9.春嵐
「じゃあ次の相手は……」
「宮平高校、成績は格上の相手だな」
俊太郎は先ほどの朔斗との会話を思い出して嫌な予感がした。よりによって県大会決めの試合にダークホースと当たるなんて......。俊太郎はただひたすらに、その悪い予感が外れることを祈った。
しかし、運命の歯車は既に回りだしていた。
「はぁ、はぁ......。一本、一本! ここ切るよ!」
先ほどの魚海北戦とは違って、コート内には重苦しい空気が垂れ込んでいた。
波に乗る相手のサーブは、いつもに増して上手く見える。普段の練習で何百本と受けてきたフローターサーブなのに、思うように上がらない。皆、原因も分からないまま失点だけが重なっていき、勝利がどんどんと遠のいた。
「なんで......」
攻撃をしても通用しない。流れを変えるきっかけを作ろうとしても、そのきっかけすら作れずにいた。相手の点が重ねられる度に、遠のいていく。変わることは絶対にないのに、ネットが高く見える。声は出しているのに、通じ合っていない。それどころか、声を出せば出すほど、その音がぶつかり合って、コート上の六人を反発させているように感じた。反撃も立て直す余裕もなく、結局試合はストレートで宮平が勝利した。
「負けちゃった......県大会どうなるんだ? 郁瀬」
「えっと……でも一回戦勝ってるから......」
まさかの敗戦に郁瀬も動揺して言葉を失っていた。
この大会はベスト8が県大会の切符を手にし、残り一枠は一勝したチームの中から一チームが手にする。負けてしまった市立中央は、県大会へ行くためにはかなり厳しい戦いが待っていることになる。
春の天気は変わりやすい。外は暗雲が立ち込め、いつの間にか雨が降っていた。その天気が直接チームにも反映されたかのように、先輩たちの重苦しい空気は、健介たちでさえ伝わっていた。不完全燃焼に終わったその姿は、一試合目の時の背中よりも暗く見えた。
試合後、寛斗たちは頭を冷やそうと体育館のロビーで休んでいた。窓の外の雨は止むどころか、一層強まっているように見えた。
「自分たちが見失ってたことってなんだよ......」
監督は試合直後の集合で、「お前たちは大切なことを見失ってた」とだけ言い残し、答えは自身で探すようにと促した。
普段はどれだけ格上の相手と戦おうとも、市立中央の部員たちは打たれ強く、めげることはなかった。雰囲気が悪くなりそうな時は、三年生がいつも新しい風を吹き込んでくれた。それが今は吹いてこない。一年生だけでなく二年生も、このような三年生の姿は初めてだった。
「おやおや、市立中央さんや」
突然名前を呼ばれたので、声のする方を向くと、そこにはライムグリーンのユニフォームを着た宮平の選手たちが立っていた。
「ひとついいことを教えてやるよ。お前たち、目の前しか見てなかったよな。あの試合、戦ってて全然面白くなかったよ」
「......!」
「魚海北戦見てて、こことやったらめっちゃ面白そうって思ったのにね」
「最後のサーブなんか、特にそうだったのに......なんか期待しすぎだな、損したわ......」
ぶっきらぼうに放たれたその言葉は座り込んでいた市立中央の全員に響いた。特に「面白くない」という言葉が寛斗の目を覚まさせた。
すると、気が済んだのか、最初に声をかけてきた4番が数歩近づいて、寛斗の前でしゃがんだ。
「ま、なんか君たちとはまたどっかで当たる気がするからさ、その時見せてくれよ。お前たちが面白い奴らか、面白くない奴らか」
4番は立ち上がり、捨て台詞のようなものを残して、宮平の選手たちが去ろうとした時、後ろから宮平の2番のユニフォームを着た者がやって来た。
「ちょっと、羽月たち! またいちゃもんつけてんの? いい加減にしなって」
「いちゃもんじゃねえよ、正々堂々さっきの試合の感想を言っただけだ」
「それがいちゃもんだって言ってんの、まったく......うちの奴がほんとにすみません。あ、俺、宮平高校の部長の羽柴です」
4番のユニフォームの首元を掴みながら、2番の選手が名乗った。それに続き、周りにいた宮平の選手も自己紹介する。
「俺はエースの黒田羽月だ」
4番の黒田は堂々とした出で立ちで寛斗たちを見下ろす。
6番を着た者は、「オポジットの古谷でーす」と軽々しく言って笑った。
「米田っす......これ挨拶する意味あるんすか」
10番の米田は機嫌が悪いのか、イライラとした口調で黒田を見た後、市立中央の方を睨んだ。
「ある。絶対またどこかでこいつらと当たるって、俺の勘がそう言ってる」
「もういいから、羽月も出鱈目なこと言わないで。それじゃあ失礼します。ほら行くよ」
礼儀正しく頭を下げた彼は部員たちを帰るように促した。郁瀬はその瞬間、羽柴と目が合ってゾッとした。その目は丁重な謝罪の言葉や愛想笑いとは裏腹に、一切笑みなどなかった。
突きつけられた答えを前にし、寛斗たちは言葉を失った。自分たちのアイデンティティを見失っていた。その答えが最も腑に落ちる。でもそれを自分たち自身で気づけなかった悔しさが、部員、特にコートに入っていた七人に滲んでいた。
すると、すぐにまた羽月が小走りで戻って来た。
「......これ、さっきベンチに忘れてたぞ」
そう言って羽月は水色のタオルを突き付けた。
「あ、ごめん俺のだ。わざわざありがとう」
そのタオルは優斗の物だったらしく、受け渡すと羽月はどこか恥ずかしそうに目線を逸らした。
