレーの才能無いから」


「......は?」


 郁瀬は突然ぶつけられた攻撃的な言葉たちに呆然とした。脳内で理解するよりも前に体の外側を物理的に傷つけられたような、そんな感覚だった。彼は傷つく郁瀬を認識した上で畳みかける。


「だって、今のスパイクも、打つの怖がってんじゃん。スパイク怖いってバレー向いてないでしょ」


 11と刻まれた背番号の者は低い声で現実を突きつけ、嘲るように笑った。


「先輩、12番はマークしなくても大丈夫ですよ。たぶんもう大したの打てないですから」


 彼の言葉で、郁瀬は一気に夢から覚めた気がした。今のスパイクは、確かに市立中央のバレー部に入部してからの自分の中では確実に一番上手く打てた。けれど、朔斗や寛斗、羽月、朱俐、彼らのスパイクと今の郁瀬のスパイクを比べれば、実力差があるのも事実だった。今は、ノーマークで油断していたから決まっただけ。次もう一度同じスパイクが打てても、きっと総武学院の防御力は及ばないだろう。静かに息を潜めていたあいつが再び郁瀬の目の前を暗くした。


「郁瀬! しっかりしろ、あいつの言うことなんて気にすんな」


「はい、ありがとうございます......」


 裕太郎のフォローを頭の中で繰り返して、心を落ち着かせようとしたが、自分のことはもう見えなかった。


 祐飛は郁瀬の異変に気づき、トスをレフト以外に散らばるように上げようとした。しかし、相手は容赦なく崩してくる。ディグをした寛斗とフォローに入った啓司は一歩遅れていてバックアタックの選択肢は選べない。裕太郎のクイックも完全にマークされている。


 祐飛は苦渋の決断で郁瀬にトスを送った。今、郁瀬にスパイクを打たせたら、彼の復活をまた振り出しに戻してしまうかもしれない。セッターとして、先輩として、未来の卵の成長の兆しを摘みたくはなかった……しかし、選びたくなくとも選ばざるを得なかった。


 郁瀬も祐飛の気持ちには気づいていた。コートの六人のうちの一人として立っている以上、個人的な問題でチームの足を引っ張るわけにはいかない。それは分かっているのに、目の前にあるはずの、さっきは見えたはずのボールが……見えなかった。


 郁瀬は無理矢理助走に入った。過去のしがらみが自分の体をがんじがらめにしている。


「......なんだよ、夢って。小学生かよ」


「......俺たちと郁瀬は違うんだよ」


「......もう正直、付き合いきれねぇよなぁ」


「......勝つとかどうでもいいんだけど。そんなに熱くなってるの、ダサくね?」


「......なんか郁瀬とはもうバレーしたくないわ」


「......郁瀬、お前はこのチームにらない存在だっていい加減気づけよ」


 まずい、体が……動かない。飛びたくても......飛べない……。


「俺は……要らない……」


「郁瀬!」


 トスは郁瀬の頭上を通過して、地に落ちた。また、打てなかった......。


「西村、戻れ」


「はい」


 こうして、郁瀬はわずか1ローテーションでコートから去ることになった。信じてトスをくれた祐飛にも、必死に繋いでくれた他の人にも頭が上がらなかった。依然、郁瀬の視界は真っ暗で、ただ先ほどのジンジンする手の感覚だけが微かに残っていた。


「あんまり気負うなよ。ゆっくり休みな」


「はい......すみませんでした......」


 朔斗のフォローに郁瀬は茫然として何とか謝罪し、コートを出た。交代する時に先輩に豪語したくせに、期待に応えることができなかった。なんて情けないのだろう......。


 その後も圧倒されるばかりで、市立中央の攻撃は全く歯が立たなかった。スパイクはもちろん、朔斗が戻ったことで伯斗の集中攻撃は再開されたし、ブロックも徹底されている。そして何より苦しめられたのは、サーブだった。特に、郁瀬の心を砕いたあの11番のサーブが、総武学院の出場選手の中でも群を抜いていた。


 市立中央は、そのまま押され続け、結局25-10で敗れ、厳しい練習試合の幕開けとなった。


 それからというもの、続く魚海戦、神葉西戦、和野城戦、神止上代戦と全て完敗を喫し、試合内容もあまり芳しくはなかった。


「まぁ簡単に行くわけないよな......」


「......この悔しさ、宮平戦の時みたいだ......」


 朔斗は一試合目で狂わされた調子がなかなか戻らず、朱俐や康介と交代することが多かった。もちろん郁瀬は、あの試合以来、その名を監督に呼ばれることはなかった。市立中央にとって、殊に朔斗と郁瀬には大会を前にしてかなり傷の深い一日になった。

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