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どんなに澄んだ水も、いつかは濁るんだって。

 左兎と庵が、会話して笑っている。

 エルは、正面の大階段を上った。

 上った先は、また豪華な造りになっていた。

 左右と正面の廊下に、ドアが幾つも並んでいる。赤っぽい壁で、金のドアノブ。

「じゃあ、部屋は君たちで決めてもらおうかな。千部屋は余裕で超えるくらいはあるから、好きに選んで。あ、でも、中の造りは同じになっているから。鍵はドアノブに掛けてるから、持っていていいよ。じゃあ、勝手に僕が鬼をくじ引きして教えに行くから部屋で待っていてね」

そう言うと、華麗に身を翻して、階段を降りて行った。

 残された僕らは、数秒黙り込む。

「じゃあ、部屋、選ぶか」

「そうだな」

シグレとイクヤが、とりあえず、といった感じで右方向に歩き出した。

「じゃあ、こっちに行こうか」

左兎が左側を指差して僕に言う。

「はい」

 少女の後を、黙ってついていく。

「この宮殿、なんか、面白いよね」

振り返らずに呟く。

「……どういうことですか?」

意味深な左兎の言葉の意味は解る時よりもそうじゃない時の方が多いし、今回だって、どこがおもしろいのか僕にはわからない。

「え?いや、なんとなくさ、気持ち悪い、と興味深い、の狭間みたいな、なんか、ちょっと腹立つぐらいの?」

ちゃんと、左兎なりに考えて言葉を選んで話している感じは伝わるが、正直何を言いたいのかわからない。

「なんか!嫌な感じっていうか……」

ちゃんと言葉選びに迷う左兎。

「嫌な感じなんですか?」

「……」

諦めたのか、ちょっとふてくされたように、七瀬を強く抱く。

「僕はここ、好きですよ」

僕は本心から気に入っているのに、左兎はそっか、と軽く返事をする。

「でも、人間は大体のことを好きだって言ってる」

すねてるのか、僕の顔を見ようとしないでうつむいている。

「いいじゃないですか。本当ですよ」

なにか覚悟をしたのか、左兎はいきなり顔を上げる。

「ここは?階段近いし。丁度真ん中くらいなんじゃない」

大分歩いたらしく、廊下の突き当りにある階段が見えてきだした。

「いいんじゃないでしょうか。正直広すぎてあまり違いがわかりませんけど……」

「中は同じって言ってたね」

そう言いながら、近くのドアを開ける。

 左兎の横から、部屋を覗く。

まず目に入るのは、正面の大きな窓と、その手前にあるベッド。左側に、大理石の大きなキッチン。

「へえ~?」

左兎が部屋に入って行く。

「こっちはシャワー室か。入り口からは見えないな」

左兎が右側の、視覚になっていた部分を見る。

僕は、キッチンの奥にあったドアを開ける。鍋から調味料まで、マニアックなものが並んでいる。

その次に、僕は右側のドアを開ける。書斎だった。

本棚が並んでいるけど、肝心の本はフランス語か英語か、読めない言語で書かれている。

「ああ、フランス語だね」

僕の横から覗く左兎が言う。

「全然読めません……」

「読めないんならすっ飛ばしとけばいいよ」

キッチンの方に行きながら、吐き捨てるように言う。

キッチンの棚を、雑に開ける左兎。

「あ、ありがとうございます」

たまに見る左兎の優しさには、いつも戸惑う。

「まあ、そんな簡単な言葉もわからないのはちょっとかわいそうだと思ったけど」

扉を閉めて、また次の扉を開ける。

「ほんとに君って上げたら落としますね!」

「うるさいなぁ」

今度はベッドを調べに来る。

「じゃあ、隣の部屋もちょっと覗こうよ。本当に同じなのか、見てみよ」

さっさとドアに向かって歩いていく左兎を、追いかける。

 左兎が入って、少しドアが開いている部屋に入る。

 さっきと全く同じで、正面に窓があって、キッチンがある。

「わかった。おもしろいね」

僕と入れ替わるように部屋から出ていく左兎。

 僕も部屋から出る。

 部屋を出て左兎を探すと、隣の部屋から出てきた。


「あれ、どう?」

