糸の導く先
路地裏の奥を、冷たい風がひゅうと抜けた。
まるで誰かが三人の背を押すように、空気がわずかに沈む。
紅が人形を抱えたまま立ち尽くす中、鈴は耳を澄ませるように目を閉じた。
「……何か、動きました」
しゃ……り。
糸の擦れるような音が、壁の向こうからした。風音ではない。何かが確かに空間をなぞった音だ。
こんが鈴の肩で震えながら囁く。「ひっ……鈴、今の聞こえたのじゃ?」
「あれは……糸です。夢縫いの糸」
紅も頷く。「うん。これは“願い”じゃない。もっと……縫われた夢の気配がする」
その時――
ぱちんっ。
視界の端で、何かが弾けた。針が布を貫く瞬間のような、乾いた音。
三人が同時に振り返ると、路地の壁に“縫い目”が刻まれていた。
白い糸が、まるで空気そのものに縫い付けられている。
そしてその縫い目は……微かに動いていた。
こんが青ざめる。「こ、これは……空気を縫うとか反則じゃろ……」
鈴は縫い目にそっと指を近づけた。触れた瞬間、淡い光が散る。 「やっぱり……夢の中と同じ感じがします。しかも、比較的新しい……」
紅は抱いていた人形の胸元を見た。 そこから――白い糸が一本、するりと伸びていた。
「……これ、呼んでるみたいだね」
鈴とこんが覗き込む。 人形の胸から伸びた糸は、震えながら路地の出口へと向かって揺れている。まるで“ここを通れ”と言うように。
「どこに行くのかは分からないけど、夢縫いの糸が、まだこの人形に“繋がってる”」
紅は糸を辿るように路地の先を指した。
「行こう。向こうに……“集められた夢”がある」
案内されるように歩く三人は、やがて商店街から外れた古い通りに入る。
シャッター店が連なる静かな道。
古びた玩具屋の看板が朽ち果て、色あせたキャラクターのポスターが風に揺れている。
「……ここ、知ってる気がします」鈴がぽつりと言う。
「鈴が?」紅が聞き返す。
「はい。私が“鈴”になる前……依り代が作られる前。綾戸さんがよく通っていた場所です。記憶というより……空気が。懐かしいです」
こんが周囲を見回す。「なるほど……古い玩具屋や雑貨屋が多いのじゃな」
鈴は頷く。「ええ。だからでしょうか……」
三人の視線が同時に一点に吸い寄せられる。
そこには、廃屋になった玩具店のシャッター。
そして――
白い糸の束が、静かに、ゆっくりと揺れていた。
風では揺れないはずの糸が、まるで三人を招くように。
紅が息を呑む。「……ここが、入口だよ」
鈴は巡煙簫を握りしめ、静かに頷いた。
白い糸の束が揺れるシャッター前に立つと、三人は自然と息を呑んだ。
古い金属の臭い、埃、閉じ切った空気。時間が止まった場所特有の重さが、肌にじっとりまとわりついてくる。
紅が小さく息を吸う。「……入るよ」
鈴は頷き、巡煙簫を握り直した。こんは鈴の肩で、いつになく神妙な顔をしている。
ギィ……。
鈴がシャッター脇の隙間を押し上げると、驚くほど簡単に持ち上がった。何者かが内側から“開けたまま”にしていたようだ。
中は暗く、かすかな光が埃を照らすだけ。朽ちた玩具のパッケージが棚に残り、色あせたポスターには笑顔のキャラクターが描かれているが、その笑顔が逆に不気味さを増していた。
鈴は慎重に足を踏み入れる。
「……ここ、本当に誰もいないんですか?」
紅は周囲を見渡しながら、「“今は”ね。でも、ここは夢の気配が濃いよ」と呟く。
そんな中――
「ひゃっ!?」
突然の悲鳴に、鈴と紅が同時に振り返った。
「こ、こんちゃん!?」
肩にいたはずのこんが、いつの間にか床に降りていて、棚の隅に並んでいた古びた玩具を睨みつけていた。
「この部屋には……笑っておる玩具が多すぎるのじゃ……! この顔、絶対動くのじゃ! わらわ知っておる!」
鈴は苦笑しつつ拾い上げる。「ただの人形です。たぶん……」
「嫌じゃ…動く人形とか怖すぎるのじゃ」
紅は吹き出す。「こんちゃん、鏡みせたげようか?」
「やめんか紅! その手を離せ! 絶対噛むのじゃ!」
玩具を放り投げたこんは鈴の背に飛びつき、ガタガタ震えながら涙目で睨み続ける。
「わらわは……無表情の玩具が苦手なのじゃ……」
鈴は優しく頭を撫でる。「こんちゃん、普段どれだけ怪異に強くても、こういうのはだめなんですね」
「これは……畏怖じゃなく純粋な恐怖なのじゃ……!」
紅は腹を抱えるほど笑っていたが、ふと表情を引き締めた。
「……でも、その怖がりが正しいよ」
紅の視線の先。
棚の奥、暗闇に埋もれるように――
“糸の束”が、こちらを見ていた。
白い、細い糸の束。まるで誰かの髪のように揺れ、棚の影からゆっくりと伸びてくる。
鈴も表情を引き締めた。「……来ましたね」
こんが鈴の背中で震えながらも、気丈に声を上げる。
「正直怖いが……わらわ、逃げぬのじゃ……!」
紅が人形を抱え直し、前に出る。 「この糸……これは夢抜い本人が紡いだものだ」
糸は、三人を“奥へ奥へ”と導くように、静かに揺れていた。
鈴が一歩踏み出す。「行きましょう。……もう引き返せないみたいですし」
紅が頷く。「うん。でも、ここが正しい道だよ。間違いなく」
そして三人は糸の揺れる暗闇へ――ゆっくりと歩き出した。




