表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

その婚約破棄、ちょっと待った!

いくつかの婚約破棄騒動と、その顛末。

作者: 天木奏音

 それは今から12年前、ある小国での出来事。


 その国は、女性の地位がとても低い国でした。平民でも貴族でも女性は決して家長になれず、望んだ仕事に就くことも、結婚相手を自分で選ぶことも出来ません。どんなに優秀な女性でも、その前提を覆すことは出来ませんでした。


 そんな中、公爵家から王家に嫁いだ王妃様が女児を出産し、産後の肥立ちが悪くそのまま帰らぬ人となりました。


 幸いにも、王弟殿下夫妻に3人の男児が生まれていたので、その子たちの中から最も優秀な子を次期王にすればいいと、誰しもがそう思っていました。


 だけど困ったことに、その子たちは皆努力が嫌いで、立場を笠に着て威張り散らすような我儘な子ばかりでした。それでも他に王位を継げる男児が居ないので、この3人の中から選ばなくてはなりません。


 一方で、亡き王妃が生んだ王女は、王宮に居場所がなく公爵家で育てられましたが、とても優秀な子供でした。才女と名高かった母親と、武勇で知られる父親の良いところを余すところなく受け継いだ、文武両道な少女に育ったのです。


『王妃殿下の御子が男児だったらよかったのに』


 王家の実情を知る貴族たちは、口々にそう言いました。そのため王弟殿下は、王位を継ぐことになる息子と王女様を結婚させることにしました。そうすれば全てが丸く収まるし、みんなが幸せになれると思ったからです。


 そして王女様は、16歳の誕生日に忽然と姿を消しました。


◇◇◇


 ここは、大国エルディアーレの貴族学園内にある秘密の相談所。

 婚約者とギクシャクしていたり、身分違いの恋に身を焦がしたりしているお年頃の少年少女たちが一時の感情で身を滅ぼす前に、相談に乗るため作られた場所だ。


 季節は春。入学式から2週間が経ち、新入生も学園に少しずつ馴染み始めた本日。やってきたのは、学生ではなく一人の屈強な男性だった。


「⋯⋯というわけで、今すぐ婚約を破棄したい。あの挙動不審な娘を妻と思えだなんて、俺には無理だ……っ!」

「まぁまぁ、まだ出会って一ヶ月も経っていないのでしょう?時間が経てばお互い慣れてくる可能性もありますよ」

「いいや、どうせあの娘も俺の顔が怖いんだろう。親の希望だかなんだか知らんが、さっさと婚約なんて断って国に帰ればいいものを!」

「エッカルト将軍の傷は、12年前に国境域の防衛戦で負ったものだと聞き及んでおります」

「未熟だったから消えない傷を負った、ただそれだけのことさ」

「そんな、ご謙遜を。今年の入学式では、甥御さんが新入生代表の挨拶で将軍のことをお話されたそうじゃないですか。自慢の叔父様なのでしょう」


 アーロン・エッカルト将軍は王立騎士団の第三部隊を率いる団長で、若い頃から優れた武人として知られていた。他国出身のフィルも当時からその名を聞いていたほどだ。


「うちの甥っ子は、そりゃもう賢くてなぁ!まだ学生だが、次期侯爵に相応しい人格者だ。叔父の欲目と言われるかもしれんが、俺にとっても自慢でな……!」


 そこからしばらく甥っ子自慢が続いたので、その間にエッカルト将軍の婚約者の資料を確認する。この相談所は基本的に在学中の生徒たちが来るところなので、御年29歳の将軍の婚約者の情報は控えておらず、急遽手配したものだ。


(スーレスのご令嬢とは、まだ随分遠い国から嫁いできたんだな)


 なかなか婚約者が決まらない将軍の元にやって来たのは、南方にある小国スーレスのご令嬢だ。他国へ嫁がせたいと令嬢の父親が強く希望して、細いツテを手繰り寄せて我が国までたどり着いたようだ。


