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知らない天井だ。
やはり天井というものに執着があるわけではないが、目を覚まし、見慣れないものがまず視界に入ると、こう表現せざる負えない。
これがお約束というやつだろうか?
それから妙な匂いがする。
…くんくん。
ぶどうの渋みを凝縮したような匂いだが、これは…。
そして、身を起こし、その匂いのする方へ視線を送ると…。
「…なにをしている。」
「こ、これは違うんだからね!!」
「なにが違う?」
ポタポタ。
「だ、だから違うんだから!!た、確かにちょっと呑みたいな…なんて思っちゃったりしたんだけど、我慢して…。」
ポタポタ。
「でもやっぱりちょっとくらいなら…ちょろっとくらいならなんて…ね…。」
「……。」
「要するに今日はなんだかイケる気がしたってわけよ!!ほら、人間そういうときってあるでしょ!!でしょ!!でしょ!!!」
「……。」
「…えっと……。」
「言いたいことはそれだけか?」
ビチャビチャ…ポタッポタッ…ポタッ…。
「……はい。ちゃんと掃除します…。」
…そこにはぶどう酒を煽ったのか、その身…その骨格に液体をぶちまけ、下に水溜まりを生み出すスケルトンがいた。
まあ、これは朝の目覚めのお約束ではないのは確かだろう。
さて、なぜ俺がこんなざまのスケルトンなんかと一つ屋根の下にいるのかというと、一週間ほど前に遡る。
―
ここは無もなき村。
大自然に囲まれた癒しスポット。
近くには森だけでなく滝もあり、真夏も涼し気な…ではなく、いや確かにそれはあるのだが、そんな観光スポットになるような、観光客が喜びそうな店や宿なんかもない、普通の村である。
そんな村に小さな異変というやつが起こり始めていた。
「は?」
「じゃから…お前さんが見てきてくれないかの。」
村の青年アギトが村長により、なにやら頼まれごとをしている。捻くれた要素などない善良な若者ならば、唯々諾々とそれに従うのだろうが、青年は親を早くに亡くしたこともあり、そこそこ捻くれていた。
「…なんで俺が…。」
「そんなの決まっておるじゃろ。お主が村で一番腕っぷしが強いからじゃ。」
そんなふうに村長はいつものよう微笑みながらも、有無を言わせぬ様子。
さて…こんな時は老人には憑き物のあれに頼るとしようと若者はやれやれと答えを返す。
「……はぁ…わかった。明日な。」
そう流れのままに村長の横を通り過ぎようとしたところ、スッと影が周り込んでくる。そして…。
「今からじゃ。」にこり。
「……。」
「……。」にこり。
「……。」
「……。」にこにこにこ。
「……はあ…わかった。今からな…。」
青年はさっさと面倒を片付けようと手慣れた動きで山道…というか、木の上を駆けていく。こちらのほうが着地位置の予測が正確にできるため、より早くに踏破できるのである。
「チッ…あのジジイ…。」
そんなふうに悪態をついていると、いつの間にやら目的地へとたどり着いてしまった。
そこは洞窟。
その内部は木漏れ日程度の光では用をなさないためか、薄暗く、少なくとも動物が冬眠でもできる程度の奥行きがあるのか、その全容を外からでは把握できない。
とりあえず外から様子は見たので…。
と、半分バックレようと背を向けたところ、「…く…け……せ…。」という明らかに鍾乳洞なんかの空気振動とは違う音が聴こえてきたことで、軽く頭を搔く。
ドタドタドタドタッ!
ひどく力強い足音が聴こえてきた。
嫌な予感がし、「チッ!」と一際強く青年は舌打ちをし、回れ右をしようとした瞬間。
「にク、さケよコせィーーーーーっ!!!」
2足歩行の骨…いわゆるボロ布を纏ったスケルトンが剣をその手に携え、いきなり凄まじい速度で斬り掛かってきた。
「チッ…。」
そんな剣撃を避けたわけだが…
シッ!シッ!
相手の強く鋭い剣撃は留まることを知らない。
こんなふうに避け続けていても仕方がないので、距離を取り、今度は一瞬ばかりの観察ではなく、しっかりと相手を見据えた。
「……。」
しかし、その様はやはり他のスケルトンと対して変わらず、傍からは特殊な存在だとはわからない。
実力と身なりがチグハグ。
普通上位のスケルトンならば、より質の高い武具を…と訝しんでいたところ、眼窩には言うまでもなく何もないはずだというのに、淀んだ赤い光がギラギラと輝いているように見えた。
…なるほど…。
「…最悪だ…。」
赤い瞳…これはかなり上位の魔物や、上位魔族が持っている特徴に相違ない。
アギトは逃げることを放棄し、魔力を駆け巡らせる。その討伐へと本気で乗り出した。
そして、数時間後、決着は着いた。
「ぬおーーーーーーっ!!!にゅおーーーーーーっ!!!」
この叫びが全てを物語るだろう。
「にゅ、にゅおーーーーーっ!!!」
そんなスケルトンの現状への執着にアギトは額に手を当てる。
「…はあ…いい加減諦めてくれないか…。これじゃあまるで俺があんたを殺そうとしているみたいじゃないか…。」
…まあ、なんというか…そう…だいぶ討伐への意欲は削がれていた。
だって…なんか知ってる奴なんだもん…。それも悪い奴じゃなくて、世界的な正義の味方。
今やってるのは、単に嫌がらせ。
散々命の危険を煽り、手間取らせたにも関わらず、こんなに間抜けを晒すなんてことをしてくれて、かなりイラッとさせてくれたから。
「いや!してる!!殺そうとしてるから!!今!ナウで!!」
それにしても、随分と流暢になったものだ。始めの頃は舌が回って…いや、腐り落ちてそれはなくなってる…か……。となると、コイツどこから声を…と、まあそれはそれとして、彼女の言い分は肉体が骨のみの現状ながら、半分ほど的を射ているようではある。
アギトは翳したその手から光を放つのをやめると、立ち上がろうとしているスケルトンに言い放った。
「チッ…しぶとい勇者だ…。」
「それ魔王のセリフ!!アンタは魔王か!!」
「……チッ。」
なんという侮辱だろう。よりにもよって、魔王などと…。
この骨勇者めが…。
「チッ。」
「あっ、また舌打ちしゃったよ!!も〜う怒ったんだから!!」
そんな声が聴こえてきたので、礼を尽くす気を完全に失ったアギトはガン無視を決め込むことにし、しばらく…。
彼女はさまざまなことを喚き散らした。よく覚えていないが…。
「…だから、あの時私は…。」
そうして、いい加減この場すら離れて、ついでに領主に討伐目的の騎士団派遣を要請してこようと思っていたところ、聞き捨てならないことが聴こえてきたので、アギトは思わずその場に留まり振り向く。
「さあ!このように私と徳を積み、魔王を倒すのです!!」
徳ってどこの坊さんかって……ん?
「なあ、ホネ…魔王なら倒されたらしいぞ。」
「………え?」
固まっている骨。もうその眼窩からは威圧するような赤い光はなく、どこか間の抜けた深い空洞があるのみ。まあ、ぶっちゃけ空っぽだ。
仕方がないと、青年が「だから魔王は…。」と再び現実を伝えようとしたところ、せっかちな彼女は絶叫した。
「えええええええーーーーーーーーーっ!!!!」
青年は今度は実際に耳を塞ぎつつ思う。
…あっ…これ…絶対面倒なやつだ…。
とまあ、これが骨勇者こと、勇者エリシアとの7年ぶりの再会だった。




