七.1863年、回想~佐々木 愛次郎~
佐々木 愛次郎の死体は、嘗ては羅城門が在った朱雀千本の九条通に棄てられていた。
羅城門には鬼が棲むと平安の世から悍ましく語られていたが、幕末の世となっても死体が棄てられる事が常態化している荒廃した地区である。夜には誰も近付かない。
島田と同じ諸士取調役兼監察方の林 信太郎が朱雀村の村役人と話をしている。
『尾形君』
山南が尾形の到着に気づき、最前列に引き込む。土方の姿は見えなかった。巡察の交替に差し掛る時刻と屯所から然程遠くない場処の所為か、浅葱色の巡察隊士と非番の私服隊士が入り乱れていた。
『如ーー何ぅして尾形さんは検分に立ち会っていいのですますかあ!』
『そらあんた、尾形はん預りの隊士やから当然とちゃうの』
武田観柳斎が手拭を握り締めて噎び上げる。巡察に当っていた隊長の一人は山崎であるが、只でさえ巡察序での交通整理を担わされているというのに、武田を抑える相手迄させられるのは莫迦らしくて仕方が無い。
『馬詰・・・馬詰きゅん』
馬詰 柳太郎を代りに立たせ、武田の相手をさせる事にする。馬詰は何も言えない侭、縋る様な視線で山崎を見送った。折角明るくなってきて男に磨きが掛ってきたというのに、其で魅力が増したからか武田に惚れられるとは、何処までも残念なイケメンだ。
山崎はひらりと其と無く尾形と島田に接近すると
『あんたんトコの隊士やな。大変なこっちゃ』
と、労りの声を掛けた。いつの間にか尾形の隣に居る。
『・・・・・・貴方も視るのか』
と、尾形は訊いた。尾形の低い声色に、山崎は
『そうさせて貰お思てな。自隊にも美男が居るさかい』
と、さらりと返す。山南が山崎を制止しない事から、監察方異動の話は可也現実的な段階まで進んでいるのだなと二人は思った。
山南が筵を捲り、尾形・山崎・島田の三人のみに佐々木を見せる。
『――――!!』
尾形と山崎の双璧が珍しく息を呑む。島田は既に一度視ている為に驚いてはいなかったが、太い眉に皴を寄せて佐々木を凝視していた。眼を惹くのは損傷の程度というよりも。
『裸体に巻きつく大蛇の刺青・・・・・・』
―――生人形の如き白雪の顔。顔は傷一つついておらず、まるで生きているかの様であった。
・・・・・・頑なに遺体を隠す理由が窺える。屍姦などされては堪らなかった。仮令男色家の最大手武田でもそんな嗜好は無いと信じたいが感覚が狂わないとも限らない。
其程に、・・・・・・顔以上に、肢体が、太腿が、男と思えぬ程艶めかしかった。
『・・・・・・不幸な男や』
山崎が同情する。佐々木が夜中に人眼を避けて入浴していた理由が判った。
『俊さんっ』
立入禁止の線の向うから美男五人衆の一人で沖田隊に所属する馬越 三郎が声を掛ける。しおらしき紫の私服。外へ出られない山野に代って、様子を見に来た様だ。
『しゅ、俊さんっっ!?!?!?』
武田の過剰反応は扨て措いて、馬越の傍には守役か其とも虫除けか、組長の沖田 総司が直々に立っていた。
尾形がふと馬越等の居る側と逆の側に眼を呉れると、珍しい顔触れがあった。佐伯 又三郎と―――こちらも美男五人衆の一人だが、国事探偵方という役職柄滅多に姿を見せない楠 小十郎である。
『来ましたか、尾形さん』
林が村役人との話を終えて尾形の許へ遣って来る。林は入隊時期が佐々木と同じ、所謂佐々木の同期に当る。監察方としては島田の先輩に当るが、林も島田同様、江戸にて永倉 新八と出逢い、且つ島田とも当時より面識のある別の枠組で三人組を語れる者であった。尾形や山崎から見れば「誰に対しても丁寧だが少々お堅い先輩」だ。
『遺体の確認はしましたか』
『ええ。・・・・・・一通りは』
林は島田にめくばせした。島田が口を真一文字に結び、こくりと肯く。尾形よりも山野の代りに見守る馬越の方が不安げな眼で島田と林を見つめた。
『尾形さんには何点か、監察方から訊きたい事があります。監察方と共に来て貰えますか』
『えっ、ちょっと待ってください。そんな、まるで俊さんが悪いみたいな言い方―――』
『いや、現に尾形も悪い。佐々木が専行に走った事を注意も自分から報告もしなかったんだからな』
思わず尾形を弁護しようとする馬越に、島田が厳しい口調できっぱりと言った。監察とは隊士の取り締りの役でもある。その権限は組長にも及ぶ為、時に組長よりも隊士から恐れられた。
山崎は当事者の傍に居乍らにして、冷ややかな眼で“観察”している。
尾形の聴取の任意を問われて、尾形隊に属する平士も馬越に続いて抗議した。併し、他ならぬ尾形自身がせからしい。と言葉を吐き捨て、部下達を黙らせる。
『―――承知しました』
『俊さんっ』
『馬越さんもいい加減になさい』
沖田も鋭い声で馬越を制止した。平士達は今後もその座に居続ける二人の組長に戦慄した。監察とは違った禍々しさを副長助勤は持っている。
『総司、尾形君、ここで隊士を恐がらせても詮無い事だろう。島田君も。林君は別に尾形君自身の事ではなく佐々木君の事について訊こうとしているんだ。勘違いさせる様な事を言わないでくれ』
