1-3 代用魔女
もしかしたら、代用魔女は一年前に終わった戦争の最大の被害者なのかもしれない。
硝煙の匂い、土煙の匂い、空の匂い、血の匂い、死の匂い。
戦場の匂い。
空に溶け込むための青い迷彩服を身にまとい、箒に乗って空を飛ぶ少年少女たちは、地上から空へと降り注ぐ対空砲火の雨に晒され、あっという間に隊列を乱された。
低高度高射砲の直撃を受けて、仲間たちが血煙を引きながら次々と地上へ墜ちてゆく。無慈悲な対空機関銃の掃射が、それでもなお果敢に要塞へ向かう代用魔女も、戦意を失い逃げ惑う代用魔女も区別なく撃ち落とした。
「ヘレン、ヴァネッサ、コーディ、固まらないで、狙われてる! 広がって逃げて! 逃げてーーーーーーーーーーーーーっ!」
風を切って空を飛びながらエララは喉が切れるほどに強く叫んだ。しかし、戦場に響く銃声や荒々しい風の音は彼女の言葉を掻き消し、決して仲間の元へ届けることはなかった。
三人が対空砲火を浴び墜ちてゆく。
また目の前で大切な仲間を失ってしまった。
もし無線機があれば、エララの言葉はきっと彼らに届いていただろう。そうすれば、三人とも命を落とさずに済んだかもしれない……。
けれど、代用魔女は所詮使い捨ての少年兵なのだ。無線機なんていう高価な装備が与えられるはずもない。この戦場では代用魔女の命は無線機よりも安かった。
対空砲火の中、エララは眼下に広がる敵陣をきっと睨み付けた。幾重にも掘られた塹壕は有刺鉄線のバリケードに守られている。塹壕の向こうには頑丈そうなトーチカ。友軍の歩兵が果敢に突撃を仕掛けているが、有刺鉄線に足止めを食らっているうちに周りから攻撃されて次々に倒れていく。
エララは自暴自棄になって箒を押し下げ塹壕へと急降下する。対空機関銃がこめかみを掠め飛行帽とゴーグルをむしり取られた。あと少しずれていたら頭が吹き飛んでいただろう。でも、構わない。いつ死んだっていい。どうせ生きていても、明日また別の戦場に放り込まれて死線を飛ぶだけなのだから。
ある程度降下したところで、箒に固定したコンテナを蹴り開けて塹壕へ爆弾を振り撒いた。すぐに箒を引き上げて上昇に転じる。眼下で爆発が起こりバリケードが吹き飛んだ。塹壕にいた兵士がどうなったのかなんて、怖くて見ることができなかった。
防衛網に空いた穴に蟻の大群みたいに友軍の兵士が群がってゆく。エララに引き続き、何十人という代用魔女が急降下からの爆撃を敢行し塹壕やトーチカを潰す。しかし、高度を下げることは敵歩兵の射程に入ることを意味している。反転上昇の隙を突かれ、次々と仲間たちが墜ちてゆく。
戦友たちの死に潰れるほどに胸が痛んで、脳が沸騰するくらいの怒りを覚えた。
その怒りの矛先が向くのは敵兵士ではなかった。
エララたちを代用魔女にして無理矢理戦争に送り込んだ自分の国への怒りだった。
魔女。
箒に乗って空を飛び、大釜で怪しげな薬草を煎じ、月夜の晩に呪いの魔法を唱え、不思議な力で失せ物のありかを言い当て、おぞましい儀式で悪魔を召喚する存在――。
魔女はおとぎ話や物語の中だけの存在だと思われていたが、それは違う。約三百年前、魔女は確かにこの国にいて、その不思議な力で人々を助けていた。魔女はその地域の人々にとって、教師であり医者であり巫女であった。
しかし、魔女たちはアウェ教の教会によって行われた魔女狩のせいで、そのほとんどが命を落とした。アウェという唯一神を信仰する人々にとって、魔女は悪魔に通じる異教徒であり、殺してでも排除すべき存在だったのだ。
こうして魔女は表舞台から姿を消し、やがてみな魔女が存在したことすら忘れてしまった。
でも、五年前にその魔女と魔法を復活させたものがいた。
軍だ。
七年前に始まった戦争は、そのときにはもう泥沼の消耗戦になっていた。戦線は一進一退を繰り返し、はっきりとした戦果を上げることができぬまま兵士と兵器が徒に失われ続けていた。
そんな戦況を打開すべく軍が考え出したのが、「魔女の戦争利用」だった。
軍の人間は、もういなくなったと思われていた魔女をどこからか探し出してきた。そして魔女狩りのことなんて忘れたかのような顔をして、しれっと魔女に軍事協力を依頼したのだ。
過去の遺恨があったにも関わらず、魔女の方も二つ返事でその提案に応じた。銃口を突き付けられて無理矢理従わせられたのか、それとも、魔法の復活のために率先して協力したのかは分からない。