 そして、資料には赤文字で気になることが記されていた。


「将軍は、スーレスのことをどれくらいご存じですか」

「ここからはかなり遠くにある、南方の豊かな小国ってことぐらいしか知らんなぁ」


 遠い上に閉鎖的な小国なので、どんな国風かはあまり知られていないのだろう。


「うちの調査員によると、随分と女性が軽視されている国のようです。貴族令嬢でも学びは制限されて、跡継ぎを生むための道具のような扱いをされることがほとんどだとか」

「なんだって!?今時そんな考え方の国があるというのか……?」


 この国では女性でも爵位を継げるし、女王陛下が国を治めていた時代もあるため、スーレスの現状は想像しにくい。


「ご令嬢がこの国に来たのは、そういった事情が背景にあるのかもしれません。親の意向に逆らえなかったか、あるいは母国をどうしても出たかったか……あくまで俺の想像ですが」

「ぐぬぅ……だが、そういう国で育ったなら、尚更俺のような男が傍に居ても怖がらせてしまうだけだろう」

「そうですね……では、将軍のそういうお優しいところが伝わるよう、手紙でも書いてみてはいかがでしょうか?」

「おぉ!それなら顔を合わせずとも済むな!」


 それから一時間ほど掛けて内容を推敲し、手紙を完成させたエッカルト将軍は晴れやかな顔をしていた。


「甥っ子にここを教えてもらって、半信半疑だったが来てよかった!感謝する!!」

「学生以外の相談者は珍しいため不慣れな面もあったかと思いますが、そう言っていただけて何よりです」

「情けない話だが、この婚約は破棄した方が良いんじゃないかと甥っ子の前で漏らしてしまってなぁ。いい歳した大人なのに、心配かけちまった」

「人は幾つになっても、迷ったり悩んだりしながら成長するものですから。また何か困ったことがあれば、いつでもいらしてください」

「ありがとう!えぇっと……」

「相談員のフィル・コートニーと申します」

「フィルさん、助かった。よければまた話を聞いてくれ!今度は手合わせも是非!」

「手合わせ、ですか?」

「あぁ。フィルさんはきっと強いんだろう?隠しているようだが、懐に武器を仕込んでるじゃないか」

「はは、そうでしょうか。まぁ、機会があれば」


 野生の勘なのか、戦場に身を置いている者特有の嗅覚でもあるのか。一瞬ヒヤッとした。


◇◇◇


「婚約破棄?」

「そうなんですよ!よりによって王太子殿下が、他国の王女から!遠い他所の国の話とはいえ、とんでもない醜聞ですよねぇ。フィル副所長は知ってますか?南方にある小国なんですけど⋯⋯」

「もしかしてスーレス国?」

「あらっ、よくわかりましたね」


 事務室でスタッフと雑談していたら、ついさっき話題にしたばかりの国の王太子が婚約破棄という話題が出てきた。物凄い偶然だ。


「訳あってさっきその国の事を軽く調べたんだけど、どうやら随分と女性の地位が低い国みたいだよ」

「にしたって、相手は他国から来た王女様ですよ。滅多なことはしないんじゃないですか?」

「丁寧に遇しているつもりでも、長年の習慣は無意識のうちに滲み出すものよ。うっかりボロが出たんでしょうね」

「マルグリット所長!」


 相談所の設立者にして所長、マルグリット・アビー。設立以来10年間、様々な婚約破棄騒動を見守って来た彼女の考察は鋭い。


「具体的にどんな目に遭ったのか、王女様から聞いてみたいわ。国家間の事なのに、円満に解決することを諦めて婚約を破棄するだなんて、余程ご立腹なのでしょうね」

「ですよねぇ。めちゃくちゃ遠い国なのに、ここまで噂が伝わってくるなんて驚きです」

「この先、スーレスは外交でも苦労しそうですね」


 どうやら王女の国の方が力関係も上だったようで、王太子がこの先他国から新たな婚約者を見付けるのは不可能だろう。貿易関係も、今より上手くいかなくなることが予想される。