山南が落ち着いた、理路整然たる言葉で幹部を窘める。名指しされた三人は一瞬黙り、小さな声で山南に謝った。
『・・・もう現場も処理されるから、総司達も屯所に戻りなさい。くれぐれも、妙な噂を流さない様に』
山南のこの一言でこの場は一応収まる。山南が率先して現場から離れ、つられる様に皆現場から散ってゆくのだった。
『馬越さんも、ほら、蟻通さんも帰りますよ』
沖田が自分の隊の部下達に声を掛ける。馬越は後ろ髪を引かれる様に右往左往しつつ沖田について去った。山崎は沖田と比べると些か乱暴に馬詰を回収する。
佐伯と楠の姿はいつの間にか消えていた。
組長が不在となり、行き場を失う平士達。尾形は自身の部下と視線を合わせたのち
『島田さん、済まぬが私の隊士を頼む。貴方にしか頼めない』
と、言った。尾形隊の隊士はきちんと引き継がれる事に、ほっと安堵の表情を浮べる。
『さあ、往きましょう』
林に促され、尾形は彼等とは別の道へ往く。その道は、一体何処へ続いているか。
―――裸体に巻きつく大蛇の刺青。
真っ当な人生を生きてきた者の身体とは、誰がどう見ても思えない。佐々木の身体に刻まれた闇に、よもや目を逸らす訳にはいかなくなった。
『?尾形さん、行きますよ』
林が尾形の行動を怪しむ。・・・尾形は歩を止め、筵越しの佐々木の遺体を見下ろした侭でいる。林の眼には如何も、其が佐々木の死を悼んでいる様には見えなかった様だ。
『アイツをどう使うか二つの道で迷っている』
・・・土方は煙管の煙を吐き乍ら、山南と、そして山崎に言う。
『謹慎期間を長く設け、外部との接触を一切断つか。佐々木が死んだ事で、今後必ず芹沢のヤツが出張ってくる。佐々木君はな、芹沢と密通していたのだ。尾形が其を知らないのか、知らない様にしているのかは判らないが、芹沢は今後尾形に直接働きかけてくるだろう。其を防ぐか』
山南はその時点で肯いた。併し土方は煙草盆に灰を落しただけで、話を切らない。山崎は其を視界の端に捉え乍ら、いけずなお人と思った。
『或いは、尾形と芹沢を積極的に関らせ、尻尾を掴んだところで両方潰すか。俺の調べでは、少なくとも井伊大老が殺害された桜田門外の変から肥後と水戸は接点を保っている。河上 彦斎というイカレた殺人鬼の履歴を辿ったら出てきた』
『しっ併し、土方君、人斬り彦斎と尾形君の間には接点が無いのでは・・・』
『甘いな、山南さん。“藩”というものは、御領が思っているより遙かに“国家”なんだぜ。現に、上田とかいうあのいけ好かねぇ肥後藩吏、河上の家も尾形の家も知っていそうだ』
上田とはまるで図ったかの様に壬生浪士屯所と同時期、同住所に地図上に現れた肥後熊本藩邸の京都留守居役・上田 久兵衛の事だが、今此処ではこの男の事は特に重要ではないので割愛する。精々紹介するとしたら、人斬り彦斎や尾形の様な陰気な輩と違って竹を割った様な男だが出身がエリートなだけに土方と馬が合わない事や、脱藩者である尾形に対しても態度が冷淡である事から例の武田に妙に仲間意識を持たれている事位だろうか。
『藩吏(上田)も長州派(河上)も脱藩者(尾形)も同じ線の上に立っているなら、藩丸ごとが怪しいんだよ。芹沢も然りだ。芹沢の背後には水戸藩がいる。加えて佐伯(長州)は、完全に芹沢(水戸)に縁っている。二者が三者になると一気にコトは複雑になるんだ。壬生浪士が小さな組織だからといって油断は出来ねぇ。
反幕派のヤツらがのさばっている最大の原因は、他でもねぇ“幕府の油断”さ』
『・・・その軌道に尾形君を乗せようか、乗せないか、という事だね』
『蠱毒かもな。最後に誰が生き残るのか、興味深いと思わねぇか』
土方が悪い冗談を言う。ふぅ、と一息吐くと、かたんと煙管を置いた。煙管が入る長さの根付が土方の文机の上に在る。
―――島田が齎した、例の佐伯の根付である。
『境におりまんなぁ、尾形はんは』
今回、態々(わざわざ)呼び出されて此処に来た山崎は笑った。土方は口角を上げつつ、他人事ではないぞ、山崎君。と戒める。
・・・土方は徐に文机の上の根付を取る。
『試衛館派が網に掛るとも限らんからな』
―――根付は必ず芹沢派の者が取り返しに来る。詰りは、根付を今現在預っている土方の身にも降り懸らぬとも限らぬ訳だ。
その点では、この根付は禍を呼ぶ根付と謂えよう。
芹沢 鴨に目を付けられれば、土方であってもその網から抜ける事は恐らく出来ない。芹沢に対抗できるのは、其こそ勇さんだけだ。
尾形は監督不行届という名目で八木邸にて拘留処分となった。副長助勤以下は前川邸を住いとしている為、暫し住いが移る。
だが、尾形が立ち止っている最中にも、刻一刻と刻は過ぎている。そして、訪れるべき刻は例外無く訪れた。
佐々木の死は次の事件の呼水だった。そして事件は尾形の謹慎中に起る。
芹沢派と近藤派の二陣営に拠る冷戦の時期が終り、三者も四者も入り乱れた血腥い山場が始る。