夢縫い
薄暗い廃玩具店に、鈴・紅・こんの三人はしばらく佇んでいた。影が消えた最奥の空気は、どこか静かすぎて――それがかえって異様だった。
「……まだ、終わってません」
鈴がそっと巡煙簫を撫でる。澄んだ音がひとつ、部屋に落ちた。
その音に呼応するように、壁に縫い付けられていた白い糸が、かすかに震えた。
紅が目を細める。「糸が……まだ生きてる」
こんは鈴の肩の上で身を屈める。「鈴、あやつはもう倒したのに……なぜまだ動くのじゃ?」
鈴は糸へ視線を向け、言葉を探すように静かに口を開いた。
「これは、人形神の残滓が操っていた“偽物の縫い目”じゃありません。……本物の夢縫いの糸です」
紅が息を呑む。「じゃあ、夢縫い本人は――」
「まだ、ここにいます」
三人は玩具店の奥を改めて調べ始めた。散乱した古玩具、壁に描きかけの落書き、黄ばんだ店内ポスター。どれも古いが、不思議と“痛み”を帯びているように感じられる。
鈴は棚の上に放置された古いパズルを手に取った。不揃いのピースには子供の落書きのような絵が描かれ、その端に――白い糸が縫い止められていた。
「……ここ、本当に“工房”だったんですね」
「工房?」紅が問い返すと、鈴はゆっくりと頷いた。
「ええ。夢縫いは、壊れかけた夢や忘れられた想いを――そっと縫い直す人です。ここは……忘れられた玩具たちが最後に辿り着く場所」
こんがきょろきょろと周囲を見回す。「だから玩具屋か。しかし、なぜここまで朽ちているのじゃ?」
鈴は静かにパズルの糸を撫でた。
「……人形神の欠片が紛れ込んでしまったからです。夢縫いは気づかぬまま、歪んだ夢を縫い合わせてしまった。その“間違い”が、この場所を蝕んだんです」
紅は腕を組み、床の縫い目を見下ろす。「夢を癒やすはずの人が……逆に歪ませちゃったんだね」
「はい。でも、悪意があったわけじゃありません」鈴は言い切る。「夢縫い本人は、忘れられた夢たちを守ろうとしていたはずです。それが……人形神の残滓に利用されただけ」
こんは鈴の肩で拳を握る。「では……夢縫いはどこにおるんじゃ? まだこの店のどこかか?」
鈴は巡煙簫を軽く鳴らした。淡い煙が舞い、その煙が――ある一点へ吸い込まれるように流れた。
「……あちらです」
煙が溶け込むのは、玩具棚の裏。薄く開いた隙間から、かすかな光が漏れている。
紅が小さく身構える。「ここが……夢縫い本人のいる場所?」
鈴は深く頷いた。「この奥で……夢縫いさんは“縫い止められたまま”なんです。夢ごと、囚われたまま」
こんが息を呑む。「そ、それは……!」
鈴は二人を振り返り、静かに微笑んだ。
「大丈夫です。影はもう消えました。残るのは夢縫いさん自身……助けられる人です」
紅は笑みを返し、肩を軽く叩く。「鈴ちゃん、行こう」
「もちろんなのじゃ!」
三人は玩具棚の隙間をそっと押し広げた。ぎぃ、と小さく軋む音とともに、暗い通路が姿を現す。
その奥――白い糸が静かに揺れ、かすかな呼吸のように灯りが明滅していた。
鈴は巡煙簫を握り、深く息を吸った。
「……夢縫いさん。会いに行きましょう」
三人は薄闇へ踏み込んだ。通路は短く、しかし不思議なほど長く感じられた。足音は吸い込まれ、光も音も、何か柔らかな布越しに聞いているように曖昧だ。
やがて、通路の先に淡い光の“部屋”が現れた。
部屋と呼ぶには歪で、現実の形を保っていない。棚や壁はぼやけ、糸によって縫い止められた夢の断片がゆらゆら漂っている。まるで忘れられた玩具の思念がまだ形を探し続けているかのようだった。
その中心――静かに“ひとつの影”が座っていた。
