結婚なんて御免こうむります。貴方様は貴方様の人生を。わたくしはわたくしの人生をしっかりと歩みますわ。
「クラディス・ブラウ。貴方との婚約を破棄させて頂きますわ!」
言ってやったわ。言ってやった。
わたくしは言ってやったのよ。
目の前の男に、クラディス・ブラウに。
でも、クラディスは平然とした顔で、
「婚約破棄、喜んでお受け致します」
「何故、どうして?わたくしはこの王国の高位貴族、フローリア・カレンティトス。誰もが恐れ、憧れるカレンティトス宰相の娘であり、名門、カレンティトス公爵家の一人娘でもあるのよ。そのわたくしが貴方と婚約を結んであげていたのに。それなのに?何故、喜んで婚約破棄を受け入れるの?わたくしは貴方の事を愛しております。だからお父様に頼んで3年前貴方と婚約を。貴方は受け入れてくれたではありませんか?」
そう、クラディスはこの王国の英雄であり、国民皆の憧れの的で。
名門ブラウ公爵家の次男という家柄を取ってもつり合いの取れた相手であった。
そんな彼は友達も多く、貴族の令息から荒くれ者の冒険者まで、幅広く付き合っていて。
顔立ちも整っており、何をやらせてもそつがないそんな男で。
歳は25歳。彼自身、結婚する気がまるでなかったようで。
そんな彼に憧れて、王宮の夜会で見かけたときから、彼の噂を聞いていた時から好きで好きで好きで。そんな彼だからこそ、3年前に婚約を結んだと言うのに。
15歳の少女だったフローリアも今や18歳。
金の髪に青い瞳のフローリアも、そろそろ婚約期間を終えて結婚をしたい年頃なのだが。
フローリアは叫ぶ。
「貴方はわたくしに対して冷たかった。ろくに会いに来てもくれない。お茶会に誘っても、顔も見せない。仕事が忙しいといって、王都からいつもいなくって。わたくしに手紙も下さらない。貴方はわたくしの婚約者。もっとわたくしを大切に気遣って下さるのが当然でしょう?」
「私は仕事に忙しい。そなたとの婚約は王家の命で仕方なく受け入れたまでだ。王都を離れて、魔物狩りに仲間達と出かけることが多い仕事だ。そんな私に結婚生活は向かない。だから婚約破棄を喜んで受け入れよう。それでは私は失礼する。カレンティトス公爵令嬢」
背を向けるグラディス様。許さない。わたくしは婚約破棄をしたのよ。
「貴方が有責でよろしくて?慰謝料を払って頂きますわ」
「慰謝料?」
「当然でしょう?わたくしは貴方のせいで貴重な3年間を無駄にしたのです。ですから、わたくしに対する慰謝料を払って下さいませ」
「解った。カレンティトス公爵を通して、我がブラウ公爵家に請求してくれ。それでは失礼する」
涙がこぼれる。わたくしだけの想いだったと言うの?
彼が悪さをするブラックドラゴンを仕留めたと聞いた時に、王都の門まで出迎えに言ったわ。
大勢の人達が邪魔していて近づくことも出来なかったけど。
仲間達と共に倒したドラゴンを大きな荷車に乗せて運ぶ彼を見るわたくしは本当に誇らしかった。
わたくしは彼の傍に行って、彼に抱き着きたかった。
お手紙だってわたくしは書きたかった。書いても彼はどこにいるのかお手紙の届け先が解らない。
わたくしは貴方に大切にされたかったの。
わたくしはわたくしは……ああ、涙が止まらないわ。
フローリアは、いつまでも窓の外を眺めていた。
クラディスが戻って来てはくれないかと。思い直してくれないかと。
自分が悪かったと謝ってくれないかと……
でも、彼は戻って来なかった。
フローリアは窓の外を見つめ、涙を流し続けるのであった。
クラディスを婚約破棄して、多額の慰謝料を請求したのだけれども、彼はあっさりと一括で支払って来た。
ドラゴンや色々な魔物を討伐する英雄。その素材は高く売れ、クラディス個人は多額の金を持っていた。
彼の実家のブラウ公爵家も、広大な領地を持ちとても金が潤っている公爵家である。
金を沢山貰ったとて、フローリアは嬉しくもなんともなかった。
フローリアの両親は一人娘のフローリアをとても可愛がっていて、普段からクラディスの仕打ちには怒ってはいたのだけれども、それでも、フローリアに向かって父であるカレンティトス公爵は、
「新しい婚約者を探そう。なぁに。我が家に婿入りしたい令息は多いはずだ」
フローリアは首を振って、
「優秀な令息は皆、婚約者がおりますわ。わたくしは結婚したくありません。お父様。わたくしは女公爵として、このカレンティトス公爵家を守っていきたいと思っております」
「そこまであの男の事が……」
「いえ、わたくしに興味を持たなかったあの男の事など。でも、他の誰とも結婚したくない。それだけですわ」
あの男の事は忘れよう。
自分を見向きもしなかった元婚約者なんて、忘れよう。
フローリアはそう決意するのであった。
フローリアはクラディスの事を忘れようとした。
しかし、しばらくして、クラディスが結婚したという話が伝わってきた。
仲間の冒険者の女と結婚したそうな。
国民たちの願いで、お披露目のパレードをやるという。
どこまでどこまでわたくしを傷つければいいと言うの?
