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弐.1863年、回想~佐伯 又三郎~




不幸な男が生れた。



がらっ


就寝時刻が近づいて、布団を敷いたり厠に立ったり歯磨きに行ったりと各々が各々のペースで動く、壬生浪士組の自由時間。中には布団を被って眠り始めている者もいる。足下が視えるよう控えめに照らしている行燈(あんどん)の光さえも鬱陶しがって遮断する阿部 十郎とか。

山崎が掃溜めの様な部屋に戻り、翌日の仕度をしていた時に、襖が勢いよく開け放たれた。


『――――・・・?』


―――平山 五郎だ。


本来寝処が別である為入室して来る筈の無い男の出現に、部屋に残る隊士全員が固まった。

京で入隊した者は大抵皆平山を恐がっている。芹沢の手下だし、芹沢の起す粗暴行為にもこの男自身加担している。山崎等が入隊した後にも通りすがりの力士と道を譲る譲らないで殺傷沙汰を起しているし、資金を提供してくれなかった生糸商の土蔵に火を放つなどしていた。おまけに強い。


そんな手のつけようの無い乱暴者が


『山野 八十八は居るか』


と、対極に在る美青年を指名した。


・・・・・・誰も答えられない中

『―――へぇ。この部屋には居りまへんで』

山崎がしらっとした表情で答える。

山崎は平山やその親玉である芹沢に対し畏怖の情を持ち合わせていなかった。(むし)ろ侮蔑の視線で()ている。芹沢や平山の強さは折紙つきで、山崎自身敵うとは思っていないが、そんなものは無関係である。

『そもそも山野はんは沖田はん預りの隊士ですさかい。この部屋は居る部屋ちゃいまんで』

『ふん』

平山は鼻を鳴らした。そんな事ぐらい解っているといった顔つきである。併し、機嫌を悪くしたという訳でもない様で

『・・・・・・俺の質問に淀み無く答えられたのは、お前くらいだ。山崎 烝』

と、悠長な言葉尻で言った。山崎は薄ら寒い笑みを顔に貼りつけて

『・・・・・・そら、どうも』

と、返す。

山崎本人としては別に嬉しくも何とも無い。平山が大手を振って戸を開けっ放しで去るのを背で見送り、べ、と舌を出した。

山崎は如何やら、壬生浪士の中では一目置かれる“勝ち組”だった様だ。(しか)し、山崎はそんな事に興味は無い。力で優劣をつけるなど丸で(けだもの)の様ではないか。洗練された京の者達が「壬生狼」と馬鹿にするのも肯ける。


〈・・・人間、(ココ)を使わな〉


負け組に対しても些かの同情も無かった。負け組には負け組の要素なり理由がある。山崎は、同期であり乍ら自隊の部下となった馬詰 柳太郎が窮屈そうに丸まって眠る姿を見下ろした。

優しくするのは容易い。併し、自身の()る事ではないと思っていた。



もう一人、救いの無いのがいる。




「・・・・・・佐伯 又三郎さんの事ですか」




叉も新しい名前が出てきた。佐倉は頭を痛める。


・・・山崎は冷たい視線を瞼で隠して、嫌やなぁ尾形はん、と笑った。



「俺の眼にはあんたより下層(した)の人間は映らんで。あんたより下層(した)の人間は其こそ今は皆地下に埋っとる。俺には霊感が無いさかいな」



?? 佐倉が益々(ますます)混乱する。尾形は二度目の溜息を吐いた。この名についてはここで流さず、立て板に水の如く尾形は説明した。

「佐伯さんは長州出身の方だ。文久3年5わたしたちの二期前―――文久3年の3月に(はじめ)さんと一緒に入隊されている」

「鴨はんのお気に入りやいう話やってん」

「気に入りだったのは真実やも知れぬが、実際は芹沢局長派の(ぱし)りだった」

(かつ)て長州派に属した佐倉の脳裡(のうり)に、長州藩邸に出入りしていた水戸と長州の構図が自動的に浮び上がる。

山崎を見ると、山崎とは違う別の人物に映った。佐倉は慌てて視線を逸らす。

(っ!まだ山口さんに未練があるの、私・・・)

視線を移した先で、尾形の姿が視界に入る。尾形も叉、先程と違う様に視えた。


尾形という“個人”が掻き消されて視える。



「文久3年5月組われわれが入隊する前より副長助勤をされていた方だが、途中で平士になられた。・・・一度だけ、私は佐伯さんが芹沢局長ではないが同じ一派の平山さんに抵抗されるところを見た事がある」