白髪の老いた人影。しかし、展示会で見たあの老人とは違う。 輪郭は曖昧に滲み、衣服は白い布の層が何重にも重なって揺れている。その姿はまるで――綴じかけの布束のように。
紅が息を飲む。「……夢縫いさん、だよね」
こんが鈴の肩に身を寄せる。「歪な姿じゃ」
鈴は一歩前へ進んだ。巡煙簫がかすかに震え、薄い煙が彼女の足元を包む。
「夢縫いさん……聞こえますか?」
老いた影は動かない。代わりに、肩から垂れた白い糸がかすかに揺れ――糸そのものが、かすれた声のように震え始めた。
――……ゆ……ま……
――……ぬい……
こんが小さく身をすくめる。「言葉……じゃなくて、糸が……しゃべっておるのじゃ……?」
紅が眉を寄せる。「違う……“声が出せない”んだ。この人は、夢の奥に縫い込まれたままだから」
鈴は胸の奥が締め付けられるのを感じた。
「……ごめんなさい。あなたが歪んだ夢を抱えてしまった理由、わかります」
老影が、ゆっくりと顔を上げた。その表情は掠れているのに、悲しみだけは鮮烈だった。
――わす……れられ……
――す、く……えな……
糸の震えが語る。
忘れられた夢を縫うはずが、
自分の手で“望まぬ夢”を縫い合わせてしまった。
その自責が、夢縫い自身をこの奥底に縫い付けてしまったと。
鈴は首を振った。
「あなたのせいじゃありません。人形神の欠片が……あなたの優しさにつけ込んだだけです。あなたは、ずっと夢を救おうとしていた。それだけで十分です」
老影の背を支える白糸が、不意に震えた。
まるで泣き出すように、音もなく震えている。
紅がそっと声をかける。「ねえ、夢縫いさん。あなたを縫い止めてた“歪み”はもうないよ。鈴ちゃんが全部、断ち切ったから」
こんも胸を張る。「鈴は強いのじゃ! わらわもサポートもばっちり!」
鈴は巡煙簫を胸に抱き、静かに歩み寄った。
鈴は膝をつき、小さな白布の糸を両手で包み込む。そして巡煙簫を胸元で鳴らし、そっと囁く。
「……夢縫いさん。あなたの声を、ここへ」
淡い煙が指先に集まり、糸をゆっくりと包み込む。紅とこんもそばに寄り添った。
紅は鈴の背に手を添え、優しく力を乗せる。「鈴ちゃん、大丈夫。僕が導くよ」
「わらわも煙を押さえておるのじゃ!」
三人の手がひとつに重なった瞬間――
白布の糸がふっと浮かび、煙の中でゆっくりと形を成し始めた。
糸が絡まり、ほどけ、また結ばれ……
やがて、それは“影ではない”輪郭を持ち始める。
白い衣。 薄い体躯。 柔らかい目をした穏やかな職人の姿。
その姿が、鈴たちの前でゆっくりと膝をついた。
「……ぁ……きこえ……る……」
紅が息を飲む。「! 本物だ……」
鈴の瞳が優しく揺れた。「夢縫いさん。もう糸はほどけました。あなたは、ここに戻ってきていいんですよ」
夢縫いは震える指で自らの胸を押さえ、深い安堵の息を漏らした。
「……わたしは……わすれられたゆめを……つくろい……たかった……」
その声はかすれていたが、影の時とは違い“明確に人の声”だった。
こんが前に出る。「しかし、お主……変な夢を縫っておったのじゃろ?」
夢縫いは悲しげに目を伏せた。「……あれは……わたしの過ち。忘れられた想いを繋ぎとめるため、違う声を繋いでしまった。その歪みを正そうとして……私は、逆に夢に縫い込まれてしまった」
鈴は首を振った。
「あなたが縫った夢は、本来優しいものだったはずです。だから、人形神はあなたを利用した。あなたの“優しさ”につけ込んだんです」
紅が一歩前に出る。「夢縫いさん。今のあなたなら……まだ、戻れるよ」
夢縫いは紅を見つめ――そして鈴へ視線を戻した。