フローリアは耐えられなかった。
王都の街道をクラディスとその妻になった女性は馬車に乗ってパレードをするという。
わたくしに力があったら、殺してしまうのに。
あの女を殺してしまうのに……
そして、わたくしはクラディス様から憎まれるの。憎まれるって、彼の心に刻み込まれるってとても素敵じゃない?
ああ、わたくしでは殺せないかもしれないわね。
それでもいいの。
わたくしの心をぶつけられただけで、わたくしは満足だわ。
大勢の国民たちが街道に詰めかける。
そう、ドラゴンを退治した彼を見に行った時も近づく事さえ出来なかった。
でも、道の真ん中まで出て、叫んでやるわ。
貴方はわたくしを捨てた。だから、祝う事なんかできない。
殺してやるわ。貴方の妻である女を殺してやる。
公爵家の自室で籠って、手にナイフを持ち、じっと見つめていれば、
背後から声をかけられた。
「おやめなさい。フローリア」
「お母様。わたくし、悔しくて悔しくて」
「貴方の気持ちは解るわ。貴方はずっとクラディス一筋でしたから。でも、もう関係ない方なのよ。あんな男のせいで人生を棒にふる事はないの。貴方は貴方の人生をしっかりと生きて幸せになること。それが最大の復讐ではなくて?」
母が抱き締めてくれた。
フローリアは涙を流して、母の胸の中で泣いた。
フローリアは誓った。
自分は立派な女公爵になって彼を見返して見せるわと。
カレンティトス公爵である父に、領地の経営を教わって、必死にフローリアは勉強した。
公爵家の山で、良質の薬草が採れることが解って、それで、回復薬を作る事業を立ち上げ、怪我をしても、回復が早くなると世間の人達に喜ばれ、沢山、その薬が売れた。
特に冒険者達に評判になりカレンティトス公爵が立ち上げたカレンティトス商会で扱う回復薬を買い求める人が増えた。
特に劇的に回復力がある薬は、一部の良質な薬草からしか採れず、その薬は高額ながらも、欲しがる冒険者が後を絶たず、とある日、クラディスが妻である女性を連れて、商会に訪れたと、フローリアに報告があった。
フローリア自身がクラディスに会う事にした。
商会へ行ってみれば、クラディスが美しい女性と共に、客間で待っており、
フローリアを見て驚いたように、
「君が何故?この商会に?」
「カレンティトス公爵家で立ち上げたカレンティトス商会。わたくしが商会の経営に直接かかわっているのです。何用でしょうか?」
クラディスは真剣な眼差しで、
「今度、北のドラゴンを退治しに行く予定でね。そのために、希少な薬草から採れる回復薬を買いたくて。高いという事は聞いている。それでも必要なんだ。その回復薬を使った者から、凄い効能だと聞いている。骨折くらいなら飲んですぐに回復すると。頼む。私に売ってはくれないか?」
隣に座っている女性も、
「お願い致しますわ。私はクラディスの妻でアマリアと申します。私達はお客様。まさか私情で売ってくれないと言う事はないでしょう?貴方様からクラディスを盗った事は謝ります。ですから、どうか回復薬を売ってくれませんか?」
本当に美しい女性だった。金の髪を後ろで束ねて、腰には剣を挿しているところから、クラディスと同じ冒険者だという事が解る。
売りたくはなかった。
特に口では謝っているアマリアという女。
勝ち誇ったような顔でこちらを見ているようで。
悔しい。本当に、わたくしだってクラディス様と結婚したかったの。
ずっと彼の事を思っていたの。
でも、わたくしは……
彼は王国の英雄。売らない訳にはいかないわ。
「解りましたわ。回復薬をお売り致します」
奥の部屋に行き、希少な回復薬の瓶をしまっておいた棚から取り出し用意する。
ふと、思った。
この中に水を入れたら、ただの水を入れたら、
わたくしはあの二人を殺すことが出来るかもしれない。
凶悪なドラゴンから怪我を負わされて、この回復薬がただの水だったら?