広い廊下の真ん中で、先を歩く左兎は振り返らずに言う。

「とても綺麗な部屋で、僕は気に入りましたけど、違うんですか?」

何処か見下すような目をする左兎。

「全く同じだったでしょ?棚のなかの器具の配置も、カーペットの毛の向きまで同じだった」

「へえ?そうなんですか?よく見てますね」

僕は心から感心する。

「ほら」

そう言って、左兎は携帯を渡してくる。

「こっちが初めの部屋で、こっちが最後に入った、まだ荒らされていない方」

左兎は携帯に写された写真をスクロールして、二枚見せる。

 床とカーペットがいっしょに写された写真。よく見ても同じに見える。

「これ、本当に別の部屋なんですか?」

頷く左兎。

「唯一違うのは窓からの景色。後からの方は黒い塔がよく見えた」

僕から携帯を取って、ポケットに突っ込む。

 その反対のポケットから、七瀬が顔を出している。

 それに気が付いた左兎は、七瀬を床に降ろした。長い耳を揺らして、弾むように少し前を歩く。

「そうなんですか……。凄いですねえ!毛まで同じ向きに揃えるなんて!」

「そうだな……。ほら、人間は部屋ここでいいんじゃない?」

そう言うと急に立ち止まって、隣の部屋を指差した。

「私は、三つ離れた部屋の正面にするから。いいかな?」

僕は、頷く。

「じゃあ、また後で」

そう言うと、左兎はもう七瀬を追いかけて歩いていた。

 僕は、自分の部屋に入る。

さっきと同じまどりの部屋。正面の窓の横にベッドがある。

 一人掛けソファーに重いリュックを下ろしてから、ベッドに身を投げ出す。

 フランスに着いてから見慣れない街をずっと歩きっぱなしで、足もぐったりしている。

 おしゃれな天井を眺めながら、寝落ちししそうなのを必死に堪える。

 それでも僕は、睡魔に瞬殺された。


 ▽  いずれ忘れる、終わらない夢の一欠片


 僕は、睡魔に襲われ、負けた事を自覚した直後、夢を見た。

 左兎が、暗い野原で土砂降りの雨に打たれている。

 軽く俯いて、見つめるように、ただ一点を睨んでいた。

 その涙を零さないようにと必死に堪える幼い子供のような、悔しがっているような表情をしていた。

 左兎の先には、誰か女の子の名前が刻まれた、黒い石が置いてあった。花が供えられていたが、既にもう枯れているその花は、どこか気味の悪い雰囲気をしていた。

 傘も差さずに突っ立っている左兎の長い髪、羽織ったパーカーから、いくつもの雫が垂れていた。

左兎の紅い綺麗な瞳からも、涙がこぼれる。

 なぜか僕はそれを見ていて、でも、体が動かなかった。

 左兎には僕が見えていないのか、こっちを見ない。

 あんなに、左兎が子供みたいに、辛そうに目の前に一人で立っているのに、僕はとりあえずの「大丈夫だよ」の一声も掛けられなくて、ただ見ているだけしかできない。

 それがとてつもなく悔しくて、悲しかった。

 何かできないか、僕は辺りを見回す。

 でも、野原の視界が悪く、何処かぼんやりとしていて、左兎の周りの野原と石以外、何も見えなかった。


 ▽  怪物に怯えながら逃げ惑う人間


 目を突き刺すような赤い光に、目が覚めた。

開いた窓から、心地よい風が入ってくる。半分開けられたカーテンが靡いて、また僕の目に夕日の赤い光が注がれる。

 いつの間にか、肩まで薄いタオルケットをかぶっていた。

白いタオルケットが、夕日で赤く染まっている。

僕は、部屋を見回す。

 全面的に夕日のせいで赤くなっていて、神秘的、を超えて少し不気味に感じる。

 僕はベッドから降りて、カーテンを閉めた。

「あ、ナギサ君?入ってもいいかな」

ドアが軽くノックされて、エルの声が聞こえる。

「は、はい」

驚いて、少し声が裏返る。

「ごめんね。くじ引きしたから、伝えにきたよ」

丁寧にドアが開いて、スーツ姿のエルが、窓の前で直立する僕に近づいて来る。

「ナギサ君は人間側だよ。怪物に怯えながら逃げ惑う人間っていう設定だけど、そんなに怖くないと思うから。じゃあ、楽しんでね」

微笑んで部屋から出ていくエル。