佐伯 又三郎は不幸な男だった。美男五人衆の一に入っていないからと()って、不細工という訳ではない。寧ろ長州の血筋ゆえ、其形(それなり)に秀麗な貌立ちをしていた。只、一番でないだけだ。


剣も、文久3年4月の会津肥後守松平 容保公御前での武芸披露仕合で平山と対戦した(とき)に負けただけで、隊内で一番弱い訳ではない。山崎や尾形を始めとした他の副長助勤も平山には負けている。


どちらに()いても“一番”という地位を得なかった。其だけだ。



『返せ!!』



佐伯が平山に喰い(かか)る。日頃は芹沢以下に黙って付き随っている印象の強い佐伯が声を荒げている様子は珍しかった。

『其は故郷(くに)の父の形見だ・・・!其以外に意味は無い!お前達はまだ私を疑っているのか!』

平山の肩を攫む佐伯の手が震える。佐伯は極々普通の人間であった。長州人であるという点を除いて。

佐伯も叉、長州人であるというだけで居心地の悪い日々を過していた。

―――何もしていないのに疑われる。

故郷(くに)か。そんな事を言うから疑われる事も知らずに、愚かな奴め』

故郷(くに)の家族を大事に思うのは当然の事だろう!其とも、長人にはその権利も無いというのか!!』

『コレは鴨さんに預けておく。若しかしたら、密書が隠されているかも知れんからな』

『・・・・・・!そんな訳、無いだろう!!』

佐伯の声が徐々に悲愴に染まってゆく。成程、確かに長人にしては頭が悪いかも知れない。併し乍ら、日頃の佐伯はもっと冷静であった。

『・・・お、左眼側に気配があるな』

平山は佐伯の頭を押えつけ(なが)ら、独り言を言った。


平山 五郎は左の視力が無い。潰れた左眼を眼帯で蓋い、死角となった左側は気配に対して敏感となり、大方の予想に反して攻められても即座に切り返せる様になっている。


『―――何だ、尾形か』


『・・・・・・』


尾形は前髪を縫って出てきた片方の眼で、平山と佐伯を見上げた。血がこびりついた様な臙脂色の眼球をしている。


『―――仲間が心配で来たか』

『・・・左様な訳ではありませぬが』


『尾形 俊太郎・・・・・・』

佐伯が尾形を案ずる眼で見る。佐伯は長人、尾形は肥後者で、互いに産れが理由で組織から歓迎されなかった。歓迎されぬだけならよい、水戸派と呼ばれるこの者達は、やけに


『―――丁度いい。尾形、貴様・・・『尾形 俊太郎ーーーっ!♪』


稽古着姿の侭の山野 八十八が、全身を投げ出して尾形に飛びついて来た。尾形の空気がどんよりと曇る。その後、何も言わなかった。


『!山野』

平山が過剰な反応を示した。平山は壬生寺の稽古で山野に負けた事を根に持っているのである。否、根に持つと謂うより。

―――山野の剣の秘密を知りたい。

魅了されていた。

『丁度いい処に来た。山野、俺ともう一度仕合え』

だが、山野はすげない。

()ーですよォ。尾形 俊太郎にちょっかい出そうとしたでしょう。弱いものいじめをする人の言う事を聞く道理は無いですやい』

んあ? 言うなり、山野の興味はすぐに別の方向に移る。平山が握る佐伯の其を指さすと


『何です、ソレ?』


と、訊いた。


『ああコレか。コレは―――』

平山が僅か其を前に突き出した刻、ひょい、と彼の肩越しに腕が伸びてきた。吃驚(びっくり)した平山は一瞬固まる。



する、と平山の手から其を抜き取ったその腕は、山野の直属の上司である副長助勤・沖田 総司の肩に繋がっていた。



『少なくとも平山さんの物じゃないでしょう』



『!』

平山が振り向き、尾形と山野が沖田を見る。誰一人として沖田の気配が現れてから行動に移る(まで)(はや)さに追い着いていなかった。


『沖田・・・』


平山が歯噛みする。八十さんっ、沖田先生? 山野と同じく沖田の組に属する美男五人衆の一人・馬越 三郎が追い駆けて来て、立て続けに更に


『尾形先生(せんせ)!』


尾形配下の美男五人衆の一人である佐々木 愛次郎が来る。



