夢の工房
事務所に静かさが戻った頃、夢縫いは湯呑を置き、鈴へと穏やかな視線を向けた。
「……鈴さん。よければ、私の仕事場を見ていきませんか?」
「夢縫いさんの……?」
「ええ。あなたは“夢を紡ぐ”力をもう手にしている。巡煙簫を生み出したのも、あなた自身の願いと、道具の声を丁寧に聴いたからこそでしょう」
鈴は一瞬だけ眉を曇らせた。
「……でも、あれは……その……私自身の願いが強くて、道具の声を本当に聴けていたかといえば……」
巡煙簫を生んだ夜のこと。
あれは、朔夜を想い、守りたいと願ったその一心だった。
願いが強すぎて、道具が何を望んでいたか、正しく聞けたのかと問われれば、どこか自信がない。
そんな鈴の揺らぎを正面から受け止め、夢縫いは優しく微笑んだ。
「だからこそ、です。願いは縫い手の力。しかし“声”を聴くのは習わねばできない。あなたにはその資質がある。……見に来ませんか? 夢の導き手の工房を」
鈴は息をのみ、そっと綾戸を見る。
「……綾戸様、私は……行きたいです」
綾戸はどこか照れたように笑って肩をすくめた。
「行きゃいいだろ。俺も興味あるし。“作られた側の景色”ってやつがどんなものか、確かめてみたい」
「おお? 二人でお出かけか? わらわも――」
「こんは留守番な」綾戸と鈴の声が重なる。
「な、なぜじゃあ!?」
「危なっかしいからだよ」
「工房の道具に悪さしそうなので……」
こんは耳をしゅんとさせ、コタツに沈んだ。
そんな様子を眺めながら、夢縫いはくすりと笑う。
「では、行きましょう。……静かに、夢が積もる場所へ」
夢縫いの手がすっと宙を撫でると、白い糸のような光が淡く漂い始める。
それはまるで、記憶と願いの境界を縫い合わせる道標のようだった。
鈴は巡煙簫を握りしめ、小さく息を整える。
綾戸はコートを羽織り、棚の影の人形を一度だけ見やった。
「……時間かかんないといいけどな。こんが家を爆破する前に帰らねえと」
「爆破などせんわ!」
「やる気あるように聞こえるんだよ……」
小さな笑いが事務所にこぼれ、そのまま鈴と綾戸、そして夢縫いは工房へと向かう。
それは、“夢の継ぎ目”を覗き込む旅の始まりだった。
夢縫いに導かれ、三人は古い商店街の裏路地へと歩いていった。昼下がりにもかかわらず、そこは妙に静かで、空気が薄く揺らいでいる。
「こんな場所に……お店なんてありました?」鈴が不思議そうに問いかける。
「普通は見つかりませんよ」夢縫いは軽く笑った。「ここは、“必要とする者だけが辿り着ける場所”ですから」
路地の奥、ぽつんと古い木製の引き戸が一つ。看板は色あせて文字は読めないが、綾戸は目を細めた。
「……“夢継処”?」
「気づくとは、大したものだ」夢縫いは嬉しそうに扉を押し開けた。
ぎぃ、と軋む音。中から広がったのは、外観とはまるで別世界の光景だった。
工房の中には、大小さまざまな人形が並び、壁一面を白い糸が縦横に走っている。糸の先には古い玩具や布切れ、木片――どれも、忘れられた“夢の欠片”だ。
綾戸は思わず息を呑む。「ここ全部……夢、なのか?」
「正確には『夢になる前の欠片』です。愛された記憶も、忘れられた痛みも、まだ行き場がなく漂っている。私はただ、それを縫い合わせて形にしてあげているだけですよ」
鈴は工房中央の机に置かれた、古い針と白い糸、半分だけ形を成した布人形に目を奪われる。
「これ……」
「今、手をかけている子です。持ち主の記憶が弱いから形も安定しない。……鈴さん、触ってみて」
鈴はためらいながらも人形の胸に触れた。すると――
――ぽつ、ぽつ……
小さな波紋のように温かな感情が胸に広がる。
《いっしょに いたかった》
《わすれないで》
《こわくないよ》
鈴は息を呑む。「……声が……」
「聞こえますか?」夢縫いが微笑む。
「はい……でも弱いです。とても……」