「一体、どんなことがあったんでしょう?」

「王太子が、他の女性⋯⋯下級貴族や下女に手を付けたか。それとも、正妃として嫁ぐのに国内貴族のご令嬢が既に寵愛されていた、とか。よくあるパターンとしてはこの辺りかな」

「大きな事件ではなくて、積み重ねじゃないかしら。話し合いの場から当たり前のように排除されたり、正式な結婚前なのに王族としての執務を押し付けられたり……色々ありそうな予感がするわ」

「所長も副所長も、見てきた修羅場の数が桁違いですもんね。よくわかってらっしゃる!」

「クレアだって当事者じゃない。私たちより経験豊富でしょう?」

「うちのは一時の気の迷いで済みましたから。それも、所長のお陰で!」


 クレアは相談員歴3年のスタッフで、貴族学園在学中に婚約破棄されかけた経験がある。婚約者の男性は爵位目当ての商家の令嬢に騙されていて、そのことを見抜き事態を解決に導いたのがマルグリット所長だ。その縁でクレアはここで働いている。


「気の迷いとはいえ、他の女性になびいた相手との婚約を継続するのは嫌じゃなかった?」

「フィル副所長のおっしゃる通り、正直嫌だなーって気持ちもありましたよ。でも、あちらの有責だとしても、一度婚約を破棄してしまえばうちみたいな低位貴族は新しい婚約者を見つけるのが大変です。彼が反省しているのは伝わってきたし、それならこっちに有利な条件で結婚したほうが、将来的にはお得かなって。幸い今のところは浮気もせず、子供の面倒もしっかり見てくれてます!」

「たくましいなぁ」

「これも全部、マルグリット所長からのアドバイスがよかったからです。ホントに感謝してます」

「それを実行できたのはあなたの力よ。胸を張りなさいな」


 婚約、婚約破棄、結婚。

 どれも人生の一大事だけど、そこがゴールじゃない。生きている限り日々は続いていく。だからこそ一時の感情で動くのではなく、先を見据えて慎重に選択を重ねていく必要がある。


「ところで所長、何かあったんですか?予定よりお戻りが早かったですね」

「あぁ、そうだった。フィル、今日は早めに閉めて一緒に学園長室行くことになったから。そのつもりで準備しておいてくれる?」


 学園長先生はやんごとない血筋の大貴族で、相談所の活動をサポートしてくれている。そのため月に一度報告に赴く必要があるのだが、つい先日行ったばかりなので今日は違う用件があるのだろう。


「また厄介な相談事でも持ち込まれるんでしょうか。この前レオハルト殿下の相談を受け付けたばかりなのに……」

「詳細は聞いてないけれど、美味しいお菓子を用意して待っててくださるそうだから、長くなりそうな予感がするわ」

「二人とも……帰りが遅くならないといいですね!」


 早仕舞いと聞いていそいそと帰り支度を始めたクレアを尻目に、俺と所長はため息をついた。


◇◇◇


「お久しぶりです、学園長先生」

「フィル、よく来てくれたねェ!美味しい茶葉があるんだよ、ゆっくりしていっておくれ!」

「いえ、可能な限り手短にお願いします」

「冷たくなァい!?」


 この陽気で気さくな学園長になぜか気に入られている俺は、事あるごとにチェスやカードの誘いを受けている。手短に終わらせるため頑張っていたらめきめき上達してしまったので、誘いが増える悪循環にハマってる今日この頃だ。