でも、そんなのどっちだって同じだ。エララに分かることは、軍も魔女も、子供たちの未来を奪う最悪の選択をしたということだけだ。
それからどんな話し合いがあって、どんなアイデアが出されては消えていったのかは、エララは知らない。とにかく、魔女を招聘してから一か月後には、軍のアイデアは具体化して洗練され、一つの計画として実行に移されることになった。
それこそが、「空飛ぶ兵士による爆撃」だった。
箒に乗って空を飛び、上空から爆撃を浴びせて敵を壊滅させる部隊。その養成計画は《魔女計画》と名付けられた。
詳しくは知らないけれど、どうやら魔法というものは幼いころからの訓練が必須条件らしい。大人になってから魔法を覚えようとしても、既に体の成長が終わっていると、魔法を使うために必要な脳の部位が発達しないのだとか。
つまり、大人は「魔女」にはなれないのだ。
だから、子供たちが犠牲になった。《魔女計画》により、十歳から十五歳までの少年少女の一部が「国家機密の軍事行動」に従事するために全国各地から強制徴兵された。
彼らは魔女の指導の元、厳しい訓練と怪しい投薬により二か月で空飛ぶ魔法を叩き込まれた。魔法を習得できなかった者はその時点で軍を追い出され、魔法を習得した者は続く一か月で飛行訓練と爆撃訓練を詰め込まれた。
そして、四カ月目には戦場に放り込まれた。使い捨ての爆撃要員として。
ありとあらゆる魔法を使いこなした魔女と違い、飛行魔法しか使えない少年兵たち。
所詮魔女の代わりでしかない彼らはこう呼ばれた。
代用魔女、と……。
やがて戦争は終わった。でも、代用魔女の苦難は終わらなかった。
当然と言えば当然だが、少年少女を使い捨てにする代用魔女は、国際社会から大きな非難を浴びていた。
だから終戦直後、軍の上層部はすぐに代用魔女部隊の解散を決定した。
表向きは人道的な判断に思えるが、実際は違う。
代用魔女をさっさと軍から放り出し、さらに代用魔女に関する文書も全て処分することで、代用魔女部隊の実態をうやむやにして外部の人間が調査ができないようにしたのだ。部隊の解散は人道の皮をかぶった軍上層部の責任逃れでしかなかった。
ある日突然軍に召集された少年少女は、こうして、やはり突然軍から追い出された。
代用魔女の中には、戦争で家族や故郷を失い帰る場所がない子もいっぱいいた。
それだけではなく、「魔女」になったことで、敬虔なアウェ教信者の家族から異教徒として追い出された子もいたし、村や町ぐるみの魔女狩りに遭った子もいた。
代用魔女に帰る場所なんてなかった。国のせいで魔女にされ、国のために戦わされた哀れな少年少女は、今、国を彷徨う亡霊となっていた。
こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。こんな、こんな……。
代用魔女だと言い当てられたとき、シオンが怯えた理由がエララにはよく分かった。街の人もお店の人も、それまで笑顔で話していたのに、相手が代用魔女だと分かった途端に暴力的になることはざらだったし、ときには銃を向けられることもあった。
そういう経験をしてきたから、代用魔女は自分の正体がばれることを酷く恐れている。
シオンも今、怒鳴られて店から追い出される覚悟をしているのかもしれない。
「安心して、シオン。うちのお店は代用魔女を追い出したりなんかしないよ」
エララは笑顔を浮かべながら言った。
「…………本当に?」
「本当だよ。だって、うちのお店、店長も私も従業員も全員代用魔女だもん」
「え?」
「ほら、これ」
エララは手袋を外し、シオンに手をかざしてみせた。
エララの手の平と手の甲には、刺青のように魔法陣が刻み込まれていた。
その魔法陣は魔法を使うためにはなくてはならないものであり、代用魔女の証しでもあった。これはリシテアの手にも刻まれているし、もちろんシオンの手にもあるだろう。
その魔法陣があるからこそ、代用魔女は正体を隠し通すことが難しかった。手袋をしなければ一目で代用魔女だとばれて差別を受ける。しかし、手袋をしていれば、それだけで代用魔女と疑われて手袋を外せと迫られる。
「本当に……代用魔女なの?」
「そうだよ。ね、店長」
「ええ、そうよ」
リシテアも手袋を外して魔法陣をシオンに見せる。