水にしたら……
わたくしは……
「お嬢様。お嬢様の事を私は尊敬しております」
背後から声をかけられる。
彼は実質、このカレンティトス商会を経営してくれている若き経営者の男性だ。
フローリアの事をお嬢様と呼んで、経営に関わらせてくれる。
ベルト・リットス商会長のフローリアの心を見通すような言葉に。
フローリアは思いとどまった。
自分はなんて人に恵まれているのだろう。
ナイフを手にして思い悩んでいた時は母に助けて貰った。
今度は商会長ベルトに助けて貰っている。
共に苦労をしてカレンティトス商会を盛り上げてきた商会長だ。
「何でもないわ。ベルト。この回復薬をお客様にお売りして。英雄のクラディス様よ」
「かしこまりました」
クラディスの事で、何度、自分は道を踏み外そうとしたのだろう。
クラディスはアマリアと共に、高額な回復薬を売って貰って、礼をいいながら帰って行った。
心の中が複雑で嫉妬で胸がつぶれそうになる。
まさか、その時のフローリアはクラディスから復縁を申し込まれるようになるとは思わなかった。
無事、クラディス達によって北のドラゴンが退治されたと噂で聞いた。
そしてすぐにクラディスがカレンティトス公爵家を訪ねてきたと聞いた時は驚いた。
「フローリア。すまなかった。君は私の事をずっと思っていてくれたのだろう?妻が浮気をしていたんだ。私の友と。私は女性を見る目がなかった。妻とは離婚する。よかったら私と復縁してくれないだろうか?」
フローリアは思った。
人の道を踏み外そうとするほどに、彼の事が好きだった。
でも彼はこんなことを言う人だった?
もっと男らしくて、冒険者稼業に誇りを持っていて、自分に復縁なんて言うような男ではなくて……
「何故?今更。貴方とわたくしは婚約を破棄し、貴方が結婚をした時点でもう縁が切れているはずですわ」
「君の心の広さに打たれたんだ。私の為に貴重な回復薬を売ってくれた。それは私の事をいまだに愛しているからではないのか?」
「貴方の事を愛しているはずなんてないでしょう。商売ですもの。それに愛している愛していないに関わらず、貴方は王国の英雄。ドラゴン退治に必要だからこそ売ったまでですわ」
「それでも、忘れらないはずだ。私の事を……フローリア。愛している。結婚してくれないか?」
フローリアは思った。
ずっとずっと貴方の事が好きだった。貴方の事が忘れられない。
でも、貴方は回復薬が目的なのね。
きっと結婚しても、わたくしの事を大切になんてしてくれない。
ないがしろにして冒険稼業に明け暮れるんだわ。
なんて酷い男。いえ、昔から酷い人だったわ。
わたくしはもう、この男に振り回されない。
わたくしはわたくしの足で人生をしっかりと歩いて行くわ。
クラディスに向かってきっぱりと宣言する。
「お帰り下さいませ。貴方様とわたくしは復縁も何も、そのような縁のない間柄ですわ。お客様として、回復薬を買って下さると言うのなら売りましょう。貴方様は金払いのいいお客様ですもの。でも、結婚なんて御免こうむります。貴方様は貴方様の人生を。わたくしはわたくしの人生をしっかりと歩みますわ。ご用はお済みですわね。お帰り下さいませ」
クラディスは立ち上がって、
「残念だ。君の所の希少な回復薬があれば、私はもっとドラゴンを倒すことが出来る。そう思ったのに」
「だったらお金を払って買って下さいませ。クラディス様のご利用をお待ちしておりますわ」
お金持ちのはずである。
何故か、クラディスは苦い顔をした。
後から聞いた話によると、アマリアに大金を持ち逃げされたらしい。
彼の実家のブラウ公爵家も兄の代になっており、いくら英雄とはいえ、家を出た弟に金を出し渋っているようだ。クラディスは金に困っている。そのような状態らしい。
ベルトにクラディスが復縁を持ちかけてきたと話をした。
するとベルトは、
「お嬢様。よろしければ私を貴方の夫に考えて頂けないでしょうか。私は平民。いずれ女公爵になられるフローリア様と身分違いな事は承知しております。それでも、私は貴方様と一緒に商売がしたい。共に過ごしていきたい。お考え願いませんか?」
「そうね……貴方はわたくしと共にいてくれた。わたくしは結婚するつもりはなかったけれども、貴方を婿に迎えてもよいわね」
共に採れた薬草を、他の薬剤師たちと共に研究をし、その中で効能がすぐれている薬草を探し出して、回復薬を作る。
常に傍にいてくれて、苦労してくれたベルト。
ベルトがいたからこそ、新しいカレンティトス公爵家の事業が成り立ち、軌道に乗ったのだ。
父も母も自分が女公爵になる事を承知している。
ベルトの事もよく知っていた。
いかに平民とはいえ有能なベルトを夫にしても許してくれるだろう。
まだ、愛も恋も何もないけれども、ベルトはいつでも自分に誠意ある対応をしてくれた。
ベルトに抱きしめられて、口づけられる。
新しい恋の予感に、やっとクラディスの事が忘れられる……
ベルトの背にそっと手を添えるフローリアであった。
あれから、クラディスはまた、別の女性と結婚をしたが、上手くいかず、何度も結婚離婚を繰り返すようになる。
フローリアはベルトを婿に迎え、ますます事業を発展させて、可愛い子供達、後に、孫にも恵まれて幸せな人生を送った。
英雄ともてはやされたクラディスが年を取って人々から忘れられ一人、路地で野垂れ死んだ。
「昔、英雄だった方。せめてお墓だけはきちっとして差し上げましょう」
年老いたフローリアは昔の事を水に流して、クラディスを英雄として墓を建ててやり、しっかりと葬ってやったという事である。