「私は帰れるのか?」 鈴は手を差し出す。「はい。あなたを“夢の外の世界”へ」
夢縫いは震える指で鈴の手を取った。糸がほどけるように、部屋の光がふっと和らぐ。
「……ありがとう。君の音色は良い導きとなるだろう」
鈴は少しだけ目を丸くする。「導き……?」
夢縫いは微笑んだ。
「君は私と同じく、人に生み出されたもの。だが、その先に至った」
鈴は胸に何か熱いものが込み上げるのを感じた。紅もこんも、言葉を失っていた。
夢縫いは続ける。
「私は夢を縫い続ける。よければ君にも一度見てほしい。夢を繋ぐことを」
鈴は強く頷いた。
「はい。お力になれるのであれば。でも、導いたのは、私ではありません。あなたの夢が……私を呼んだんです」
夢縫いはかすかに笑い、鈴の手を握り返した。
その瞬間、糸が完全に解け――夢縫いの姿はしっかりと現実の形を取り戻した。
紅が肩をすくめ、ほっと笑う。「これで……ようやく本物の夢縫いさんに会えたんだね」
こんが胸を張る。「うむ! これで事件解決なのじゃ!」
鈴は夢縫いの手を握ったまま、優しく言った。
「……さあ、帰りましょう。あなたの“仕事”は、まだ終わっていませんから」
夢縫いは静かに頷き、三人とともに立ち上がった。
薄明の工房を背に、ゆっくりと歩き出す。
◆ エピローグ ◆
廃玩具店を出ると、外の空気は夕暮れ色に変わっていた。長い影が三人と一人を包み込み、どこか現実に戻った印のように見えた。
「はーっ……やっぱり外の空気はええのう!」
こんが思い切り腕を伸ばし、小さな尻尾をぶんぶん揺らした。
「ふふ……元気ですね、こんちゃん」鈴が微笑む。
紅は夢縫いの隣に立ち、老人の様子を伺った。「大丈夫? 歩ける?」
夢縫いはゆっくり頷き、鈴を見た。「……ありがとう。私を連れ戻してくれた。新たな夢の導き手よ」
鈴はやや照れたように視線を逸らす。「私は……まだそんな大したものじゃありません。ただ……」
「ただ?」
「……あなたが繋いできた夢を、無駄にしたくなかっただけです」
夢縫いの表情が柔らかくほころんだ。
「綾戸さんに連絡した方がいいね」と紅がスマホを取り出す。「きっと、鈴ちゃんが遅いって心配してる」
「うむ、あやつは過保護なところがあるからの」こんが頷く。
その言葉に、鈴はくすりと笑う。「……でも、そのおかげで私はここにいますから」
夢縫いが歩みを止め、夕空を見上げた。沈みゆく光に糸のような雲が漂っている。
「忘れられることは、怖いことではない。だが……忘れられる前に、縫い直せる夢もあるのだな」
その呟きに、鈴は静かに頷いた。
「きっとまだ、たくさんあります。縫い直せる夢が」
夢縫いは鈴を見つめ、深く頷いた。「ならば……これからは、共に縫おう。夢を守る者として」
紅とこんが顔を見合わせる。
「……仲間が増えた、ってこと?」紅が笑う。
「むむ、わらわの出番が減るのでは?」
「増えますよ、多分」鈴が笑った。「夢は、たくさんありますから」
四人の影が並び、夕日の中にゆっくりと伸びていく。
やがて、紅が思い出したように言った。
「あ、そうだ。帰ったら綾戸さんにちゃんと説明しないと……」
「ふふ、怒られそうですね」
「うむ、絶対怒られるのじゃ。あの顔が目に浮かぶわ……」
鈴はそっと巡煙簫を撫で、優しく微笑んだ。
「でも、帰りましょう。あの事務所が……私の縫い合わせた場所ですから」
夢縫いも静かに頷く。
夕暮れを背に、四人は事務所へと歩き出す。風が通り抜け、白布の端が鈴の手の中でふわりと揺れた。
その揺れは、まるで――新しい夢の始まりを告げているようだった。




