零課へ
――夕方前の警視庁・別棟。
零課のフロアは他部署に比べて静かだが、空気の奥底にだけ妙な重さがある。怪異を扱う部署特有の“気配”が薄く漂い、人の少なさのわりに空間の密度だけが高い。
鈴は扉の前で小さく息を吸い、インターホンを押した。
「……廣守探偵事務所の鈴です。失礼します」
『入れ』
低い声とともに扉が開く。
竜胆が腕を組んで立っていた。利根川は大きな書類束に埋もれながら、こちらをちらりと見る。
鈴がぺこりと頭を下げると、肩の上からこんが勢いよく顔を出す。 「竜胆、見よ! 鈴とわらわの溢れる知性を!」
竜胆の視線が鈴→こん→鈴とゆっくり往復し、僅かに目元が柔らいだ。
「……派手だな。綾戸の趣味がよく出てる」
利根川はふむと頷く。「いや普通に似合ってるよ。零課にもそのくらいの華が欲しいくらい」
「華なら僕がいるじゃないか〜」
明るい声がソファから飛んだ。紅が、妙にいい姿勢で座ったまま手を振っている。
「やっほー鈴ちゃん! その服かわいい! こんちゃんもかわいい!!」
「紅、その“かわいい”、二回目はわらわなのじゃな?」
「もちろんだよ。こんちゃんは小さくてふわふわで最高!」
「ふふん、分かっておるではないか」
鈴は苦笑しつつ本題に入る。
「今日は展示会で見つけた“例の人形”と……夢縫いと思われる怪異のことでご相談に」
竜胆が顎を僅かに動かし、「話せ」と促す。
鈴は夢に潜ったときのこと、影から聞いた言葉、歪んだ“糸”の気配などを丁寧に説明した。
利根川は説明を聞き終えると、深く息を吐く。
「……実は最近、零課にも“気味の悪い相談”が増えていてね。実害はないが、ぬいぐるみが移動したとか、置物の向きが変わったとか……そういう小さな異変が多発している」
「事務所での現象と同じですね」鈴が頷く。
利根川は眉を寄せた。「ただ、件数が異常だ。普段の十倍近く。地域もバラバラ。監視カメラには何も映らず、気配だけが残る」
すると紅が、今までの軽さを消した声音で口を開く。
「……それが気になるんだよね」
鈴が振り返る。「紅さん?」
紅は膝を抱えて、視線を落とした。
「僕、竜胆と一緒に何件か現場に行ったんだ。でも……“何も感じなかった”んだよ」
竜胆も静かに続ける。「紅は人の願いや後悔に敏い。だが、この件ではまったく反応を示さなかった。……それが逆に異質だった」
紅は困ったように笑った。
「夢縫いが関わってるなら、絶対に気づくはずなんだよ? 忘れられそうな願いや、消えかけの夢。僕には一番分かりやすい気配なんだ。でも……何もなかった」
こんが小さく首を傾げる。「紅が感じぬなら、確かに変なのじゃな?」
「うん。だから……鈴ちゃんの話を聞いて、ますますおかしいと思ったんだ」
紅はまっすぐ鈴を見つめる。 「鈴ちゃんが夢の中で見た影と夢縫い。この二つと妙な事件が繋がっているなら、」
竜胆が静かに言う。「紅がそう言うなら、動いているのは今この瞬間だ。過去の現場では“何もいなかった”と考えるべきだろう」
紅は手を伸ばすように言った。
「だから、僕も行くよ。気になるんだ。何か、見落としてる気がする」
「遊び半分でするでない!」こんが小さな拳で紅の額をぺしぺし叩く。
「ちょっと! 本気だよ!」
利根川は肩をすくめて笑う。「まあ、紅ちゃんがここまで言うなら、同行させたほうがいいかもしれませんね」
竜胆は鈴へ向き直り、短く告げる。
「鈴。お前の“初めての依頼”とこの件は確実に繋がっている。必要な資料はすべて持っていけ」
鈴は深く頭を下げた。「ありがとうございます」




