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妖奇譚~社畜やめて怪異と過ごす日々~ ※年内毎日更新  作者: Tomato.nit
人形の夢

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鈴の因縁

薄暗い店内をさらに奥へ。白い糸が揺れて三人を導くように進み、やがて行き止まりと思われた壁が、ふっと歪んだ。


鈴が眉を寄せる。「……ここ、空気が縫われています」


紅が一歩前に出ようとした、その瞬間――


ぱちん、と空気が弾けた。

白い糸が絡まり、壁の向こうから黒い影がしゅるりと抜け出る。その影はまるで息を潜めた布のように、形を変えながら揺らめいた。


紅が即座に鈴の肩を掴む。「鈴ちゃん、だめ! これ……“鈴ちゃんだけ”を呼んでる!」


鈴の胸が強く跳ねる。「私だけ……?」


紅は苦々しく頷く。「うん。糸の流れがはっきり“鈴ちゃん一人”って示してる。僕らが踏み込むと……多分、夢そのものが壊されちゃう」


こんは鈴の肩で震えていたが、きゅっと拳を握る。「鈴、行くのじゃな……?」


鈴は深く息を吸い、二人を見つめた。「……ここまで来たんです。行きます。でも、絶対に無茶はしません」


「わらわも止めるつもりはないんじゃが」


そう言って、こんは鈴の手腕に自らの小さな手を重ねる。


「これくらいはさせてね?」


さらに紅の華奢な手もそこに重なる。


ふわりと暖かな流れが鈴の手首を包み、一つの形を成す。


「ありがとうございます。お二人の想い確かに受け取りました」


愛おしそうに鈴が撫でた手首には白銀のバングルが巻かれていた。


紅とこんが見守る中、鈴は一歩、また一歩と影の揺れる最奥へ踏み込んだ。


シャッ……。


糸の幕のようなものが閉じ、紅とこんの姿が消える。世界が、鈴ひとりだけの静寂に変わる。


最奥の部屋。そこはかつて玩具が並んでいたであろう空間だが、今は壁一面に白い糸が縫い付けられ、床には縫い捨てられたぬいぐるみが散らばっている。


その中央に、“何か”が立っていた。


黒い布の塊のような影。ギチ、ギチ、と糸を引き絞る音がする。


鈴を“見ている”。


声はない。だが、確かに伝わってくる歪んだ感情。


――オマエ。

――オボエテイル。

――トリコメナカッタ。アノトキ。


鈴は静かに目を細めた。「……あなた、人形神の残滓ですね。まだ根に持っているんですか?」


影は歪むように揺れる。


――ズット。ズット。オモッテイタ。

――ワスレナイ。アノトキ。


「私を取り込めなかったこと……?」


――オマエ。ツクリモノ。ナノニ。

――ナゼ。

――ニガシタ。


鈴はため息をついた。「……はあ。執念深さだけは一流ですね」


影が糸を広げ、黒い触手のように鈴へと伸びる。


鈴はコートの袖を軽くまくる。銀色のバングルが光を返した。


巡煙簫をそっと当て、ひと撫でする。


かしゃん――。


銀色のバングルが淡く光を帯び、形を変え始める。重厚な金属音とともに、銀のガントレットが鈴の腕を覆った。


「……あの時は、なすがままでした」


ガントレットはこんが術をかけてくれた“護り”の象徴。鈴は指を握り、確かな重さを感じる。そこには紅の熱も帯びている。


「でも、今は違います」


巡煙簫を握り直す。その音は、朔夜が鈴に持たせてくれたもの。朔夜の想いを、鈴自身が形にしたもの。


「私は――ひとりじゃない」


綾戸が決まってする仕草。コートの襟を摘み上げ、パサリと整える。鈴の手も自然と同じ軌跡を描く。


「みんなが送り出してくれたんです。離れていても繋がっている」


鈴は静かに微笑んだ。


影が嘲笑うように揺れた。


――ナゼ。ツクリモノガ。

――ナゼ、オモイヲ……?


鈴は胸に手を当て、まっすぐ影を見る。


「私は“作られただけ”の存在じゃありません」


ガントレットが淡く光る。


「私は……みんなと紡いできた絆で、ここにいるんです」


巡煙簫の先端がかすかに鳴った。


「だから」


影が悲鳴のような音を上げ、糸が唸りを上げて襲いかかる。


鈴は一歩踏み込み、銀の拳を構えた。


「負けません」


ひとりじゃない心を胸に、鈴は影へと向かって行った。




影が放つ糸の触手が、まるで生き物のように床を這い、天井を走り、四方から一斉に鈴へ襲いかかる。鋭い風切り音が闇を裂く。


鈴は息を殺し、巡煙簫を軽く構えた。足元に淡い煙がからまり、影の動きを“視える”形に変える。


「……見えてますよ」


黒い糸が三方向から迫る。一本は足下、一本は頭上、もう一本は死角から這うように――。


ガントレットが鈴の拳に沿って閃光を走らせた。


「はっ!」


金属音が弾け、鈴の拳が足下の糸を叩き斬る。煙が散り、糸の影が霧散した。


続く一本を巡煙簫が横から弾いた。しなやかな音とともに、鈴は踵を返し、頭上からの一撃をかわす。


影が怒りのように揺れた。

――オマエ……ナゼ、タタカエル……?


