路地裏の瞳
【展示会編 第五話:路地裏の人形】
湿った冷気が三人の足首に絡みつく。細い路地の奥は、夕暮れの光が届かず、まるで時間そのものが沈殿しているようだった。
鈴は慎重に歩を進め、こんは肩の上で身を縮める。紅は一歩後ろで周囲を警戒しながら、じっと気配を探っていた。
しゃり……しゃり……。
風では説明できない音が足元をかすめる。誰かの衣擦れのようでもあり、小さな何かが駆け抜けたようでもあった。
「……紅さん、どのあたりですか?」
鈴の問に、紅は細く息を吸う。
「もっと奥……すごく近いよ。ほら、あそこの……段差の影」
鈴の視線が暗がりの一点に吸い寄せられる。
そこに――何かが落ちていた。
小さな人形。手のひらに収まるほどの、安価な子ども向けの玩具だ。頬にほんのりチークが塗られ、プラスチックの瞳は大きく描かれている。
だが。
その“瞳”が、こちらを追った。
「……動きましたね」鈴が小さく呟く。
こんが身を震わせる。「こ、これは……さっきまでの狸よりはるかに怖いのじゃ……!」
紅は膝を折り、そっと人形に向かって手を伸ばす。
「……うん。間違いない。これが通報の“視線”の正体だ」
人形は紅の指先を見つめ返し、まるで何かを語りかけようとするように、口元をカタカタと震わせた。
紅の表情が固まる。
「……願ってる」
鈴が息を呑む。「願い、ですか?」
红はゆっくり人形を両手に包み込むと、かすれるように言った。
「すごく……すごく小さな願い。『もっと遊んでほしい』『使ってほしい』『忘れないでほしい』……そんな、子どもみたいな想い」
「子どもの……?」こんが首をかしげる。
「ううん。この子自身の……“玩具としての願い”だよ」
人形は大量生産の、ごくありふれた商品だ。鈴やこんのように、特別な想いを込めて作られた依り代とは違う。宿る魂の重さも、深さも、本来なら比べるべくもない。
なのに――
「どうしてここまで“自我”みたいになってるんでしょう?」鈴が小さく問いかけた。
紅は目を伏せる。
「それが……“歪んでる”んだよ。想いの形が……編まれてる」
鈴の胸の奥がざわめいた。
「編まれている……糸、ですか?」
紅は頷く。
「そう。夢の糸が、ぐちゃぐちゃに結び合わされてる。たぶん……一体じゃない。これは“寄せ集め”なんだよ」
「寄せ集め?」
「うん。ここには、この子だけじゃなくて――捨てられた人形たちの“夢の切れ端”が縫い合わされてる」
鈴の背筋にひやりとしたものが走った。
(影さんが言っていた……歪んだ夢。その断片……)
紅は続けた。
「一つ一つは小さすぎる願いなんだ。誰にも届かず、忘れ去られた玩具の……ほんの微かな想い。でも、それが無理やり“縫われて”ひとつにされてる」
人形の瞳がかすかに揺れる。
紅は小さく震えながら言った。
「これ……“器”にされてるんだよ。まるで……僕が“器”にされたあの時みたいに」
鈴は反射的に紅の肩に手を置いた。
「紅さん……」
紅は苦く笑った。
「僕は運良く戻ってこられたけど……この子たちは違う。忘れられたまま、縫い合わされて……夢縫いの“偽りの夢”にされている」
こんは顔をしかめる。「そ、それは……もはや怪異と言うより、呪の類なのじゃ……」
鈴は静かに人形を見つめた。その瞳には、かすかな光。けれど、それは“本来の光”ではない。無数の想いが継ぎ接ぎされた、不安定な輝きだった。
(……ここに、“夢縫いの痕”がある)
風が吹き抜け、狭い路地の奥で白い糸のようなものが揺れた。
三人は同時に振り返る――。
「……来る」紅が囁いた。
夢縫いの“残響”が、ついに姿を現そうとしていた。