「分かりました……」

部屋を出る直前、振り返って微笑むエル。

 ドアが軽く閉まった音がして、また一人になる。

 いつの間にか夕日がきつい時間が終わっていて、空の上の方が青くなりかけていた。

 僕はカーテンを開ける。

 ちなみに、空が赤くなるのは、夕日が斜めに大気の中を通る間に、波長の短い青い光は散乱し、波長の長い赤い光だけが残って見えるから。空が青いのは、波長の短い青い光が拡散されやすいから。ついでに、海が青い理由は、青い光が水中で反射して青く見えるから。

 知らない間に植え付けられた、左兎の知識が頭をよぎる。

「あ、今四時過ぎか」

窓の横に掛けてあった時計に気がつく。

「僕、なにすればいいかな……」

暇になった僕は、宮殿を散歩することにする。部屋の鍵をちゃんと閉めて、廊下に出る。

 さっきは通らなかった、奥の階段に向かう。正面に大きい時計があって、その横に階段がある。

 広い廊下を一人で歩くと、少し孤独感がある。

 綺麗に舗装された階段。手すりが豪華になっている。

 所々にしか照明がなく、大きなシャンデリアのある大広間とは違い、薄暗い。

 よくある、お化けがでる城を探検するホラーゲームをちょっと明るくしたみたいな雰囲気があって、正直怖い。

 一階に着いた僕は右側に行く。

 大広間の奥から廊下が続いているだけで、二階とあまり変わらない。それは左側も同じで、左右対称になっているのか、同じようなドアが並ぶ廊下になっている。

 また階段に戻ってきた僕は三階に行く気にもなれず、部屋に戻ることにする。

 広い部屋に、規則的な足音が響く。

 一度通った道だと、さっきよりも早く部屋が見えてきたように感じる。

「あれ……?」

左兎の部屋のドアが全開にされている。

 僕は迷わず左兎の部屋に向かった。

「左兎?え?暗っ!」

窓から入ってくる光がぼんやり広がっているだけで、電気もつけられていない部屋。

「ああ、人間。どうした?」

椅子に座ってスケッチブックを片手に本を読んでいた左兎が、顔を上げる。

「目、悪くなりますよ」

「私、右は視力いいんだ」

僕の言葉を無視して、得意げに笑う左兎。

「何やってるんですか?」

「フランス語、翻訳してた」

膝に七瀬を乗せている。

「へえ~?どんな本ですか?」

「これー」

手元の本と一緒に、スケッチブックを見せる左兎。

 かろうじて読めるくらいの、汚い左兎の字。


 『遥か昔、吸血鬼が存在した。その当時には吸血鬼は新種で、人間に頑なに拒まれ、そして恐れられていた。そして遂に化物呼ばわりされるようになった吸血鬼は、濃い霧の中に隠れ、自らを守り縛るようになった。しかし、掟を破り霧をくぐった者が一人いた。その者の名前は朔。朔は長い時間をかけ、人間をじっくり観察し、自分なりの答えを出して理解しようとした。そして、答えを導き出すことに成功した朔は、一つの噂を流し、霧の内側に戻っていった。』


「これ、なんですか?」

読み終わった僕は、左兎に本とスケッチブックを返しながら言う。

「吸血鬼の伝説だよ。知らない?」

「吸血鬼に出会ってはいけないっていう言い伝えは知っていますけど、この話ははじめて知りました」

こんな話を知ると、悪いイメージの吸血鬼にも同情する。

「そっか。いや、別に知らなくていいんだけどさ」

「これ、本当なんですか?」

スケッチブックをリュックに戻す左兎。

「さー?どうなんだろうね」

試すようにも、興味がないようにも聞こえる左兎の声。

「吸血鬼、本当にいると思いますか」

「吸血鬼は人を傷つける悪い化物だよ?吸血鬼は存在しない。そんなの当たり前だよ」

きっぱり言い切る左兎はかっこよかったけど、自分にも言い聞かせているみたいで少し怖い。

「みんな外にいるみたいだよ。行ってみる?」

窓を指さして言う左兎。

「はい」

僕と左兎は部屋を出て、正面階段から大広間にでる。全開にされた大きい両開きの玄関扉をぬけた。

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