「教えたでしょう。私は、ひとりじゃありません」


鈴は影の正面に立ち、ガントレットにもう一度手を添える。


「綾戸様が私に、歩く場所をくれた。朔夜様が、守る力を与えてくれた。紅さんが……願いを託してくれた。こんちゃんが、私を信じて側にいてくれた」


影が怯むように一瞬揺れる。

――ツクリモノ……ニ……ナゼ。


「あなたは、“作られたから”捨てられた。忘れられた。だから憎んだんですね」


鈴は一歩踏み出した。


「でも、私には帰るべき場所が。守るべき場所がある」


影が咆哮のような糸の悲鳴をあげ、無数の黒い糸を束ねて巨槍のように尖らせる。

天井を突き破る勢いで、影の槍が一直線に鈴へと放たれる。


鈴は巡煙簫を構え、目を閉じた。

「あの時みたいには、させません」


吸い込む息とともに、巡煙簫に煙が集まり――鈴は足を強く踏み込んだ。


「――っ!」


煙が弾け、鈴の姿が掻き消える。

槍は床を砕き、破片が飛び散る。


次の瞬間、影の背後。


鈴の姿がふわりと現れた。巡煙簫の煙を纏い、風のように軽やかに。


「ここです!」


鈴はガントレットの拳を握りしめ――影の中心へと叩き込んだ。


金属とも布ともつかぬ、鈍い衝撃音。

影の糸が四方へ散り、縫い合わせられていた空気が軋むように悲鳴を上げる。


――ヤメロ……ヤメロ……!!


「あなたの恨み、痛み……全部が嘘じゃない。でも」

鈴の声は震えていない。


「これは、あなたが縫われた“偽物の夢”です。あなた自身の願いじゃない」


影の糸がばさりと崩れ、壁に縫い付けられた白い糸が一斉に緩んだ。


薄闇の中で、影の本体――小さな布切れのような“欠片”が浮き上がる。


鈴は手を差し伸べた。 「もういいんですよ。今度こそゆっくり眠って下さい」


鈴の言葉に呼応するように欠片がゆっくりと空気に散っていく。


静寂。


巡煙簫の煙だけが、そっと鈴の周囲を漂っていた。




影の欠片がゆっくりと空気へ溶けて消えたあと、最奥の部屋には深い静寂が落ちた。


天井から垂れ下がっていた糸は力を失い、乾いた草のようにぱらぱらと落ちていく。


鈴は巡煙簫を胸元に抱え、そっと息をついた。




「……終わりました」




その声は驚くほど静かで、鈴自身もわずかに驚いたほどだった。


全身が震えていたが、心の底は不思議なほど澄んでいた。恐れではなく、ほんの少しの寂しさと、確かな温かさがそこにあった。


ぽつり、と床が揺れる。


糸の幕がほどけ、世界の色が戻るように薄闇が晴れた。


「鈴ちゃん!」

「鈴――!!」


紅とこんが同時に駆け寄ってきた。

紅は真っ先に鈴を支え、揺れる肩を抱えこむように支える。

こんは鈴の胸の前に飛びつき、半泣きになりながら訴えた。

「な、なんじゃその顔は! 鈴、無事なのじゃな……!? よかった……本当に……!」

「ええ。大丈夫です。ほら、ちゃんと立てますから」


鈴が微笑むと、紅も胸を撫で下ろす。


ただ、その瞳の奥にははっきりとした痛みと怒りが残っていた。

「……これは、許されることじゃないよ」

紅は、糸が散り落ちた床の跡を睨む。

「夢を歪めて、縫い合わせて……あんなふうに意志を縛りつけるなんて。あれは願いじゃない。呪いだ」

鈴はそっと首を振った。

「夢縫い自身の意思ではありません。あの影は……人形神の残滓ですよ。長い間、夢の糸に絡まり続けて……」

紅は唇を噛んだ。

こんは拳をぎゅっと握りしめる。


「許せんな。あやつ、わらわたちを何度も困らせおったからの……!」


鈴はふっと笑った。


「でも、終わりました。影は……静かに眠れたはずです」


三人は一度深く息をつき、崩れかけた棚の近くに腰を下ろした。


風が吹き込み、鈴のコートがふわりとはためく。




紅がふと鈴のガントレットを見て、不思議そうに首を傾げる。


「……その腕、ちょっと光ってない?」




見ると、銀のガントレットの縁が、淡く揺らぐように光を放っていた。巡煙簫と共鳴した余韻だろうか。




鈴はそっとガントレットを撫でる。


「……みんなのおかげです。私ひとりでは、きっと負けていました」




紅は苦笑しながら鈴の背を軽く叩いた。


「それは違うよ。鈴ちゃんは“ひとりじゃない”と気づいて戦えた。だから勝てたんだ」




「うむ! わらわが鈴の肩に乗っておったからな! 実質、わらわの勝利でもある!」


「こんちゃんは最後ほとんど泣いてましたけどね?」


「う、うるさいのじゃ紅……! 泣いてなどおらん……!」




鈴は、二人のやり取りに小さく笑みをこぼす。




薄暗い廃屋に、静かだが柔らかな空気が満ちていった。


もう、影はない。糸も縛らない。




ただ――ひとつだけ、風に揺れる“白い糸のかけら”があった。




鈴がそっと拾い上げると、それは光の粒になって弾けるように消えた。




「……夢縫いさんを、探しましょう」




その言葉に、紅とこんが頷いた。




「本物の夢縫い本人に会って……全部、確かめないと」


「うむ! 本番はここからなのじゃ!」




廃屋を後にした三人は、差し込む薄日を背にゆっくり歩き出す。


その肩に落ちる影は、どこか軽やかだった。

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