「夢の声とはそういうもの。大きければいいわけではない。小さいからこそ、丁寧に救い上げる必要があるのです」
綾戸が腕を組み、苦笑する。「……作り手として胸が痛くなる光景だな」
夢縫いは首を振る。「綾戸さん。作られたものは必ずしも不幸ではありません。形がある限り、いつでも夢になれる。忘れられても、想いはどこかに残る。それが魂の強さです」
鈴は自分が生まれた日の、あの暗がりの感覚を思い出した。綾戸の痛みに触れ、そこから生まれた自分。
「夢縫いさん……もっと“聞きたい”。この子たちの声を、もっと……」
夢縫いはやさしく針を差し出す。「ではまず、“沈黙”を聞くところから始めましょう」
「沈黙……?」
「声は音だけではありません。“語らぬ願い”こそ、本質であることも多い」
鈴は針を両手で受け取り、その軽さに驚く。まるで“夢”そのもののようだった。
綾戸が後ろから覗き込む。「……針なんて扱えるか?」
「が、頑張ってみます……!」
「鈴なら大丈夫だ。俺の助手なんだろ?」綾戸は笑い、鈴は少し頬を染めた。
夢縫いは、工房奥の小さな丸テーブルに鈴を案内した。そこには、壊れかけの玩具や、片方だけの靴、古びたリボン、色落ちした羊毛の小さなぬいぐるみ……どれも“思い出の最後のかけら”のようなものばかりが並んでいる。
「鈴さん。まずはこれを」
夢縫いが差し出したのは、糸が半分ほどほつれた小さな布ウサギだった。ボタンの片目は外れ、綿がすこし覗いている。
「壊れた……ぬいぐるみ?」
綾戸が覗き込むと、胸の奥にじわりとした痛みが走る。
「……これは、子どもが泣きながら握ってる光景が浮かぶな」
「ええ。持ち主はもう大人になってしまったが、夢だけが置き去りにされている。鈴さん、これに“耳を澄ませる”のです」
「耳を……?」
夢縫いは鈴の両手をそっと包んだ。
「声を聞こうとするのではなく、“聞こえる余白”を作るのです。ほら、目を閉じて……心の中で、ただそっと息をするだけでいい」
鈴は深呼吸し、そっと瞼を閉じた。巡煙簫を生んだ夜の感覚が胸に蘇る――願いが燃えるように熱を帯びて、形を求めて騒いでいた、あの感覚。
今回は違う。ただ静かに、沈んでいくように。
工房の空気が微かに震えた。
――すん……すん……
とてもか細い、泣きじゃくる子どもの呼吸。その奥に、言葉にならない“痛みの気配”があった。
鈴の指が震えた。
「……聞こえる……誰かが、泣いてる……でも……声じゃなくて……胸が……」
夢縫いがそっと頷いた。
「それが“沈黙の声”です。言葉にならなかった願い。置き去りにされた想い。夢はいつも、叫ぶのではなく、囁くのですよ」
鈴は小さく震える息を吐いた。
「……この子……“なおして”ほしい……そう言ってる……」
「正解です。では、縫ってみましょうか?」
夢縫いが白糸と針を置き、席を離れる。
「夢を縫うというのは、形を治すことではありません。“その子が望んだ形”に戻してあげること――鈴さんの針が、その願いに触れられるか、確かめてみるといい」
鈴の手が、そっと針を持つ。綾戸は黙って見守るしかできない。
「……鈴。無理しなくていいからな。ゆっくりでいい」
「大丈夫です、綾戸様。これは……私がやりたいことなんです」
その声は、いつもの柔らかさに、確かな強さが混じっていた。
針先がほつれの縁にそっと触れた瞬間、白い糸がふわりと光り、
――ぽん、と小さな温かい音がした。
ふと鈴が目を開けると、布ウサギの表情が、かすかに柔らかくなっていた。
「……今、笑いました?」
綾戸の問いに、夢縫いは静かに微笑む。
「はい。君が“声を聞けた”証ですよ」
鈴は胸に温かいものが満ちていくのを感じた。
「……できた……私、できました……!」
「ええ。鈴さんは……もう立派な導き手のひとりです」
その言葉は優しく、しかし確かな重みを持って工房に響いた。