「ちょっとくらい遊んでくれてもいいじゃないか。忙しい日々に潤いが欲しいんだよォ⋯⋯」

「空気の乾燥で湿度が低いのかもしれませんね。水を張ったバケツを部屋の隅に置いてみては?」

「そういう話はしてないんだよォ〜⋯⋯」

「フィルってば、相変わらず学園長先生には塩対応ね」

「元々愛嬌を振りまくタイプでもありませんから」

「そういうところもいいと思うよォ!」

「褒め言葉は生徒たちへお願いします」


 適当にあしらっている間に、人数分の茶が運ばれてきた。


「戯れはこれくらいにして、本題に入るとしようか。マルグリットくんは、スーレス国の王太子が婚約破棄された件を知っているかい?」

「うちの相談員が噂しておりましたけど、とんだ醜聞ですね。レオハルト殿下が同じ憂き目に遭わずに済んで何よりでした」

「うん、この話題でもいつも通りなのは流石だネ。そんな君に、悪い知らせがある」


 学園長が執務机から持ってきたのは、スーレス国の国章が記された1枚の書類だ。


「『我が国の王女殿下を見付けた者には報奨金を支払う』……これ、手配書ですか?」


 そこに記されていたのは、12年前から行方不明の王女殿下のことだった。


 16歳になり、従弟である第二王子との婚約が成立したばかりのアリエッタ王女は、突然姿を消した。ちなみにこの第二王子が、先日婚約破棄されたばかりの現王太子だ。


 王女は生誕パーティーのダンスで足を捻ってしまい、早めに退室した。就寝準備を整えるまでは侍女が控えていたが、その日は婚約発表もあったため来賓が多く、使用人たちは早々に王女の居室を後にした。


 そして翌朝、部屋には誰もいなくなっていた。


「どうして今更になって、こんな遠い国まで手配書を送ってきたんでしょうか」

「王太子が婚約者に逃げられてもう後がないから、王女が生きていたら連れ戻して娶わせるつもりかしら?」


 王太子殿下は現国王の子供ではなく王弟殿下の子で、王女とは従姉弟同士なので、婚姻に支障はない。とはいえ、生きていればその王女は28歳。奇跡的に見つかったとしても、今から王妃にするには無理があるだろう。


「この辺りに比べると、南方は男性優位だからねェ⋯⋯我々の常識では信じられないようなことを、平気で女性に強いるんだ」

「他国から王女が嫁げば少しはマシになったかもしれないけど、その王女に見切りを付けられたんですから、相当なものよ」


 聞けば聞くほどろくでもない国だ。


「それで、その王女はこの学園の関係者なんですか?相談所で匿えばよいのでしょうか」

「わァ!察しがいいね!!」

「今までもこういうことはあったでしょう。学園長先生、お人好しですから」


 学園長は、あちこちから訳アリの人間を連れてきては世話をしている。これも教育者魂というものがなせる業なのか。とはいえ、自分もその内の一人なので感謝しているが。 


「所長がよしとするなら、俺はその王女を匿うことに異論はありません。ただ、可能な限り情報は開示してください。知らなければ守ることが難しい局面もありますから」

「さすが、頼りになるわね。いつもありがとう」

「所長が居てくれるからこそですよ。どんな相手でもよく見ていて、細やかな気配りをしてくださるから、相手がこちらを信用してくれるんです。そうじゃなきゃ守る以前の問題ですから」

「もう、フィルってば。そんなこと言われたら、次のボーナスを弾みたくなっちゃうじゃない」


 そんな俺達のやり取りを、学園長は満面の笑みで見つめていた。


「うーん、実に素晴らしい!最高だよフィル!!マルグリットくんの傍に君をつけたボクの判断に間違いはなかった!!」

「学園長先生には感謝しておりますわ」

「俺も、学園長と所長には感謝してます。明らかに厄介者の俺を何も言わずに雇ってくれて、その上外部に情報が漏れにくい職場を斡旋してもらえて、運が良かったです」


 この国に辿り着くまではその日暮らしのなんでも屋のようなことをしていたので、明日をも知れぬ身の上だった俺は、心底そう思っている。


「特別に何かして欲しいわけじゃないのだけど、場合によってはしばらく身辺が騒がしくなるかもしれないから、あなたには事情を話しておきたくて」

「所長?」

「12年前に姿を消したアリエッタ王女は、公爵家の使用人のツテでまずは隣国に逃げて、そこから時間をかけてこの国までたどり着いて、今は名を変えて楽しく生きているの。今更国に戻ってこいなんて言われても困るのよね」