3人の美男が一堂に会し、現場は一気に華やいだ。



ぱしっ

『あ』

佐伯が沖田から取り戻して貰った其をひったくって走り去る。現場が賑やかになったのはその後だ。

山野は純粋に憤慨し

『ちっ。何だってんでェ。今の、いじめっ子から救って()ったって構図じゃないですかィ。少しは感謝しろし』

と、文句を垂れる。尾形と佐々木は互いにめくばせをした後、佐伯の走り去った跡を眺めた。




「尾形はん、あんた山野はんに感謝せなあきまへんで」

「何ゆえ」

呆れた顔をして言う山崎に、尾形は即応する。佐倉は山崎の側に居って、うんうんと小刻みに首を上下に振っていた。

「あんた、山野はんが側に居らんかったら佐伯はんと全く同じになっとったで。

当時、長には久坂 玄瑞、肥後には宮部 鼎蔵が()った。芹沢・平山の居った水戸の天狗党は、久坂や宮部と深い繋がりがあった(ハズ)や」

「併し、久坂先生達と繋がりの深い天狗党の方達が、何故当時の壬生浪士に?」

壬生浪士結成の経緯が尊皇攘夷志士にある事を、当時の歴史の歯車であり雇われ暗殺者に過ぎなかった佐倉が知る筈もなく、当然の疑問である。芹沢等天狗党の者達が清河 八郎等同志に従わず近藤等試衛館派と行動を共にした理由は謎の侭だが、現在巣くう伊東 甲子太郎一派を見ると読み解けそうな気もする。

「芹沢一派に取り込まれとったらあんたは確実に粛清対象やった。けどあんたには平山に勝った山野はん(美男)が居った。更に山野はんの背後には試衛館派の懐刀の沖田先生が居る。序列には敏感なヤツらや、幾ら好き放題やっとっても迂闊には手を出せんかったやろなぁ」

尾形は山崎を一瞥すると

「変りませんよ」

と、言った。前髪で見えないのに何故一瞥かと判ったかというと、顎を引く上目遣いの仕種をしたからだ。

「山野を呼び出すだしに使われるゆえ堪らぬ。少なくとも平山さんは山野の剣にのみ興味があられた筈だが、その山野の居処やら活動時間帯やらを何ゆえ私が答えられる様にならねばならぬのか全く理解に苦しむ。山野が(かかわ)らぬ方が少なくとも平山さんとは拘り合いにならずに済みましたよ」

山野の文句となると通常の2倍も3倍も口数が増える。日頃から物申したい事を相当数(はら)に秘めていた様だ。

「・・・某武田から在らぬ噂を立てられたりもして、大変やったもんなぁ・・・・・・」

山崎は思わず同情した。


先程から山崎が敵視する某武田とは、無論壬生浪士こと新選組きっての男色家である武田観柳斎の事であり、山崎と尾形のポストを狙っていた共通の敵である。


武田は彼等の一期後、文久3年7月に新選組に入隊した。本名は福田 廣という実に俗っぽい名前で、山崎や山野は現在でも「この、ひろしが・・・」と密かに毒づいている。

山野を始めとした美男五人衆との拘りの多さに嫉妬して「美男五人衆を追い回してばかりで稽古も真面(まとも)にしない」等、尾形にとって不利になる噂をこの男色家は度々流していた。この様な情報操作は、芹沢・近藤両派の助勤は勿論山崎にもしない。山崎が情報のプロである事を、武田は武田で其形に嗅ぎ取っていた様である。


だが、尾形 俊太郎とて評判は必要以上に落ちない。

山崎はその点、尾形に対して昔から感心していた。


変な噂は偶に流れたが、悪い噂は其程(それほど)流れない。流れたところで出処は判っていたのもあるが、本人と会うと火消の如く噂が立ち消えるという不思議な特技を持っていた。監察方の素質を持つ者故の特徴か、山崎と同じで外面は基本いいのである。

加えて、その暗そうな外見からは想像がつかないが、人を懐かせる能力は割に高い。


―――山崎は前に述べた様に、美男五人衆の一人である馬詰 柳太郎の扱いに本当に辟易していた。馬詰は女顔というよりも、如何にも女に好まれそうな引き締った顔立ちをしており、隊の中よりも外での女子の人気が非常に高かった。反面、気が弱く、男所帯の壬生浪士組では嫉妬・羨望から揶揄の対象となり、隊士達が遊興に行く際にはいつも留守番を申しつけられ、使い走りにされていた。

