九.1863年、回想~土方 歳三~
『何をしているのですか』
ピタ,とかち合う直前で振り下ろすのを止めて、山野は声の方向を見た。
『・・・来たか。―――ん・・・・・・?』
平山も期待を込めた眼で見る。併し、隊士の波を割って現れたのは、二人が想像していた人物ではなかった。
『・・・ひ』
山野の蟀谷から水の様な汗が一筋通って滴る。鋭い眼光に不機嫌そうな仏頂面。其等は共通していたが
『―――土方副長―――!』
・・・・・・ 壬生浪士組試衛館派副長・土方 歳三は、前川邸のこの状況を一巡見回すと
『・・・平山さん、「私ノ闘争ヲ不許」と隊規で定めている筈ですが―――?』
・・・・・・鬼副長の渾名に相応しい、凶悪な表情で平山に問い掛けた。平山は鞘を振り上げて山野の木刀を弾き返すと
『・・・稽古の一環だ。分りませんか』
ドサッ。山野は再び床に倒れ込む。八十八っつぁん!と原田が山野を支え起した。ゴホ・・・ 山野にはまだ咳が残っている。
―――土方と平山が対立する。
立場こそ土方が上であったが、芹沢が最も重用する平山は近藤でさえも敬語を遣う程だ。平山とて、近藤や土方、山南に敬語で話し掛けてこそくるが、新見 錦が局長職を降ろされて以来強大さをどんどん増している。新見が降格処分に遭ったのは5月頃の為、5月入隊の山野等にとって平山は既に局長と遜色無い大きな存在だった。
『―――新人を捲き込む様な真似なんてしないで、堂々と来たら如何なんだ』
山野はむくりと顔を上げ土方を見た。・・・土方の取り計らいだ。土方は新人の立場や出る幕を、きちんと弁えている。
『・・・・・・―――其は芹沢先生への宣戦布告か?』
平山も虚栄が脹れ上がった様な醜く怖ろしげな形相をした。
『貴様が?近藤局長を差し措いて―――,か?』
―――土方は答えない。代りに
『―――佐伯君が大切にしている“根付”は、私が持っています』
・・・と、平山にしか聴こえぬ声で言った。
『!』
『・・・・・・欲しかったら、正面切ってお願いに来る事ですな。私の処に、ね』
・・・・・・平山はニヤリと哂った。土方は怯まない。鞘ごと抜いた刀を佩び直し
『今日の仕合はココまでだ、山野。とんだ奴の乱入で、興が殺がれた。次は貴様の剣の秘密を必ず暴いてやる』
と、言って部屋を出て往った。
『―――土方も、覚悟しておけよ』
・・・・・・捨て台詞も忘れずに。
『貴様には、芹沢先生より直接鉄槌が下るだろう。いいか、貴様が望んだ事だぞ。先生の鉄扇を賜る事、感謝するがいい』
平山が再び土方と山野に背を向けて去ると、前川邸は静寂に包まれた。緊張から解放されないのか、誰も口を開かない。
結局沈黙を破ったのは、土方の之だった。
『・・・・・・山野、お前を処罰する』
『はあぁ!?なんでですかィッ!?ケホッ』
『どの口がそう言うか・・・・・・?』
ゴゴゴゴゴ・・・と土方の背後に噴火する火山が視える。ゴゴゴに重ねてドッドッドッドッドッ・・・という激しい心音が聴こえる。土方と雖、芹沢派のNo.2を相手にするのは怖ろしかったのだろう。表情筋が完全に硬直している。
『私闘は切腹だ。そんな事、今月入隊してきた新人でも判る筈だが―――?挑まれた側だから切腹は勘弁して遣るが、もう一つ遣らかしている事にまさか気づいていない訳ではないよな―――?』
そしてその表情筋の硬直は限り無く憤怒が混じっていた。土方、完全にブチキレている。
場処は八木邸へと戻り、尾形と山野が並んで正坐している。尾形は地蔵の様に重々しく死んだ様に静かで、山野も叉おとなしく俯く姿は百合の様であった。山野の頭にはたんこぶが3つ団子になって乗っかっている。
『尾形』
『山野』
土方は夫々(それぞれ)の顔を執拗な程見つめて名を呼んだ。尾形の表情は相変らず憎らしい程読めず、山野の表情は相変らず鬱陶しい程本音がだだ漏れている。土方は思わず『うるせえよ!早く終れって顔しやがって!』と暴言を吐いた。