 なるほど、そういうことか。


「マルグリット所長、あなたが消えたアリエッタ王女なんですね」

「その通り。かつての名前はアリエッタ=マルガレーテ・ディ・エルジェイ・スーレス。長い名前でしょ?」


◇◇◇


 12年前、ここエルディアーレ国は隣国との小競り合いが絶えなかった。


 長年様々な理由で不和が生じていたが、それを解消するために第一王子と第三王女の婚約が決まった。しかし、王女がこちらに嫁ぎエルディアーレの王妃になるはずだったが、正式な婚姻を結ぶ直前に破談となった。


『あたくし、殿下とは結婚できません!心に決めた方が他に居て、彼と既に想いを交わしておりますの!』


 両国の王家が勢ぞろいの席で愚かにもそう言い放った第三王女は、すぐ国に戻され貴人が収容される塔へ幽閉された。それ以来、両国の溝はますます深まってしまった。


「そのどさくさに紛れてひっそり入国して、運良く学園長先生に拾われて今に至る……というわけなの。婚約破棄はあちこちで起こるのだとその時に知ったわ」


 詳しく聞けば、マルグリット所長がここまでやってきたいきさつは、俺とそう変わらなかった。

 あの頃のエルディアーレ国は、他国に逃れるために出国しようとする民と、戦があるところに商機ありといわんばかりに入国してくる異国の民たちとで、国境がごった返していた。

 所長はあちこちを渡り歩きながら身分を偽装したが、今は学園長先生の伝手で国王陛下にも存在を知られているので、不法入国者ではないらしい。俺自身も、不法入国ではないけどどさくさに紛れなければ「この経歴で何故やってきた?」と疑問に思われてもおかしくないので、運が良かった。


 現在の両国は、エッカルト将軍をはじめとする優秀な軍人たちの活躍と、賢君と名高い国王陛下の采配で落ち着きを取り戻し、小康状態を保っている。


「そんな状況の国に王女が逃げ延びたとは、スーレス王家も思っていないでしょうね」

「あの国の連中は、私のことを世間知らずの深窓の令嬢だと思い込んでるから。こんな遠くまで一人で行けるわけないと考えてることでしょう」


 母親の生家である公爵家でしっかりと教育を施された所長は、どんな境遇に陥っても生きていけるよう、様々なことを学んできたという。一般的な高位貴族の令嬢のための教育はもちろん、帝王学や人心掌握術まで。


「おじい様は、あの国では珍しく女性の教育にも熱心でね。お陰で私はこうして逃げ延びることが出来たの」


 所長の祖父である公爵は、幸せに生きて欲しいと願った娘が王家に取り上げられた挙句、生まれてきた孫は女児だったというだけの理由で王宮から追い出された。それは、長年国に貢献してきた大貴族に対してあり得ない仕打ちだった。自分の娘も孫も、優秀な王族を産み育てるための道具ではないと強い反発心を育てながら、いずれ王家に反旗を翻すべく牙を研いでいるそうだ。


「今まで黙っていてごめんなさい。私自身、最近はもうすっかり過去の事なんて忘れて生まれたときからマルグリットだったような気持ちで暮らしているから、話す必要性を感じていなくて」

「所長がしっかり痕跡を消してここまで来たからという理由もあるでしょうけど、王女の存在を軽く見てロクな捜索をしなかったんじゃないでしょうか」

「フィルもあの国の事がわかってきたようで何よりだわ」

 

 スーレス国は小国ながらも豊かな鉱山を有し、地形が複雑で攻め込まれにくいため、ここまで平穏を保ってきた。だけど、他国の王女から王太子が婚約破棄されたことで、歪な内情が他国にも晒されるだろうことが予想される。

