九 逆回転 三
『第二次世界大戦におけるナチスドイツにおいて、ヒットラー総統は連合軍やそのシンパによる自身への暗殺を常に警戒していた。対策として挙げられるのは影武者だが、スパイの目をあざむくためにもより精密な仕かけが要求された。こうして計画されたのが偽総統官邸である。
読んで字のごとく総統官邸の複製を新しく作り、総統はおろか末端の兵士から事務員まで全てを本物の影武者とするものだ。ここで重要なのは、本物は時々偽官邸で執務を行う。つまり、不定期に中で勤務する人間の真偽を入れかえる。これは決して机上の空論ではなく、例えばノルマンディー上陸作戦に先だち連合軍は偽の基地を丸ごと作ってドイツのスパイをあざむいた。
ところで、この計画は一九四三年にドイツに派遣された日本軍潜水艦によって日本にももたらされた。日本では、当初は事実上無視された。だが、敗色が濃厚となり本土決戦がさけばれるようになるとにわかに脚光を浴びた。
大本営は一九四四年に長野県松代市を本土決戦における移転候補地と定めたが、いよいよ戦局が絶望的になった時に備え偽の大本営を並行して造営していた。敵が迫った場合、偽の大本営を敵に占領させ時間を稼がせると共に上層部は専用機で中国に脱出という段取りである。
当該計画は、偽装の『ギ』をもってギ計画と呼ばれた。
結局、史実の通り日本は降伏してギ計画は中断となる。この時、予想外の副産物がもたらされた。
ギ計画において、人体の脳を研究していた木辻大尉が偶然にも脳が二つある人間を発見したのである。しかも、二つの脳は別々に独立して機能していた。シャム双生児のような存在ではなく、一つ頭蓋骨の中に二つがあった。さらに、脳同士で干渉したり交渉したりすることも可能であった。
元々、木辻大尉は海軍に所属しておりギ計画は陸軍の管轄である。当時の海軍上層部が、ギ計画にむりやり介入したがったので『陸海軍協調』という建前の姿勢を取るためだけに陸軍は妥協した。そこで派遣されたのが木辻であった。もっとも、階級が大尉扱いというだけで実際的には民間人に近い。当人も研究者という意識だった。
木辻は本来は医師である。ギ計画では再現度の高い偽者を作る為に脳の細かい働きを解析していた。しかし、陸軍では偽者は役者にでも任せれば良いとの認識であり木辻には無関心だった。海軍も、木辻の派遣それ自体をもって面子を果たしたと考え放置していた。皮肉にも、そうした宙ぶらりんな立場が彼を自由に活動させる環境になった。さらに、彼の研究成果は単なる疑似科学だとされていたため敗戦後のGHQによる追及もかわすことができた。
だが、実態は違った。木辻は懇意にしていた海軍兵学校の先輩、神出少佐に依頼し生体脳のサンプルを得ていた。すなわち撃墜された連合軍航空機搭乗員(操縦士だけでなく爆撃手や機銃手も含む)の捕虜である。神出は砲艦『北風』の艦長であり、日本の沿岸を警備していた。本土空襲の激化に伴い、太平洋に墜落するB29や護衛戦闘機もいくばくかは存在した。神出は彼らを収容しては木辻に送り、木辻は研究費を私的流用して神出に報酬を払っていた。
ここ覚正村は、ギ計画のために無から作られた。公的機関の責任者は、大半が旧軍関係者だった。GHQを恐れた彼らの心理を読み取り、木辻は彼らの経歴を偽造し逃亡を幇助する代わりに村そのものを個人的に接収した。この時点ですずり山のスズ鉱山はまだ稼働していたため、木辻は鉱山の権利を抵当に入れて研究を続ける資金を入手した。
木辻は、戦後になり人工的に脳が二つある人間を作ろうと決意した。一種の超人思想に近い。まず、民間の建築事務所を作り神出に経営を任せる。神出は民間の建築士を使い木辻の研究を続ける秘密地下施設を作らせた。隠蔽のために地上には民家を作らせ、住民は『岩瀬』と名乗らせた。だが、神出と木辻は同時に事故死。困惑した岩瀬家は次世代で村外に移転した。空き家になった岩瀬家は取り壊され、所在も不明である。
以上が我々の調査結果である。今後の目標は岩瀬家の末裔を特定するとともに、村内にある旧岩瀬家を探し当てることで木辻の遺産を引き継ぐ。最終的にギ計画を逆用し、我々の力で日本政府をのっとり旧大戦の恥をすすぐべく新たな聖戦に邁進するものである』
岩瀬。岩瀬。