「......まあお前ら、こんなとこで負けるたまじゃねえだろ。......あと一枠、お前らが取ってこいよ。じゃないと俺たちだってやりきれねえから」
それだけ言い残して、羽月は走って去って行った。しかしながら羽月が残していったその言葉が、暗雲立ち込めたその場に風を吹かせた。本降りだった雨は小雨に変わり、遠くの方の空にはうっすらと光が差し込んでいる。
「......ほんとに、全部あいつの言う通りだ」
「まだ終わってねえもんな」
「三勝して県大会決めようぜ」
部員たちは、凍りついていた場の空気が少しずつ温まって溶けていく気がした。寛斗らは立ち上がり、メインアリーナの方に見る。コートもボールも光も、まだそこにあった。
すると優斗が航生を肩を組み、もう片方の手で寛斗を誘った。そこから自然と全員が繋がり、円陣が組まれた。後ろに道はない。それならば、前へ進むのみ。雨は止んで、
「よし。黒田も言ってた通り、絶対に県大会行くぞ!」
再生の叫びはロビー中に響いた。それを柱の陰から弥生は静かに見守っていた。
翌日、大会二日目。運命の三戦がついに幕を開ける。
「みんな準備はいいか?」
「ああ」
「昨日、中途半端に終わっちゃったからな。巻き返すぞ」
前日から身も心も一新して、黒に朱色のラインが入ったユニフォームを身に纏い、再び灯された心の炎が意気揚々としていた。
その勢いのまま、初戦の神葉大学付属高校戦は、高身長が揃った相手にも関わらず、25-13、25-15と圧倒して勝ち上がった。
「航生調子いいじゃん」
「あざっす。優斗先輩のおかげっす」
「俺のおかげ?」
優斗は身に覚えのない感謝に惚けた表情をした。
「はい。家帰って、優斗先輩のレシーブの動画見てたら、昨日の宮平戦でレセプション上手くいかなかった理由が何となくわかった気がして......」
昨晩、航生は記録用の宮平戦の動画と、過去の試合の動画を見比べていた。レシーブのタイミング、体の姿勢、勢いを殺して味方に優しい一段目を送るためのコツをつかむべく、航生は優斗の試合の姿を研究した。航生にとって、優斗が一番のリベロだから。
「俺が言うのもおこがましいですけど……先輩はこのチームに欠かせないに決まってるじゃないですか」
「お前......大口叩きやがって」
そう言いつつも、優斗は笑みをこぼしていた。コートの外から見守るだけのはずだった存在が、勝利に貢献できている。スタメンを外された時からずっと心のどこかが欠けている気がしていたが、それは不覚にも後輩の言葉で埋められた。
続く二戦目、星野高校との試合。序盤はこちらのミスが目立ち、相手の強いスパイク力に翻弄され、追いかける展開となった。しかし、17-19の時、
「レフト!」
朔斗のトスを呼ぶ声が聞こえ、祐飛がいつものトスを上げようとしたとき、普段とは違うところに啓司がいた。
「俺もいるぞ」
啓司と一瞬目が合った時、その視線が祐飛に向かって訴えていた。裕太郎のクイックの助走と同じタイミングで啓司もクイックに入る。今大会で啓司にあげたトスはライトのオープントスのみ。それでも、その一瞬で、何通りもあった攻撃から、勝利の未来へ繋がる方程式が啓司に向かっているのを祐飛は確信した。
(この苦しい流れを変えるのは、お前か)
気づくのが遅れた悔しさもあったが、祐飛の心はこのトスから始まる逆襲へのワクワクの方が勝っていた。
「ぶちかませ」
裕太郎のクイックのジャンプに合わせて、啓司がCクイックの位置で踏み込む。
「Cかよっ......!」
星野のブロッカーは咄嗟に裕太郎のマークを啓司にずらすが、啓司は何も恐れていなかった。
「そう来ると思った」
啓司が飛び上がった先はそこではなく、斜めにブロードした。
「ブロード......!」
そこに、未来を読んでいたかのように祐飛のトスが滑り込んでくる。クイックに飛んでしまった星野のミドルブロッカーも、レシーブと判断し下がっていたレフトスパイカーも間に合わない。遂には、啓司のスパイクが誰にも邪魔されることなく地に叩きつけられた。
「......!」
笛とともに喜びが炸裂し、歓声がどっと湧き上がる。
「ナイスキー啓司!」
「ナイストスだよ、祐飛こそ」
啓司と祐飛はハイタッチした。そこに英成たちも加わる。
「ブロードかよ。俺たちもびっくりしたわ」
「敵を騙すには、まずは味方からって言うしね」
「いいぞ、このまま流れ持っていこう」
この攻撃が起爆剤となり、市立中央の流れが来た。攻撃の手数が増えたことで相手を翻弄しやすくなる。マークされていた朔斗のスパイクも、ブロックが少し脆くなり、きちんと点に繋げることができるようになった。
「啓司のブロードのおかげで打ちやすくなったよ。サンキューな」
「......まだまだこれから。喜ぶのは県大決めてからだろ?」
「ああ、もちろんだ」
そのまま流れに乗って逆転し、25-21で抑えた。二セット目も勢いそのまま、25-18で勝ち取り、市立中央は代表決定戦へと駒を進めた。
「今の試合、ミス多かったな」
「ああ、細かい所修正していこう」
「次の相手は明聖学園だから、ライトのサウスポーに注意だな。気を緩めずに県大会決めてこよう!」
昨日の宮平戦の後とは別人のように、自分たちの試合を分析、確認して次の試合へ繋げていく。一年生も二年生も三年生も、下を向いている人はもう、誰一人いなかった。