 

「きっとおじい様は、この機に反乱を起こすのでしょうね。何も出来ないのが歯がゆいけど、せめて足を引っ張りたくないの」

「大丈夫ですよ。この国の国境は今はしっかり守られていますし、この学園の内部に怪しい人間は一人も入れませんから。外に用事があるときは、必ず俺に声を掛けてください」

「えぇ、ありがとう。巻き込んでしまって申し訳ないけど、フィルが一番信用できるからとっても助かるわ」

「その言葉1つあれば、俺はなんだってできますよ」

「ふふっ。上司想いの部下に恵まれてよかった」


 そうこうしているうちに、所長が暮らす教職員寮の女子棟が見えてきた。元王女が寮暮らしをしているなんて、スーレスの王族たちには想像できないだろう。


(あなたたちが大事にしなかったアリエッタ王女……マルグリット所長は、二度とそこには戻らない。いくら探そうが無駄だ)


「従弟だった第二王子との婚約が決まった時にね、おじい様が言ってくれたの。アリーがこの国で一番地位の高い女性になるよりも、毎日笑って楽しく暮らしてくれた方が余程嬉しいって。どんなに遠く離れても、二度と会えなくても、お前が幸せならおじい様の勝ちなんだよって。今でも忘れられない言葉だわ」

「では、おじい様には勝ち逃げしてもらいましょうね」


 俺の言葉に目を丸くした所長は、嬉しそうに笑った。


「フィル、あなたに会えてよかった!これからもよろしくね!」

「勿論です、所長」


 何があっても絶対に俺が守り通すと、その笑顔を見て改めて決意した。


 ◇◇◇


「明日からは俺がここまで迎えに来ますから、一人で出勤しないでくださいね」

「えぇ、御言葉に甘えるわ。また明日もよろしくね」


 おやすみなさいと手を振って女子寮に入っていく所長を見送ったので、一仕事始めるとしよう。


(建物の陰に潜んでるのは二人、どちらも気配の隠し方が下手だな。ここまで入り込めたということは学園の関係者か……?)

 

 ジャケットに潜ませていたナイフを放つ。間者はすぐに出てきた。


「ひっ!」

「きゃっ!」


 ここの学生と同年代位の、痩せ細った少女が二人出てきた。どうやら双子のようだ。


(見た感じ、素人に毛が生えた程度の実力しかなさそうだ)


「あなたたちの主の名は?」

「い……言えませんっ!」

「ここで言わなければ、もっと恐ろしい目に遭うかもしれませんよ。それでも?」

「やめよう、ネラ。この人、私たちじゃ絶対に敵わない」

「けど、サーラ……!」

「私が全てを話します。だから、この子には手を出さないで」

「サーラ!?」


 なんだか極悪人になった気分だ。これも相手方の作戦かと一瞬疑ったが、そこまで深く考えて間者を送り込むような知恵はなさそうだ。あの国は。


「では、質問を変えましょう。あなたたちは主に忠誠を誓っていますか?」

「それは……」

「そうじゃなければ、間者なんてやめてしまいなさい。せっかくスーレス国から出られたんですから、このまま帰らずに違う生き方を探すのも悪くないと思いますよ」

「あ、あなたっ、どうしてそれを……!?」


 簡単な誘導尋問に引っ掛かる様子を見て、この二人は学園長先生に引き渡すのがよさそうだと判断した。嬉々として面倒を見るだろう。


「俺も、過去に他国からこの国に逃げ込んだ者です。悪いようにはしませんから、ちょっとついてきませんか?」


 姉妹は目を見合わせてから、恐る恐るといった様子で頷いた。


◇◇◇


「フィルさん、式には是非来てくれ!」

「将軍、もう少し詳しく話してくれません?」


 間者を引き渡してから一週間が経った。

 あれから特に変わったことはなく、警戒しつつもいつも通りの日々を過ごしていたら、またしてもエッカルト将軍が学園にやってきた。基本的には学生の相談を受け付ける場所なので、もう少しひっそりと静かに来て欲しい。