『土方さん?其は被害妄想が過ぎますよ?』
沖田が土方の反応を諫める。土方はギンッ!と呑気な顔をした沖田を睨んだ。
沖田は、隊の組長として部下の山野が遣らかした失敗の始末の為に此処に居るのだ。
そして、もう一人、何故か原田が此処に紛れ込んでいる。
『てめぇ左之助、何で此処に居やがる』
土方がギリギリ神経を唸らせ問い質す。味方である者から向けられる敵意に原田はたじたじになり乍ら
『な、成り行きでそうなっちまったっていうか。其に、おがっちを芹沢の事で捲き込もうとしたのは俺だしさ』
と、答えた。
尾形が平山の要求に応じて前川邸へ赴こうとした刻―――彼が八木邸を出るのを妨げたのが、土方だった。
―――下駄を履く尾形の肩を、土方が掴む。
『謹慎中のヤツが勝手に外出なんざ、偉くなったもんだな』
―――原田が追いつき、事情を説明する。
『お前は八木邸に居ろ。左之助、コイツを山南さんの処にしょっ引いていけ』
―――土方が尾形を後ろへ引き込み、下駄を突っ掛けて八木邸を出て行った。
・・・確かに、原田は成り行き上この複雑な問題に拘って仕舞った。捲き込んだのではなく、寧ろ原田は捲き込まれた側の人間であろう。
・・・・・・尾形の前髪が微かに揺れる。
土方は溜息を吐いた。原田が居ると話を進め難い。原田の話しぶりでは、まだ引き返せる程度の事態の把握度だ。というか、好例がもう目の前に居て平隊士、而も無関係な他隊の烏合共に迄広まるのは望ましくない。
『其にしても、不思議ですねえ。うちの山野さん、組の中でも口は堅い方だと思うんですけど』
! 沖田が土方の懸念など知らず真直ぐに話の核心に触れてくる。土方は思わず『バカ総司』と口を衝いて出そうになった。内心の罵倒で済んだものの。
併し、その後が違った。
『山野さんは、よほど尾形さんを信頼しているんですね』
沖田がにっこり笑う。その場に居た全員がきょとんとした。この後にまだ続きがある。
『だから、もういいじゃないですか。嫉妬は良くないですよ土方さん。私は土方さんをちゃんと信頼しているので安心してください』
『はっ?な・・・っ、そういう話じゃ・・・!』
『ほーらぁ、山野さんも反省してますしもういいでしょう。其より、今此処に居る人で甘味に行きませんか甘味に。入隊した時期が違う人同士の交流が少ないのは如何なものかと思っていたんですよ。山南さんもそう思いませんか?』
土方と山南は同時に眼を見開く。核心に触れたと思わせておき乍ら、話の方向性がズレている。尾形と山野は呆気に取られているが、原田は見事に甘味の話に誘導されている様だ。
この会話を誘導する高度な技術を、沖田は粗々(ほぼほぼ)無意識で使っている。
山南は微笑んだ。―――土方も若干誘導されている節がある。顔が少し照れているからだ。沖田は嘘を吐かないから、真面に受け止める他は無く恥かしくなるのだろう。
『総司の言う事も一理あるかも知れないね。其に土方君、ここは之で収めておいた方がいいんじゃないかな』
山南に言われて、土方はっ・・・と言葉を詰らせた。尾形と山野の新参者二人は、ふーーーん・・・という眼でその光景を見ている。
『私は此処に残っているから、皆で食べに行ってくるといいよ』
『ーーーあのなぁっ、コイツらは謹慎の身・・・』
『なら、山野君は食べ納めという形は如何だい?尾形君の方はそろそろ謹慎を解かないと怪しまれ始めるだろうし・・・』
尾形君を出さないと部屋も足りなくなるしね、と山南は続けた。
『編制についてはこの後考えるとして、今回は大丈夫だよ。総司が付いている』
『お、おい尾形 俊太郎、俺達の意思が無いぞ・・・・・・』
山野が不調を引き摺った白い顔色で尾形に囁く。頭のたんこぶも引くどころか膨らんできている。
沖田が尾形と山野を見て、笑いかける。
『・・・・・・そうですな』
尾形は山野に同意する。壬生浪士に於いて、意思が有るのは試衛館派か水戸派に属する隊士のみだ。其以外のものは淘汰される。