ようやく信じてくれたのだろう、シオンは久し振りに戦友と出会ったみたいな、ほっとした表情を浮かべた。
《ミュデットの見つけ屋》はリシテアが代用魔女のために創ったお店だった。
戦時中、リシテアは軍の諜報部に所属していたらしい。そのため他の代用魔女とは違い、飛行魔法以外にも、本物の魔女からダウジングや千里眼などの魔法も教わっていた。
戦後すぐ、リシテアはその魔法を生かして《ミュデットの見つけ屋》を開業した。そして、軍から放り出されて行き場のない代用魔女を雇い入れると、みんなにダウジンクを教えて見つけ屋として育ててくれたのだ。
エララら従業員が今こうして明るく働いていられるのは、全部リシテアのおかげだった。
だから、みんなこの店とリシテアのことが大好きだった。よく客から「この店は雰囲気がいい」と褒められるけれど、それはきっとリシテアの優しさが店の隅々まで行き渡っているからなんだと思う。
しかし、シオンの顔は続くリシテアの一言ですぐに凍り付いてしまった。
「でも、ごめんなさい……。貴女が代用魔女なら、私たちは貴女の力になれないわ」
「えっ、どうして……?」
「失せもの捜しの魔法はね、魔女には通用しないのよ」
――そうだ、以前教わったではないか。
エララには実感がないが、代用魔女も含め魔女というのは精霊や妖魔のような霊的な存在と繋がっているらしい。そして、それらの存在から力を借りることで魔法を操っている。
ダウジングはそれらの霊的な力を借りて、触媒に残る失せものの記憶の匂いをペンデュラムに辿らせて、そのありかを捜す魔法だった。
一般の人にこの魔法を使う分には全然問題ない。でも、魔女や代用魔女相手にこの魔法を使うと、無意識のうちに防衛本能が働いて霊的な力が跳ね返されてしまうのだ。これがペンデュラムを弾き飛ばした拒絶の力の正体である。
そのことはダウジングを習ったその日に教わっていたはずなのに、代用魔女の客が来ることなんてなかったから、今の今まですっかり忘れていた。
けれど、エララは、失敗の理由が自分の実力不足ではなかったことに素直にほっとすることができなかった。
シオンがあまりに気の毒だったからだ。
自分の捜しものが見つからないと分かったシオンは、顔を強張らせて俯いてしまった。
「そう……。見つからない……んだね、あたしの故郷……」
その薄い肩が震える。
「それなら、あたし、どこに帰ればいいのかな……」
ぐず、ぐず……、としゃくり上げる声が聞こえた。
「どこに――」
ぼたぼたと、大粒の涙が頬を伝って顎先から落ちる。
「帰れば――…………っ」
シオンは声を殺して泣きだしてしまった。
シオンにとっては、この店が故郷を見つけるための最後の希望だったはずだ。
でも、その希望がたった今潰えてしまった。
エララのせいではない。リシテアのせいでもない。もちろんシオンのせいでもない。
誰のせいでもないのに、どうしてシオンがこんなに悲しい思いをしなきゃいけないんだろう……?
「ごめんなさい、力になれなくて……」
リシテアの謝罪にシオンは力なく首を左右に振った。
泣かないで。元気を出して。きっと何とかなるよ……。
色々な慰めの言葉が頭をよぎったけれど、シオンにかける言葉としてはどれも相応しくないと思った。今この瞬間、この世界にあるありとあらゆる言語の中に、シオンの心を癒せる言葉なんて存在しなかった。
それでもシオンに何かしてあげたかった。
だから、エララは衝動的にシオンに近付くと、ぎゅっとシオンを抱き寄せた。
それが、もしかしたら同じ戦場の空を飛んだかもしれない戦友にしてあげられる唯一のことだった。
シオンの体はとても細くて、少しでも力を入れてしまえばぽきりと折れてしまいそうだった。これまでずっと、この細い体の中に悲しみや不安を押し込めてきたのかと思うと、それだけで胸が締め付けられた。こんな子が辛い目に遭わなきゃいけないなんて、この世界はどうかしている。
シオンは急に抱き寄せられてびっくりしたみたいだったけれど、嫌がったり振りほどこうとする様子はなかった。
むしろ、そのハグでそれまで張り詰めていたものがふっと緩んだんだと思う。
シオンはエララの背中に腕を回すと、彼女の肩に顔を押し付けて声を上げて泣いた。
その声があまりに悲しくて、エララも声を上げてわあわあ泣いた。