「いやぁ、早まって婚約破棄しなくてよかった!フィルさんの想像が的中したよ。コレットは母国で随分な目に遭っていたようでなぁ……」


 エッカルト将軍の婚約者コレット嬢は、伯爵令嬢にも関わらず父親や兄たちから使用人のように扱われて育ってきた。そして、野心家の父親からエルディアーレ国の内情を探れと命じられてこの国に嫁いできた。かの国の王太子は、失踪した王女の情報欲しさに貴族の令嬢をあちこちに嫁がせて情報を得ようとしているらしい。王家に取り入ろうとした父親も、それを命じた王太子も、どちらもろくでもない。


「俺の手紙を読んで、泣きながら全てを話してくれたよ。俺はもう、コレットにあんな表情はさせたくない。いや、させてなるものか」


 話を聞いた将軍の行動は迅速で、今ではコレット嬢は生家と絶縁し、エッカルト家の遠縁の子爵家と養子縁組をした上で改めて将軍の婚約者となった。一年程婚約期間を設けて、来春には式を挙げて正式に夫婦になる予定なのだと嬉しそうに語ってくれた。


「俺は気付いていなかったんだが、コレットに付いてきた侍女たちも間者の真似事をさせられてたようでなぁ。夜中に屋敷を抜け出したところを、たまたま学園長先生に保護されてそのことがわかったんだ」

「侍女たちは運が良かったですね。困っている若者をほっておくような人じゃありませんから、先生は」


 どうやら学園長先生は上手くやってくれたらしい。


「今までどんな令嬢とも上手くいかなかったのは、コレットと出会うためだったのかもしれないと思うんだ。これが、運命ってヤツかな……って」

「一途で何よりですよ。浮ついた学生たちに見習ってほしいぐらいです」

「甥っ子がいずれ生徒会長を目指すようだから、皆の良き手本となってくれるだろう。フィルさんも期待していてくれ!」


 そのまま散々婚約者自慢と甥っ子自慢をして、将軍は帰っていった。


◇◇◇


「フィル、帰る前に少しお茶していかない?学園長先生から美味しい焼き菓子をいただいたの」

「俺はいいので、他の職員にあげてください」

「皆にはもう渡したわ。あとは私とフィルの分だけよ」

「それなら遠慮なく。お茶は俺が入れますね」


 いつもより上機嫌な所長の誘いを受けて、終業後の事務所で一息入れる。


「色々骨を折ってくれたと、学園長先生から聞いたわ。本当にありがとう」

「俺は何もしてませんよ。全て学園長の采配です」

「今回の事だけじゃないわ……あなたには、10年間ずっと感謝してる。改めて伝えたくて」


 この相談所は、所長が逃げ延びてこの国にやって来た二年後に開業した。

 12年前に学園長先生に拾われた俺は当時学園の臨時養護教諭を務めていたけど、フィルにぴったりの仕事があるんだよォ!とこちらを紹介されたので、所長とは10年来の付き合いだ。