山崎にとっては、救う程のものでもない。ある程度の高み迄自分自身の力で上がってきてくれないとこちらも如何しようもないのである。山崎はそういうタイプの組長だった。

併し、そういうタイプでない組長も在る。



『―――馬詰さん』


其が同期同僚の尾形だった。隊士達が遊興に出て行くのを羨ましげな視線で見送り、溜息を吐く馬詰に話し掛ける姿を山崎は見た。



『お、尾形先生!?』

尾形は本を手にした侭、首を傾げた。同期なのに先生と呼ばれる事に違和感がある様だった。当時の壬生浪士組といえば町屋から金を分捕る位運営としては火の車で、副長助勤も平隊士も同室で(ひしめ)き合って雑魚寝が実情であったから立場の差というのは其程無い。

『私は出掛けぬ故、留守は気にせず遊びに行くとよい。貴方は―――毎度の如く外を眺めては溜息を吐いている』

馬詰は顔を真紅に染め上げる。恥らうと端整に置かれた顔のパーツが少しバランスを崩して、人間らしいかわいい顔になる。其を見たくて彼をからかう隊士も少なからず在るのだ。

馬詰は今の指摘を受けて、男としてのプライドを少し傷つけられたらしかった。

『・・・先生も、俺には勇気が無いと思っていますよね・・・あの輪に入って飲みにも行けない、恋人は醜女で趣味は子守の手伝いだと。父は刀の差し方さえ知らぬ―――』


『―――柳元斎殿に書で敵う者は在ないがな。気も利き、芹沢局長や近藤局長も目を掛けておられる』


馬詰はぽかんとして尾形を見た。尾形は、いつの間にか占領している部屋の一角の、いつの間にか造ってある自分用の本棚から本を選び、取り出すと、馬詰に渡した。


『・・・貴方が何をしたいのかは知らぬが、(これ)には答えが在るやも知れぬ』

尾形は再び定位置に着き、自分の読んでいる本に視線を移した。尾形は人の少ない非番の時間帯、長い前髪を後ろに上げて眼元に掛らない様にして本を読む。尾形が溜息を気にする位に留守居を共にする頻度が高いのに、馬詰は初めてその素顔を目にした。

『―――後は、自身の周囲をよく視る事だ。貴方はあの遊廓に行った集団が壬生浪士の一大勢力だと思っている様だが、そうでもあるまい』



山崎はこの光景を見て、馬詰を尾形に預ける様にしようと思った。適材適所だ。元より、山崎は副長助勤を遣りたかった訳でも副長助勤が向いていると思った訳でもなくこの壬生浪士に居た。もっと自分に向いた役職がこの壬生浪士には存在する筈である。

美男五人衆の一人であるが故に、馬詰の預け先に慎重になったのが(これ)迄の枷となっていたが。



『尾形先生・・・っ!おすすめの京菓子を買って来ました!』


馬詰が心なしか晴れ晴れした表情で部屋に現れ、差し入れを渡す。之は勿論、山崎が吹き込んだ無意識的な根回しであるが、尾形の評判を上げるのに間接的に貢献した。

まさに適材適所である。尾形は()う見えて、教えるのも話を聴くのも上手い。肥後では国学者の家系であったという話に違わず(国学とは、最も私達に身近なところでは5教科での国語、更に突き詰めると国文学や日本史・神道研究が範囲にあり、『古事記伝』を著した本居 宣長を想像して貰えば解り易いだろう。幕末期に於いては「復古神道」の名の下に古来より続く日本人の精神を大切にするという姿勢から尊攘思想と深く結びついた)、国語の教師としての振舞いも出来るのだ。其が現在、文学師範という役職に結びついている。




「“衆道外来”呼ばれとったんやで」

山崎が佐倉に耳打する。そういう経緯あって、山崎の差し金馬詰 柳太郎に、山野と仲の良い馬越 三郎、直属の部下の佐々木 愛次郎に至る迄、美男の情報は尾形が矢鱈(やたら)詳しくなっている。真剣に懸想する者、嫉妬に駆られる者、様々な想いを秘めた者達が本音を吐き出しに来た。まさにメンタルクリニック。

併し、話を切り上げるのも其形に上手いのか、実際は本人が言う程美男のだしに使われていた風ではない。平山が来ても、佐伯ほど執拗(しつこ)い絡まれ方をしていた訳でもなかった。



「・・・確かに、私自身は何も失ってはおりませぬ。なれど、私の代りに失ったものならありますね。


今は常套手段なれど、あの刻に初めて、私はあの手段を使った」



尾形は不意に本題に入った。その割に次の言葉に続く迄に結構な間があった。珍しく躊躇がある様だった。




「美男五人衆で最初に亡くなったのは―――・・・佐々木 愛次郎さんでした」

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