「それはお互い様ですよ。所長だって、俺の素性を何1つ探らないまま、ずっとここで働かせてくれてますから」

「私が知らなくても、学園長先生が知っているならいいのよ。それで充分だわ」


 誰にだって知られたくない過去の1つや2つあるものでしょ、と笑う所長は今日も綺麗だ。


「いつだって力になるから、必要になった時に話してちょうだい。勿論そんな必要が生じないよう、あなたが平穏無事に暮らしていけるよう所長として力を尽くすけど」

「どんな事態になっても、出来れば所長には知られたくないです。俺、凄く情けない理由でここに来たんで」

「それこそお互い様よ。過去のフィルがどんなに情けなくたって、私にとってのあなたは今目の前にいるあなただけで充分だもの!」


 いつかこの人に、俺のすべてを話したくなる日が来るだろうと思った。


「所長は、結婚したいと思ったことはありますか?」

「なくはない、かな。でも、今の人生がとっても楽しいからなぁ」

「俺は今まで一度も思ったことありませんけど、今日初めて思いました。エッカルト将軍の影響かもしれません」

「お幸せそうだったものね。お相手のコレット嬢も、幸せになってくれたら安心だわ」


 コレット嬢がこの国に嫁ぐことになった遠因が自分という事実に、少なからず罪悪感があるのだろう。所長がそんな思いをするようなことが、今後二度とないようにしたい。


「将軍が幸せにするでしょう、なんとしてでも」

「そうね。将軍ってば、私までお式に招待してくださるみたい。その日が今から楽しみだわ」

「なら、一緒に行きましょうか。急な相談が重ならないことを祈っておかないとですね……」

「えぇ……春は何かと相談が増える時期だし、エッカルト将軍の婚約話はきっと社交界で話題になるわ。おかしな影響を受ける学生が居ませんように……!」


 エッカルト将軍は、若い世代へ影響力がある御仁だ。変に感化されて、可哀想な境遇の女性を探して『俺が婚約者になってやる!』等と言い出す令息が出てくる予感がする。また忙しくなりそうだ。


 ◇◇◇


 所長を寮まで送り、学園近くの自宅アパートに戻ると一通の手紙が届いていた。何か所も経由してから手元に届くため、既にヨレヨレになっている。


「兄さんも、毎年律儀だなぁ」


 12年前に国を出て以来、母国の人間とは一度も会っていない。4年前に父の跡を継いで侯爵になった長兄が執念で俺の居場所を突き止めるまで、この国に流れ着いたことすら誰にも知られていなかった。それ以来兄は、足が付かないよう幾つもの拠点を経由し、毎年春になると手紙を送って来る。


『第三王女が、幽閉生活を終えて辺境伯の後妻として迎え入れられた。正直一生出てこないでもらいたかったが、決まったことは覆せない。両国間の情勢がまた不安定になるだろうから、お前もくれぐれも気を付けるように』


 エルディアーレの隣国ダンゼイン国の第三王女は、侯爵家の次男だった護衛騎士フィリップを本気で愛していたが、和平のためエルディアーレの王太子に嫁ぐことが決まった。世間知らずで幼かった王女は想いを諦めきれず、両国の王家や重鎮が集まる場で婚約を拒否し、あまつさえ護衛騎士と関係を持っていることを仄めかした。


(そんな事実がなかったとしても、あの場でそれを口にしたら発言は撤回できない。王女は許されないことをした)


 護衛騎士は国外に追放され、愚かな王女は幽閉された。それでも想いを捨てきれなかった王女は、塔の中で護衛騎士の名を叫び続けた。決して届くことがなくても、その事実を受け入れられないまま何年間も。


『お前も32歳になるけど、いい人は出来たかい?いつか紹介してもらえるよう、エルディアーレとの関係改善のため死力を尽くすよ。遠くない未来に、また堂々とお前を弟と呼べるように。いつだって兄は、お前の幸せを願っている』


 真面目に護衛騎士として務め、国内では右に出る者が居ない程の強さを得ていても、すべてを一瞬で失った。恋は人を愚かにする、厄介で恐ろしい感情だ。相談所でも、そんな感情に支配された人たちを何人も見てきた。


「今でもそう思ってるけど……そんな俺にも気になる女性(ひと)が出来たよ、兄さん」


 自分の中で少しずつ育ててきた所長への想いをいつか打ち明け、兄に紹介できる日が来るといい。国を出る日の(フィリップ)に教えてやりたいと思いながら、明日の仕事に備え眠りに就いた。

婚約破棄シリーズその3です、書きたかった所長と副所長の事を書いてみました。

お読みいただきありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